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踏切

監修:蒼風 雨静  作:碧 銀魚

 俺の撤去が決まった日に、そいつはやってきた。

 今までの警手より、随分年を食ってる男で、みんなには「おやっさん」と呼ばれていた。

「よう、しばらくだけの付き合いだが、よろしくな」

 おやっさんは、俺につながるハンドルに向かってそう言うと、人懐っこい笑みを浮かべた。


 俺はこの路線の中で、最も古株の踏切遮断機、らしい。

 というのも、動くことができない俺のような存在は、他を確かめる術を持たないからだ。ただ、自動で遮断できない俺のような古株遮断機には、踏切警手という相棒が必ず付いている。その警手たちの雑談から、どうやら俺はしばらく前から最古株になったらしいことを知ったのだ。

 踏切警手というのは、俺のような遮断機を上げ下げする鉄道職員のことだ。最近は「踏切保安係」という名前に変わったらしいが、通りがかる人も警手本人も、相変わらず「警手」とか「警手さん」とか呼んでいるから、俺の認識も警手のままだ。

 ちなみに、俺はロープを上げ下げするタイプの遮断機だ。ロープ両端には柱があり、そこでワイヤーにつながっている。ワイヤーは柱の先の滑車を通して、踏切の右端にある小屋の中のハンドルにつながっており、電車が近づくと、警手がこのハンドルを回して遮断ロープを下げ、踏切内に誰もいないことを確認すると、白旗を振る。そうして、電車が俺の横をすり抜けていくのだ。

 電車が通り過ぎると、警手は急いでハンドルを回して遮断ロープを上げる。これを手早くやらないと、通行人の怒号がとぶことがある。警手にとっては、一番ひやひやする瞬間だろうと思う。

 そんな形で踏切を守っているのが、俺という遮断機なのだが、噂によると、最近は自動で竹竿を上げ下げする遮断機が増えているらしい。機械仕掛けで勝手に動くので、警手が必要ないらしく、「けいえいごうりか」とやらになるそうだ。「けいえいごうりか」が何ぞか、俺にはわからないが、確かに遮断機を上げるのをもたついて、通行人に怒鳴られることがなくなるのは、いいことかもしれない。

 そういうわけで、長年ここに居座ってきた俺にも、いよいよお役御免の日が近づいてきているのではないか、と思っていた矢先に警手が交代し、新しくきた警手、通称おやっさんに、撤去を告げられた。

 どうやら、俺がここをお暇するまでの間、おやっさんが警手を務めるらしい。

 別に悲しいとかそういうのはないが、見慣れたこの光景を見れなくなるのは、少しだけ名残惜しくは感じた。


 おやっさんは、今まで見てきた警手の中でも、一、二を争うくらい名手だった。

 遮断ロープの上げ下げは素早く、作業は機敏。それでいて、通行人への呼びかけは的確で伝わりやすく、常連の通行人ともすぐに仲良くなった。

 どうやらおやっさんは、俺と同じく一番の古株の職員らしく、警手の経験もかなりのものらしい。だが、これまた俺と同じく、職からのお暇も決まっているらしく、今回が最後の警手の仕事らしい。

「お互い、最後のお務めだ。寂しいが、有終の美を飾るとしようぜ」

 おやっさんはたびたび、俺に話しかけてきた。

 そういえば、俺自身に話しかけてくる警手は初めてかもしれない。

 初めは怪訝に思ったが、これが毎日続くと、次第に心地よくなってきた。

おやっさんは俺を単なる物ではなく、人間の相棒のように扱ってくれる。それが俺は嬉しかったのだ。

 警手は終電が通過すると、家へ帰っていくが、そうなると俺は、次の朝が待ち遠しくて仕方なかった。


 昔、電車が木製だった頃、ここを通る数はそれほど多くなかったが、鉄製のものに切り替わるにつれて、だんだん通る本数が増えてきた。

 そのせいで、特に朝と夕方は、遮断ロープが一度下がると、電車が何本も往来して、なかなか上がらないことが増えた。そうなると、必然的に通行人が踏切前で渋滞するのだが、それが揉め事を起こすことが時々あった。

