第13話 正しい教育!
次が、二年C組での授業という頃、職員室で、異変を覚えた。
先に言った通り、周囲は全て敵だと考えて差し支えない。
様子を伺うような視線は、常にどこかしらから感じているんだが、「濃い」それを感じた。
視線の元の席に行く。
席に着いているのは、一人の男性教員だった。
体格に、特筆すべきところはない。顔つきは、全体的に一言で言えば「気の抜けたタヌキ」が、一番近いだろう。
「ケンカ売るなら、正々堂々とやってほしいもんですね? えーっと?」
こいつの名前を知らない。タヌキが、薄気味悪く口元を歪めた。
「私は長峰ですよ、東郷先生。現国教師です」
「なるほど、長峰先生ね。で? ぶちのめされる前に、最期の言葉を聞いておきましょうか?」
「ああ、怖い怖い」
小馬鹿にしくさった表情で、おどけてみせる長峰だった。にたりと言う。
「時に、東郷先生。サバゲーはお好きですか?」
「別に、興味はありませんが?」
「たぁのしぃーですよぉ? クックック……」
いかにも底意地悪げに、長峰が口元を歪めた。
まあ、谷津崎先生は違うだろうが、悪の組織にいる連中に、まっとうな人間性を求める方が間違ってるよな。
宣戦布告をされた以上、今この場でぶん殴ってKOしたいが、場所が場所だ。自爆だけは避けないといけない。
時計を見ると、授業が始まるまで、もう時間がない。急いで自分の支度を調え、職員室を出た。
廊下を歩いていて、トイレの前を通った時だった。女子用の方から、一人の生徒が出てきた。滝さんだ。
「むっ」
「あ、あー、早く教室に入りなさい?」
「はーい」
憮然とした声。そりゃあ、あんな勝負の後じゃ、機嫌が悪いのも当たり前か。
彼女がポケットに手を入れ、ハンカチを出した時だった。何かが落ちた。拾う。
ずいぶん古びたお守りだった。ただ、なんだろう? お守りにしては、少し重いな? 中に、金属でも入ってるのかな?
「ちょっと、滝さん」
「なんですのん?」
「これ、落としたよ」
拾ったお守りを見せると、明らかに滝さんの表情が変わった。
「お、お、お、おおきに!! あ、危なーっ!!」
この「大慌て!」という反応からして、かなり大切なものらしい。少し、いい事をした気分になる。
そこで、チャイムが鳴った。
「始まるぞ。早く教室に入りなさい」
「分かりました!」
滝さんと同時ぐらいに、俺も教室へ入った。
「よーし、授業を始めるぞー」
教壇に立つ。生徒達は、もはやすっかりおとなしかった。
実質的な初めてのまともな授業になるが、「正しい教育」をしてやる狙いは変わらない。
とことん組織の方針に背いて、嫌でもボスの気を引いてやる。
まあ俺も、堅苦しい授業なんざできないが、敷居を下げる手段は得意だ。
生徒達の導き手たらん、なんて大上段に構えるつもりはないが、ネタは仕込んである。
「さてと。まあ色々と前振りさせてもらったが、今日は普通に授業をさせてもらう。だが、だ。前も言ったと思うが、肩肘は張るなよ? まず、みんな教科書はしまえ」
その声に、少し教室がざわつく。「なんなんだ?」って各々言いたげなのが分かった。
「おほん、手始めにだ。日本の古典文学における、ある絶対的な前提条件をスパッと言ってやろう。それは、『エロくてキモい』だ」
自信満々で断言してやると、生徒達が揃って目をパチクリさせる。
なぜこんな風に断言したか? 例示してやることにする。
「みんなも、『源氏物語』は知ってると思う。アレは一言で言えば、どういう話かまとめられる奴はいるか?」
聞いてみたが、誰も答えない。まあ当たり前だよな。
「ありゃあな、『ド変態で、ヤリチン野郎の自慢話』だ」
あまりと言えばあまりのたとえに、あ然とする生徒達。なぜかを説明する。
