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月の蘇る  作者: 蜻蛉
第一話 誕生
5/50

5

 暗闇の中、桜の花びらが舞う。

 降り注ぐ月光。地上に蠕く敵、敵、敵。

 すっと刀を抜く。それが合図であったかの様に、わっと襲い掛かる。

 一撃を右に回りながらかわし、その方向に居た二人を斬り、二撃を流しながら左へ。

 頭上を掠める刃、突き刺す感触、倒れる敵、また振りかざす刀…

 死体は積み重なる。この手が、それを。

 いつしか、そこに生ける者は誰も居なくなった。

 死したる者のみの、故郷――

 ――俺が殺していたのか。

 足元に広がる赤。

 その源。

 ――俺が。

 母親の、裂けた胸元に、桜が舞い降りる。

 薄紅は、濃く、紅く、染まる――

「っ――!!」

 恐怖に醒まされた理性が、これ以上の夢見を許さなかった。

 闇の中で上がった息をつく。冷たい汗が背中を流れている。

 頭まで被った布団はそのままだった。

 その中で身体を丸めて足を抱え込み、出来るだけ全身を小さくする様に。

 何かから隠れたいのだろうか。何かから身を守りたいのだろうか。

 或いは、あの時以前の小さかった頃に帰りたいのだろうか。

 自分でも分からなかった。ただ、いつもこうする。

 いつも見る、あの悪夢から覚めたら。

 ――夢じゃない。

 現実だ。あの光景。あの時の罪。

 もう見たくない。振り返りたくない。なのに、また。

 ――もう、誰も――

 ぱちん、と鋭く大きな音がした。

 驚きで思考は止まり、しばらくして暖炉の火が爆ぜる音と気付く。

 そっと布団をめくり上げ、僅かな隙間から部屋の様子を伺う。

 ぼうっと蒼い薄闇の中、暖炉の火に照らされて、千虎が立って炭を掻いている。

 早朝の冷たい空気。久しぶりに息をした気分になった。

 苴に行けば、もうあの夢を見ないで済むだろうか。

 この安らかな空気にずっと浸っていられたら。

 もう刃を手にしなくていいと言われたら――


 はっと目覚める。外はもう明るい。千虎の姿も消え、暖炉には灰ばかりが残っている。

 二度寝のおかげで目はすっきりと冴えた。丸めていた四肢を伸ばすと、腕で目の上を覆う。

 ――馬鹿な事、考えてたな。

 苴に行くだと?逃げられる訳が無い。

 俺は、戦場から外に出る事なんて、出来ないのに――

 一つ息をついて、弾みをつけて起き上がる。

 隣の飾り机に、昨夜没収された武器が置かれていた。

 わざとだろうか。あの将軍がそんな不用心な事をする筈は無いから、恐らくわざと置いて行ったのだろう。

 だが朔夜はそれを再び手にする気にはなれなかった。

 どうせもう割れた手口だ。そんな道具を再び使う気にはなれない。

 それだけの下らない理由。

 本心など知らぬ振りで、そう理由付ける方が楽だった。

 部屋を出、この時間でも薄暗い城を歩き、あの大扉から外に出る。

 陽は既に高い。昼飯の支度をしているのだろう、天幕の間から煙が上がっている。

 眩しさに慣れず、目を覆ってしばらく立ち尽くしていると、これから探そうとしていた人物の声がした。

「ちょっと!何やってんのよ!!」

 尤も探そうと思ったのは所在無いからというだけで、特に用があった訳では無い。

 だから声を聞いた途端、やっぱり会わない方が良かったと強烈に後悔していた。

「しかも…寝起き!?彼の部屋で!?本当に寝るなんて信じられない!!」

「そんな語弊を招く台詞を大声で叫ぶなよ…」

 げんなりと抗議すると、心外にも驚かれた。

「え、違うの?」

「……阿呆か」

 たたっ斬ってやりたいが生憎今は何も持っていない。

 於兎はこちらに近付いて来ていたが、朔夜は手でそれを制して階段を降りた。あまりにこの場所は目立ち過ぎる。

 人影の無い方を選んで歩きながら、二人は声を低くして話した。

「て言うかね、呑気に寝てる事自体がおかしいでしょ。驚いたわよ、今朝一番で彼のまだ元気な姿を見る事になるなんて」

「誰も着いて早々やるとは言ってないだろ。こっちにはこっちの段取りがあるんだっての」

「段取り?昨日あれから何があったか知らないけど、あれ以上の好機があるとは思えないわ。素人意見で申し訳ないけど」

 確かに朔夜とて、本当ならあの瞬間仕留めていた筈なので、この点なんとも痛い。

 が、二度も失敗した上に武器を全て取り上げられたと言えばどんな非難を受けるか…大体想像はつくので黙っておく。

「もっと相手を信用させて、油断させてから、ってのが常套手段なんだよ」

「ふぅん、面倒なのね」

 言い訳として相当苦しい。

 が、於兎は少し考え、期待以上に納得した仕草を見せた。

「だからかぁ。今朝将軍があんな事言ったのは、あなたが仕組んだのね?」

「へ?」

 何も仕組んだ覚えは無いので、当然何の事かさっぱり分からない。

 構わず於兎は喋り続けた。

「あの将軍、朝一番で私の所へ来て、『あなたの弟君を小姓に貰い受けたい』って。それで何も無いと思う方が無理よね。ま、信用させてグサリっていうのには調度良いんでしょうけど」

