結婚行進曲
監修:蒼風 雨静 作;碧 銀魚
私は結婚行進曲です。
いえ、あの世界的に有名な結婚行進曲の化身などと、烏滸がましいことを言っているのではありません。
私は世界中に数多ある、結婚行進曲の再生データの一つ。
とある式場で、長年使われ続けている、音源に過ぎません。
しかし、これまで、数多くの夫婦の門出を見守ってきました。
今日は、そんな私の思い出話を、少しだけしてみたいと思います。
私が生まれたのは、日本がバブルと呼ばれる時代を迎える、少し前でした。
当時、この地域には結婚式場と呼ばれるものがなく、誰かが結婚をするとなると、遠方で式を行うしかありませんでした。
当時は今と違い、若者の数も結婚式の数も多く、毎回遠方で結婚式となると、参列者も大変です。
そこで、この式場の初代館長が一念発起。
好調だった不動産会社の多角化の一端という名目で、ここに式場を建てました。
ですが、そこはやはり素人。
式場を建てたはいいものの、初めての結婚式でスタッフが不手際を連発。
その不手際の一環で、式前日にBGMを用意していないことに気付くというのがありました。
当時は今のような音楽配信などなく、音源と言えば、カセットテープしかありません。
結婚行進曲のカセットテープは販売されていたそうですが、式場もなかった田舎ですから、売っている場所が近くにありません。
そこで、進退窮まった初代が叫んだのです。
「今から録音するぞ!」
式場に設置した音響装置は当時の最新鋭だったので、カセットテープへの録音機能がありました。
また、初代はピアノの心得があり、そのおかげで楽器を演奏できる友達が何人かいました。
その友達に頼み込み、明日までに演奏して録音するしか、残された道はありませんでした。
すぐにその友達全員に電話をかけ、何とか来られたのが、ギターとサックスとパーカッションが扱える三人。
そこにピアノが弾ける初代が加わり、即席クアッドが結成されました。
ですが、四人とも結婚行進曲を演奏したことはありませんでした。
なので、ここから地獄の特訓です。
結婚行進曲は有名なものが二曲あります。
一つは、フェリックス・メンデルスゾーンが作曲した、『夏の夜の夢』の一曲。
もう一つは、リヒャルト・ワーグナーの『ローエングリン』の『婚礼の合唱』。
初代はこの二曲に的を絞りました。
楽譜はどちらも高校の教科書に載っていたので、近くの高校から借り、それを相談しながらこの編成で演奏できるように編曲しました。
そこからは、夜通し練習です。
結局、完璧な演奏の録音に成功したのは、式が始まる一時間前でした。
この時の達成感は、初代のアマチュア音楽人生の中で、最高潮のものだったと、後に語っていました。
こういう経緯で、私は誕生しました。
ピアノとギターとサックスとパーカッションという、かなり風変わりな結婚行進曲なのですが……
初代達の執念が籠っていたからか、将又、その風変わりな音色が面白がられたのか、私はこの式場で初めて式を行った夫婦に、大層気に入られました。
そして、それがちょっとした話題となり、ここで式を行う夫婦は必ず私を式の最中に流すよう、リクエストしてくれました。
たまに、遠方の式場からの依頼で、私が収められたカセットテープが、貸し出されることもあったくらいです。
私は即席で作られた存在なので、決して上手い演奏というわけではありません。
それは、音楽の造詣が深い人でなくても、わかるレベルです。
それでも、私は多くの夫婦に愛されました。
それほど、初代達の演奏には、新たな夫婦の門出を祝いたいという気持ちと、執念が籠っていたのでしょう。
こうして、ドタバタしながらも、徐々に好調になっていった式場でしたが、十年ほど経った頃に、大きな試練が訪れました。
バブル経済が終わりを告げ、母体である不動産会社が大きく傾いたのです。
また、式場自体の経営も厳しくなりました。
景気が悪くなったせいで、以前のように派手な結婚式を挙げる夫婦が減ったのです。
初代はこの難局を乗り越えるべく、色々と奔走することとなりました。
その過程で、式場の経営に直接携わるのが難しくなり、二代目となる息子に引き継ぐこととなりました。
二代目は、初代ほど豪胆な性格ではありませんでしたが、慎重で手堅い考え方をする人だったので、経費を削減したり、細かいところを効率化するなどして、何とか式場を黒字で経営していきました。
