ベヒーモスとの遭遇
「おっ、やっぱりベヒーモスはまだ本調子じゃないな。これぐらいの岩だったら、軽く破壊して出てくる。犠牲が出てないのは幸いだ」
ハンクは封鎖のために積まれた岩を見て言った。
応急処置的に施されたことは分かるが、これを破るようなモンスターというのは恐ろしいと思った。
ちなみに案内してくれた青年は怖がり方が尋常ではなく、必要以上には洞窟へ近づこうとしない。
「さて、この岩はどう撤去しようかしら」
「ハンクの腕力なら一つずつ運べばいけそうですけど」
「おいおい、おれは何でも屋じゃねえぞ」
ハンクは抗議をしながらも笑っていた。
時間はかかったとしても、その方法なら確実な気もする。
ただ、Sランク冒険者を肉体労働に従事させるのは無駄遣いでもあるような。
「それにしても、これはよく運びましたね」
「……事情を隠して、何人か地元の人に力を借りました」
「なるほど、そういう背景が」
青年は消え入りそうな声だった。
そんなことがあったのなら、なおさら後ろめたい気持ちになるだろう。
どうしたものかと考えていると、アデルが岩をぺたぺたと触りながら調べ始めた。
顎に手を添えながら、ふーんと何かを思案している様子だった。
整った容姿の彼女がそうしていると絵になる光景だ。
「Sランク冒険者様の力を借りるまでもなく、私の魔法で何とかなりそうだわ」
「おおっすごい、名案が思いついたんですね!」
「ひとまず、任せてもらえるかしら」
アデルは全員に洞窟の入り口から離れるように伝えると、魔法を放つ動作に入った。
こめられた魔力が強いようで肌にちりちりと刺激が走り、身体の表面が毛羽立つような感覚がした。
「――ブレイズ・ウォール」
積み上がった岩を包みこむように炎の渦が巻き起こった。
エステルのフレイム・ウォールも強力だったが、一段階上の強さを感じた。
岩を熱してどうするのかと思いかけたところで、アデルは続けて魔法を放とうとした。
「――アイシクル」
さすがに魔法の重ねがけという未知の技量を備えていることはなく、炎の渦が収まった後に連続で魔法を唱えた。
熱々になった岩の真下から冷気が上がり、今度は冷却されることになった。
「……あっ、もしかして」
この世界の科学水準はそう高くはないものの、俺には転生前の記憶という反則気味の知識がある。
アデルは岩を熱してから急速に冷やし、粉砕しようとすることが読めた。
きしむような音が聞こえた後、岩に亀裂が走るのが見えた。
「ふふん、狙い通りね」
「すげえ、魔法にこんな使い方があるんだな」
全知全能にさえ思えるハンクも驚いた様子だった。
やがて、岩は粉々に砕けて、洞窟の中に入れるようになった。
「さあ、行きましょう。洞窟の中では魔法が制限されそうだから、役に立ててよかったわ」
アデルはそう口にして、さりげなくハンクを先へと促した。
ハンクはそれが当然であるかのように先頭に立つ。
相手に抵抗を抱かせない彼女の動きは神業の部類に入りそうだ。
「おれの後ろはマルクに任せる。アデルは武器を使った戦闘はからっきしだろうからな」
「認めざるを得ないことね。魔法使いは得てして魔力に秀でているから、腕力を鍛える必要がないとも言うけれど」
俺たちは暗闇での必需品――正確には魔法――のホーリーライトを点灯した。
ベヒーモスに気づかれるかどうか以前に、手元足元が不確かである方がはるかに危険だった。
何気なく後方を振り返ると、洞窟の外で青年が立ちすくんでいた。
「それにしても、封印されている洞窟にわざわざ来るもんですかね?」
「想像でしかないけれど、何か調べないといけない事情があって、町長に指示を受けて来たのだと思うわ。まさか、ベヒーモスがいるとは思わなったでしょうね」
「悪い人ではなさそうですけど、自分で足を運ぶようには見えなかったですね」
俺とアデルは控えめな声で話していた。
前方ではハンクが斥候のように周囲を警戒しながら進んでいる。
「もう少し奥らしいが、マソが濃くなってきやがったな」
「……マソですか?」
「魔力の素と書いて、魔素ね。魔力とは似て非なるものだけれど」
あまり聞いたことのない言葉だった。
俺が知らないことを察したようで、アデルが説明を続けた。
「魔力という言葉が広い意味を指すとしたら、魔素は瘴気に近いエネルギー。ベヒーモスみたいにわざわざ封印しなければいけないモンスターになれば、そういう力に近い存在になるのよ」
「モンスターにも色々あるんですね」
「それなりに危険が伴うことになるから、そういう存在には関わらないに越したことはないわ」
こちらを侮るわけではなく、アデルなりの気遣いだと感じ取れた。
アデルとハンクのような実力者でなければ、危険と隣り合わせになることはリスクでしかないだろう。
入り口からの洞窟の広さは人の背丈よりも少し高く、横幅は両手を広げた幅ぐらいだった。
中へと進むにつれて、その広さは徐々に広がっていた。
さらに三人で奥に向かうと、前方に開けた空洞が見えてきた。
「……うっ、ごほっ」
そのまま空洞に入ろうとしたところで、頭が揺さぶられる感覚と奇妙な吐き気を催した。
初めての出来事に戸惑いと緊張を覚える。
「マルク、大丈夫か?」
「……はい、何とか」
「ベヒーモスの気配が近づいてきたな。魔素が濃い」
ハンクの言葉でこの感覚が魔素によるものだと理解した。
アデルとハンクは経験済みだからなのか、そこまで影響を受けたように見えない。
頭が揺さぶれられるような感覚から逃れたい心境から、額にそっと手を添えた。
違和感に耐えながら歩き続けたところで、ふいにハンクの足が止まった。
「――マルク、剣を抜いておけ」
「は、はいっ」
俺は携帯していたショートソードに手を添えた。
ハンクが真剣な時は注意すべきサインだと学習済みなので、魔素に苛まれながらも注意力を高めた。
「……いやがった。あそこだ」
そっと指で示された方向に、のっぺりとした暗闇の集合体が見えた。
――否。そこには漆黒を身にまとうような獣が片隅に潜んでいた。
「魔法なしでいくつもりだが、劣勢の時は援護を頼む」
ハンクはこちらを振り返らないまま言った。
緊張感のある声音に気が引き締まる。
この広さならアデルは魔法を使えるはずだが、いつでもハンクを支援できるように剣を握る手に力をこめた。
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