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月の蘇る  作者: 蜻蛉
第五話 脱出
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 町の人びとが集まる、小汚ない飲み屋で、妙な噂が聞こえてきた。

 店主と、数人の男が、酒のせいで大きくなった声で、その異変を唾飛ばしながら話していた。

「おぅよ、村が一つまるまる消えたってぇ噂よ」

 燈陰は連れの肩を叩いて注意を向けさせた。

 訝しげに彼を見返した燕雷の双眸は、その会話を聞いて軽く見開かれた。

「消えるとはどういう事だ?ぱっと無くなっちまったのか」

「さぁ、無くなったかどうかは判らねぇ。なんでも、そこの住人は皆居なくなったんだと」

「居なくなった?」

「俺の薬売りやってる知り合いがな、行ったんだよ、件の村に」

 別の男が割り込んできて、声を落として言った。

 元々そこに居た男達が寄って顔付き合わる。

「だが入らせて貰えなかったそうだ」

「誰かが足止めしたのか?」

「軍だよ」

「軍?そりゃあキナ臭い話だな」

「実際キナ臭かったそうだ」

「なんだって?」

「山一つ隔てた所からもう、焦げたような臭いがぷんぷんしてたんだと。鼻がおかしくなりそうだって言ってたな、あいつ」

「じゃあ何か、村一つ燃えちまったって言うのか?」

「まぁ田舎だし有り得ん話じゃないが…」

「でもただの火事なら軍は出んだろ」

 男達は口をつぐんだ。

 考えたくない、考えてはならない事態を各々想像して。

 一人がぼそりと呟いた。

「悪魔が出たか」

「止めろ、縁起でもねぇ」

 これ以上話しても良い事にはならない、そんな空気が流れ、誰かが話を変えようとした瞬間。

 燕雷は彼らの中に割り込んでいた。

「その場所、詳しく教えてくれ」

 見知らぬ青年に彼らは眉を吊り上げたが、あまり拘わり合いたくないのだろう、場所だけをさっさと告げた。

娃壬(アジン)という村だ。南西の山向こうにある。あとは誰かに訊いてくれ」

 男達は視線を交わすと、別の卓へと移動していった。燕雷が礼を返す間も与えず。

「ただの火事とは思ってないんだな、お前も」

 燈陰が後ろから問うた。

 燕雷は頷き、横に並んだ燈陰に言った。

「だからってあいつの仕業とは思ってない」

「俺は違う」

「は…?」

「朔が力を暴発させた、そう考える方が自然だろう」

 予想に違わず責める視線を受けながら、燈陰は安酒を煽った。

「お前…朔がそんな事すると思ってるのか」

「現に今まで何度もしてきた」

「それは…!国の命令があったから…!!」

「梁巴も命令か?」

 反論の言葉を途切れさせた燕雷を一瞥し、燈陰は店主に金を投げた。

 そのまま、店を出る。後から燕雷が追ってきた。

 あの中で月夜の悪魔について話は出来ない。

「梁巴は…特殊な事例だろう!?仕方がなかった!」

 燈陰の背を追いながら、燕雷は声を荒らげた。

「見た訳でも無い俺が言うのも何だが、あんたも朔も必死だった…故に起きた悲劇だ!だがこれは違う!朔が村を襲う理由が無い!!」

「…理由?」

 気怠く、燈陰が立ち止まって見返す。

「朔がこの憎い繍という国を襲う、理由なら有り余るほど有るだろう。尤も、元よりそんなものは必要無いがな」

「必要無い…!?」

「あいつがお前を殺そうとしたことに理由が有ると思ってるのか?」

 自我を失った朔夜の刃。

 それを受けた自身に理由など見当たらない。

 ただ、その場に居合わせた。それだけ。

「解ったか?故に悪魔だ。梁巴は、俺がそれを創りだしちまったから滅びた。それだけの事だ」

「責任は自分にあるって言うのかよ?」

 燈陰は答えず夜道を進んだ。

 あの力を利用しようなどと考えなければ。

 故郷の命運を全てあの小さな肩に負わせようなどと考えなければ。

 彼を、その力ではなく、自分の子供として考えていたら。

 『悪魔』を産み出したのは、自分だ。

「燈陰」

 燕雷が呼ぶ。その声が妙に離れている。

「道が違うだろう」

 振り返る。十間歩は離れた別れ道の真ん中で、燕雷は立ち止まっている。

「何を呆けてんだ。宿はこっちだぞ」

 燈陰は確実に宿のある市街へ向けて歩いている。

 燕雷が選んでいるのは、町から離れる道。

 南へと向かう方向。

「若い癖に、休む事しか頭に無いのか?寝る暇が有れば、息子の為に動いてやるのが父親ってもんだろ?」

「お前…まさか」

「確かめに行くんだよ、現場でさ」

 燈陰は呆れて道の向こうの男を見やった。

「そんな事して何になる?」

「何に?」

 今度は燕雷が呆れた。

「言ってやらなきゃ解らないのか?」

「悪いが、さっぱり解らない。俺達は一刻も早く華耶を救出してやらねばならない。寄り道する時間は無い筈だ」

「だから、宿で寝る暇を削って行くんだろうが」

「一晩で済む行程になるとは思えんが」

 痺れを切らした様子で、燕雷は燈陰に詰め寄ってきた。

「お前、それでも父親かよ!?」

「…その点微妙なのはお前もよく知ってるだろ」

「開き直ってんじゃねぇよ!あいつの事疑ったままで居れるのかよ!?万一本当に朔の仕業だとしたら、お前はあいつを止めなきゃならない!また何か起こる前に!」

 燈陰は冷めた目で燕雷を見下して、何も言う事は無いとばかりに踵を返した。

「燈陰!」

 呼ぶ声に怒気が混じる。

「…今更、疑うなって?」

 背を向けたまま、燈陰は静かに言った。

 その抑えた声の中に、やりきれない、怒りと虚しさが滲み出ていた。

「俺はずっとあいつを疑ってきたんだぞ?否…疑いどころか殆ど確信だ。こんな下衆な国の誰が死のうが、村が何個無くなろうが、そんな事どうでもいい。あいつが殺したのは…」

