エー玉
「出てこねー!」
彼はそう言って、僕が入った瓶を振りまくっていた。
瓶というのは、ラムネが入っていた瓶だ。
そして僕は、その中で転げ回っているビー玉である。
「どーやったら開くんだよ、これ!ビー玉が取り出せねぇ!」
彼はそう言いながら、もう五分以上瓶を振り回し続けている。
定期的に蓋をこじ開けようとし、ダメだとわかると、また振り回し始める。
「ダメだ!開かねぇ!」
彼は息を切らしながら叫んだ。
私が入ったラムネを、彼が飲み干したのが十分ほど前。
それからずっと、この調子である。
余程、僕のことが欲しいらしい。
「かくなる上は、こうだぁ!」
彼は決意に満ちた目でそう叫ぶと、近くの岩目掛けて、瓶を振り下ろした。
パーンという音と共に、瓶は砕け散り、僕は初めて外に放り出された。
「やったー!」
「こらー!!!」
途端に、彼は飛んできた母親に叱られた。
だが、彼はこうして多くの犠牲を払い、僕を手に入れた。
母親に叱られて彼はしばらくシュンとしていたが、一通り叱られた後にリビングに戻ると、僕をポケットから取り出し、ニマニマし始めた。
余程嬉しいらしい。
「ようやく手に入ったぞ。これであいつのビー玉を、全部奪ってやる。」
彼は野心に満ちた目でそう言った。
と、そこへ彼の父親がやってきた。
「ん?どうしたんだ、そのビー玉。」
「ああ、ビー玉転がしで勝負する為に、ラムネの瓶を割って手に入れたんだ。」
彼は意気揚々と言ったが、父親のほうは別に怒らなかった。
「そうか。だったら、それはビー玉じゃなくて、エー玉だな。」
父親の言葉に、彼は目を瞬いた。
「これ、ビー玉じゃないの?」
「ああ。そもそも、ビー玉っていうのは、形が悪かったりして、ラムネの瓶に入れられなかった玉を、おもちゃとして売り出したものなんだ。B級の玉、略してビー玉。」
「へぇ~。」
「対して、ラムネの瓶に入っているのは、形が綺麗なものだから、A級の玉なんだ。だから、エー玉なんだよ。」
「じゃあ、あいつが持ってるビー玉より、このエー玉のほうが強いのか!?」
「そうだな。少なくとも形はいいはずだよ。」
父親の説明を聞いて、彼は目を輝かせた。
「よっしゃ!それじゃあ、明日は絶対に勝ってみせるぜ!」
彼は先程の反省はどこへやら、威勢よく宣言したのだった。
彼の学校では、今、ビー玉転がしという遊びが流行っているらしい。
ルールはこうだ。
まず、教室の床に机と椅子でフィールドを作り、障害物をいくつか置く。
その中でビー玉を指で弾いて転がし、相手のビー玉に当てた方が勝ち。
極めて、シンプルなものだ。
ただ、勝った人は、負けた人からそのビー玉を奪うことができる。
なので、必然的に所有しているビー玉の数が、そいつの戦闘力ということになり、序列ができあがるのだ。
「絶対にのし上がってやる……!」
彼は登校中、何度もそう呟いていた。
どうやら、図工の授業で“ビー玉の迷い道”というものがあり、一人5個ずつビー玉が配られたらしい。
それが授業終了後、ビー玉を巡ってゲームが始まり、徐々にクラス全体に広まったようだ。
その過程で、彼は先日連敗して、全てのビー玉を失ったそうだ。
現在、彼のビー玉は僕一つだけ。
クラスの序列では、最下位なのだ。
だから、僕一つで何戦も勝ち抜き、ビー玉をたくさん手に入れて、一気にクラス内での序列を駆け登ろうという魂胆らしい。
子供らしい、素朴でバカらしい遊び。
でも、ただ捨てられるだけの運命だった僕を、彼は怒られてまで拾ってくれた。
この恩には、僕も報いらなければならない。
授業が終わり、十分休憩が始まった。
だが、このわずかな休み時間でも、彼らは必死に遊び始める。
チャイムが鳴ると同時に、すぐに机と椅子を移動させてフィールドを作り、筆箱や黒板消しやセロハンテープなどで、障害物を作る。
「おい!今日はとっておきのエー玉を持ってきた!絶対に勝ってやる!」
彼はよりによって、クラスで最もたくさんビー玉を持っている友達に、そう宣言した。
「……何それ。一個だけで、勝てると思ってるの?」
友達は、明らかにバカにした感じで、彼にそう言った。
「うるせぇ!そんなこと言って、俺にビー玉を取られるのが恐いんだろ?」
「一個しか持ってない奴が、恐いわけないでしょ。」
友達はそう言って、ランドセルの中から、ビー玉が入った袋を取り出した。
パッと見、数十個はある。
「どーせ、おまえのところは金持ちだから、買ってもらっただけだろ?」
「だから何?一個しかない奴より、十分強いと思うけど?」
互いに挑発し合いながら、それぞれフィールドの端に玉を置く。
当然、彼の玉は僕だ。
まずは、じゃんけんで先攻後攻を決める。
