憧れの人と共に
出発前に問題ないと話していた通り、テオは乗員が三人でも軽々と浮上していく。
徐々に地面が遠くなると、空を飛ぶことへの実感が高まっていった。
特に心配ないだろうと思いつつ、テオに一声かける。
「目的地の方向は大丈夫ですよね?」
(うむ、心得ておる)
テオの声が少し気だるげに響いたが、飛行自体は順調に見える。
人通りが多かったり、色んな人に会ったりしたことで、多少の疲れがあるのかもしれない。
そんな彼に対して気遣うような気持ちを抱いたが、動きの支障にならないように口を閉じた。
眼下の景色が遠くなり、十分な高度になった後、テオは前方に進み始めた。
すでに彼の背中に乗るのは何度目かであっても、風を切るような感覚は心地よいものだった。
「すごーい! 本当に空を飛んでいますわー」
「初めてだと驚きますよね」
俺は鞍の取っ手を握りしめながら、後ろに振り向いた。
感嘆の声を上げるフランの表情は見えなくとも、彼女が喜んでいることは想像できた。
「これなら目的地まであっという間ですわね」
「テオが人を乗せるのに慣れてきたので、多少速度が出せるんですよ。最初はもっとおっかなびっくりって感じでした」
「あら、そうですの。もう少しゆっくりでも構いませんわ……」
フランはこの瞬間を満喫しようとしているのか、言葉が次に続かなかった。
彼女の反応を待っていると、テオの声が脳裏に響いた。
(……マルクよ。我を侮っておるのか)
「いやいや、そんなつもりはないですよ」
(ふむ、それならばよいが)
テオは食い下がることなく、後に続く言葉はなかった。
少しずつではあるが、信頼関係めいたものが構築できてきたような気がする。
足元の光景はしばらくの間は市街地だったが、移動時間が長くなるにつれて、建物の数が減っていた。
人工物が少なくなるのに比例して、草原や生い茂る木々の数が増えていく。
公都近郊は起伏の多い土地のようで、整備された街道であっても上り下りが多く見える。
やがて前方に広大な森林が続くのが目に入った。
ここからもう少し進めば、テオが着陸した場所がある。
(間もなく下降して着陸する。他の者たちに言伝を)
「あっ、はい」
俺は今回が初めてのフランに状況説明をした後、同じことをハンクに伝えてもらうように頼んだ。
テオの姿は透明のままで目にすることはできないが、座っている部分がガクンと傾いたことで着陸に向けた状態に入ったことを理解した。
そのまましがみつくような状態で待っていると、一度目と同じ場所にテオが着陸した。
透明なままではフランが不安だろうと思い、すぐにリモコンもどきを操作して、透明な状態を解除した。
彼女は楽しんでいる部分もあったみたいだが、同じぐらい恐ろしさも感じたようで、可視化できる状態になった瞬間、飛び立つように背中を下りた。
それから、俺とハンクが地面に下りた後、テオは人の姿になった。
フランのことが少し気にかかり、近づいて声をかける。
「大丈夫ですか? だいぶ緊張したみたいですけど」
「――こんなにも大地の感触を心強く感じたのは初めてですわ」
フランの態度は強がりにも見える気がするが、カタカタと揺れる足元は武者震いなのか否かは分からない。
おぼろげな記憶ではあるものの、彼女の反応は初めて飛行機に乗った人にも似ているような気がした。
こちらの問いかけに応じることなく、心ここにあらずといった様子だったので、もう一度声をかけることにする。
「……フラン? 大丈夫ですか?」
「はっ!? 何でもありませんわ。初めてのことで少し緊張しただけで、高いところが怖いなんてことは……」
少しばかり気の毒に思えたので、彼女の傷を深くすることはやめておこう。
俺はフランから離れて、ハンクに話しかけることにした。
「これでフランが来たので、あの門の先に行けそうですね」
「ああっ、そうだな。中に入れないのは予想外だったが、これで入れたらコショネ茸の生える場所に行けるはずだ……フランのやつは大丈夫か?」
「――俺が声をかけます」
打ちひしがれるような状態のフランに近づく。
ついさっきよりも顔には生気が戻り、いつもの様子に戻りつつあるように見える。
「話していた門に行きますけど、ついてこれますか?」
「……ええっ、問題ありませんわ」
フランは何ごともなかったかのように背筋を伸ばした。
支えを必要としない様子を見て、俺は胸をなで下ろした。
テオは近くの木陰で控えていたので、これで移動を開始できる。
「それじゃあ、行くとするか」
「はい」
ハンクが先頭を歩き、俺を含めた三人は適当な間隔が開いた状態で彼に続いた。
最初に来た時よりも日が高くなっており、木々の間から差す木漏れ日が強くなっている。
デュラス周辺の気候はバラムよりも高地に近いため、涼しいことが多いらしい。
今は日中で温かさがあるものの、早朝と夜間は冷えやすいと記憶している。
「……そういえば、あそこの守衛は顔を見ただけでフランだと分かるんですかね」
俺は何気なく浮かんだ疑問を口にした。
ちょうど近くをフランが歩いており、思いがけず彼女がこちらの言葉に反応した。
「デュラスの兵を担っているのなら、わたくしの顔が分からないなんてありえませんわ」
「えっ、そうなんですか」
「上級貴族ともなれば、イクセル城の催しに顔出しをすることもありますもの。それにわたくしのように冒険者をする貴族など滅多におりませんわ」
途中までは尊大にさえ見える様子だったフランだが、最期の部分を口にする時には自嘲めいた響きを感じさせた。
珍しいことがあるものだなと思った後、かけるべき言葉が浮かばないことに気づく。
フランは旅を共にした仲間の一人であり、何か慰めの言葉をかけてあげたかった。
「……ふふっ、お気になさらず。わたくしは後悔しておりませんわ。それに伝説の冒険者ハンクと肩を並べることができるなんて夢のようですもの!」
「よかった、安心しました。俺もそれには同意しますよ。だいぶ慣れましたけど、『無双のハンク』とこんなふうに行動を共にできるなんて……」
当のハンクは気が急いているのか、前方の離れたところにいた。
きっと、二人の会話は聞こえていないだろう。
俺がフランの方を見ると彼女は親しげに微笑んだ。
そんな彼女の様子は初めてだったが、照れながらこちらも笑みを返した。
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