巨大なクレイフィッシュの出現
波紋の立った辺りを注視する。
水中に気泡が発生して、見通すことができない。
「周囲に漁船はいないですね」
「ええ、やつを恐れて、この辺りには誰も近づきません」
「なるほど、巻きこむ心配はないってことか」
こういった場面で注意すべきは巻き添えを出すことだ。
陸のように自由は利かないため、もしもの時に助けることは難しい。
「ここで投げ出されたらまずいんで、岸の方に船を寄せます」
ガストンの声は緊張感に満ちていた。
例のクレイフィッシュはそれだけ危険なのだろう。
姿勢を低くして警戒を続けていると、水面に何かが浮かんできた。
水性塗料を撒いたように、赤い色が水中に広がっている。
「うわっ、魚かよ」
その正体にいち早く気づいたのはハンクだった。
俺は彼の後に判別することができた。
真っ二つになった大型の魚が血を滲ませながら、水面にぷかぷかと浮いている。
「……おそらく、やつの仕業です」
ガストンが息を吞んだ後、震えるような声で言った。
「ハンク、ここは退いた方がいい気がします」
「ああっ、そうだな。おれもイヤな感じしかしねえ」
ハンクは落ちついているものの、警戒感を高めている。
こんな彼の様子はほとんど見たことがない。
「ガストンさん、標的の姿が捉えられないので、岸に寄せるだけじゃなくて、ここから離れてもらえますか?」
「おっさん、これは逃げるわけじゃねえぞ。作戦を立て直そうって話だ」
「もちろんです、もちろんです。命あっての物種ですから」
ガストンは冒険者などではなく、一介の漁師にすぎない。
窮地に瀕したことがなければ、冷静でいられなくてもしょうがない。
彼は必死で櫓を動かして、この場から離れようとした。
船は徐々に岸へと近づいていく。
ひとまず、窮地を脱することはできた。
――そう思いかけた瞬間だった。
船にゴンっと強い衝撃が走った。
その拍子に大きく船が揺れる。
「この船は丈夫な素材でできています。穴は空けられないと思いますが、投げ出されたらひとたまりもありません」
ガストンは恐慌状態になりそうだが、どうにか踏みとどまって櫓を動かしている。
「魔法で攻撃してえところだが、相手が水中にいるとどの属性も相性が悪い」
「雷撃で攻撃したいところですけど、こっちも感電しそうですね」
「とにかく、今は撤退することが優先だな」
手を放すことができず、無防備になっているガストンに注意を向ける。
この中で一番無力なため、彼に攻撃がいかないようにしなければ。
船べりを掴んでいると、再びゴンっと衝撃が走った。
揺れが激しいため、身動きが取れない。
「お二人とも、桟橋が見えてきました。接岸したら、すぐに下りてください」
ガストンの呼びかけに応じると、船の進行方向に陸から沖に伸びる桟橋があった。
船首が徐々に近づいて、もう少しで飛び移れる距離になる。
「目視できるといいんですけど、何かが水底をかき回してますね」
「透明なままなら、見破れないことなんかないのにな」
ガストンは櫓の操作に集中しており、俺とハンクは水中に目を向けている。
二人がかりで注視しても、その姿を捉えられないままだった。
「――さあ、桟橋まで行ってください!」
ガストンが一際大きな声で呼びかけた。
彼を置いていくわけにはいかないが、今はそこまでの猶予がない。
「ごめんなさい、お先に」
「おっさん、先に行くぜ」
俺たちは急いで船から桟橋に飛び移った。
着地してすぐにガストンの方に視線を向けた。
不穏な波紋が立っているものの、今は攻撃が止んでいる。
「ガストンさん、早くこっちに!」
俺は桟橋から手を伸ばした。
ガストンは船尾から船首へと走り、身体を投げ出すように飛び移った。
「はぁはぁっ……」
こちらが着地の補助をして、無事にガストンは脱出できた。
その直後、ボコンっと大きな衝撃音が響いた。
思わず音のした方へ目を向けると、彼の船に大きな穴が空いていた。
「くそっ、エビ野郎め、わしの船を……」
「ダメです、今行ったら危ない」
今からでも飛びこみかねないガストンを押しとどめる。
俺が言うまでもなく、漁師にとって船は生命線。
命を賭してでも守りたいと思うのは自然なことだ。
「クレイフィッシュにしてはずいぶん知恵が回るな」
「いるのは分かりましたけど、収穫は少なかったですね」
「ダメ元で魔法を使うか――ライトニング・ボルト」
ハンクはさっと片手を掲げて、雷属性の魔法を放った。
クレイフィッシュがいた辺りに雷撃が飛んでいく。
「……やっぱり、ダメだな。魚の影響を考えたら威力を上げられない。あの船に穴を空けられるぐらいだから、相当ごついだろ」
「ハンクさん、湖のことを気遣ってもらってありがとうございます」
「気にすんな。やたらに殺すわけにはいかねえから」
ハンクの実力なら、手加減しなければ仕留めることができたかもしれない。
しかし、それだけの影響を与えたら、周囲の魚は全滅するだろう。
「マルク、ちょっといいか」
「はい、どうしました」
「魔法が直撃した時にうっすらと姿が見えた。ありえねえ大きさだった」
「おっ、目もいいんですね」
俺は水中が濁っていたこともあり、その瞬間に目視できなかった。
「なかなか厄介な相手だ。戻って作戦会議だな」
「分かりました」
俺とハンクが話していると、ガストンはうわ言のように何かを呟いていた。
「……やはり、キングクレイフィッシュなのか」
彼の様子から、どこか不穏なものを感じた。
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