ハンクの活躍と刺客の逃亡
ハンクが店を出てから、しばらく時間が経った。
少しずつ日が高くなり、店の中は暖かくなっている。
店の前を歩く人影が増えて、普段通りの日常だと感じた。
時折、レオンの様子を確かめたが、疲れが抜けきらないように見えた。
今日は営業する予定だったが、状況が落ちつくまではそれどころではなかった。
セバスのところに肉を仕入れに行く予定だったので、今度会った時に謝らなければいけない。
仕込みがなくてもいいとなると手持ち無沙汰で、物思いに耽ることが多くなる。
暗殺機構の狙いや、現在の国家間の情勢などについて考えていた。
ベルンはどうか分からないが、ランスやロゼルは極めて平和な状況が続いている。
国有兵力はどこも規模が控えめなので、暗殺機構を有するベルンが暗躍すれば、現在の均衡は崩れかねない。
そのような事態になれば、ハンクを筆頭に、SランクあるいはAランクの冒険者が力を合わせて戦うことになるだろう。
ギルドの精神は、かつて戦乱を終わらせた英雄エリアスから引き継がれているため、ベルンの暴走を見すごすとは考えにくい。
今回、アストのギルドが乱獲をしているのは、メルツという国がランス、ロゼル、デュラスのように歴史のある国ではないため、そういった精神性が浸透していないことから起きたと思われる。
そう考えるとアストの独断ではなく、メルツが関係している可能性もあるが、俺が立ち入るべき領分ではないだろう。
頭の中で現在の状況が整理されると、長く続く平和の行く末が気にかかった。
今日、何杯目かのお茶を注いだところで、店にハンクが戻ってきた。
「おかえりなさい。どうでしたか?」
「いやー、いい感じで捕まえたんだが、あいつらの仲間に奪還された」
ハンクは急いでこちらに戻ってきたようで、息が上がっているようだった。
それから、彼は起きた出来事を話し始めた――。
バラムの周りで隠れられる場所は限られており、すぐに刺客を見つけることができた。
敵もさるもので、ハンクの接近に気づくと攻撃してきた。
初めて目にする少女が斬りかかり、ハンクも手持ちの鋼鉄の剣で応戦した。
市街地から離れており、周囲を巻きこむ心配がなかったため、ハンクは魔法を織り交ぜて戦った。
物理攻撃ではほぼ互角だったが、敵の少女は魔法を防ぎきれず、ハンクは持参した荒縄で捕縛した。
彼が意気揚々と帰ろうとしたところで、空からワイバーンに乗った誰かに急襲されて、その拍子に少女を奪われた――そんなことがあったそうだ。
「さすがに上空は警戒してなかったな」
「ケガはしなかったですか?」
「それは大丈夫だ。少しでも暗殺機構の戦力を削りたかったんだが」
ハンクは珍しく悔しそうにしている。
そんな彼のところへレオンが歩み寄った。
「……ありがとう」
「礼には及ばねえよ。これで追跡されねえだろうが、油断は禁物だ」
「しばらく、奴らの目が届かないところに隠れて、ツノネズミの件は忘れようと思う」
レオンは肩の力が抜けたようで、表情が柔らかくなっていた。
「それが一番だな。あとは自然保護組合の仕事だ」
ハンクの言葉にレオンは頷いた。
「まだ、体調は万全じゃないんだから、今晩は町の宿屋に泊まったら?」
「ああっ、そうする」
「あとよかったら、町を案内するけど」
「いや、大丈夫。少し一人になりたい」
レオンは考えを整理したいからと付け加えた。
「町の外に出る時は言ってくれよ。見張りがいるかどうか確かめるぐらいは手伝ってやれる」
「ありがとう。もしかしたら、お願いするかもしれない」
ハンクの優しさに、レオンは心を開き始めている気がした。
レオンはそのまま店の出入り口に向かうと、俺とハンクの方を振り返った。
「マルク、また会おう」
「ああっ、気をつけて」
「無双のハンク、本当にありがとう」
「気にすんな。何かあったら、声をかけてくれ」
レオンは店を出ると、町の中を通ってどこかへ歩いていった。
「これでよかったんでしょうか」
「メルツは遠すぎるからな。ツノネズミの乱獲はそのままにしたくないが、手の打ちようがねえよな」
「そうですね。それに暗殺機構もいるかもしれませんから」
俺はそう言った後、無意識にため息をついた。
無双のハンクがいても、解決できないことがあるのだと知った。
レオンの件以降、何ごともなかったように平穏な日々が戻った。
俺は店を開けなかった分だけ、仕事に精を出した。
そんなある日。久しぶりにアデルが店に現れた。
「定休日になる頃だと思って、会いに来たわ」
「明日がそうですけど、何かありました?」
彼女は笑みを浮かべているように見えるが、どこか違和感があった。
「……何か? そっちこそ何か忘れてないかしら」
「ええと、何でしたっけ」
店のことで頭がいっぱいで、それ以外のことで思い当たることはなかった。
俺が思い出そうとしていると、アデルがテーブルに何かを置いた。
「……サソリの力。あっ、そうだった」
「思い出せたわね」
「もう大丈夫ですから、怖い顔するのやめてもらえますか」
「あら、怖いだなんて失礼しちゃうわ」
アデルはおどけたように気分を害したような素振りを見せた。
「レンソール高原もカティナぐらい遠いですよね」
「店を閉めることなら心配しなくてもいいわよ。開店する日を待ってでも行きたい店なんて言われるほど、評判がいいみたいよ」
「それはありがたいですね」
素直に喜べない面もあるが、食べ方を工夫したり、肉の種類や切り方を変えたりしたことが評価されているのなら、とてもうれしく思った。
「ハンクは来るんですか?」
「ええ、もちろん。極上のチーズを食べさせるために声をかけてあるわ」
アデルは腕組みをして、好戦的な言い方だった。
「ハードルを上げ気味な気がするんですけど、大丈夫ですかね」
「何の問題もないわ。あとはあなたの判定次第ね」
彼女はじっと俺を見つめた。
「ハンクもそうでしたけど、判定員に圧をかけるのはナシですからね」
「圧? 何のことかしら」
「公平な勝負になるように頼みますよ」
俺がそう伝えると、アデルはにっこりと笑った。
「それじゃあ、また明日。馬車乗り場で待ち合わせよ」
「はい、分かりました」
彼女は用件が済んだようで、店から離れていった。
クリムゾンスコルピオのから揚げか、レンソール高原のチーズか、どちらに軍配が上がるのだろう。
「そもそも、判定するのは俺なのか」
責任の重さを痛感したが、美食家がそこまで推すチーズというのも食べてみたいと思った。