そして、ちょうどその頃、私にも転機が訪れました。
カセットテープ録音されていた私ですが、このカセットテープというのは、非常に劣化しやすいものだったのです。
なので、テープが痛み始めると、私は他のカセットテープにダビングされ、ずっと使われ続けていきました。
しかし、それでもダビングを続けると、音の劣化は避けられません。
そこで、二代目は私をMDにダビングすることにしたのです。
こうして私は、デジタルデータという存在に生まれ変わりました。
私はカセットテープだった時代より、遥かに持ち運びが楽になり、またダビングされても、音の劣化が殆どなくなるようになりました。
それにより、以前より私は他の式場に貸し出される頻度が増え、微力ながら、式場の経営の一助となることができました。
ですが、二代目が引き継いでから十年経つと、また大きな試練が式場に訪れました。
結婚式の数が、大きく減り始めたのです。
当初、この頃には戦後三回目の結婚ブームが来ると言われていましたが、それが起こらなかったのです。
ここから急激に結婚しない、もしくはできない人が増えたそうです。
また、数少ない結婚した人も、式を挙げない人が増えたとのことで、式場を利用する人は、年を追うごとに減っていきました。
二代目はこの窮状を打破するべく、ある決断をしました。
それは、この式場を結婚式以外の用途でも使えるようにする、というものでした。
準備はすぐに始まり、この式場は、セレモニーホールという名に変わりました。
そして、最初に行われたのは、お葬式でした。
当然、私の出番はなく、ただただ見ていることしかできなかったのですが、出席者皆が祝福している結婚式とは違い、全ての人が悲しんでいるというのは、私にとってはつらい光景でした。
その後、結婚式以外にも、宴会や企業の入社式などにここは使われるようになりましたが、一番多いのはやはり葬式でした。
どうも、そういう時代になったようです。
そうして、私の出番は激減しました。
結婚式がなくなったわけではありませんが、その数少ない結婚式でも、流行の結婚ソングを流したいという夫婦が増え、そうなると私の出番はありません。
そうして、私の存在は、少しずつこの式場から忘れられていきました。
でも、これも時代の流れ。
仕方がないことなのだろうと、私は思っていました。
さて、私がなぜこんな昔話をしているのかと言いますと、もう日の目を見ることはないと思っていたところに、三度生まれ変わる機会がやってきたからなのです。
きっかけは、二代目の娘が、式場の片隅に保管してあった私のMDを見つけたことでした。
「お父さん、この結婚行進曲のMDって、何?」
娘は私を手に取るなり、二代目に尋ねました。
「ああ、久しぶりに見たな。それは、おまえのおじいちゃんが、友達と一緒に録音した結婚行進曲だよ。」
「おじいちゃんが?」
娘は目をパチクリさせている。
「ああ。ここが営業を開始した直後はドタバタで、初めての式でBGMを用意し忘れたそうでな。で、ここの音響機器を使って、おじいちゃんが友達と演奏して、録音して式で流したらしい。無茶苦茶やるよな。」
二代目は苦笑しながらそう言いました。
「そうなんだ。」
「ただ、即興でヘンテコな編成なんだけど、意外と妙な味があってな。当時は結構好評だったそうだ。今は、その時の友達もみんな亡くなって、残っているのはおじいちゃんだけだ。その最後の生き残りも、そう永くはないだろうって状態だけど。」
そうか……
私を生んでくれた彼らは、初代を残して、みんな逝ってしまったのですね。
「……これ、ちょっと聴いてみていい?」
娘が尋ねると、二代目は嬉しそうに頷きました。
「ああ、聴いてあげなさい。」
そうして、娘は今や殆ど使われていなかったMDの機器を起動させると、私を再生しました。
「……」
そのまま、微動だにせず、私を聴いています。
「……いい。」
曲が終わると同時、娘はただ一言、それだけ呟きました。
そして、MDを取り出すと、じっと見つめ始めます。
「……凄くいい。でも、ノイズだけは何とかしなきゃ……」
そのまま、娘は私を自宅に持ち帰りました。
それから、娘は自室の机の上に私を置き、三日ほどかけて、何やら調べ物をしたり、機械を買い揃えたりしていました。
