のどかな温泉と蒸しパン
ソラルとエルフの村で、メルツは始まりの三国――ランス・ロゼル・デュラス――に比べると、そこまで発展しなかったと話したことを思い出す。
たしかにランス王国と面している国境地帯のほとんどが田舎なので、そこまで国土が広くないことを考えれば自然な成り行きのように思えた。
ここが地球ならば観光産業にシフトすることも可能性が見出せるかもしれない。
しかし、ガルフールのようにビーチや海産物という分かりやすいアピールポイントがなければ、そこまで大きな成果は見こめないだろう。
この世界には十分に自然が残っているため、田舎の落ちついた環境でリフレッシュしようという発想は定着しにくいのではないか。
モルジュ村の牧歌的な景色を眺めながら、そんなことを考えていた。
高原めいた空気が流れていて、素肌に触れる風が心地よい涼しさだった。
ハンクの言っていた温泉は一定のニーズがあるようで、歩いていると温泉客が泊まるための民宿が数軒建っていた。
やがて民宿を通過すると人工物が少なくなり、道の先に湯気が立ちのぼるのが目に入った。
「もしや、あそこが温泉か」
「そうだ。今日は昼飯がまだだから、あそこで食べることができるぞ」
「我は不要だが、おぬしたちが必要ならば食べるがよい」
「へいへい、どうも」
ハンクとテオの会話を聞いていると、ハンクはテオの扱い方に慣れ始めた気がする。
俺は相手が飛竜ということもあり、まだ及び腰なところがある。
そのまま先へ進むと手作り風の小屋が建っていた。
丸木や材木を組み合わせてあり、素朴な風合いが周囲の景色に溶けこんでいる。
エバン村のくつろぎ温泉は儲けようという下心を隠そうとさえしていなかったが、ここはそういった商魂めいたものが感じられない。
小屋の入り口に「秘境温泉」と書かれた看板があるだけだった。
「ハンクは前に来たことがあるんですよね」
「ああっ、だいぶ前だがな」
「国内各地から他国に加えて、メルツにまで足を運んだことがあるなんて、なかなかの行動範囲ですよ」
「まあ、色んなところに行ってみたかっただけだ。さあ、中に入ろうぜ」
俺たちは順番に小屋の中へ足を運んだ。
室内は思ったよりも広く、休憩所や売店が見受けられた。
奥の椅子が並ぶ辺りには風呂上がりと思われる数人の温泉客が休んでいて、入り口近くの受付のようなところにはおばあさんが一人立っている。
「腹ごしらえがしたければ、好きにするがいい。我はあちらで休んでいる」
「……あいつ、もしかして、腰が悪いんじゃねえか」
「そうですか?」
「いや、何となくな」
テオは休憩所の方にある椅子に腰かけた。
一方の俺たち三人は受付の方に向かった。
「いらっしゃい。旅の人かねえ」
「おう、そんなところだ。温泉に入る前に飯を食いたいんだが」
「温泉蒸しパンでいいかね? あとは売り物じゃないけど、地獄蒸しでよかったら一緒に出せるよ」
「地獄蒸し? そいつは初めて聞くな」
「たまたま出せるだけだから、いつも出してるわけじゃないよ」
「おっ、そういうことか」
過去に来たことがあるため、ハンクが受付のおばあさんと話していた。
「とりあえず、俺は何でも問題ないですよ」
「私も任せるわ。地獄蒸しというのが何か気になるわね」
「温泉蒸しパンを三つと、その地獄蒸しを食べさせてくれ」
「はいはい、じゃあちょいと一緒に来ておくれ。支払いは後でいいよ」
おばあさんに促されて三人でついてくと、小屋の外に出た。
露店風呂を横目に見ながら、彼女の後に続く。
温泉を少し離れると草がまばらに生える空き地に出た。
何の変哲もないように見えるが、地面からパイプのようなものが伸びている。
そこから湯気が上がっているので、温泉のエネルギーを利用した蒸気のようだ。
「せっかく団体さんで来てくれたもんだから、記念に見てもらおうと思ってね」
おばあさんはパイプの横から伝う細い紐を手に取って引っ張った。
すると、その中から布袋に包まれた何かが出てきた。
「温泉蒸しパンはこの中だよ。ちょっと持ってもらえるかい」
「よしっ、おれが持とう」
「出来立てで熱いから、紐の部分を持ってね」
「ああっ、大丈夫だ」
ハンクはおばあさんから布袋を受け取った。
湯気が出ているので、まだ熱そうに見える。
「あとは地獄蒸しだね。ちょいと待ってね」
おばあさんは別のパイプに移動して、そこからカゴのようなものを回収した。
彼女がこちらに戻ってくると、その中に野菜などが乗っているのが見えた。
「なるほど、これが地獄蒸しなんですね」
「へえ、面白い料理。初めて見るわ」
アデルは美食家の血が騒ぐようで、興味津々に見つめている。
温泉がすごい好きというわけではないはずなので、彼女が退屈しない要素が出てきて安心した。
「それじゃあ、戻ろうかね」
「はい」
おばあさんの後ろを歩いて、先ほどの小屋の中に戻った。
休憩所の辺りに目を向けると、テオが顔に手を当てて目を閉じており、休んでいるように見えた。
「あそこのお兄さんはいいのかい?」
「ああっ、あいつなら少食だから大丈夫だ」
「そうかい。温泉だけでも楽しんでいってほしいねえ」
おばあさんはハンクから温泉蒸しパンの入った袋を受け取り、彼女が自分で運んだ地獄蒸しのカゴと合わせて配膳を始めた。
布袋が開かれると、クリーム色の大きな蒸しパンが中から取り出された。
「ほら、出来立てだから美味しいよ。口をやけどしないように気をつけて」
おばあさんはテーブルの上で等間隔にカットして、そのうちの三つを皿に乗せて出してくれた。
「ありがとうございます」
「おう、美味そうだな」
俺たちは受付越しに皿を受け取った。
温泉蒸しパンからはゆらゆらと湯気が上がっている。
奥の休憩所まで歩くのも手間だったので、立ったまま食べることにした。
口で空気を送って少し冷ましてから、慎重に口の中へと運ぶ。
「……これは何とも優しい味ですね」
自然な甘みとふわふわした食感。
温泉蒸しパンはどこか懐かしい味に感じられた。
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