地元の食堂と怪しい男
ハンクのことが気になるところだが、自由奔放な気質は魅力でもあるので、彼の好きにしてもらおうと思った。
俺はチキンレースの会場を離れて、街の散策を続けることにした。
ここまでの道中で簡素な栄養補給はしているものの、しっかりとした食事はまだだった。
すでに昼時を回っており、そろそろ何か口にしたいところだ。
アデルに案内してもらうのもありだと思うが、彼女は目当ての場所があるようで、ふらりとどこかに行ってしまった。
幸いにもこの辺りは賑やかではあっても治安が悪くないようなので、一人で歩いていても問題なさそうに見える。
フレヤや彼女の父のブラスコはエスニックな雰囲気が見受けられるのだが、ここムルカの街も似たような印象を受ける。
地理的にモルネアとリブラは離れているので、共通のルーツが影響しているのかもしれない。
異国情緒漂う街並みを右往左往しながら歩いていく。
食堂らしき店は目に入るのだが、予備知識がないため、どの店がいいのか迷う。
「……これはアデルから、情報を仕入れておいてもよかったな」
焼肉店を経営しているだけで、俺個人は食通ではないのだ。
美食家と呼ばれるアデルのように、卓越した知識があるわけでもない。
周りを警戒し続けるのも疲れるので、そろそろどこかの店に入りたくなってきた。
「うーん、あそこはいい感じじゃないか」
通り沿いに繁盛している店が見えた。
ランチタイムのピークはすぎているはずだが、なかなかの客足だ。
俺は意を決して、その店の中に足を踏み入れた。
テーブルは豊富にあり、席の確保は容易だった。
お客の大半は地元の人間のようで、こちらをちらちらと窺うような視線を感じる。
「……まあ、向こうからしたら、よそ者だもんな」
いい気分ではないものの、仕方がないことだと思った。
「いらっしゃい。旅の人」
給仕の女の子が注文を取りにきた。
日に焼けたような肌で、明るく快活な声だった。
家の手伝いなのか、ずいぶん若く見える。
「この食堂は初めてで、何かおすすめはありますか?」
「それなら、バスティラを食べておけば問題ないよ」
「……バスティラ?」
「あれあれ」
彼女は別のテーブルを目線で示した。
その席の皿には円形のパイのような料理が乗っている。
「面白い料理ですね。あれって、何が入ってます?」
「白身魚をほぐしたものとタマネギだよ。隠し味に砕いたアーモンドを入れたりもするんだ」
彼女の無邪気な様子に好感を覚えた。
せっかく説明してくれたので、その料理にしよう。
「それじゃあ、そのバスティラを一つと何か飲みものも」
「はいはい、少し待っててね」
女の子は席から離れて、カウンターの方に注文を伝えに行った。
彼女が去ったところで、改めて店の様子に目を向ける。
複数のグループが食事中で、賑やかを通り越して騒がしくも感じられる。
ムルカの街では、これが日常なのだろう。
新鮮な光景に意識を向けていると、先ほどの女の子が飲みものを運んできた。
「はい、どうぞ。これはモルネアでよく飲まれているミントティーだよ。少し冷ましたけど、まだ余熱があるかも」
彼女の説明を表すように、グラスではなくカップに入って出てきた。
ふんだんに盛られたミントの葉に目を奪われる。
「いい香りがするね。ありがとう」
「バスティラはもうちょっと時間がかかるから」
彼女は無邪気な笑顔を見せた後、別の席へ注文を取りに行った。
「それにしても、ミントティーか」
興味深い飲みものだ。
どのような風味なのかは想像できても、具体的な味までは想像できない。
カップの取っ手を掴んで、ミントの浮かぶお茶を口に運ぶ。
「――これは」
ベースになっているのは緑茶のようで、かなりの砂糖が入っている甘さだった。
ミントとお茶の苦みと砂糖の甘みが絶妙に混ざり合っている。
「……癖になりそうな味だ」
あまりに甘すぎてバスティラの味を堪能できなくなりそうなので、ほどほどに飲んでから手を止めた。
やがてバスティラが提供されて、空腹だった俺はすぐに食べ始めた。
ナイフで食べやすい大きさに切ってから口へと運ぶと、具になっている魚の身の淡白な味わいが届いた。
「うん、これはなかなか」
食欲に駆られてどんどん食べ進めてしまう。
色んな種類の具で鮮やかな見た目の料理だが、ふと気づけば皿が空になっていた。
腹休めにミントティーを口に含み、感嘆のため息をつく。
休暇をくれたシリルやフレヤに感謝しなければならない。
「ちょいとお兄さん、どこかで見た顔だね」
見知らぬ男が空いた椅子に腰を下ろして、こちらに話しかけてきた。
この店に迷惑はかけたくないので、適当にあしらおうと決めた。
「旅の者なので、初対面だと思いますけど」
「あれ、そうか? たしか、どこかで見た気がするんだ」
男は鎌をかけるような言い方をしている。
治安が悪いと聞いていたこともあり、胸の内で警戒心を引き上げた。
「どうですかね……俺はそちらを知りませんし、他人の空似かも」
「そうだそうだ、思い出した。焼肉屋の店主だ。バラムって町に野暮用で行く機会があって、そこで見かけたんだった」
さも盛り上がったように話しているが、俺は警戒を緩めなかった。
「で、あの、俺に何か用ですか?」
「あんな店の店主なら、さぞかし儲かってんだろ」
男の言葉に全身に緊張が走る。
少なくともこの会話の目的は好意的なものではないと判断した。
「その……焼肉店ですか? 俺がそこの店主だとして、それがどうかしたんですか?」
「いいや、旅の者が珍しくて話しかけただけだ。じゃあな」
男はこちらに目を合わせず、そそくさと去っていた。
「……何の用事だったんだ?」
俺は釈然としない気持ちのまま、ミントティーの残りを飲み干した。
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