「まだ、電車が来てねぇんだから、通せよ!」

 ある日、通行人の一人が、おやっさんに食ってかかっていた。

 朝のラッシュ時、おやっさんが遮断ロープを途中まで下ろしたところで、通行人の一人が踏切を無理やり渡ろうとしたのだ。

「危ないから、ダメです。電車が通過するまで待って下さい!」

 おやっさんは慌てて止めに入ったが、通行人は急いでいたらしく、大声で怒鳴り始めた。

「だから、まだ来てねぇだろうが!遅刻するから、どけ!」

 ついには、通行人はおやっさんを突き飛ばし、下がりかけの遮断ロープを潜ろうとした。

 ……俺は自動で遮断ロープを動かせないし、おやっさんの語りかけに答えることもできない。ただ、居座った年月が長過ぎたせいか、ほんのちょっと自分自身を弄ることはできる。

 例えば、摩耗したハンドルのストッパーを、外してしまうとか。

「いでっ!!」

 途中で止まっていたロープが一番下まで下り、潜ろうとした通行人の脳天を直撃した。不意を突かれた通行人は、悲鳴をあげて尻餅をつき、その隙におやっさんが素早く踏切の外に引っ張り出してから、白旗を振った。

「あんたがどんなに急いでても、警手はあんたらの命を危険に晒すわけにはいかないんだよ!」

 呆然と座り込む通行人に、おやっさんは怒鳴りつけた。


 そんなこんなはあったが、おやっさんとの日々は、瞬く間に過ぎていった。


 最後の日の朝、おやっさんはいつもより早く小屋にきた。

「お互い、今日が最後のお務めだ。まぁ、いつも通り、事故なくやっていこうや」

 おやっさんは、小屋に入るなり、ハンドルの前に座り込むと、そう語りかけてきた。

「それにしても、因果な存在だよな、踏切ってのは。ここを通る人や乗り物の安全を守ってるのに、事故が起きやすいからって、危険物扱いされるんだから。」

 確かに、その通りだ。

幸い、俺の踏切で人死には起こらなかったが、警手が居眠りして、ロープを下げ忘れたことは何度かあった。その時にこの前みたいな通行人がいたら、電車に撥ねられたことだろう。

「まぁ、それは遮断機が自動になっても変わらん。だから、最近は線路を高架にして、踏切そのものをなくそうって動きもあるらしい。それはそれで結構なことだが、ずっと世話になってたものなのに、なくなっていくほうがいいなんてのは、ちょっと可哀そう過ぎないかと、俺は思うんだよ。例え、相手が生き物でなくてもな。」

 おやっさんはハンドルをなでる。

「俺の息子に子供ができる頃には、俺みたいな警手や、お前さんみたいな手動の踏切はいなくなってるかもしれないし、そのまた子供が生まれる頃には、踏切そのものが絶滅してるかもしれない。でも……」

 おやっさんは視線を踏切自体のほうに移した。

「おまえや俺は、今、この時代、この瞬間に、人々の安全を守る為に、一所懸命働いた……その事実は絶対に消えないし、俺も死んでも忘れない。だから、それだけは誇ってくれ」

 そう言って、おやっさんは立ち上がった。

「今まで、いくつも踏切の警手をやってきたが、おまえとの仕事は妙に楽しかったよ。今日で終わりなのは名残惜しいが、鉄道職員人生の最後に幸せな時間を過ごさせてもらった。ありがとな。」

 こちらこそ。

 決して伝わらないけど、俺はおやっさんにそう返した。

 それが聞こえたかのように、おやっさんはニヤリと笑うと、ハンドルに手をかけた。

 朝靄の彼方から、始発のガタガタ音が聞こえてきた。

 さぁ、おやっさんとの最後のお務め開始だ。

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