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更々屋

 聖はおとなしい性格だとよく言われる。

 自分ではそんなつもりはないけれど、あまり自分の意見を口にしようとしないのだ。思っていることはあってもそれをさりげなく主張することがなかなかできなくて、結局ガンガン自分の意見をぶつけてくる脩や友達の言葉を黙って聞くだけになってしまう。

 それでも聖は一本芯が通っているところがあって、自分が賛成できないことには絶対従おうとはしなかった。その点で、どうやら聖は脩から信頼を勝ち得ているらしい。


 放課後、脩と連れ立って校舎を出ると、今度は気分が悪いくらいに晴れていた。聖は呆れて空を見上げる。


「やったぁ、得した気分」


 嬉しそうな脩に理由をきくと、グラウンドはぐちゃぐちゃで部活はできないのに、鬱陶しい雨は降ってないから二重のラッキーらしい。


 ちなみに二人はサッカー部に所属している。顧問の糸井先生が全くやる気を持っていないおかげで、部活に熱心なこの学校の中では珍しく、生徒が好き勝手にやれる部活として脩たちがすっかり牛耳っている。聖は脩に誘われてなんとなくサッカー部に入ったくちだが、巧拙は置いておいて、サッカーとの相性はいいようで部活で走り回るのもそう悪くないなと思っている。

 並んで校門を出たところで、思い出したように脩が言った。


「そうだ、さっきも言ったけど更々屋に寄るからな」

「おばさんから頼まれたの?」


 聖がたずねると、脩はちょっと不機嫌そうに頷いた。

 更々屋は、この辺りでは有名な老舗の和菓子屋だ。ちょっとした贈り物なんかでも、ここの和菓子を使えばまず失礼にあたらないというのが地元の通説になっている。脩の家は来客が多いから、つねに更々屋の和菓子をストックしている。たぶんその買い置きが減ってきたから、適当に買い足してくるように言いつけられているのだろう。


「めんどくせぇなぁ、こうゆう用事は手伝いの人に頼めばいいのに」


 腹立たしそうに言う脩を、聖は苦笑してたしなめる。


「バカ、別にいいだろ、少し遠回りして帰るくらい」


 荷物になるじゃんとまだ文句を言う脩に、聖はそれくらいガマンしろよと少し口調を強めた。脩は恨めしそうな目で聖を見て、更々屋は苦手なんだよとポツリと呟いた。聖はすぐにその理由に思い当たって、思わずふきだしてしまう。


「あっ、てめぇ今、笑ったな!?」

「笑ってない、笑ってない!」

「いやっ俺は見た! はっきり見たぞ、このヤロウ!」


 脩にかなりの力でヘッドロックされて、聖はギブギブと慌てて脩の腕をたたく。


「八つ当たりすんなよ、そんなに苦手なの?」


 なんとか脩の腕から逃れてその顔をのぞきこむと、脩は不機嫌そうに目をそらした。


「俺だって苦手なものくらい、あるの」

「……そんなに怖いんだ、莢子さんが」

「怖いんじゃねぇよ!」


 脩はすぐに感情的になるからわかりやすいんだよなと聖はますます笑いがこみあげてくる。

 強い日差しと湿気のせいで耐え難いほど蒸し暑く、脩と聖はほとんど無言で更々屋を目指した。私立の制服は窮屈で、脩はすでにネクタイを外しカッターシャツの袖をヒジまで捲り上げている。聖もネクタイを緩めて、シャツの中にパタパタと風を送り込みながら空を仰いだ。


「……あっちー……」


 聖が呟くと、脩が強い目でにらんでくる。


「暑いのはもうとっくにわかってんだよ。いちいち口に出すな」

「さっきまで脩だって、暑い暑いって言ってたじゃん」

「俺はもう乗り越えた」


 乗り越えたといいながらも、脩の額にはびっしり汗が浮かんでいる。

 更々屋は氷坂という緩やかな坂沿いにあり、この坂には昔ながらの商店がいくつも並んでいる。おかげで古くから顔の知れている大人たちに呼び止められて、そのたびに愛想よく挨拶しなければならなかった。

