古九谷
監修:蒼風 雨静 作;碧 銀魚
私はこの旧家の床の間に飾られている古九谷の皿。
この世に生み出されて早三百年余り。
数々の危機や戦火を巧みに躱し、こうして平成の世まで生き残ってきた。
この旧家に来てからはまだ日が浅く、せいぜいが数年。
最早、骨董品となった私は、皿としての本来の使い方をされておらず、美術品の如く飾られるばかりである。
これはこれで誇らしいことだが、時折、皿としての本分を思い返したくなる時もある。
美しく美味しく盛り付けられた料理をその身に乗せ、団欒の中で―
「ねぇ、何ぶつぶつ言ってるの?」
……おや?
「おや?じゃなくて、何で一人でお話ししてるの?」
これは確か、この家に数年前に生まれたばかりの娘。
「あたしはこれって名前じゃないよ?」
何だと?
まさか、私の声が聞こえているのか?
「当たり前じゃない。ちゃんと聞こえてるよ、お皿さん。」
そんなバカな。
私の声が人間に届いたことなど、この三百年、一度もなかった。
「へぇ~。じゃあ、寂しかったね。」
……寂しかった?
「うん。誰ともお話しできないなんて、寂しいじゃない。」
それは、そうなのか?
「そうだと思うけど。」
そんなものか。私にとっては、当たり前のこと過ぎて、よくわらぬ。
「へぇ~。じゃあ、これからはあたしがずっとお喋りしてあげる!」
そ、そうか。
「うん!」
こうして、この娘と私の奇妙なお喋りの日々が始まった。
「お皿さんのお誕生日っていつ?」
誕生日?生まれた日のことか?
「そう。」
大体三百年ほど前だが、今となっては正確な日付はわからぬ。
「えっ!お誕生日を知らない人なんているんだ!」
私は人ではないからな。
「そうだけど……じゃあ、誕生日プレゼントももらえないじゃない。」
プレゼント……ああ、贈り物のことか。
「そうそう。」
私は人ではないから、何かを贈られても、持ったり使ったりができぬ。だから、誕生日がわかったところで、どうにもならぬわ。
「まぁ、そっかぁ……」
逆に、私は贈り物にされたことはあるぞ。
「え?プレゼントになったの?」
ああ。私が現在、この家にいるのも、元はと言えば、先代への贈り物としてやってきたからだ。
「先代って、ひいおじいちゃん?」
そうだ。おまえが生まれる前にあの世へ旅立ったがな。
「お皿さん、ひいおじいちゃんに会ったことがあるんだ。いいなぁ。」
まぁ、こればかりは、長生きの強みだ。
「ていうか、お皿さんって、300歳なの?」
大体だがな。これも今となっては、正確に何年経ったかはわからぬ。
「そうなんだ。ちなみに、あたしは6歳!もうすぐ、7歳になるの。」
そうか、ついこの前生まれたばかりの赤子だと思っていたのに、もう七年も経つのか。
「そうだよ!」
私はプレゼントとやらを用意できないから、言葉で祝ってやることしかできぬが、それでもいいか?
「もっちろん!」
こんな感じの、他愛ない会話を、私と娘は幾度となく続けていた。
勿論、人前で皿に話しかけていては、頭の調子を疑われてしまうので、他人は元より、親の前でも、私には話しかけぬよう、固く誓わせていた。
「お皿さん!明日、ついに7歳のお誕生日だよ!」
そうか、では明日は祝いの言葉を言ってやらねばな。
「今でもいいよ!」
そうはいかぬ。祝いの言葉というのは、適切な時期に言わねば、意味を成さぬのだ。
「え~……早く聞きたかったのにぃ。」
そう急くな。心配せずとも、あと半々日もすれば、誕生日とやらは来る。
「そうだね。あと6時間だね!」
だから、それまでは座して待て。
「わかった……」
いい子だ。
「じゃあ、明日になったら、何て言ってくれるか、教えて!」
おまえ、今の話をちゃんと聞いていたか?
「やっぱりダメ?」
だから、明日まで待て。
「ちぇ~……」
何事も急いては仕損じるぞ。時には待つことも肝要だ。
「わかったよぉ。」
理解したなら、そろそろ夕餉に行け。先程から、母親が呼んでおるぞ。
「え?うそ?わかった!」
やれやれ。
「じゃあ、また明日!必ずお祝いの言葉、ちょーだいね!」
翌朝。
娘は朝一番に飛び起きると、私の元にやってきた。
「おはよう!」
早いな。まだ日が昇ってもおらぬぞ。
「ねぇ、おはよう!」
聞こえておるわ。
「あれ?まだ寝てる?」
何を言っておる。私は人ではないのだから、睡眠など存在せぬ。
「お皿さ~ん?何で無視するの~?」
ん?