私にはその作業が何なのか、さっぱりわからなかったのですが、娘は真剣にそれを進めていきました。
そして、四日目の朝。
「できた。」
娘は小さく呟きました。
そして、色々と繋がった機器の一つにMDの私を入れたのです。
途端に、私はまったく別のデジタルデータに生まれ変わりました。
本当に一瞬。
もう、カセットテープやMDといったものがなくても、音が流せるのが、自分でもわかります。
でも、どうやらそれで終わりではないらしい。
「これで、ノイズを消していけば……」
娘はデータとなった私をスピーカーで何度も流しながら、何やら操作をしています。私からすると、まるで形のない体を弄られているようで、少々こそばゆいのですが。
娘がやっていたのは、度重なるダビングで私に纏わりついたノイズの除去でした。
しかも、それはとても丁寧な作業だったのです。
同じノイズでも、うっかり入ってしまった衣擦れの音や、サックスのどこかに爪が当たってしまったような音はあえて残し、それ以外の音の劣化によるノイズのみを綺麗に消していきました。
その様に私は、私を録音した時の初代と似た執念を感じました。
とても、懐かしかったです。
そうして、私はクリアなデジタルデータとして、生まれ変わりました。
そうして、娘が私のデータを持って行ったのは、初代が入院する病院でした。
しばらく、初代の姿を見ていないと思っていたのですが、どうやら仕事は既に引退し、体を壊して、入院していたそうです。
「おじいちゃん、これ、覚えてる?」
娘は初代に向かって、私のデータを聴かせ始めました。
初代は顔色こそよくないものの、体を起こすくらいはできるようです。
私が流れ始めると、その初代の顔に、驚きと笑みが宿りました。
「ああ、懐かしい……あいつらと必死に録音した、結婚行進曲じゃないか。」
「そう。だいぶ劣化してたから、デジタルリマスターをかけて、出来る限り録音当時の音に近い形にしたの。」
「そうか。ありがとう。」
初代が涙ぐみながらそう言うと、娘は首を横に振りました。
「お礼を言うのはまだ早い。来年の結婚式で、あたしはこれを流す。だから、必ずそれまでは生きて、この曲を聴き遂げてあげて。」
娘がそう言うと、初代は面食らっていました。
「おまえ……死にかけの老体に、無茶なこと言いやがって……」
「これ、一晩でゼロから練習して、式に間に合わせたんでしょ?それができたおじいちゃんなら、絶対できる!」
「やれやれ……」
初代は涙を流しながら苦笑するという、なんとも言えない表情になっていました。
それから数か月後。
娘の結婚式がこの式場で行われました。
初代は歩けなくなっていたものの、車椅子で何とか参列しています。
傍らには、嘗て私を共に生んでくれた三人の友の写真が並べられており、初代が単に孫の結婚式に参列しただけではないことが窺えます。
そして、披露宴の開幕時。
私は馴染みのスピーカーから、会場全体に流れました。
「やっぱり、ヘンテコだけど、味だけはあるな。」
初代は会場全体に響き渡る私を聴きながら、小さく呟いて涙していました。
それから三日後、初代は息を引き取ったそうです。
現在、二代目が引退し、この式場は三代目となった娘が取り仕切っています。
娘の夫が不動産会社のほうを引き継いでおり、順風満帆とまではいかないまでも、危なげなく経営を続けているようです。
「さて、今日は久々に百人以上の式になるから、気合入れていくわよ。」
三代目となった娘が、従業員達に檄を飛ばしました。
「今日のご夫婦って、この前、黒猫を式に参加させられないかって相談してきた方たちでしたっけ?」
従業員の一人が尋ねると、三代目は頷きます。
「流石にそれはムリだったけどね。でも、参列者の数が増えて、それでここを選んでくれたらしいから、最大限のおもてなしはしなきゃ。それに、ここの結婚行進曲も気に入ってくれてたしね。」
そう、あれから私の出番はまた増えつつあります。
三代目が私をクリアにしてくれたおかげもあるでしょうが、プランナーには必ず私を紹介させるようにしている為なのが大きいです。
試聴させると、大抵の夫婦が私を式に流すよう、言ってくれます。
それは私が凄いのではなく、私を生み出した初代とその友達の力だと思います。
彼らがいなくなった今でも、私という形がない形で、彼らの意志は生き続けています。
それはきっと、この式場が続く限り、消えることはないのです。