 二人にとって、たった一つの罪。

「あいつの、母親なんだ」

 鈍く、頭を打たれたような錯覚。

 既に聞いていた事なのに、改めて言われると――否、

 この男が、その一事のみにどれだけ執心していたか、今初めて知った気がした。

 繍が憎いのは朔夜以上に燈陰も同じなのだ。だが、それすら超えて、彼は妻を殺した存在を憎んでいる。

 それ以外のものが、何も目に入らなくなるほどに。

「朔夜は殺してなんかない」

 言わずには居れなかった。

 何の確証も無い。それでも。

「貴様に何が判る!?何を見たって言うんだ!?何の関係も無い、お前が!!」

 激昂する燈陰を驚いて見やる。

 ここまで怒鳴られるのは、初めてだ。

 それは、初めて、彼の心の深淵に触れた証だった。

 何に対しても顔色を変えない、この男の本心。

 我が子への疑いと憎しみ以外には何も無い、荒涼とした心。

「…お前」

 何か言ってやるべきだと口を開く、が、何も言えなかった。

 正直、理解出来ないからだ。

 自分には生かしてやる事すら出来なかった子供を、この男は憎んですらいる。

 燕雷にとっては、生きていてくれさえしたら、そうずっと願ってきたものを。

 同じ所に思考が行き着いたのだろう。

 燈陰の口は皮肉な形に歪んだ。

「お前は幸せだよな。妻子を奪ったのが、殺せる相手で」

 逆鱗に触れても良い台詞だった。

 しかし、ここまで言われて意味を理解しても尚、燕雷には苛立つ事すら出来なかった。

 事実でもあるからだ。

 復讐は叶った。それで、虚しさは拭えないものの、一応の気は済んだ。

 この男よりは。

「…分かった」

 不意に、燕雷は言った。

 燈陰の表情が、訝しげに変わる。

「このままじゃ、お前も、朔夜も、救われない。哀れな屑野郎なんざ見てられないからな。俺が証明する。朔の無実を」

「は…!?」

「俺だけで行こう。その、娃壬って村に。お前は華耶ちゃんを救ってやれよ、朔の為に」

「阿呆か…?行って何になる!?誰がやったかなんざ探れるとも思えない。それに…そこが朔の仕業じゃなかったからって、彼女を手にかけてないとは…言えないだろう…!?」

「だが希望は残るだろう?全てがあいつの仕業じゃない」

「……」

 唇を引き結んで、また背中を向けて、とぼとぼと歩きだして。

 その果てに出てきた呟き。

「勝手にしろ」

 燕雷は口角を上げた。

 まだ、縋る事の出来る希望があるなら、手を延べたいのだ。

 ならばその手を取り、可能ならば引き上げてやりたい。友として。

 早速と、踵を返そうとした燕雷を、燈陰は呼び止めた。

「呆け老人か、お前は」

 二度目の呆け発言に、流石に良い気のしない燕雷が言い返すのを遮って。

「馬は宿だろ。自分の足で行くなら止めないけどよ」

「…あ」

 全く失念していた。呆けと言われても仕方ない。

「手負いの呆け老人を一人歩きさせる気にはならんな」

 ぼそりと燈陰は言って、燕雷に歩調を会わせた。

「手負い?腹の傷なら良くなったぞ、お陰様で」

「完治はしてないだろ。お前は朔の様な自己治癒力は持ってないしな」

「やってみなきゃ判らんぞ?ただ俺は良識ある大人だから、腹を夜風に曝せなかっただけだ」

「お前がそれで治るなら、変人扱いされても良いし、腹痛で寝込んでも良い。俺には関係無いしな」

「酷いな」

 軽く笑って、遠くに目をやる。

「今ごろ…自分の事、責めてないと良いけどな、あいつ」

 しみじみとした燕雷の願いは、即座に実父に打ち落とされた。