「主人公の光源氏は、ほんの十代の頃にはもう、自分の親父の女御、平たく言えば帝が囲ってる女である藤壷に手を出す。それだけならまだしも、年上の女の、六条御息所にまでコナ掛けてヤッちまう」
いや、実際にそういう話なわけだが、
「ほんの十代にして、親父の女に手を出して落とす息子」
って、結構なパワーワードじゃなかろうか。まあいい。続ける。
「で、もいっちょ同時期に、イトコにまで恋文を送って口説こうとするんだ。十代と言えば、君たちぐらいだろ? この頃からお盛んだったわけだ。君たちに、既に彼氏や彼女がいる奴がいても俺は驚かんが、速攻で三股かける相手だったらどうする?」
この問いには、主に女生徒から、「絶対嫌です」とか、「瞬速で別れます」なんかの声が相次いだ。俺は、うんうんとうなずく。
「さらに、だ、光源氏の奴は『帚木』の帖においちゃあ、人妻にまで手を出すんだ。考えられるか? その頃の光源氏は、推定十七歳。君たちの一つ上ぐらいだ。この時点でもう、親父の女をこますわ、プラス二人を落とすわしてるんだぞ? どんな十七歳だってツッコみたいよな?」
顔をしかめつつも、うなずく生徒達。
千年以上前と今じゃ、倫理観はまるで違うのは、百も承知している。
ただし、生徒達に「当時の倫理観を理解しろ」ってのも、まず無理な話だ。
なら、現代の倫理観に照らし合わせて、そのギャップを実感させた方が、インパクトも強いだろうって考えの上での話の運びだ。
まあ、まともじゃないよな。あくまで、千年以上経った現代の尺度ではってだけのことだが。さらに続ける。
「光源氏のド変態たる決定的な帖がある。『若紫』の帖だが、なんと驚け。光源氏の野郎は、好みのタイプだからって幼女を誘拐するんだよ。んで、自分色に染める努力を惜しまないんだ。その後、マジで正妻の『紫の上』に育て上げる。汚く言えば、『俺の嫁』を作るための、監禁調教飼育プレイだ。同じ事を今やってみろ。どう考えても、手が後ろに回るよな?」
うなずきつつ、ほうっとため息を漏らす生徒達。
ただ、あんまり光源氏をディスるのもなんだ。軽くフォローの話題を挟むことにする。
「まあ、こんな風にやりたい放題で、気に入った女は片っ端から落としまくる光源氏なんだが、なかなか律儀なところもある。象徴的なのが『末摘花』の帖だ。好みの女だと思ってアプローチして、リアルで会ってみたらトンデモねえブスだったんだよ。けどな? そんな周囲がドン引きするようなブスであろうが、光源氏は彼女に筋を通して援助するんだ。ここだけは褒めてもいいと、俺は思う」
クスクスと、生徒達が笑う声がする。手応えはあるな。
「別にな? 俺は源氏物語の原文を素直に読め、暗記しろ、なんて言わん。古文の文法は、ちょっと知ってりゃ面白い程度に考えときゃいい。今のご時世、現代語訳の本は山とある。コミカライズ、つまりマンガ版だってある。肩に力入れて妙に忠実であるより、詳しい話の内容が知りたきゃ、自分の好みで選べ」
こんな感じで、和やかに授業は進んでいった。
生徒のウケは上々。結構な笑いに包まれ、あっという間に時間が終わった。
「んじゃ、今日は」
ここまで、と言おうとした時だった。
殺気を感じた。外か!?
ちら、と視線を窓にやると、迷彩服姿の男が、今まさにパラシュートで降下してきていた。
構えているのは……ボウガン!? ヤバい!!
瞬発的に伏せた。次の瞬間、窓ガラスを貫いて矢が飛んできた。
伏せなければ、命中していた軌道だ。矢は、深々と壁に刺さった。
割れた窓へ駆け寄り、外を見る。男が、校庭に着地した。
待てよ? さっきの授業前、長峰の奴が、サバゲーがどうのって言ってたな。
となると、あいつか!
「あー、みんな! 今日俺が言いたいことは全部言った。すまんが、命を狙われてる身なんでな、失礼するぜ!」
あっけにとられている生徒達を尻目に、校庭へと全力で走った。