消えた死体
13時ちょうどに事務所のインターホンが鳴った。
女性アシスタントの若林芽衣に案内されるかたちで部屋に入ってきたのは瘦せ型の男だった。若く見えるが40代と言われればそんな気もする。
およそ探偵事務所を訪ねてくるような人間は年齢を隠したり、偽ったりするのが常だ。なので予断は持たないようにしている。ぶっちゃけ年齢なんてどうでもいい。
一見のお客で田中という名前らしい。本名かどうかすらあやしいが、名前もぶっちゃけどうでもいい。
ボクが気にするのは、お客がどうやって事務所の電話番号をゲットしたか、その一点に尽きる。
ウチはテナントの看板にこそ電話番号を書いているが、それ以外の広告はいっさい出していない。口コミ、コネ、そんなものが主流の言わば通好みの探偵さんなのだ。
でも、ごく稀に外看板を見て電話(予約)をしてくるお客もいることはいる。果たしてこの田中はどう答えるだろうか、そんなことを考えながら名刺を渡した。
「ここの所長をしている多々木と言います。田中さん、でしたね」
田中はそれには答えず不敵に笑って返した。どうやら厄介なお客のようだ。
「単刀直入に行きましょうか。オレは今日強請りにきたんすよ、多々木さん」
「マジですか」ボクはお道化てみせる。「ウチに金なんて、ないよ」
「なければそこの若林芽衣さんにソープで稼いでもらえばいいじゃないっすか」
芽衣の名前を知っているということは、この男、かなりこちらの事情に通じているらしい。
それくらいじゃないと強請れないか、などとボクは田中を舐めていた。やつはわれわれの想像の遥か上を行っていた。
「それとも多々木久美子さん、と呼んだほうがいいかな」
チェックメイト。若林芽衣は世を忍ぶ仮の名前で、本名はいま田中が言ったとおり。ボクの兄の娘で、つまりは姪だ。
久美子が名前を変え、ボクの姪であることを隠してここで働いているのには、それはどエラい理由がある。
「参りました、田中さん」
ボクは素直にアタマを下げた。こればかりはシャレにならない。あとは金額交渉しかなさそうだ。
「口止め料として、いったい幾ら払えばよろしいんで?」
すると田中は無言で五本指を見せた。
「ご、5000万?」
「まさか」と田中が鼻で笑う。「500万ですよ、たったのね。リーズナブルでしょ……」
でしょう? と言い切るまえに久美子が田中に身体ごとぶつかって行った。
田中は前方のガラステーブルに倒れ込み、お茶とかを薙ぎ払ってそれはもう散々な様子だった。
が、ほどなくして彼は動かなくなった。死んだのだ。
血にまみれた包丁を握りしめ、久美子が鬼の形相で荒い息をついている。その顔もすぐに空虚なそれへと変わる。
「叔父さん……ごめんなさい」
「いや、びっくりしたよ。でもどうして?」
「いずれこうなることは分かってた。どうやっても逃げ切れないのよ……自首するわ、アタシ」
この状況で殺害を隠蔽するのはムリだと悟った。田中とウチとの通話記録が残っているし、彼がここへくるのを誰が見ていないともかぎらない。
第一、田中が戻らなかったら彼の仲間が黙っちゃいないだろう。どちらにせよチェックメイトだ。
「おまえが自首することはない」
詰んだ状況に変わりはないが、せめて最後の抵抗くらいはしてもいいと思った。こんな田中のために社会的制裁を受ける必要はない。
「死体を山に埋める。そのあとで自害して果てようじゃないか。ボクもつきあうから」
久美子は泣いたが、けっきょくその線で納得してくれた。
そこからは大忙し。遺体を折り畳んで段ボールに詰め、即座にワゴンRに積み込んだ。死後硬直がはじまるまえにね!
それと血の海と化した事務所内をデッキブラシで磨き上げた。もちろんこれは気休めで、いくら血を拭い取ってもあれだけ大量の場合、どうしたってルミノール反応は出てしまう。
立つ鳥跡を濁さずというか、いちおうかたちだけはキレイにして死地に赴こうと、そういうわけだ。