髪が伸びる市松人形
監修:蒼風 雨静 作;碧 銀魚
「ありゃぁ、また伸びたなぁ。」
私を見たおじいさんが、頭を掻きながらそう言った。
何を言っているのか、わかっているつもりだ。
私の髪の毛だ。
「話には聞いていたが、本当に伸びたなぁ。勝手に切っても大丈夫なのか?」
おじいさんは私の髪をまじまじと見ながら、ぼやいている。
まぁ、無理もない。
私は人間ではない。
本来髪が伸びない、ただの市松人形だから。
私はその昔、小さな女の子の遊び相手だった。
女の子はとても私のことを可愛がってくれたのを、今でも鮮明に覚えている。
しかし、幸せだった時間は、突然、終わりを告げる。
ある日、大きなサイレンという音が鳴ったかと思うと、女の子を含む家族が突然家から飛び出していった。
あまりにも急で、女の子も私を連れていけなかったらしい。
それから間もなく、女の子の家は崩れた。
後から知ったが、その時代は戦争というものを、人間達はしていたそうで、女の子の家はその一環で壊れてしまったそうだ。
幸い、私は壊れた家に押しつぶされることはなかったが、女の子や家族が戻ってくる前に、見知らぬ男に拾われて、その場を離れてしまった。
男は私は裕福そうな家に売り、お金を手にした。
そして私はその家の片隅に飾られることになった。
「ねぇ、この人形の髪、伸びてない?」
ある時、その家の家族の一人が、私を見てそう言った。
私自身は何も意識をしていなかった。
だが、それから髪はどんどんと伸び始めた。
「やだ、気持ち悪い……」
「手放したほうがいいんじゃない……?」
家族達は私を気味悪がり、間もなく私は中古の人形を扱う店に売られることとなった。
それから、私は色々な人の手を転々とすることとなった。
ある時は、人形マニアの家に飾られ。
ある時は、心霊研究科の持ち物になり。
ある時は、やけに使い古された代本板の隣に座り。
ある時は、神社に奉納され。
ある時は、ソフト一本の曰くありげなゲーム機と一緒に片付けられ。
そうして、いろいろな場所を経て、現在はおじいさんが一人で経営している、骨董店の棚に並んでいる。
おじいさんは私のことを気味悪がったりはしないが、かといって過度に干渉してくることもない。
せいぜい、髪を切ればいいかどうか、悩むくらいだった。
本人の談だと、長く骨董店を営んでいると、曰く付き物に出くわすことは、よくあるのだそうだ。
私くらいだと、驚く内に入らないらしい。
「じっちゃん、この人形、なに?」
突然、私を指さして、誰かがそう言った。
見れば、一人のお姉さんが私のことをまじまじと見ていた。
確か、この骨董店の常連だ。
「ああ、この前知り合いに頼まれて引き取ったんだが、何でも髪が伸びる市松人形らしい。」
「マジ?本当に伸びるの?」
お姉さんが尋ねると、おじいさんは溜息混じりに頷いた。
「ああ。ここに来た時はおかっぱ頭だったんだが、今は見ての通り、背中まで伸びてるだろ。」
「確かにねぇ。」
お姉さんは角度を変えては、私のことをじろじろと見ている。
なんか、居心地が悪い。
「じっちゃん、これ触ってもいい?」
お姉さんが不意にそう言うと、おじいさんは鷹揚に頷いた。
「ああ。但し、壊すなよ。一応、売り物だし、呪われたりしても、責任はとれん。」
「はいよー」
お姉さんはわかっているのかいないのか、ひょいと私を持ち上げた。
まぁ、壊されても呪うつもりはないけれど。
「髪以外は普通の市松人形だねぇ。肌が人間の皮膚で出来たりもしてないし。」
「そんな代物だったら、引き取らんわ。」
おじいさんが身震いしながら言った。
「あっ!」
お姉さんが叫んだのは、その時だった。
見ていたのは、私の足の裏。
「どうした?」
「ここ見て!住所と名前が書いてある。」
お姉さんはおじいさんのところへ私を持っていくと、足の裏を向けた。
そう言えば、遥か昔、最初の持ち主の女の子に、何かを書かれた記憶はある。
「本当だ。元の持ち主のものか?」
おじいさんが目を細めながら見ている。
「なるほど、そういうことか。」
お姉さんは何やら納得している。
ただ、当の私は、何が何やらわからない。
「じっちゃん、この人形、売ってくれない?」
突然、お姉さんがそう言った。
一体、どうしたんだろう。
「構わないが、こいつは高いぞぉ。」
「いくら?」
「百万飛んで九百円。」
「ぼったくってんじゃねぇよ!」
