さくら
さくら、十六歳。
母は、さくらを産んですぐに他界した。
生まれた時から大きかったせいか、難産の末の事だった。
年の離れた兄姉からは、母のいない寂しさを全てぶつけるように、母殺しと言われ続けた。
容姿も異色で、父母とも兄姉とも似ていない、茶色いくせ毛がもじゃもじゃと目立つ。
ぎょろりとした目が不気味だとか、大きすぎて合う着物も無いだとか、家族だけでなく近隣の者までが悪態をつき、気味悪がって避けた。
辛い仕事を押し付けられたり、寒い雨の日に外へ締め出されたりはしょちゅうで、よく家の裏で茂みに隠れて、一人で泣いた。
小さな頃から、何度そこで泣いたか分からないが、ある時、すぐ裏の家に住むおばあさんが、話しかけてくれた。
一人暮らしで変わり者と言われるおばあさんの言葉はぶっきらぼうだったが、真っ直ぐで信用できたし、慣れると温かさを感じるようになった。
たくさん押し付けられる仕事の合間を縫って、おばあさんの家を訪ねた。
ここでも多くの仕事をこなしたが、細かく教えてくれもした。
身近にある食べられる野草の見分け方に調理方法、たくさん採れた野菜の保存の仕方、味付けの工夫。
季節に沿った掃除の仕方、家具や台所の手入れの方法。
あちこち擦り切れて丈も合わない着物を見て、繕い方に仕立て方まで。
大柄で力も強く、器用なさくらは、おばあさんといると、出来ることが増えていくのが楽しかった。
家では相変わらず辛く当たられたが、父の背を超えたあたりで返り討ちを恐れたのか、暴力は言葉だけになった。
その言葉の暴力すらも、一対一では心もとないのだろう、数で有利な場合に限られてきた。
確かに、本気になれば腕力では勝てる気がする。
けれども、相手に嫌われている以上、暴力で返しても事態が好転するとは思えない。
叩かれたり、殴られたりすれば痛いのだと、身に染みている。
視線が合うだけで何かされまいかと怯える相手に、今更やり返す気にはなれなかった。
身体は大きいが、大人しくて気が弱い。
そう解釈されるようになり、家では一方的に仕事を命じられるだけで、無視される事が増えた。
居心地は悪いが、他に行く当てもない。
何より、この環境しか知らないのだから、どこもこのようなものだと思っていた。
自分は異様に大きく、見た目も悪くて不気味である。
明らかに他の人たちと違うから、仲間に入れてもらえないのだ、と。
幸いと言って良いのか、大柄な体は頑丈だった。
人より多くの仕事が出来たし、小さな頃から体調不良の経験も無い。
それで助かった事も多かったが、好意的に認められることは無く、何をやらせても、酷い仕打ちをしても大丈夫だと、度を越えた扱いもまた多かった。
異質だから、認められない。
それが「普通」だから、「仕方がない」のだと理解していった。
唯一の安息所だった、裏のおばあさんが亡くなったのが、さくらが13歳になった年の夏。
口うるさくて変わり者と嫌われていた老女の、葬儀に参列するのはわずかばかりの村人で、その人たちも役目や義理だったから、本気で悼む人はいなかった。
その寒々しい光景の中で泣くことも出来ず、誰もいなくなってから、隠れきれなくなった裏の茂みで、声を殺して一人で泣いた。
ぶっきらぼうで厳しく、一度も笑顔なんて見たことがない。
優しくなでたり、慰められたりされた記憶もない。
けれども、色んな事を教えてくれて、一緒に食卓に座ってくれた人。
母の記憶は無いし、恐らく父が死んでも、こんなに悲しくならないだろう。
心の拠り所を無くして、辛い毎日を耐える支えが、こんなにも大きな存在だったのかと知った。
それでも、次々と仕事を命じられる、変わらない生活は続く。
さくらは強くなりたい、一人でも強くなろうと決意した。
その次の年、姉は同じ村の男のところへ、嫁に行った。
家はそう遠くはないが、あまり訪ねては来ない。
さらに翌年、兄にも縁談があったが、しばらくして破談になってしまった。
実際の原因は分からないが、兄は不気味な妹がいるせいに違いないと、父に訴えた。
それから何度か、父と兄がこそこそと相談しているところを見かけたが、さくらは黙って働いた。
自分には縁談なんてあるはずも無いし、ついに追い出されてしまうのかもしれない。
なんとなくそう感じていたから、ああ、その手があったんだな、と変に納得してしまった。
もう一度、年が明けると本祭がある。
ある日、村長が訪ねてきたと思ったら、父と兄と揃って神妙な顔をしていた。
竜神舞の巫女に選ばれたと告げたのは村長だったが、むしろ推薦されたのだろうと思い至る。
なのになぜ、父と兄は済まないと謝ったり、まさかと驚いたりするのだろうか。
さらには、名誉な事だからと元気づけようとしたり、しっかりお役目を果たせと励ましたりするのは、何のためだろうか。
嫌われていることくらい十分に理解しているのだから、邪魔だから生贄になってくれと言えばいいのに。
嫌だと抵抗されたら困るから?
身内を売ったのではなく、村を守るための苦渋の決断だと思い込みたいから?
あれだけ酷い仕打ちをしてきたのに、最後まで善人でいたいのが普通の人なのだろうか。
よく分からないけれど、本当に居場所がなくなる事だけは、理解できた。
それから祭までの間、村長の家の離れで暮らすよう言われた。
衣食住の不自由も無く、辛い労働も無い日々は、想像よりも退屈だった。
扱いは丁寧だったが、逃げだしたりしないよう、警備は厳重だ。
万が一、暴れて手に負えない場合は、死なない程度に一服盛る準備もあるらしい。
過ぎてみれば、長いようで短かった籠の鳥生活。
最後に綺麗な空をみられて良かったなと思いながら、輿に乗って村を後にする時、大勢の村人が見送りに集まっていたが、裏の老婆もいない今、振り返ってみたい未練すら残っていなかった。