「おっかしーなぁ。まぁ、いっか。後でにしよ。」
おかしい。
いつも通り、話しているはずなのに。
まさか……
その日、娘は何度か私の元に来て話しかけてきたが、その度に応対しても、話は通じず、がっかりして帰っていくだけだった。
そして、その日を最後に、私の声は娘に届かなくなった。
七つになってからも、娘は時々私に話しかけてくることはあったが、何度私が応対しても、もう声は聞こえていないようだった。
思えば、私と人間である娘が話せたこと自体が、瞬く間の何かの悪戯だったのかもしれない。
だが、その一瞬の時で、私は思い知った。
これが、娘が言っていた、寂しいという感情なのだと。
そうしている間に、娘はどんどんと成長していった。
そして、それと同時に、娘が私に話しかけてくることもなくなっていった。
やはり、幼い頃の記憶というのは薄れるものなので、今となっては、私と話をしていたこと自体を忘れてしまったのかもしれない。
だが、年の瀬の大掃除の時、娘は必ず私を綺麗に拭いてくれた。
昔のように話しかけてくることはなかったが、とても大事に拭いてくれるのだ。
私と話した日々は忘れてしまったのかもしれないが、どこか私を想う気持ちだけはのこっているのかもしれぬ。
そんなことを思いながら、私は孤独な日々を過ごしていった。
それから更に数年。
娘の嫁入りが決まった。
昔ながらの旧家なので、祝言もこの家で古めかしい形で行われることとなったらしい。
私は床の間から、文字通りの高みの見物を決め込むつもりだった。
だが。
「さて、お皿さん。久々に御役目だよ。」
そう言って、私を持ち上げたのは、嫁入りする娘だった。
娘は私を丁寧に洗うと、料理人に「はい」と手渡した。
もしやと思っていたら、その上に立派な鯛の御頭を置かれた。更に、褄や菊や大葉が綺麗に並べられていき、私の上には見事な料理が盛り付けられた。
ああ、この感覚は一体何年ぶりだろうか。
そんなことを思っていたら、私は再び床の前へ運ばれた。
置かれたのは、娘の目の前の机の上。
どうやら私はこの形で、娘の祝言に参列することになるらしい。
娘らしい、なかなか洒落た計らいだった。
そして、祝言の場にも耐え得る、立派な古九谷に生まれたことを、この時程、感謝したことはなかった。
祝言が始まると、初めは厳かな雰囲気で進んでいった。
だが、後半は気配も打ち解け、皆が楽しく語らう酒宴の様相を呈した。
私は料理を提供しながら、いい式だなと思った。
ふと、娘のほうを見た。
娘は次々に来る参列者に対応しながら、幸せそうな笑みを浮かべている。
私はその顔を見ていて、思わず言ってしまった。
「おめでとう。」
あの七つの誕生日の時に、言おうと思って言えなかった言葉。
もう聞こえないとわかっていても、言わずにはいられなかった。
だが、その時だった。
娘が少し驚いた顔をして、こちらを見た。
そして、私を暫し見つめ、やがて朗らかに笑った。
「ありがとう、お皿さん。」
その刹那、私の声が聞こえたのかは定かではない。
だが、娘は私を見て、確かにそう言った。
それだけで、私にとっては十分幸せであった。
それから、私はまた床の間に飾られる日々に戻った。
娘も嫁入りしてからは、時々しか姿を見せなくなったので、寂しいというより退屈な日々となってしまった。
やがて、世の名が令和に代わった頃、娘に更に娘が生まれ、この家に時々連れてくるようになった。
人の成長はやはり早いもので、赤ん坊だと思っていたら、すぐに立って歩くようになり、やがてお喋りを始めた。
どこか、母となった娘の幼い頃と重なって、私は懐かしく思い―
「ねぇ、何ぶつぶつ言ってるの?」
……おや?
「おや?じゃなくて、何で一人でお話ししてるの?」
話しかけてきたのは、その娘の娘だった。
まさか、私の声が聞こえているのか?
「当たり前じゃない。ちゃんと聞こえてるよ、お皿さん。」
そうか。
また、何かの悪戯が働いたらしい。
「いたずら?」
いや、いい。それより、久々に人と話したな。
「え?そーなの?」
ああ。おまえの母も幼い頃、私とよく話していたのだ。
「えっ!そうなの?」
そうだ。だから、おまえの母もそのまた母のことも、よく知っているぞ。
「そうなんだ!ねぇ、面白いお話して!」
面白い話か……色々とあるが、何がよいかな。
「じゃあ、ママの面白いお話がいい!」
そうだな。では、おまえの母が十四の頃、好きだった“あにめきゃらくたー”とやらの格好をして、動画とやらを撮影していた話でもしてやろうか。
「なにそれ?」
あれは、猛烈におかしかったぞ。




