エピローグ
「所長、どうぞ」
久美子……いや若林くんがお茶を入れてくれた。
彼女はボクの姪であることを隠すために、普段から意識的に所長という呼び方をしてくる。
「お、サンキュー」ボクは湯呑みを受け取る。
「ついに、いらっしゃらなくなりましたね。あの青山さんというヘンなお客さん」
「呪いが解けたんじゃないか? 5日間かけて500万のカネも用意できたしな」
「けっきょく、うちの利益はゼロですか」
「ゼロどころか30万円のマイナスだよ。くっそ高い広告費を使わされて、まったく」
「よく出しましたね、予算にきびしい所長が」
「仕方ないさ。あんなのに毎日来社されたら堪ったもんじゃない」
「……ところで、あの青山さんて人、誰かに似ていると思いませんか?」
言われてボクははっとする。
「たしかに、ボクもそんな気がしていた。でもその誰かが思い出せないんだよ」
「なんだか気持ち悪いですね。最近会った人のような、ずいぶん昔のような……」
「ま、職業柄いろんな人と会うからねボクらは」
「ふと思い出すかもしれないですね」
そのとき事務所のインターホンが鳴った。はーい、と言って若林くんが応対に出る。
「佐須刑事! いらっしゃいませ」
あらわれたのは懇意にしている刑事だった。
「ひさしぶりだね。ひと月ぶり、くらいかな?」
「なんとなく足がこっちに向いてな。刑事の勘、てやつさ」佐須は言う。「最近、変わったことはないか」
「いや、ことさら、特に何も」
「なんだか、あやしいな」
いい勘してるぜ、刑事さんよ。
まさか時間の虜になった男に一週間くらい付き合わされていた、なんて言えるはずもなく、ボクは話題を変えることにした。
「そう言えば、あの事件はどうなったの。ほら、例のレオタード女」
「レオタード……女?」
ソファに腰かけつつ佐須は怪訝そうな顔をした。
「先月殺された女が、たしかレオタードすがたじゃなかったっけ」
「あれは男だ」
「え、」あまりの話の通じなさにボクは動揺する。「けっこうな美人だと思ったけど男だったの?」
「何言ってんだ、タッキン。どう見てもあれは貧相な男だ」
刑事は普段からボクのことをタッキンと呼ぶ。そのタッキンはいま動悸が止まらない。
「ボクに写真をくれたよね……その、被害者の」
言いながらボクはデスクまで行って抽斗のなかをまさぐった。
ここに、たしかに水戸かず子の写真が入っていたはずだ。そうじゃなきゃおかしい!
だが彼女の写真は見つからなかった。冷や汗がダラダラと流れる。
「どうしたんだ、タッキン。おまえ、ちょっとおかしいぞ」
佐須が見かねて立ち上がり、つかつかとこっちへ近寄ってくる。
「うわっ」
彼はデスクのところで急に声を上げた。
「なんだよ佐須刑事……びっくりするなあ、もう」
「タッキン。何だ、これ」刑事がポラロイド写真を指さして問う。
先日の青山の写真だった。あまり見られたくない代物だったが、顧客の素性まで刑事に説明する必要はない。
「何って、ウチのお客と撮った写真だけど?」
「サインペンで最近の日付けが書いてあるけど、これはたしかか」
「たしかだけど……何が言いたいの?」
ボクの問いに、彼は無言で内ポケットからスマホを取り出した。ごつごつとした指で画面を操作しこちらに見せる。
その画像を見てボクは目玉が飛び出すかと思った。ポラとおなじ人物が写っていたからだ。
「この男の名は北沢健二。反社グループに属する、いわゆるチンピラだが、特殊な情報網を持っていてかなり大がかりな強請りをやっていたらしい。青山ケイイチ、田中アキオなど複数の偽名を使っていて、職業や住居──つまり生活スタイルごとその人物になりきっているのが特徴だ」
「捕まったの、その人……」
ボクの声はか細くて刑事に聞こえたかどうか。
「先月殺されたのが、だからそいつだ。レオタードを着せられて、な」