「じゃーんけーん、ぽん!」
結果、先攻は友達になった。
「まぁ、先攻が有利じゃないからな。」
彼は軽く負け惜しみを言ってから、位置に着いた。
お互いが位置に付くと、まず友達がビー玉を弾いた。
障害物に阻まれて、こちらまでは届かなかった。
続いて、彼の番だ。
彼はそっと僕に指を添える。
「エー玉、頼むぞ!」
ああ、任せておけ。
彼は僕を指で弾いた。
僕は勢いよく転がり、障害物に上手く当たって、友達のビー玉に直撃した。
「うそっ!?」
友達が驚嘆し、見守っていた周りもざわついた。
「よっしゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
彼が勝利の雄叫びを上げながら、僕と弾いたビー玉を掴んだ。
「ぐ、偶然でしょ!」
友達はそう言うと、すぐさま二つ目のビー玉をセッティングした。
「おい!二回戦だ!」
「望むところだ!」
彼は手に入れたビー玉ではなく、僕を再びスタート位置に置いた。
次も友達の先攻。
「行け!」
友達は勢いよくビー玉を弾いたが、やはり僕のところまでは来なかった。
「よし、行け、エー玉!」
彼が再び僕を弾く。
僕は勢いよく飛び出すと、相手のビー玉目掛けて、一直線に転がった。
そのまま、相手を弾く。
「うそぉ!」
「よっしゃ!二連勝!」
彼は小躍りしながら僕と戦利品のビー玉を拾った。
次の勝負は彼の先攻。
「一発で決めてやる!」
彼は僕を思い切り弾いた。
ここは僕の出番だ。
何とか障害物に上手く当たり、まだスタート位置にいるビー玉まで辿り着く。
そして、こつんと相手のビー玉に当たった。
「すごっ!」
「よく一気にいったな!」
周りのクラスメイトが、本気で驚いている。
当り前さ。
だって僕は、彼の“エー玉”なんだから。
「くそっ!もう一回だ!」
「何度でもこいやー!」
そこでチャイムが鳴った。
その後、十分休みや昼休みが始まる度に、彼と友達の戦闘は繰り返された。
結果は、彼と僕の全勝だった。
数十個あった友達のビー玉は、今や一つを残し、全て彼のものになっていた。
「おいおいおいおいおいおいおいおい、残り一個じねぇか~?」
「うぅ……」
「もう勝負はやめて、それだけでも持っておいたほうがいいんじゃねぇのぉ~?」
「うるさい!勝負だ!」
友達は涙目になりながら叫んだ。
先攻は向こう。
だが、ビー玉はまたもや障害物に阻まれ、しかも僕らから狙いやすい位置にきてしまった。
「もらったぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
彼は渾身の力を込めて、僕を弾き飛ばした。
結果はヒット!
友達の最後のビー玉は、彼のものとなった。
「やったー!全部俺のもんだー!」
彼が歓喜の雄叫びを上げた。
その時だった。
「……ふぇえぇぇぇん……」
突如、友達が泣きだした。
途端に、担任の先生が飛んできた。
「こらぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
……というのが、二十年前の話。
僕と彼の懐かしい出会いの物語だ。
「あったなぁ、そんなこと。」
大人になった彼が、僕を見ながら呟いた。
「あの時、何の容赦もなく本気で来て、ミラクルを連発するんだもん。そりゃ泣くって。」
「いやぁ、あの時は先生と母さんに本気で怒られたもんな。女の子をいじめるなって。」
人間というのは不思議なものだ。
あの時、いがみ合っていた友達同士だったのに、二十年も経つと夫婦という形になるらしい。
そして、僕は今、あの時のビー玉達と一緒に、金魚の水槽の中にいる。
底砂の代わりだ。
「まぁ、あれは本当に奇跡だったな。あの後も、あのエー玉で勝負したら、妙に勝率が良かったし。」
彼は水槽の中の僕を見て言った。
「ああ、そのA玉B玉って、嘘らしいよ。」
「うそっ!?」
うそっ!?
「ビー玉は元々、ビードロ玉って呼ばれていて、それが略されてビー玉って呼ばれるようになったんだって。」
「びーどろ?」
「ポルトガル語でガラスっていう意味らしいよ。」
彼はゆっくりと僕のほうを見た。
どうやら実は、僕はビー玉だったらしい。
「……まぁ、いいよ、別に。」
彼はフッと笑って見せた。
「あの時、俺にとって、あいつは紛れもなく、A級のエー玉だった。そのことに変わりはないよ。」
「それで私は泣かされたんだけどね。」
「悪かったって。」
彼はそう言って、今も二十年前のことを謝り続けている。
そうだよね。
例え正体がビー玉だったとしても、僕は彼にとってのエー玉だった。
多分、これまでも、そしてこれからも。
それでいいや。




