戦いの決着
その身から放たれる異様な気配で、獣がベヒーモスであると判断した。
低く唸る声が届いたと思った瞬間、ベヒーモスはハンクに向かって飛びかかった。
大型の犬を巨大化させたような大きさに怯みそうになる。
しかし、ハンクは物怖じすることなく、手にした剣で薙ぎ払った。
その一撃でいくらかダメージを与えられたように見えたが、獣は地面に着地して、再びハンクに狙いを定めていた。
「マルク、封印されていたのはあれだけではないみたいよ」
「――えっ」
アデルに言われて別の方向を見ると、ベヒーモスを小型化したような犬のような獣が数頭いた。
「あれぐらいなら、制限した魔法でもどうにかなるわ。ハンクの邪魔にならないように私たちで倒すわよ」
「はいっ」
黒い犬のようなモンスターに向き直る。
ちらりとベヒーモスを見やったが、ハンクに狙いを定めているため、こちらに襲いかかってこないように見えた。
「――いくわよ」
アデルは威力を抑えた雷魔法を繰り出した。
その範囲は広く、黒い犬たち全てを射程に収めている。
洞窟の薄闇に雷光が走った。
「今のうちにやっつけて」
「いきますっ!」
黒い犬たちは抵抗しようと爪と牙を向けようとしたが、アデルの魔法の影響で動きが制限されていた。
一人では苦戦したかもしれないが、先手を取ることができた。
剣で両断すると動物の肉とは異なる、経験したことのない感触がした。
俺が一頭を斬り伏せる間に、アデルも魔法で攻撃を加えていた。
ベヒーモスに注意しながら戦ううちに、ベヒーモスの手下のような犬たちを葬ることができた。
斬りつけた時の感触が奇妙だったように、黒い犬のような獣たちは屍を残すことなく消え去っていた。
「……あれ、どうなってるんだ」
初めて経験する状況に困惑したが、二人に説明を求める暇はなかった。
すぐにベヒーモスへと視線を移した。
「さすがのハンクも時間がかかっているわね」
「魔法が使えねえからな。剣と魔法が同時なら、とっくに終わりなんだが」
ははっと苦笑混じりに凄腕の冒険者は漏らした。
彼の言う通りに大がかりな魔法が使えたなら、もっと早く決着はついただろう。
ベヒーモスの爪と牙に対して、ハンクは剣一つで渡り合っている。
「ふっ、ふっ、はっ――」
「グルルッ――ガァッ」
いくら封印の影響があるとはいえ、ベヒーモスの圧力は強烈だった。
俺の実力では出会ってはいけない脅威であることを認めるしかなかった。
「ハンク、もう少し粘れるかしら?」
「あぁっ? おれをなめるなよ。それぐらい余裕だ」
均衡を保っているようでも、ハンクにしては苦戦しているように見えた。
無双のハンクは物理攻撃と魔法攻撃の二つが揃ってこそだ。
彼は弱音を吐かないものの、洞窟での戦いは分が悪いのだろう。
「無駄口を叩けるなら、まだいけそうね。敵の動きを制限してくれたら、魔法で援護できるわ」
「洞窟の中で、こんなでかぶつに効く魔法ができるってか。お前の方が魔法は上かもしれないな」
「えっ、何なの? さっさと足止めしてちょうだい」
「……あいよ、お任せあれ」
ハンクはアデルの言葉に従うようだった。
ベヒーモスから攻撃を受けないような戦い方から、身を低くして足の方を狙うような構えになった。
それにしても、何もできないことが歯がゆく感じる。
俺とアデルで黒い犬たちを倒したため、他に邪魔が入るようには見えない。
もしも、できることがあるとすれば、二人の力を信じて見守ることだけだ。
不測の事態に備えて警戒は怠らないまま、アデルとハンクの様子を見守った。
ベヒーモスはある程度の知能はあるように見えても、ハンクの狙いには気づかないようだった。
百戦錬磨のハンクが「勝つこと」を手放して、「足を狙うこと」だけに照準を定めたとしたら、それを回避できる武人など存在するのだろうか。
ましてや、巨体で小回りの利きにくいベヒーモスが回避できるわけがないはずだ。
「――よしっ、今だ」
ハンクの低い声が響いた。
ベヒーモスに合わせるような動作の後、さらに体勢を低くして地面を蹴った。
「グァッー!」
苦悶の叫びでハンクが一撃見舞ったことが分かった。
アデルもそれを察知したようで、隙を見逃さないように魔法を放とうとしている。
「――フリーズ・アロー!」
彼女にしては珍しく、気合のこもった声だった。
複数の凍てつく矢がベヒーモスに発射される。
その一撃は胴体に集中して突き刺さり、ベヒーモスはそのまま横たわった。
声を上げる代わりに恨めしそうな様子で俺たちに目を向けた後、洞窟の空気に溶けこむように消滅した。
「……ふぅ、けっこうヒヤヒヤさせられたわ」
「アデル、助かったぜ。あれだけの攻撃魔法を制御するとはやるじゃないか」
「動きが止まっていたから狙いやすかったわ。そうでなければ、もっと分散していたはずよ」
ハンクのように素直ではないものの、アデルもそれなりにハンクのことを認めているように聞こえた。
念のため、周囲を見回してみたが、目立つ脅威は見当たらなかった。
「んっ、あれは何かな……」
黒い犬が消滅した辺りで、ホーリーライトの光を反射する何かが目に入った。
すぐさま近づいて、地面に転がるそれを手に取った。
「……宝石?」
戦いの目まぐるしさでアデルたちに訊きそびれたが、普通のモンスターのように死骸が残らない点も不思議だった。
「マルク、何かあったか?」
「黒い犬のところに妙なものが……」
俺は手にしたものをハンクに見せた。
指先でつまめる程度の大きさで紫に近い色。
ただの宝石には思えないような怪しい輝きをしている。
「おっ、これはすげえ! おれとしたことがうっかりしていた」
ハンクはこちらの疑問に応じる間もなく、他方へ動き出した。
彼の背中を視線で追うと、アデルがベヒーモスの消滅した場所を調べていた。
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