出発前日の出来事
「それで、何か用事でしたか?」
「明日か明後日には城を出発することになったので、挨拶をしておきたくて」
「……そうなのですか。マルク殿がいなくなるのは寂しく思います」
ブルーム、カタリナの二人も同じことを言ってくれたが、心からそう言ってくれるのはありがたかった。
リリアの表情から離れることを惜しんでくれる気持ちが伝わってきた。
「そう言ってくれて、ありがとうございます。ちなみに帰りの馬車に護衛が同行すると聞いたんですけど、リリアは立てこんでいて来れないですよね」
「はい、残念ながら。ここからバラムを往復するほどの時間はありません。ベルン監視団に要する時間が大きいです」
リリアは少し苦しそうな顔を見せた。
そこまで真剣に考えてくれるのなら、むしろありがたかった。
「難しいだろうとは予想していたので、気にしないでください」
「また、一緒に旅をできたらよかったのですが」
リリアは切なげに言った後、普段の表情に戻った。
「お互いに若いので、まだ時間はありますよ。それに時間ができた時には王都へ来ようと思います」
「ベルン平定がまとまれば、私も時間ができます。その時は必ずお迎えします」
将来の話題になったこともあり、リリアは明るい笑顔になった。
端正な顔だちをしているため、控えめに言っても彼女の笑った顔は美しかった。
リリアは美しい女性ではあるが、彼女への感情は好意というよりも憧れに近いものだと感じていた。
自分自身が習得することのできなかった剣技、難敵を前にしても怯まない勇気。
彼女の人格を含めても、稀有な存在であることは間違いなかった。
「……また会いましょう」
俺は涙をこらえて、絞り出すように言葉を出した。
リリアの様子に目を向けると、感極まっているようにも見えた。
「マルク殿、お元気で」
「リリアも」
俺とリリアは少しの間、視線を交差させていたが、お互いに手を振って別れた。
城門から客間へ戻るために足を運び始めたところで、別れを惜しむ気持ちが胸にこみ上げた。
一緒にバラムから王都まで旅をしたという点ではブルームと同じだが、リリアには違ったかたちで特別な感情を抱いたことを実感させられた。
リリアと別れて客間に戻ると、夕方になるところだった。
ベッドに寝そべって気持ちが落ちつくのを待った後、荷物の整理をすることにした。
整理するといっても、そこまで大がかりな荷物はないので、夕食までには終わりそうな作業だ。
「うーん、身軽で持ち運びに便利……まさに冒険者仕様」
俺は自分の荷物を眺めながら、そんなふうに評した。
今回は必要最低限の衣服と小物が少しあれば十分で、携帯用の食料や多めの飲料水がない分だけ、さらに身軽だった。
もちろん、焼肉を作るための遠征だったので、調理関係の持ち物は持参している。
「これはそんなに使う機会がなかったな」
荷物を整理していると、きれいな柄の刃物が出てきた。
以前、焼肉のお代としてハンクから譲り受けたミスリル製のナイフ。
ハンクを思い出したことがきっかけで、バラムにいる皆のことが脳裏に浮かんだ。
アデルはジェイクに無理難題を押しつけていないか。
ハンクは食欲に身を任せすぎて食べすぎていないか。
エスカは冒険者稼業が上手くいっているのか。
ジェイクは店の営業を上手く回せているのか。
そんなことを考えていると、改めてバラムは自分の故郷だと実感した。
自分の店の様子をしっかりと思い浮かべることができるし、町の人々の顔や特徴だって思い返すことができる。
しみじみと感傷に浸りながら、荷物の整理を進めた。
それから、荷物がまとまって一息ついていると、アンが夕食を運んできた。
最初は食堂で食べていたのだが、一人では広すぎる場所だったので、部屋に持ってきてもらうことを続けていた。
今日のメニューはロールキャベツのような煮こんだ料理と炒めたジャガイモ、主食はロールパンだった。
侵入者襲撃の時だけは簡素な料理だったが、城に平穏が戻ったことで手間のかかる料理が出るようになっている。
俺は食事を平らげて食後の休憩を取った後、日課のように大浴場へ向かった。
時々、城の関係者と居合わせることがあったが、今日は自分だけだった。
気持ちのいい風呂で汗を流した後、客間に戻った。
その後、椅子に座ってのんびりしていると、部屋の前で誰かの足音が止まった。
夜の城内は静かで音の聞き分けがしやすかった。
「入らせてもらうぞ」
「はい、どうぞ」
扉越しに声をかけてきたのはブルームだった。
いつもより遅めの訪問のため、何か用事があることを察した。
彼はゆっくりと扉を開けて入室した。
「こんな時間に珍しいですね」
「急で悪いが、明日の朝に王都を出る馬車を押さえることができた。それを伝えようと思ってな」
「それは重要ですね。ありがとうございます」
荷物の整理をしておいてよかった。
すでに、いつでも出られる状態にしてある。
「それから――」
ブルームが言いかけたところで、扉をノックする音が聞こえた。
「はい、どうぞ」
「失礼しまっす」
「おっ、フランシス」
「マルクさん、どうもです」
コックコートではなく、私服姿のフランシスが訪ねてきた。
その手にはワインの瓶とカップがいくつか見える。
「市場で美味そうなワインがあったので、よかったら飲みませんか? そういえば、地元へ帰っちゃんですね」
「そうです。フランシスの耳にも入っていたんだ」
「城内は狭い世界故、手配などの関係で話が広まりやすい。悪く思わないでくれ」
「それは大丈夫です」
「あっ、ブルーム様も一緒にどうです?」
「せっかくだし、頂くとするか」
俺たちは乾杯を済ませた後、フランシスが持ち寄ったワインを飲みながら、気ままに語り合った。
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