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月の蘇る  作者: 蜻蛉
第五話 脱出
44/50

3

 北の町から娃壬に帰る道中の事だった。

 郷と郷の間、山を越えている時のこと。

 もう夕暮れに近い時間帯だった。

 早く里に下りねば野宿となる。

 その上、空模様は日中から怪しく、また黒雲が大粒の雫を垂れようとしていた。

 ぬかるんだ山道を急ぐ。

 横を見れば草木が繁り、一足早く夕闇を齎している。

 その闇の中に、有り得ない光を見た。

 それはひどくぼんやりとしたものであったが、確かに光だった。

 急ぎの道中では見過ごしても良い些細な事ではあった。

 だが、何故かその光から目が離せなくなった。

 得体の知れぬものを見ると、その正体を探りたくなるのは人の性だろう。

 茂みの中に足を踏み入れる。ほんの少し、近付いて見るつもりで。

 どうせ木々の艶やかな葉が、西日に反射しただけのものだろうと、頭ではそう考えていた。

 それを確かめるだけの軽い気持ちだったのだが。

 木の葉などではなかった。

 近くで見て判ったのは、それが何かの毛のようだということ。

 獣の毛にしては不自然な位置にある。それは一本の木に凭れかかるように、割りと低い位置に浮いていた。

 いよいよ訳が解らなくなった。

 山の闇は更に濃く深く迫る。

 ここまで来たら正体不明のまま去るのも癪だ。

 下草を踏んで更に近寄った。

 最初は銀の刺繍糸が絡まって木に引っ掛かっているのかと思った。

 どの道こんな所にあるのは不可解だ。

 更に近寄り目を凝らす。

 と、そこに人の白い手足を見て、度肝を抜かれた。

 何の事は無い、銀の長い髪が垂れて、その顔も肩も隠していただけだ。

 それが人間、それもまだ子供だと解り、やっと溜飲が下りた。

 銀髪が西日を反射して、光って見えたのだ。

 今やその光も失われた。

 黒雲が空を覆い、雨が落ちてきた。

 困るのはここからだった。

 これが人だと判った以上、ここに打ち捨てて去る訳にもいかない。

 そもそも人通りの少ない山道、それもこんな雨の日の夜に、また誰か通るとは思えず。

 恐る恐る、その腕に触れる。

 日中の激しい雨が体温をあらかた奪っていたが、脈は動いていた。

 生きているのなら、ますます置いてはおけない。

 背負おうとして、ふと銀髪を掻き分け、顔を確認した。

 眠る顔は蒼白く、痩せた頬は子供らしさを失っていたが、よく整った美しい顔立ちだった。お陰で知りたかった男女の別を窺わせない。

 この際致し方ないと、行商の荷の上に無造作に背負う。

 雨に打たれながら、里へと長い道のりを歩いた。


 土砂降りの中、宿に飛び込むと、女将に白い眼で見られた。

 物騒な世の中のことだ。人拐いも子供の売買もままある話で、この国にはそれを取り締まる機関も無い。

 自分はその類いではないとまずあたふたと釈明して、ありのままの事情を話すと、胡散臭そうな顔をしながらも一応は信じられたと言ったところだ。

 国境沿いの田舎では、口減らしに子供を棄てる事も少なくはない。

 そんな子供の一人だろうと、女将も自分も考えていた。

 腹を減らして行き倒れたところを、偶々通りがかったのだと。

 ただ、女将には言わなかったが、それには一つ違和感があった。

 抱き上げた時、何か硬質なものが背に当たると思って見ると、衣に刀が掛かっていた。

 刀とは言え、子供の丈に合うような短刀なので護身用とも思えたが、それが左右二振りもあるのだから穏やかな身なりではない。

 怪しみながらも女将に案内され、湯屋でずぶ濡れの衣を引き剥がした。

 その時まで判然としなかったが、男児だと判ってほっとした。またあらぬ嫌疑をかけられずに済む。

 ついでに共に湯で温まれば、氷のようだった体温が少し戻ってきた。

 浴衣を羽織って湯屋を出る。ずぶ濡れの二人分の着物は女将が干してくれていた。

 短刀は外して行商の箱にしまってある。

 部屋に向かおうとして、女将に言われた。

「お前さん、その子どうするつもりだい」

 その点、何も考えてなかった。

 苦笑いして返す。

「目覚めたらここで働かせてやってくれよ」

「そんな余裕は無いよ。現にあたしがこうして何もかもやらなきゃかつかつでね」

 民が旅をして回れるほど、この国には余裕など無かった。

 誰もが貧しさと戦っている。故に、こんな子供が現れ、人知れず命を落としてゆく。

 女将はにべも無く言った。

「売っちまいなよ。この先の色街にでもさ」

「はぁ?男の子だぞ」

