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シリルが手伝いにくる日

 二人とも不服そうな節は見られず、ホッと安心した。

 不器用ではあるかもしれないが、素直そうなところも見受けられるので、せっかくなら雇ってあげたいと考えていた。


「普段は冒険者で、時々手伝いをしているエスカといいます。よろしくお願いします」


「はいっ、よろしくお願いします」


 シリルはエスカにあいさつされて、ペコペコと頭を下げた。

 厨房を手伝ってもらうにしても客商売ではあるので、人当たりがよいところはプラスになると感じた。


「私はフレヤ。お店では接客を中心に手伝ってるよ。よろしくね」


「よろしくお願いします」


 シリルはフレヤに対しても、同じように頭を下げた。


「こちらとしてはいつから来てもらってもいいんですけど、まだ仕事は辞めてないんですよね?」


「親方には前から相談していて、いつ辞めるか調整しているところでした」


「じゃあ、また来れる時になったら、うちの店に顔を出してもらうということで」


「あっ、はい……」


 会話の途中なのだが、シリルはどこか心ここにあらずといった様子だった。


「もしかして、何か気になることでも?」

 

「勇気を出して声をかけたんですが、まさか働かせてもらえるとは思わなくて」


 涙ぐむとまではいかないものの、シリルは神妙な顔つきになっていた。

 うちの店にそこまで思い入れがあるとは、いい客を持ったものだと思った。


「まあ、そんなに気負わなくても大丈夫です。難しい作業はほとんどないですし、焼肉のことを覚えてもらえたら十分です」


「はい、ありがとうございます」


 シリルはそう言った後にハッとしたような表情になり、何かを思い出したような様子だった。

 おそらく、急に割りこんでしまったことを反省しているのだろう。


「いきなりすみませんでした。そろそろ、失礼します」


「それじゃあ、また店に来てください」


「さようなら」


「じゃあ、またね」


 俺たちに見送られてシリルは立ち去った。

 しばらく三人で遠ざかる背中を見送っていた。


「いやー、こんなこともあるんですね」


「怪しい話じゃなくてよかったね」


「えっ、怪しいって何ですか?」


 フレヤのトーンが茶化す感じではなかったので。思わず聞き返した。

 表情からもふざけたような雰囲気は伝わってこない。


「例えば、何か悪巧みがあるとか、店の秘伝のレシピを盗もうとするとか」


「バラムではあんまりなさそうな話ですね」


「そうだよね。私の故郷の基準で訊いちゃった。まあ、忘れといて」


 たずねてきた本人が気にするなと言ったので、話題を変えることにした。


「それにしても、働き手が増えて休日が固定できるようになれば、だいぶまとまりが出る感じがするなー」


「自分のお店があるだけでもすごいのに、どんどん成長していきますね」


「エスカは最初から一緒だったからな」


 焼肉屋を始めようとした時から手伝ってもらったこともあり、彼女とは共有してきた時間がある。

 見守ってくれていた立場からすれば、感慨深いものがあるのだろう。


「とりあえず、さっきのシリルが入るまでは今まで通りってことだね」


「そうなりますね」


「マルクさ、私が敬語を使わないんだから、もう少し気さくに話してもいいんだよ」


 フレヤの意見は新鮮なものだった。

 エスカとは長い付き合いで自然に話しているつもりだったが、フレヤと話す時は仕事仲間というか、同僚のように捉えていたと思う。


「そうか、もう少し気をつけま……つける」


「きみが責任者なんだから、ドンと構えるぐらいでちょうどいいんだよ」


「まあ、そういうもんなのかね」


 フレヤのペースに引っ張られているのを感じつつ、彼女の意見も一理あると思った。


「マルクさん、これから人が増えて、お店がもっと賑やかになりますね」


「ああっ、そうだな」


 公園を吹き抜ける風はさわやかで、俺たちの新たな始まりにエールを送ってくれているように感じられた。



