チーズ生産停止?
翌朝。待ち合わせ場所に向かうと、すでにアデルが待っていた。
俺は御者に挨拶をしてから、彼女のところへ足を運んだ。
「おはようございます。今日は早いですね」
「今朝は早く目が覚めたのよ。ねえ、その服だと少し寒いかもしれないわ」
「レンソール高原は冷えるんですか?」
「日中はそうでもないけれど、早朝と夕方以降は寒くなるわね」
アデルの言葉を聞いて、自分の着た衣服を確かめる。
長袖ではあるが、薄手の生地だった。
彼女のように上着を羽織ってこればよかったか。
「おう、おはよう」
「おはようございます」
アデルと話していると、ハンクがやってきた。
「あれ、ハンクは半袖ですね。レンソール高原は冷えるらしいですよ」
「そりゃ、知ってる」
ハンクは意に介さない様子だった。
極寒の地でも薄着で踏破しそうな気配すらある。
「皆さま、お揃いですか。本日もわたくしめがお送りします」
「おう、よろしく頼むぜ」
出発の案内を受けて、俺たちは順番に客車に乗りこんだ。
全員が腰を下ろした後、馬車がゆっくりと動き出した。
馬車はバラムの町の中を通過して街道に出た。
途中までロゼル方面に進んだ後、今まで通ったことのない道に入った。
快晴の青く透き通るよう空の下、順調に馬車は進んでいく。
今までは平地の移動が中心だったが、今回は時間が経つにつれて高度が上がっているようだ。
周りの風景も山間地のような雰囲気になっている。
しばらくの間、外に見える景色を楽しんでいると、馬車が徐々に減速して、道の脇に止まった。
「馬を休ませるためにお時間を頂きます。しばし、お待ちください」
御者の青年はそう言った後、御者台から下りた。
「ふわぁ、レンソールまではまだかかりそうだな」
「とりあえず、外の空気でも吸いますかね」
俺とハンクは客車から外に出た。
少し遅れて、アデルもやってきた。
「座っているだけでも、お腹は空くものね」
「行く途中で食事できるところはあるんでしょうか」
俺たちが話していると、御者が何かを手にして近づいてきた。
「お昼時は移動中になると思うので、よろしければどうぞ。三名様分あります」
御者はハンクに籠を差し出した。
その中にはパンに何かが挟まったサンドが入っている。
「おおっ、美味そうじゃねえか」
「気が利くわね」
「お口に合えば、幸いです」
御者は優しげな笑みを浮かべて、御者台へと戻っていった。
「早速、食べますか」
「ああっ、そうだな」
俺たちは近くの座りやすそうな岩に腰かけて、サンドを食べ始めた。
アデルは服が汚れるのがダメだそうで、立ったままだった。
「美味いなこれ。おれのはハムとチーズが入ってる」
「チーズ? 私への挑戦かしら」
「食事中までやめてくださいよ」
アデルの食へのこだわりは時にあらぬ方向へ向かうことがある。
ちなみに俺の食べたサンドには、味つけしたサラダが入っていた。
パン自体は茶色いライ麦パンのような見た目で、香ばしい風味だった。
俺たちは食事が終わったところで、そそくさと客車に戻った。
「おかえりなさいませ。日暮れまでにはレンソール高原に到着予定です」
御者が説明を終えると、再び馬車が動き出した。
遠くの方に標高の高い山がそびえ、街道の脇を清らかなせせらぎが流れている。
目的地のレンソール高原はさらに先にあるので、豊かな自然ときれいな空気が美味なチーズの源になっていることを想像した。
御者の技術は安定しており、馬車につながれた馬は順調な足運びを見せていた。
小高い山々に挟まれるような道を進み、目的地へと向かっていく。
少しずつ日が傾き、気温が下がり始めた頃、周囲にちらほらと牧場が見え始めた。
牛や馬が元気そうに歩いている。
牧場の見えた辺りからさらに移動すると、民家がいくつか並ぶところに入った。
「お疲れ様でした。間もなく、レンソール高原に着きます」
御者の案内があった地点から数百メートルほど動いた後、馬車は停止した。
「さぁ、レンソール高原に着いたわよ」
アデルは元気よく客車を下りた。
「おおっ、いい勢いだな」
「あまり見ない姿ですね」
俺とハンクも彼女に続いて外に出た。
「いつもご利用ありがとうございます。カティナの時と同様にこちらで待機しておりますので、お帰りの際はお声がけください」
「ありがとう。帰りもよろしく頼むわね」
「はい、承知しました」
御者は深々と頭を下げた後、馬車をどこかへ移動させた。
これまでも丁寧だったが、今回は一段と気持ちのいい対応だった。
アデルは金払いがよさそうなので、それも影響しているのかもしれない。
馬車が離れた後、アデルがチーズの生産者に会いに行くと切り出した。
俺とハンクはアデルに従って、その場から歩き始めた。
レンソール高原はそれなりに標高が高いと思うのだが、開けた場所で見晴らしがよかった。
遥か彼方の山影に夕日が沈んでいくのが見える。
アデルに続いて牧歌的な風景の中を歩くと、前方に石造りの民家が見えた。
隣に馬小屋みたいなものがあり、いかにも高原の家といった雰囲気だった。
「あそこがチーズ職人のモルトの家よ」
「お店っぽくないですね」
「彼は生産者だから、あそこで売買しているわけではないの。今から行くのは挨拶みたいなものね」
アデルはそう言いながら、モルトの家に近づいていった。
「……あら、留守かしら」
「どうしました?」
アデルが家の前で立ち止まった。
「何だか不在っぽい雰囲気なのよね」
「たしかにそうだな。人の気配がねえな」
ハンクは彼女の横に並ぶと、家の方をじっと見つめた。
「あれ、何かありますよ」
玄関から少し離れたところに何か書かれた紙が落ちていた。
おそらく、風で飛ばされたのだろう。
「……ええと、うちの牛の乳が出ないので、チーズ作りを休みます。ご用の方は別邸へとありますね」
「そんな、まさか! マルク、その紙を見せて」
「はい、どうぞ」
俺がアデルに紙を差し出すと、彼女はじっと文面を確認した。
「たしかにモルトの字ね。生乳がなければチーズは作れないのよ……」
アデルは戸惑いの表情を浮かべた。
「さすがに不戦勝はつまんねえな。本人に事情を聞いてみようぜ」
「……そうね、そうしましょう」
ハンクの言葉を聞いて、彼女は気を取り直したようだ。
俺たちはその場を離れて、モルトの別邸に向かった。
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