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月の蘇る  作者: 蜻蛉
第五話 脱出
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2

 遅い雪が、散った花を柔らかく覆う。

 それは、燃え尽きた灰にも、燃える事すら許されなかった戦の残骸にも、同等に。

 そして、かつて人であった、彼らの上にも。

 燕雷は、皓照に頼まれ探していた人物を、やっとの思いで見つけた。

 銀糸を持つ男。間違いない。

 皓照はその息子の行方を追っている。故に燕雷が彼を探し、保護する役目を負った。

 しかし、その最大の特徴である煌めく銀糸も、白と同化して。

 彼は、降り積もる雪を総身に被って、雪以上に白い彼女を抱えていた。

 暫く、雪に埋もれゆく一対の魂を、言葉も無く見詰める。

 容易に近付くことなど出来なかった。

 痛いほどの沈黙が、その悲しみを、絶望を、見る者に突き付ける。

 それとも、これは己一人に、『あの時』を思い起こさせ、突き付ける為の光景だろうか。

 この無言のうちにあるものが、燕雷には解る。

 声無き叫びを震えながら聴いていた。

 降り積もる雪よりも凍てついた、心臓の温度。

「なぁ」

 どれくらいそうしていたか、果てに意を決して燕雷が呼び掛けた。

「もう少し…温い所へ来ないか?」

 間の抜けた呼び掛けだが、それ以上の事は言えなかった。

 ただただ、寒かった。

 男は何も応えず、少しだけ頭を起こして遠方に目をやった。

 亡骸から視線を外させたものが何であるか――燕雷はすぐには判らなかった。

 降りしきる雪の向こうから。

 やっと、人影を三つ、確認した。

 それが有難くはないものだという事は、すぐに判った。

 向こうから大声で、「そこを動くな」と怒鳴られ、抜き身の刀をこれ見よがしに手にして寄ってくる。

 二人とも言葉通りにその場を離れなかった。

 燕雷からすれば、尋ね人が動かなかったので、面倒に巻き込まれるなと思いながらも動けなかった。一人逃げても意味が無い。

 どうやら繍の兵らしい。十分な間合いまで近寄ると、薄笑いで二人を眺め回して言った。

「痛い目見たくないなら、大人しく付いて来い」

 燕雷は顔に不満を塗りたくって返した。

「そそっかしい奴等だな。あんたら梁巴の残党狩りをしてるんだろうが、俺達は生憎、余所者だ」

「嘘をつけ。どうして余所者がこんな所に居る」

「どうしてもこうしても、居るんだよ。事情を話してやる義理も無いしな、大人しく連行されて奴隷になる気も無い」

 それを聞いて兵の一人が刀の切っ先を燕雷に突き付けてきた。

「これでもそんな事が言えるのか?あ?」

 燕雷は迷惑そうな顔でその兵を見やる。

 そんな彼の胸中など知らず、別の兵が二人に告げた。

「金目の物を全部置いて行くなら見逃してやらんでもないが。あと、その女は腐る前に処分してやる。寄越せ」

 強引に男の手から亡骸を奪おうとした兵が、悲鳴を上げた。

 肘から下が無くなったその傷口から、雪を染める血が迸っている。

 誰が何をしたのか、それすら誰もが理解しあぐねた。

「…腐ってるのは貴様らだろう」

 漸く、男が口を開いた。

 聞いただけで震えの来るような、凄まじい怒りを滲ませた声だった。

「死者すら弄び冒涜するような奴等に、渡せるものなど無い」

 兵達は後ずさった。

 そして、走って逃げ去る、その前に。

 彼らを刃が追った。それは一瞬にして三人を仕留め、雪原にまた元の静寂を戻した。

 白が赤を吸い、その景色のみが一変していた。

「…俺は“力を持つ者”の父親を迎えに行けと言われて来たつもりだったが」

 燕雷は顔を強張らせて笑いながら、男に言った。

 今見たものは、皓照のそれに近い。

「ああ。間違いない」

 言葉少なに男は答え、血を拭った刀を収めた。

 そして、相手の疑惑にさも今気付いたかのように軽く眉を上げ、説明した。

「俺は居合を使う。刀が見えなかったのも無理は無いが、れっきとした剣術だ。化物の業じゃない」

「…化物か」

 何を指しているのか、燕雷には察して余りある。苦い顔で返した。

