三人の新たな方針
「少し空気を入れ替えるわね」
アデルは断りを入れた後、窓をゆっくりと開いた。
外から夜の風が流れてきて、さわやかな涼しさを感じた。
目を間ましてから時間が経つにつれて、意識が鮮明になるような感覚がある。
その一方で寝すぎた後に目覚めたような、気だるい体感と戸惑いは拭えないままだった。
「最初は吹き矢か何かで毒を食らったのかと思ったが、うわ言が続いて、幻覚魔法だと分かったんだ。身体に傷らしいものは見当たらなかったからな」
「解除することも考えたのだけれど、力ずくで行えば精神に悪影響があるのよ。私たちはあなたが起きるのを待つしかなかったわ」
「なるほど、そういうことだったんですか」
魔法に精通しているアデルならどうにかできそうだと思ったが、こちらの身の安全を優先してくれたようだ。
落ちついて考えれば、あそこまで鮮明な光景を見せる魔法を強制的に解除するのは危険な気がした。
「ところで、その魔法使いはどこへ?」
「……捕らえるつもりだったけれど、逃げられたわ」
「マルクが気を失っているのに追跡はできねえな」
「二人とも、ありがとうございます」
俺が感謝を述べると、アデルは照れくさそうな表情を見せて、ハンクは微笑みを浮かべた。
「……それで俺がこういうのもあれなんですけど」
「その魔法使いを放置できねえって話だろ」
「あっ、何を考えてるか分かっちゃいましたか」
「そりゃまあ、おれとマルクは似た者同士だからな」
ハンクほどの男にそう言われるのはうれしかった。
似ているというのは義憤のようなものであり、器用に見すごせない性格のような部分のことだろう。
「あら、私を除け者にするつもり?」
「逆に質問ですけど、アデルは正義感とかあるんですか?」
「たまたま通りがかった人間に幻覚魔法をかける悪人を見逃すほど、いい加減な性格ではないわ。さりげなく失礼ね」
「ああっ、ごめんなさい」
俺が謝るとアデルは怪訝そうな表情を元に戻した。
さて、とハンクから仕切り直すような声が聞こえた。
「移動の予定が延びちまうかもしれねえが、依頼人なしの魔法使い捕獲作戦を実行するか?」
「はい、封印の件も同じ人物の仕業かもしれません。捕まえるか、王都に連絡が届くようにしたいです」
「……私から一ついいかしら」
「どうしました?」
途中まで静かに聞いていたアデルが口を挟んだ。
何か気がかりでもあるのだろうか。
「幻覚魔法が使えるというのは厄介だと思うわ。それにいつまでもランス王国にいるとも限らない」
「ああっ、それでどうなるんだ?」
「メルツ側に逃げる可能性が高い気がするのよね。よほどの能なしでもない限り、ランス国内で手配される可能性ぐらいは考えるはずよ」
――幻覚魔法。
どれだけの人間を連続で行動不能に追いやれるかは分からないが、国境に配置された数人の兵士程度なら、一人で制圧してしまう可能性がある。
「まず明日は国境に行ってみますか。ロゼルに行った時は友好国で国境らしい感じがなかったので、メルツとの国境がどんなところか見てみたいと思います」
「いいんじゃないかしら。バラムに住んでいたら、なかなか見る機会はないと思うし」
「おれも賛成だ。明日の朝に向かおうぜ」
「はい、お願いします」
ハンクはそこまで話したところで、じゃあ明日なと言って立ち去った。
彼にしては珍しく、適当に切り上げるような雰囲気だった。
「……あなたの馬がついてこれるように手綱を引いたりしたのはハンクなの。バラムを出てから移動距離が長かったし、少し休みたいのかもしれないわね」
「そうでしたか。ハンクには助けられてばかりです」
「私も部屋に戻るわ。今夜はしっかり休むのね。幻覚魔法の影響が残っているかもしれないから、何か違和感があった時は遠慮せずに言って」
「はい、ありがとうございます」
アデルは穏やかな表情を見せた後、部屋を出ていった。
当然ながら、口づけの気配など微塵も見せないまま。
「やれやれ、こっちの方がよっぽど現実感があるよ」
夢の世界で起きたことは幻覚魔法が見せた幻だった。
現実のアデルを見たことで腑に落ちるようだ。
翌朝。ハンクの声で目が覚めた。
窓の外は明るい陽光。普段はいるはずのない姿。
……どうやら、寝すぎてしまったらしい。
「昨日の今日だから仕方がねえ。アデルにはおれが伝えておくから、慌てずに準備してくれ」
「はい、お願いします」
「というわけで、また後でな」
ハンクはそそくさと部屋を出た。
共に旅をするようになって時間が経つが、起こされたのは初めての出来事だった。
ここまで影響が残るとは、幻覚魔法恐るべし。
俺の知識ではあそこまで強烈な効果があるとは知らなかった。
そこまでの使い手ならば、ベヒーモスの封印を破ったのが同一人物だったとしても驚かない。
俺は手早く身支度を済ませてから、荷物を手にして部屋を後にした。
さほど空腹感はないので、朝食はなくても問題ないだろう。
受付に鍵を返却して、ロビーで待つアデルとハンクに足早に近づいた。
「はぁっ、お待たせしました」
「とりあえず、体調は問題なさそうね。昨夜も言ったけれど、何かあれば遠慮せずに言うのよ」
アデルは遅刻を責めることもなく、気遣うような言葉さえかけてくれた。
つまるところ、それだけ幻覚魔法の影響を心配しているということだ。
俺たちは宿屋を出てから、馬を係留した場所に向かった。
町の中を実際に歩いてみると、夢の中のリムザンとは似ても似つかないことが分かる。
たしかにこじんまりとしたところだが、建物の位置や大きさ、道の雰囲気なども異なっていた。
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