「………」

「何、すごい顔」

 げんなりと言うか顔面蒼白と言うかドン引きと言うか、とにかく形容し難い顔になっている。

 全くそんなつもりは無かった。無いどころが予想外、それも昨日の今の時点で思い描いていた予想の百八十度正反対の展開になっている。

 千虎は本気で俺を苴に連れて帰るつもりだ。

 半分は夢物語で聞いていた話が一気に現実味を増した。

「ちょ…」

 ふらりと踵を返す。なんだか目が回ってきた。

「大丈夫?顔色最悪…」

 心配する於兎を置いてふらふらと歩き出す。

「将軍に会ってくる…」

 何にせよ、『小姓』なんて地位は絶対に阻止せねばならない。

 居心地悪くて仕方が無い。ただでさえ変な目で見られているのに。


 尋ね回って漸く辿り着いた天幕の前で、朔夜は中に入るべきか逡巡していた。

 扉にぴたりと顔を当てて聞き耳を立てている。とりあえず中の様子を窺ってから入ろうとしたのだ。

 漏れ聞こえる少ない情報から察するに、どうやら軍議をしているようだ。どうも間が悪い。

 出直そうかと踵を返した時、天幕の扉が開いて、後ろからむずと襟首を掴まれた。

「ここで何をしている」

 掴む力が異常に強い。痣になりそうだ。

「いっ…ただの人探しだよっ…!」

 痛みに顔をしかめながら答える。手を離させようと両手で手首を掴んで抵抗してみるが効果は無い。

「白昼堂々動き回るとは大胆な鼠だ」

「ちがっ…そんなのじゃなっ…!」

 益々込められる力に語尾が悲鳴じみる。

 血管が切れそうになった時、後ろから探し求めていた声がした。

「悪い悪い、そりゃ俺の小姓だ。放してやってくれ」

 やっと力が緩んだ。ほっと一息したのも束の間、後ろから膝を折られた。

 後ろで刀を抜く音がした。次いで、首の横に刃の気配。

「おい…何する」

 千虎の声が焦っている。

「お前の何だろうが怪しい者は処断する。当然だ」

「怪しくなどない!ただの旅芸人の子供だ!お前は祖国の子供を手に掛けるつもりか!」

 すっと刃が引かれた。

 朔夜は止めていた息を吐きながら、へたりとそこに座り込む。

 千虎が回り込んできて顔を伺った。

「大丈夫か」

 朔夜は力無くへらっと笑う。

「すげぇ馬鹿力なオッサンだな」

 将軍は苦笑して、その男を見上げた。

「副将の孟柤(モウソ)だ。孟柤、この子は朔夜という。俺を探しに来ただけだ、他意は無い」

「どうだかな」

 朔夜は振り返って男の姿を見ようとしたが、首が痛くて回らない。身体ごと向いて漸くその姿を見た。

 大男だった。顎から針の様な髭が生え、意地悪く見下ろす目は鋭い。

 一方、こちらも初めて少年の顔を見た孟柤は、まず鼻で笑った。

「堕ちる所まで堕ちたか、千虎」

「何?」

「早く国に帰って餓鬼と戯れたいが為に、和睦などと言い出したのだろう?苴随一の将が聞いて呆れるわ」

「はぁ!?」

 声を上げたのは朔夜の方で、当の千虎は涼しい顔をしている。

「なかなかの別嬪さんだろう?乞われてもくれてやらんからな」

「はあぁ!?」

 今度は千虎に向かって声を上げる朔夜。

「…話にならん。餓鬼に骨を抜かれた男に用は無い」

「いや、だからっ…!」

「満身筋肉の御仁に言われたくはないな。ま、何にせよ、これ以上戦を長引かせる利点は無い。和睦の使者は出す。これは決定だ」

「…勝手にしろ」

 孟柤は去りながら、低く告げた。

「繍は和睦になど応じんぞ」

「…そうかもな」

 立ち去る背を見送りながら、朔夜は低く告げた。

「俺もオッサンと同意見だ。繍は和睦なんざ耳を貸さない」

 千虎は、彼に似合わぬ弱々しさで頷いた。

「まあ…やるだけやってみるさ」

 ちらと横目に将軍を窺い見る。

 和睦が破綻したら?その時は、戦だ。

 そうなれば勝つのは恐らく苴だろう。

 俺がこちら側に居る限り。

「…何で小姓かなぁ」

「え?」

 唐突に口を尖らせる朔夜に、千虎は虚を突かれた。

「あのオッサンと言い、変な誤解を与えるだけじゃねぇか。他に何か無いのかよ?」

「良いだろ、誤解でも何でも与えておけば。俺は気にせん」

「俺が気になる!って言うか無理!断固拒否する!」

「…そうかぁ…仕方ないな」

 今や千虎は朔夜と並んで地べたに座り込んでいる。天幕の中の将たちや、通りがかる兵の視線を集めているが、一向に気にしない。

「じゃあ…俺の子供ってのはどうだ?」

 今度は朔夜が虚を突かれる番だった。

「え?」

「養子さ。これなら文句無いだろ?」

「……」

 鐘を鳴らす甲高い音が陣中に響き渡った。そこらに居た兵達がぞろぞろと一方に向かって動き出す。

 千虎も立ち上がり、朔夜に手を差し出した。

「飯が出来た合図さ。行こう」

 少年はしばし、その大きな手をじっと見て。

 繋がれた手。力強く、ぐっと引かれた。


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