 さっそく、文房具屋の前で水打ちしていた井崎のお婆ちゃんに声をかけられる。


「あら、議員さんとこの次男と医院さんとこの三男だね?」


 その瞬間脩はぱっと愛想のいい笑顔になり、こんにちはと溌剌と言って頭を下げる。慌てて聖もそれにならい、頭を下げた。脩はこうゆうところの教育が行き届いていて、若いうちから処世術に長けていた。


 議員さんとこの次男とは脩のことで、脩の親は代々この土地の代議士を務めている。医院さんとこの三男とは聖のことで、聖の長兄は死んだ両親からこの土地唯一の内科の医院を受け継いでいる。


「暑いですねぇ。おからだにさわりませんか?」


 先ほどまでとは別人のように優しい声で老人をいたわる脩に、聖はいつも素直に感心している。井崎のお婆ちゃんは嬉しそうに笑って、まだまだ元気だよとしゃがれた声で言った。


「お茶でも飲んでいかないかね?」

「すみません、母から用事を言いつけられていますので」


 申し訳なさそうに脩が断ると、それなら少し待ってなさいとお婆ちゃんは店の奥へと引っ込んだ。ほどなくして、ノートとペンを抱えて戻ってくる。そして脩と聖にそれぞれ一セットずつ渡した。


「勉強、頑張りなさいよ」

「あ、どうもすみません。ありがとうございます!」


 遠慮しようとする聖を遮って、脩は大きく頭を下げてお礼を言った。


「お父様たちによろしくね」

「はいっ、さよなら」


 脩にひきずられるようにしてその場を離れて、聖は途方にくれたようにノートとペンを抱えて脩を見上げる。


「こんなの、もらっちゃった……」

「おまえはどうか知らないけど、俺は日常茶飯事だ」


 さっきまでの愛想のいい少年とは別人のようにむすっとした顔で、脩はノートとペンをかばんに突っ込んだ。


「兄貴に怒られる」

「うるせぇな、ああゆう婆さんはもらってやったほうが喜ぶんだよ」


 かわいいもんじゃねぇかと脩は言って、それから小さくため息をついた。

 更々屋の看板が、もう見えている。


「俺はあの看板を見るたび、寿命が三秒ずつ縮んでる気がする……」

「そんなに怖い?」

「怖いんじゃなくて、苦手なの!」

「なにが苦手なの?」


 突然声が割り込んできて、振り返るとそこに更々屋の娘の外川莢子が立っていた。


「うわぁぁぁぁっ!!!」


 脩が派手な叫び声を上げて、その声に驚いて聖も小さく叫んでしまう。莢子はそんな二人を冷たい目でにらんだ。


「なんなの、人を化け物みたいに……」

「ある意味化け物よりタチわりぃよ」


 脩の呟きを耳ざとく聞き取って、莢子がにっこりと微笑む。


「あんた、水ぶっかけられたい?」


 莢子の手には、ホースが握られている。水撒きをしようとしていたところなのだろう。脩は黙って莢子をにらみつけて、その脇をすり抜けるように店内へと入っていった。聖は慌ててそのあとを追いながら、莢子を振り返ってみる。莢子は訝しげな顔で首をかしげてから、ホースで水撒きを始めた。


「脩、いくらなんでもあの態度は……」

「おばさん、こんにちは」


 聖の囁きも無視して、脩は外川のおばさんに笑いかけた。


「まぁ倉崎さんとこの脩くんじゃない。久しぶりね、お使い?」


 脩はおばさんたちからの人気が高い。脩の笑顔に、戸川のおばさんもすっかり機嫌のよさそうな顔になって、目じりを下げた。


「そうなんですよ。あの、俺よくわかんないんで……適当に包んでもらえますか?」

「お母様から何か言付けは?」

「えーと……えーと、なんだったかな?」


 忘れちゃいましたといかにも無邪気に照れくさそうに笑う脩に、おばさんはますます相好を崩す。聖はそばで見ていて、本当に相変わらずだなこいつはと感心してしまう。


「それじゃいつもお母様がお買い上げになられるものをいくつか包んでみましょうか」

「あ、それでお願いします!」

「それじゃ、そこにかけて待っていらしてね。……莢子! 水撒きはいいから、お茶をお出しして!」


 おばさんの言葉に、脩の顔がぴくっと引きつるのがわかった。聖は思わず笑ってしまいそうになって、慌てて口を押さえる。莢子は黙ってホースを地面に放り投げ、タオルで手を拭いながら店の中へ戻ってきた。脩の身体がますますこわばるのがわかって、聖はこれは笑い事じゃないなと顔をしかめる。


