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焼肉屋の新しい風景

 シリルと開店前の準備を進めていると、厨房にエスカとフレヤが現れた。


「おはよう。今日は冒険者は休み?」


「はい、依頼がなかったので、朝から来ることにしました」


 世話焼きのエスカのことなので、シリルを気遣ってのことなのかもしれない。


「シリル、今日からよろしくね」


「はい、よろしくお願いします」


 隣りではフレヤとシリルがあいさつをしていた。

 

「俺はもう少しシリルに説明をするから、テーブルの方がきれいになってるか、二人で見てきてもらえる?」


「はい、いいですよ」


「うん、分かった」


 エスカとフレヤはそそくさと厨房を出ていった。

 シリルは抜かりなく拭いてくれたと思うが、焼き台や鉄板の確認が残っている。

 二人で確かめれば短い時間で終わるだろう。


「さてと、調味料や備品はだいたい説明したけど、この壺にタレが入ってる」


 俺がフタを取ってみせると、シリルは興味深そうに覗きこんだ。

 客として来たことはあっても、厨房の中を見るのは初めてなのだ。

 こういったものには興味が湧くのだろうと思った。


「マルクさん、これを味見させてもらうことはできますか?」


「ああっ、もちろん」


 俺は小皿を棚から取り出して、そこに柄杓でタレを移した。

 手にした皿の上に琥珀色の澄んだ液体が広がっていく。


「では、いただきます」


「どうぞ」


 シリルはタレを口に含むと、じっくり味わうように静かになった。

 どうやら、料理に関しては目端が利くようなところがあるようだ。

 緊張している節はあっても、抜けている様子は見られなかった。

 現場仕事は稼ぎがいいことから、料理よりもそちらの道を選んだのかもしれない。


「甘いのにすっきりしてますね。それに香辛料で味が引き締まってる」


「ははっ、いい感想をありがとう」


「いえ、とても工夫されてるのが伝わりました」


 シリルの純朴な人柄に好感を持ち始めた自分に気づく。

 彼もいずれはふるさとの村に帰ると思うが、その時まではできる限りのことを教えておきたいと思った。


「それで、今日はヒレ肉をそのタレで食べるように出すんだ」


「分かりました」


「あとは焼き野菜を用意したいから、一緒に切ってもらえる?」


「はい」


 タレはお客が来てからでも間に合うので、優先順位の高い作業に切り替えることにした。

 肉を切り分ける時ほどは技術が必要ではないため、野菜関係は任せやすい作業の一つだと考えた。


「包丁とまな板はここだから」


「はい、ありがとうございます」


 シリルに指示を出すと、すぐに準備を済ませた。

 

「今日はニンジン、ピーマン、ネギの三種類。切り方は先に見本を見せるね」


「お願いします」


 野菜を切り始めたところで、横目に彼の真剣な表情を捉えた。

 作業の一つ一つを見逃さないようにという真剣さが伝わるようだった。


「大きさはだいたいこんな感じで。雑なのはよくないけど、肉ほど気を配って切らなくてもいいから」


「……今から始めてもいいですか?」


「うん、よろしく頼むね」


 俺がそう伝えると、シリルは大きく頷いた。

 やや硬くなった表情でまな板に向き合うと、野菜に手を添えて包丁を握る。

 

 握り方から任せられそうだと判断して、自分の作業をしながら見守ることにした。

 すぐにトントン、と軽快な音が響いてきた。

 その音に合わせて、順番に野菜たちが刻まれていく。

 慣れていることを感じさせるような手際のよさだった。


 二人で焼き野菜の準備をすると、いつもより短時間で用意が済んだ。

 シリルにねぎらいの言葉をかけたら、照れくさそうにしていた。

 その後には、テーブルの確認を終えたエスカとフレヤが厨房に戻ってきて、席の準備が完了したことを伝えてくれた。 


 まだ時間に余裕があったので開店までは小休憩にした。

 少しの時間をおいて、昼時になったところで店を開いた。


 厨房の方から入り口を見ると、ちらほらとお客が入っていた。

 最近では開店時からまずまずの客入りで、店が繁盛するようになったことを実感することができている。

 今日はシリルがいることもあり、営業中の様子を覚えられるように気を配りながらの作業になりそうだ。


「マルクさん、お肉の用意をお願いします」


「分かった。客数は見てたから大丈夫」


 エスカがやってきて、注文を通した。

 それに合わせて、人数分のヒレ肉を簡易冷蔵庫から取り出す。

 肉と野菜を皿に盛りつけた状態にして、そこから先はエスカたちに任せる。 

 

「時間がある時は、エスカやフレヤにお客が使う食器を用意してもらうんだ」


「なるほど、そういうふうに」


「タレは日によって使うものが違うから、開店前にお互いに確認する」


「はい」


 王都に戻ったジェイクの時は一流の料理人だったこともあり、彼に詳しく教えることはそこまでなかった。

 ここよりも複雑な調理場で働いていたことは間違いなく、流れを覚えるのもあっという間だった。

 一方、シリルは手伝いをしていたとはいえ料理人ではないため、一つ一つ教えた方がよさそうな気がした。


 ひとまず、彼への説明はそこそこにして、簡易冷蔵庫を開いた。

 客の入りを予想して用意してあるため、ヒレ肉の在庫はまだ余裕がある。

 数量の確認をしてから、シリルの近くに戻った。

 

「牛肉は単価が安くないから、余分に仕入れてしまうと赤字になりかねない。かといって、それを抑えすぎてしまうとお客が多い時に対応できなくなる。だいぶ慣れてきたけど、最初は仕入れの調整が難しかったな」


「そこは食堂と違うってことですね」


「食堂のメニューは原価が低めの料理が多いから、そういうことになるか」


 料理の手際はまずまずで、自分の頭で考えようともしているため、俺の中でシリルへの評価が着実に上がっていた。

 不慣れな現場作業に行っていたことを気の毒にすら思い始めている。


「ところで、注文が入るまでの間にできることはありませんか?」


「今はまだだけど、お客が食事を終えたタイミングで食器が下がってくるから、合間を見て、洗い場の仕事をやることもあるよ」


「なるほど、分かりました。洗い場以外は何か?」


「追加の注文が入った時は用意するけど、ヒレ肉の時は一度目の注文の量を多くする代わりにおかわりはできないようにしてるんだ。こっちが黒字になるとはいえ、どんどん注文が入ったら、その後のお客が食べられなくなるから」


 こちらの言葉を聞いて、シリルが何度か頷いた。


「ただ、たくさん売っていけばいいわけじゃないのですね」


「せっかく来てもらったら、なるべく全員に食べてもらいたいんだ」


「たしかに美味しそうなヒレ肉がお預けになったら、悲しくなりそうです」


 シリルは本当に品切れの憂き目に遭ったお客のような顔をした。

 それが面白くて、つい笑ってしまった。


「ははっ、ごめん。俺も同じような気持ちになると思ったら愉快で」


「そんな、気にしないでください」


「話が逸れたけど、流れはだいたいこんな感じかな。一日の中で複雑な作業は肉を切り分けることだけかもしれない……さすがにそれは言いすぎか」


 半分冗談のつもりで口にすると、今度はシリルが愉快そうに笑った。


いつもお読みいただき、ありがとうございます!

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