 それからしばらく月日が経ち、シリルが初出勤する日が訪れた。

 俺が店の前と敷地の掃除を終える頃、緊張した様子の彼がやってきた。


「やあ、おはよう!」


「お、おはようございます」


 シリルは声自体は明るいのだが、どこか不安を感じさせるような雰囲気があった。


「今日が最初だから、少し緊張してる?」


「……はい、今やマルクさんの焼肉屋はバラムの人気店の一つですから、足を引っ張らないようにと思いまして」 


 心構えはできているはずなのだが、少し気の毒に思えるような様子だった。

 これは緊張を和らげてあげた方がいいのだろうか。

   

「肉を切り分けたりするのは、俺がやるから大丈夫」


「まずは簡単な作業からですか?」


「ああっ、もちろん」


 先日、フレヤに気さくに話せと言われてから、柔らかく話すようにしている。

 俺はシリルとは別の点で緊張を覚えるが、それは彼に見せない方がいいだろう。


「ちなみにその服は汚れても大丈夫なやつ?」


「はい、大丈夫です」


「よかったら、店の前掛けがあるけど、どうする?」


 こちらがたずねると、シリルは荷物の中から無地のエプロンを取り出した。


「自分はこれを使うので、問題ありません」


「おおっ、偉い。自前のエプロンだ」


 俺の言葉にシリルは照れくさそうに微笑んだ。


「今日はがっつり手伝うっていうより、仕事の流れを覚えてもらう方が優先だと思うから、あんまり気負わずに見学するぐらいのつもりでいてほしい」


「分かりました。よろしくお願いします」


「うん、こちらこそ」


 それから俺はシリルを厨房の中に案内して、備品や在庫について説明した。

 時間をかけすぎると下準備が間に合わなくなるので、詳しい話は割愛しておいた。


「これから肉を切るから、その間にテーブルを拭いてきてもらえる?」


「はい」


 早速、仕事を頼むと気持ちのいい返事をして、シリルが歩いていった。

 彼の実家が食堂であるなら、店での作業は慣れているはずだと思った。

    

「焼肉屋が働きやすいといいけど」


 シリルがいなくなったところで、簡易冷蔵庫から今日の分の肉を取り出す。

 塊のままの牛ヒレ肉をまな板に乗せると、惚れ惚れするような鮮度だった。

 脂が少ないことはなく、適度に行き渡っているのが分かる。


「いやー、セバスと試食用に食べた時はすごかったな」

  

 朝食を済ませておいてよかった。

 これを前にしてお預けになるのは厳しいところだ。

 空腹時に、この誘惑に勝てる人間などいないだろう。


 ヒレ肉に想いを馳せながら、包丁を入れて切り分けていく。

 定期的に研ぐようにしていることもあり、滑らかに刃が通っていった。

 牛肉の中では仕入れ値が高い部位のため、自然と手の動きが慎重になる。

 

 集中して進めるうちに今日分のヒレ肉を切り分けることができた。 

 ちょうどそこへ、シリルが姿を見せた。


「マルクさん、テーブル拭き終わりました」


「おっ、ありがとう。ちょっと見てみて、これが今日使う肉なんだ」


「うわっ、すごくきれいですね」


 シリルはいい反応を見せていた。

 やる気がありそうなので、もう少し何か頼んでもいいだろうか。


「そこに切ってある分で一人前ごとになってるから、分けた状態のまま冷蔵庫にしまってもらえる?」


「は、はい」


「一緒になってしまっても、また直せるから大丈夫」


「分かりました」


 今日が初日の彼に丸投げにするわけにもいかず、しまう場所を説明して作業を進めてもらった。


「うんっ、これでいいよ。聞いていたより、手際がいいね」


「料理に関することはわりとできるんです」


 シリルは少し恐縮するように言った。

 

 そんな彼の様子を見ていると、俺の中にある気持ちが生まれた。

 こうして店を手伝ってもらうことで、少しでも自信につなげてもらえたらと。


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