 昔、脩は莢子に本物の弟のように可愛がってもらっていて、その関係はそのまま続きちょっと前までは口げんかのようなじゃれ合いを繰り返しては、仲良さそうにしていたのだ。脩は口では莢子の悪口をさかんに言いながらも、実は莢子を慕っているようなところがあって、それが最近その様子がおかしいのだ。


 どうも本気で莢子を嫌がっている。嫌がっていると言うより、避けている。これはもしかしたら何かあったのかもしれないとあまり敏感とは言えない聖でさえ、気付き始めていた。


 急におとなしくなった脩の前に、莢子がお茶と葛小豆の小鉢を差し出す。聖もありがたくお茶を頂戴して、口をつける。さすが和菓子屋の娘さんだけあって、家で兄がいれてくれるものとは同じお茶と思えないほどおいしかった。


 小豆の入った葛切りを楊枝でぐるぐるとかきまぜながら、聖はそっと脩の様子をうかがう。脩はぶすっとした顔で店の外を眺めている。決して莢子の顔を見ようとはせずに。莢子はそんな脩をちらりと見て、それからちょっと聖に笑いかけてから、また水撒きへと戻っていった。聖は机の下で、ちょいちょいと脩の足を突っつく。


「脩、どうしたの? ほんとにおかしいよ」

「……うるせー」


 低い声でそう呟いて、脩は黙り込んで葛小豆を口に入れた。聖もそれ以上何も聞けなくなって、仕方なく黙ってお茶を飲む。


 外川家の子供は一男一女で、今年二十歳になる長男の弘武は中学を卒業してからすぐ父の元修行に入り、今では立派に親父さんと店を切り盛りしている。小さな頃は遊んでもらった記憶もあるが、今では道で会って挨拶する程度の仲だ。お喋りで快活なおばさんと莢子とは正反対に、親父さんと長男は無骨で無口な職人肌だった。他人の家の事情や流言にあまり興味のない聖でも、ついこの家の食卓の様子を想像しては、おかしいような気の毒のような気分になってしまう。何はともあれ、菓子の味は確かだった。


 しばらくしておばさんが笑顔で脩を呼んで、大きな包みを差し出した。


「いつもの栗羊羹と水羊羹、干菓子、お気に召すかわらかないけれど新作の水無月も入れておきましたからね」

「あ、どうもありがとうございます」


 脩はにっこりといつも通りの笑顔で微笑み、お礼を言った。


「それで、お代のほうは……」

「ああ、いいのよ。お母様に毎月まとまってお金をいただいてますからね、大丈夫」

「そうなんですか。あの、葛きりおいしかったです」

「まぁよかったわ」


 大きな紙袋を受け取って、脩はにこにこと頭を下げる。


「それじゃあ、失礼します」


 脩の言葉を聞いて聖も慌てて立ち上がったが、すぐにおばさんが脩を呼び止めた。


「まぁもう帰るの? 莢子もいるのだし、あがっていったら?」


 脩の顔が、一瞬でこわばったのがわかった。莢子は何でもない顔をして水を撒いているが、おそらく聞き耳を立てている。聖は居心地の悪さに思わず俯いた。


「あの、今日は残念ですけど、聖くんと勉強するんで」


 俺をダシに使うなと聖は心の中で呟く。脩は笑顔で何度もすみませんと謝って、それから莢子のことは一瞥もせずにさっさと店を出て行った。慌てて聖はおばさんと莢子に頭をさげ、脩の後を追う。

 脩になんとか追いついて、どう声をかけたものか考えあぐねていると、脩に小さいほうの紙袋を押し付けられた。


「持てよ」

「……莢子さんとなんかあった?」

「それ以上余計な口たたいたら本気で殴ると思う」


 これはただ事じゃないぞと聖は大きくため息をつく。なんだか厄介ごとの予感がした。

 一方当人の脩はしばらく深刻そうな顔をしていたが、すぐにいつもの能天気な顔に戻って、部活の話や最近仕入れたエロビデオの話なんかを始めた。なんだかなぁと聖は空を仰ぐ。

 やっぱり真っ青な空の遠くのほうに、灰色の雲が見えた。


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