癒しと解放の時
何だかんだでソラルは話し相手がほしいようで、食事が終わってからお茶をいれてくれた。
最近の情勢などを大まかに説明したり、焼肉屋の話をしたりした。
「いやー、ランスとロゼルとデュラスがそこまで平和になったとは驚きだよ。停戦直後の都市部はピリピリしていたみたいだからね」
「行動範囲がフェルンやリムザンだとそうなりますよね。メルツの国境がわりと近くても、あの国は三国間の戦乱とは無関係でしたし」
メルツは規模が三国に比べて少し小さく、隣接するベルンを警戒しなければいけなかった背景があり、それ以外の国とは中立を保っていた。
ランスを筆頭にする三国は戦乱後の平和な時代に大きく発展したものの、メルツは衰退しない代わりに発展もしなかったため、国として何が正解なのか分からない事例を示している。
ちなみにソラルの情報は数十年単位で止まっていたが、彼の生き方を尊重して遅れているという扱いは控えた。
彼の元を訪れる人間は治療が目的だったことが大半で、そこまで話しこむことができなかった点も情勢に疎くなった一因のようだ。
ソラルが話しやすい相手ということもあり、気づけば時間が経っていた。
地元を離れた場所で会ったばかりのエルフと世間話に花を咲かせるとは。
これは貴重な体験だと言えるはずだ。
「急にお邪魔したのに、長居しすぎてしまいました」
窓の外を見るとずいぶん暗くなっていた。
町のように街灯がないため、夜闇が濃く見える。
「いやいや、気にすることはないよ。色んな話が聞けて、とても楽しかった」
ソラルは今日一番の笑顔を見せた。
夕食をきっかけにして、だいぶ打ち解けることができた気がする。
「では、そろそろ失礼します」
「家の前まで見送るよ」
俺とソラルは室内を移動して、玄関のところまで歩いた。
家から出ようとするタイミングで、彼が思い出したように声をかけてきた。
「そういえば、子どもの頃に戦乱に巻きこまれたとか、モンスターに襲われたとか、何か持て余すような経験をしたことがあるかな?」
「うーん、バラムは平和でしたし、町にモンスターが出ることもないですね……」
おぼろげに彼がそういうことを知りたいわけではないと思った。
質問を投げかけたい一方で、そのための言葉が固まりきらないもどかしい気持ちだった。
「ふむふむ、僕の勘違いかな」
俺とソラルは立ち止まって、会話を続けた。
よく分からないが、彼が何か重要なことに気づいたような直感があった。
ソラルは本人の中で違和感があるようで、何かを考えこんでいるようだ。
わずかな沈黙の後、彼に触発されたように閃きのような感覚が生まれた。
それを確かめるために問いを投げかける。
「もしかして、その子どもの頃というのは大まかに過去という括りだったりしませんか?」
「そうそう、そういうことなんだよ。……何か心当たりがある?」
「話しにくいことも多々ありますけど、自分自身への影響は大きかった出来事です。最近は思い出すことが減っているので、影響は少ない気がします」
ソラルは何かを決めかねているようだったが、決意したように話を続けた。
「君さえよければ、その傷……あえて傷と表現させてもらうけれど、それを癒すことは可能だと思う」
「えっ、本当ですか?」
アデルやハンクと出会ってから、店が順調に推移していたこともあり、今では転生前のことを思い出すことは少なくなっていた。
ただ、思い出さないからといって、その痛みが癒えたとは捉えていない。
自らの原動力になるような経験だったとしても、痛みが痛み以上の何かになるとは考えられなかった。
「一つだけ補足しておくと、その経験が今でも支えになっているなら、そのままにしておいた方がいいかもしれない」
「それは……ないですね」
わずかな逡巡を伴うが、今の俺にはもっと大切なものがある。
当時のことをバネにしなければいけないほど、差し迫った状況でもない。
ソラルは呪詛という未知の力さえ治してしまうのだ。
こんな好機は滅多に訪れるものではないだろう。
「もしも、その痛みに耐えれないほど辛いようなら、時間をかけた方がいいと思うけれど、マルクくんなりに向き合ってきたんだね」
「……そうかもしれません」
ソラルは淡々とした口調だったが、その言葉に救われるような気がして目頭が熱くなってくる。
この世界で店を始めたこと、これまでの冒険、その全てが報われたような感覚を心に抱いた。
「すぐに済むから、安心してほしい」
俺はソラルに促されて、ハンクの治療の時に使ったベッドに腰を下ろした。
これから難しいことをするはずなのだが、特に準備もせずに始めるみたいだ。
「はい、目を閉じて」
手をかざしたソラルの姿を目にした後、視界は暗くなっていった。
閉じた目蓋の向こうに、彼が立っている気配を感じていた。
「何もしなくて大丈夫だから、身体の力を抜いて」
自分の正面で何が起きているのか想像もつかないが、十分に目を閉じていても、正面に光のようなものを感じることはできた。
体感では大きな変化はなく、時間がゆっくりと流れる感覚だけがあった。
「――はい、ゆっくりと目を開けて」
ソラルが先ほどよりも少し下がった位置でこちらを見ていた。
劇的な変化を予期していたが、心身の感覚に大きな変化はないようだ。
とはいえ、彼がいい加減なことを言ったなどと思えるはずもなかった。
「これで終わり……ですか?」
「内面的なことだから感じ取るのは難しいと思うけれど、日に日に変化を実感するようになると思うよ」
「ありがとうございました。大事なことをしてもらったので、何かで支払おうと思うんですけど……魔石で大丈夫ですか?」
アデルはソラルに魔石を渡していた。
まだ同じものが残っているので、それなら差し出すことができると思った。
「ああっ、あの時は受け取らないとアデルが納得しないと思ったから。たしかに魔石自体は珍しいものだし興味があるけれど、治療自体は退屈しないためにやっている面が大きいんだ」
「それだと何だか申し訳ないですね」
「全然いいんだよ。アデルを見ていたら分かるように、うちはエルフの中でも裕福だし、気にしないでいいから」
「……そうですか」
アデルは見知った仲だが、ソラルも同じ文脈で余裕があるとは意外だった。
以前からアデルのセレブっぷりには謎が多かったが、これで少し解明できた気がした。
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