「関係無いよ。その器量ならさ。喜ばれると思うがね」

 全く閉口した。女将に、ではない。

 そんな考えが罷り通るこの世の常軌に、だろうか。

「山ではした金でも拾ったと思えば良いさ」

「売らんよ」

 女将は目を丸くしていた。

 その視線を避けるように部屋に籠り、翌朝早くには故郷に向けて出発した。

 その、正体不明の子供を背負って。


 二日後には娃壬に着いた。まだ子供は気を失ったままだった。

 村はずれの簡素な丸太小屋。それが帰る家。

 本当のことを言えば、娃壬は生まれ故郷ではない。

 どこで生まれたのかは知らない。物心ついた時にはもう、行商人に連れられて旅をしていた。

 実の親が食い詰めて、棄てるか殺すかというところを、その行商人が助けたという。それは随分長じてから聞いた話だ。

 その親代わりの行商人が病に倒れ、いけなくなった時に、虫の息で告白した。

 その場所がこの小屋だ。

 彼は多くを語らなかったが、娃壬が彼にとって特別の場所であることは何となく察していた。

 だから帰るのだが、村人たちは歓迎する訳でもない。

 むしろ疎んでいる。先代の頃から。

 元々、旅の身など信用が置けないのだろう。そういう閉鎖的な所だ。この村だけではなく、国全体が。

 お陰でこの小屋はほぼ山の中、村八分と言っても良い場所に立っている。

 数ヵ月分の埃をざっとはたいて、子供を寝かせ、自身もやっと落ち着く。

 同時にどこから聞き付けたのか、村の子供たちが戸口に顔を覗かせた。

 おう、と一言応じて箱を手に式台へ座り込む。同時に子供たちが群がる。

 目当ては、村では手に入らない菓子や玩具。

 それらを出してやれば、無邪気な笑顔がほころぶ。

 子供達の為にこの村に帰って来ると言っても過言ではない。

 大人達の反応は、こんなに有難いものではないから。

 この時もそうだ。

 子供を探しに来た保護者が、自分の子供の喜ぶ様を一目見るなり嫌な顔をして近寄って来た。

「また黙ってこんな所に来て!早く帰んな!」

 一喝されて子供達は、戦利品を手にそれぞれ散る。

 親は小屋の中をいかにも薄汚いと言った眼で見、奥に寝かされた子に顔の険を鋭くした。

「また性懲りも無くあんなもの拾ってきたのか」

 また、とは自分が拾われた時の事だとすぐに判った。

「何が悪い?あんた達に迷惑はかけてないだろう」

 言い返すと、鼻で笑われた。

「居る事自体が迷惑だ」

 言葉に詰まった顔に小銭を投げつけられ、その親は去っていった。

 額が軽く切れて血が滲む。

 溜息混じりに凶器となった小銭を拾った。

 ふと、視線を感じて顔を上げる。

 子供がじっと、己の行動を見ていた。

「なんだ、起きてたのか」

 無事目覚めた安堵より、まずいところを見られたという意識が先立った。

 子供は無言のまま起き上がり、着ているものに目を落とした。

「お前のものはそこに置いてある」

 言って、蒲団の脇を指すと、さっとそれらを取り上げて点検しだした。

 上衣と短刀二振。

 刀を鞘から出す。慣れた手付き。研ぎ澄まされた鋼の光沢。

「お前…何者なんだ?」

 自然に口をついた問いに返ってきたのは、その刃の様に鋭い眼だった。

 思わず息を飲む。

 ただの子供ではない。

 それ以上は訊けなかった。

 刀を元通りに装着し、衣を羽織り、帯を締めて。

 すっと立ち上がり、扉に向かうので、慌てて言った。

「おい…まだ出て行くには早いだろう!?また行き倒れるぞ!?」

 ちらりと、視線をくれる。

「せめて何か食って行け。何を急いでいるか知らないが、そのくらいの時間はあるだろう?」

「…いや、無い」

 意外にも返ってきた返答に、次言うべき言葉を詰まらせた。

 代わりに、彼は言った。

「時間が無いのはあんただ。命が惜しいなら今すぐここから逃げろ。但し道は通るな、山を抜けろ」

「何を言って…」

「俺を狙って軍がここを包囲している」

 扉の影から外を睨みながら、その子供は言った。

「俺はそれ程の大罪人だ。匿ったあんたも同罪にされるかも知れない。ま、運良く生きて捕まればの話だがな。奴ら、あんたもまとめて消すつもりだろうから」

「…冗談だろ…」

 本当に悪い子供の冗談だと思った。

 だが子供離れした鋭い目付きは冗談を言っているとは思えない。

 ならば精神が異常を来しているのかとも思った。あんな場所に倒れていた上に何日も眠っていたのだから、あながち無い話でもない。

 そんな己の疑いを打ち砕くかのように、冷徹に彼は言った。

「試してみるか?」

「試すって…」

「必要な物は持って出ろよ。もうここには戻れない」

 必要な物は行商の道具箱の中に全て入っている。