「迎えに来たと言ったな」

 男の言に燕雷は顔を上げ、己が何故この場に居るかまだ何も告げていない事にやっと気付いた。

「ああ。俺は燕雷という。俺の仲間があんたを助けたと聞いた。酷い怪我をしていたらしいな」

 鋭い双眸だけが返される。その件には触れられたくないとばかりに。

 先程の剣技を見ているので、ここはあまり刺激しないことにした。

「今あいつはあんたの子供の行方を探索している。どうも敵に連れ去られたらしいが、それが繍なのか苴なのか判らん」

 ここで燕雷は相手の反応を待ったが、冷え冷えとした碧の眼は何ら動じる事は無かった。

 それどころか。

「…それで?それが俺と何の関わりがある?」

 あまりに意外な返しに、燕雷は言葉を失った。

 その間に、男は元の通り、亡骸を慎重に腕の中に収めた。

「もう終わったんだ。何もかも」

 その一言を最後に男は口を閉ざした。

 また、その背中に、新たな雪が降り積もる。

「お前、雪だるまにでもなりたいのかよ。勝手にしろと言いたいところだがな、残念ながらまだ何も終わってねぇんだよ!あんたはまだ生きてるんだからな!」

 雪だけが、この動きを失った世界で。

「あんたの子供もまだ生きてるんだよ!勝手に何もかも終わらすな!現実を見ろよ!あんたがここで生きながら死ぬ事、その人は望むか!?」

 正面に回り込んで、その前に仁王立ちになって怒鳴った。

「この人、あんたの奥さんだろ。この人が出来なかった事、あんたが果たす義務があるんじゃないのか。いつまでもここで固まっていても、彼女は喜ばないんじゃないか!?」

 やっと、伏せられていた視線が浮いた。

 ほっと、燕雷は息をついた。

「…行こう。彼女も連れて行くと良い。良い所で眠らせてやろう。じきにここは容易に入れる場所じゃなくなる」

 繍苴の睨み合いの現場になるか、繍の支配下で死の町となるか。

 どの道、梁巴の民には半永久的に帰る事の叶わぬ故郷となる。

 葬るなら、いつでも逢える場所が良い。燕雷はそう思う。

 生ける者の、せめてもの慰みとして。

 ゆっくりと、男は妻の骸を抱いて、立ち上がった。

「どこに連れて行く気だ」

 燕雷は頼もしく笑みを浮かべて応じた。

「麓の苴領に俺達の所有地がある。なに、苴は庭みたいなものだからな、いくらでも寛げるぞ?あんたもゆっくり休むと良い。蘇生したとは言え療養は必要だ」

 燕雷自身そうだった。傷口は治っても、完治した訳ではない。いつ開くとも判らぬ傷だ。

 何より、精神的な傷口は、まだ血を吹き続けている。

 治ることはない。だが、休養で少しは和らぐ事もある。

「休む気にはならん。今俺に必要なのは、この馬鹿げた戦を起こした奴等の首だ」

「まぁ…それはおいおいにな」

 自分達と行動を共にするなら、それが叶う日も来るかも知れない。

 だが出来る事なら、その日を見たくはないと、燕雷は思った。

 復讐の虚しさは、この身がよく知っている。

「でなければ酒だ。酒が欲しい。何もかも忘れたい」

 燕雷は片眉を上げて男を見やる。

「止めるなよ」

 正面から見据えて釘を刺された。

「止めないよ。ある程度までは」

 笑みさえ浮かべて燕雷は言った。

 自棄酒を所望する程には、現実を受け入れる気になってきたのだ。あのまま凍死すら選び兼ねなかった人間が。

「俺も付き合ってやるから」

「それは余計な世話だ」

 軽く笑って、燕雷は訊いた。

「お前、名は?」

 憮然としたままだが、男は答えた。

「燈陰」

 雪原に二列の足跡が刻まれていった。



 目的の村に着いたのは夜明け前の事だった。

 紺から紫に染まる空で、朝の訪れを知る。

 村の境界線と思われる場所に、兵は居なかった。時間帯のせいかも知れない。

 この程度の警備ならば、軍部にとって既にこの場所はさほど重要ではなくなっているのだろう。

 知りたいのは、何故そこまで重要視していたのか、だ。

 緩い傾斜の山を越えれば、麓に黒々とした痕が見えた。

「全部炭と灰になった、って事か」

 異臭に鼻を覆いながら燕雷が言った。

「誰の仕業かなんて証拠はもう無いだろうな」

 乗り気のせぬ燈陰は、手綱を抑え気味に仕方なく付いて来る。