というわけで、私は九百円でお姉さんの手に渡った。
お姉さんの家に連れていかれた翌日、お姉さんは何やら出かける準備を始めた。
「さて、じゃあ行こっか。」
お姉さんはそう言うと、私の頭に人形用の小さなヘルメットを被せた。
ご丁寧にゴーグルまでついている。
こんなもの、どこに売っているんだろう。
「うん、市松人形にこれはかなりシュールだけど、せっかく伸びた髪がぐちゃぐちゃになってもいけないしね。」
お姉さんは私をひょいと持ち上げ、外へ連れ出すと、バイクのハンドル付近のカゴに私を座らせた。
「よし!じゃあ、レッツゴー!」
元気のいい掛け声と共に、お姉さんが運転するバイクが走り出した。
長年色々なところ巡ってきたが、バイクに乗って風に煽られるのは、初めての経験だった。
お姉さんはこれが好きらしく、風を一身に浴びながら、気持ちよさそうにしている。
実際、この風は気持ちよかったし、流れるように変わる景色も、とても綺麗で面白かった。
私は生き物ではないけれど、こんな景色を見られたのなら、ここまで存在してきた意味もあったのかもしれない。
「やっぱ、ツーリングはサイコーだわ!そう思うでしょ?」
私は答えられないけれど、そう思うよ。
どれだけ走っただろうか。
随分な田舎にまで来たなと思ったら、お姉さんがバイクを止めた。
「はい、着いたよ。」
お姉さんはゴーグルとヘルメットを丁寧に外してくれた。
その光景を見て、私は驚いた。
そこにあったのは、私が最初に暮らしていた、あの女の子の家だった。
戦争で壊れたはずなのに、そこにはあの時のまま、家が建っている。
もしかして、もう一度立て直したの?
それにしても、あの頃と全く同じだ。
お姉さんは私を抱き抱え、入口の引き戸をノックする。
「ごめんくださーい。」
お姉さんが声をかけると、中から物音がした、
間もなく、引き戸がガラリと開く。
「どちら様?」
出てきたのは、一人の老女だった。
でも、その瞬間、私は確信した。
あの女の子だ。
年は取っているけれど、間違いない。
私を可愛がってくれた、あの女の子。
「どうも、通りすがりの者ですが。」
お姉さんは妙な挨拶をすると、私を老女の前に掲げた。
「この人形、見覚えありませんか?」
お姉さんがそう言った瞬間、老女の目がパッと見開かれた。
「これ、もしかして、昔ウチにあった……」
「はい。足の裏にここの住所と、あなたのお名前が書かれていました。」
お姉さんはにっこりと笑うと、私をスッと差し出した。
「そんな……もう、会うことはないと思ってたのに……」
老女の目からは、涙が零れ落ちている。
そんなに私のことを、思ってくれていたなんて。
「まぁ、これも何かの縁です。この人形がここに帰りたがっていたので、その念に私が引き寄せられたのかもしれません。」
お姉さんは私を老女へ手渡した。
「ありがとうございます……本当に、ありがとうございます。」
老女は何度もお姉さんに礼を言って、頭を下げている。
ああ、私も一緒にお礼を言いたい。
「そんなに畏まることはありませんよ。私は気分で当然のことをしたまでです。じゃあ、私はこれで。」
お姉さんはへらへらとしながら、そう言った。
老女はもう一度、頭を下げると、私を抱き締めながら、家の中へ戻った。
そして、引き戸を閉める間際だった。
「それじゃあ、幸せにね。」
お姉さんはそう言って、戸の向こうで手を振っていた。
老女は私を持ったまま、家の中へと入っていく。
ああ、家の中はあの頃のままだ。
少し日焼けした畳も、土壁も、置いてある家具まで、あの頃と一緒。
「また会えて、凄く嬉しいわ。」
女の子はそう言って、部屋の真ん中で私を抱き締めた。
そう、その姿はあの頃の女の子のものになっていた。
私も嬉しい。
もう、離れたくない。
「これからは、ずっと一緒よ。」
うん、ずっと一緒。
※※※※※
「それじゃあ、幸せにね。」
彼女がそう言って手を振った先は、何もない更地だった。
辺りに人影はなく、彼女が乗ってきたバイクが止まっているだけだ。
「……髪が伸びるなんて、何かあるとは思ったけど。まぁ、寺でお焚き上げされるよりは、こっちのほうがよかったよね。」
彼女はそう言って、持っていた小さなヘルメットとゴーグルを、ハンドル付近のカゴに入れた。
「さて、もうひとっ走りして、帰るかー」
元気よく一声叫ぶと、彼女はバイクに跨り、その場を後にした。