 あとの持ち物は特に必要の無い家財道具。

 そしてこの身一つだけ。

 さしたる準備もせず、子供に言った。

「良いぞ。いつでも」

 半分は疑っている。何か良からぬ事は起きているのだろうが、それを大袈裟に言い立てているだけだと。

 だが、頷いたその少年が外に出た瞬間。

 ひゅっ、と音をたてて矢が飛んできた。

 脇をすり抜けて家の壁に突き刺さる。

 余りの事に声も出なかった。

「そこに居ろ!」

 少年は駆け始めながら言い置いて、更に飛んでくる矢を避けながら藪に飛び込んだ。

 悲鳴。子供のものではない。大の男の声だ。

 不意にそれが止んだ。

 それが何を意味するか思い当たり、彼の言う事に嘘は無かったとじわじわと実感した。後悔も含めて。

 その間にも、悲鳴と、嫌に生々しい何かの音――それが何かは考えたくなかった。

 そして矢が空を切る音。

 壁に突き刺さり、ぱちりと爆ぜる――

「火矢だ!」

 少年が叫んだ。

 はっと振り向く。小屋の壁が所々黒く焦げてゆく。

 思考が凍り付いた。

 このままでは焼け死ぬ。だが、外に出れば殺される。

 息を飲んで、その範囲を広げる炎を見詰めるより無かった。

 不意に、小さな人影が目の前に飛び込んで来た。

「付いて来い!」

 少年が腕を掴んで引っ張る。なされるがままに、小屋から出、矢の飛び交う中を走り出した。

「走れ!」

 身体は小さいのに、その速度に付いて行けない。足が縺れる。

 藪を目の前にして転けた。

 矢が、目前に飛んでくる。

 覚悟して、目をきつく閉じた。

 突き刺さる、その音だけを感じた。

 痛みは無い。

 恐る恐る目を開ける。

 目前に、矢尻があった。

 その向こうに、血に濡れた掌が。

 矢の貫いた掌からどくどくと。

「…おい!?」

 咄嗟に手を出したのだ。

 今日初めて見知った人間を守る為に、その小さな掌で。

「早く行け!」

 痛みを吐き出す様な剣幕で怒鳴られ、必死で起き上がり、藪の中に飛び込んだ。

 続いて少年も飛び込んできた。

 茂みに守られ、矢は届かない。

「大丈夫か…!?」

 どう考えても、大丈夫な事態ではない。

 少年は眉根に皺を寄せて、逆の手に小刀を握ったまま、矢を通す手を差し出した。

「貫通してる根元を持っておいてくれ。動かないように」

 言われるがまま、手の甲から生えている矢を握る。

「抜くのか?」

「いや、抜くな。血が出過ぎて死んじまう」

 ぎょっとして手を離しかけたところ、持っておけと怒られた。

「…動かすなよ?」

 言って、一つ深く息をついて。

 さっともう一方の手の小刀を振り上げた。

 矢を持つ手の側から、それが落とされる。

 必死に握っていたが、流石に全く動かさずとはならなかった。

 お陰で傷口が抉られ、呻き声を喉で潰す声がした。

「す…すまん」

 緩く首を振る。その顔から脂汗が落ちる。

「大丈夫だ…。これで動き易くなった」

「何だと?」

 こちらが耳を疑っている間に、少年は素早く背後を伺い見る。

 一瞬の事だった。

 とどめを刺そうと近寄っていた三、四人の敵を、片手で――否、片手だけでない何かで仕留めていた。

 見慣れた光景が、火と、血の海で染まる。

「…お前」

「逃げろ」

 顔も上げず彼は言った。

「俺から逃げろ。あんたまで殺してしまう」

「そんな馬鹿な…」

 思わぬ光景に言葉は途切れた。

 村が、炎に包まれていた。

「…村が!」

 駆け寄ろうとして。

 腕を掴まれた。

「放っておけ!あんたにあんな奴ら助ける義理は無いだろ!死ぬぞ!!」

 今更。

 小銭を叩きつけられた額の痛みが戻ってきた。

「…それでも、俺の村なんだ。故郷なんだ、ここが」

 振りきって進めようとした足。

 しかし、前以上に強く掴む手に止まらざるを得なかった。

「俺が助ける」

 その眼は、どこか別の場所を見ているような。

「俺のせいだから。俺は…悪魔なんだ」

 その意味する所は判った。噂で聞く、その張本人だと――先刻の人間離れした攻撃を見ていたから、すとんと納得した。

 そうでなければ、信じられなどしない。

「…あんたは逃げてくれ。他の村に着くまで、人に会わないように…悪魔の仲間だと思われてるから」

「それは…迷惑な話だな」

「ごめん」

 笑えない冗談を、真っ正面から謝られた。

「ありがとう。助けてくれて」

 言うなり、炎に向けて走り出した。

 小さな背中は黒煙の中に消えた。


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