「それは近くで見ないと分からないって…」

 言ってはみるが、燕雷にも自信は無かった。

 何を持って朔夜の無実を証明すれば良いのか、正直なところ見当が付かない。

「もう良い燕雷。時間の無駄だ」

 目的の場所を目前にして諦めている燈陰を一睨みして、燕雷は村に足を踏み入れた。

 先程から鼻を突く異臭は、ただ家々が燃えただけのものではないだろう。

「屍体があればはっきりするんだが」

 そこに斬られた形跡さえ無ければ、朔夜のせいとは言えなくなる。

 だが、屍体自体見当たらない。

「めでたい野郎だな。何の為に軍が居たと思ってんだ」

 燈陰の毒舌に、燕雷は鋭い眼で振り向いた。

「証拠隠滅してたって言うのか?何の証拠を?」

「結論を先走るな。軍はただ火災の処理をしただけって事もあり得るんだ。屍を何日も転がしておく訳にはいかんだろう」

「お前、どっちの味方なんだよ?」

「俺はただ客観的に意見を述べているだけだ」

 全く他人事の燈陰に一つ溜め息を吐き、改めてこの惨状を見回す。

 気の滅入る光景だ。

「…お前の言う通り、これは時間の無駄だったかもな」

 諦めを虚しい言葉にして、燕雷は踵を返した。

「行こう。朔が今どこに居るか判らんが、せめて華耶ちゃんは助けなきゃならない」

 燈陰は横目に彼を見ただけで、特に何も返さなかった。

 燕雷もそれきり口を閉ざして騎乗し、駒をこの煤けた場所から離した。

 北から来た道を通らず、東への街道を選んで二人は駆けた。

 黙々と馬を追いながら、考えを巡らせる。

 ただの火事ではない――それは確かだ。

 何故軍部が出てきて、何を隠す為に周囲を見張っていたのか。

 月夜の悪魔の仕業という噂。事実か否か。

 何故全て燃え尽き、何も残っていないのか――

「少なくとも、朔は村を燃やす事は出来ない」

 ふいに後ろを駆ける燈陰が言った。

「奴は人を斬れても燃やす事はしないからな。何より、あれは…梁巴と同じだ」

 燃え尽きた故郷。

 燕雷ははっとした。

「あの光景、あいつには耐えられまい」

「燈陰…」

 冷えきった表情、その眼の奥に、怒りが燃えている。

 この国は、何度でもこの愚行を繰り返す。

 燃やされた人間など、見えていないのだ。

 不都合な存在は人間として扱われぬのだ。

 そうやって梁巴の民は、何度も殺される。その魂まで。

「あれは…」

 前方から、何者か近寄ってくる。

 刀に手を掛けた燈陰を手で制し、燕雷は目を凝らして言った。

「敵じゃなさそうだ」

 軍服は着ていない。民間人だろう。

「何か知っているかも知れない」

 話をしに行く燕雷を、燈陰は疑わしげに見送った。

 一方で、通りがかった人物も、相当に訝しい顔で彼を迎えた。

「なぁ、この先の村で何があったか知らないか?」

 燕雷が問う。商人風の男はすぐには答えず、探るように彼を観察している。

 やっぱり、と言わんばかりに燈陰は遠巻きに眺めている。

「あんたら、あの悪魔の仲間か」

 ああ、と条件反射で頷きかけて、思わずえっ、と声をあげた。

 何故知っている、とも問えない。

「やっぱり奴の仕業なのか」

 後ろで燈陰が落ち着き払って問うた。

 男の目が、己に注がれているのに気付いたのだ。

 実際に朔夜を見た者ならば己がその縁者だと、すぐに判るだろう。よく似た顔付きと、珍しい銀髪が、嫌でもそれを物語る。

 燕雷もその事に思い当たって二人を交互に見やった。

「朔がやったって言うのか…!?」

 怒りすら孕んだ燕雷の問いかけに、燈陰は沈黙のみを返した。

 判りきった事だった。

 ただ、希望を持とうとしただけで。

「それは…全てがあれのした事じゃない」

 意外な否定に燕雷も燈陰も驚吃した。

「嵌められたんだ。悪魔も、俺達も」

「…どういう事だ…?」

 男は箪嬰(タンエイ)と名乗った。

 行商を生業としていると言う。娃壬は故郷で、今も旅の足を休める場所であり、村の人々に各地の産物を売る為にも足繁く帰っている。

「俺のせいで娃壬はああなったんだ…」

 街道の脇の、岩場に力無く座って、箪嬰は話始めた。



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