「無理だろ。そもそも自責の念から俺達と離れたんだ」

「…まぁ、そうだけど」

「もう遭う事はないかも知れない」

 燕雷は眉を顰めて横を見た。

 確かに運が悪ければそういう事も起こり得る。

 たが、可能性の話として流して良い一言では無かった。

「それはお前が『逢わなくていい』って思ってる…そういう風に聞こえるぞ」

 燈陰は何も返さず黙々と前だけ見て歩む。

「…否定しろよ!」

 苛立ちも露に燕雷は噛み付いた。

 燈陰は、立ち止まった。

 呆れたような目で、連れの怒りを見やる。

「自分が出来なかったからって、他人に押し付けるなよ。あんたみたいに純粋に自分の子供だと思えたら、俺だってもっと情のある台詞を吐けている」

「それでも、言ってやる事は出来るだろ…!?」

「それが空虚だとあいつはずっと解ってたさ。それに、嘘をついてまでお前と付き合う気は無い」

 再び歩き出した背中を見ながら、その意を考え。

 長い付き合いの中で見落としていた、彼の素顔を、ふと垣間見る気がした。

「…それは、有難いね」

 誰も信じていないなんて事は無い。

 少なくとも、自分には本音だけで付き合ってくれていた。

 だからあんな言葉も出るのだ。信じているからこそ苦悩をぶつけてこられるのだ。

 息子共々に救いの無い過去と現在を生きながら、そこに偶々居合わせた自分に手を延ばそうとしている。

 燕雷にとっては、燈陰もまた、子供のように思えてきた。

 そして苦笑いした。歳は取り過ぎるものじゃない、と。

「おい、置いていくなよ!」

 立ち止まっている燕雷に構わず、燈陰はどんどん進む。

 走って追い掛けても、その速度を変える事は無く、しかし少しだけ振り向いた。

「勝手にお前が付いて来たり止まったりしてるんだろ」

「可愛げの無い奴…」

「そんなモノ俺に求めるな。気色悪い」

 ごもっともだが、もう少し口の利き方は無いのかと苦笑しか出てこない。

 馬を置いている宿に着く。

 燈陰が店主に今宵の宿泊の予定を切り上げる事を告げると、燕雷は方眉を上げて割って入った。

「お前は予定通り泊まれば良いだろ?俺だけ娃壬へ行くんだから」

 やれやれ、と言わんばかりの溜め息が降ってくる。

「言っただろ、聞こえなかったか?呆け老人に一人歩きさせる訳にはいかないって」

「…お前、もうちょっと素直に喋れよ」

 何にせよ、放っておけないのだ。

 燕雷の事も、朔夜の事も。

 結局二人で馬を連れて宿を出た。

 真夜中、南方へ向けて馬を駆る。

「地図では、朝方には着ける距離だ。それから東へ向かえば、都に入れる」

 予め宿で確認していた燕雷が告げた。

 燈陰は頷き、前方に広がる黒々とした山の稜線を睨んで問うた。

「朔より先に華耶の元へ行けるか?」

 燕雷は肩を竦める。

「さて…今あいつが何処に居るのか判ればねぇ」

「この寄り道で面合わせなきゃ良いけどな」

「うーん」

 唸っただけで否も応も言えなかった。

 燕雷は、再会出来るものなら会えれば良いと思う。

 ただ、それが件の村でなければ良いとも思う。

 都合が良過ぎる考えかも知れない。多分、現実は偶然の再会など無理に等しいだろう。

 向こうがこちらを避けているのだから。

 それでも。

「お前は?また逢う気があるんだろ?」

 この親子が、晴れ晴れと笑い合う様を見たいと、そう願ってしまったから。

 己が叶える事の出来なかった幸せを、この二人に見たい、と。

 だから、駆ける。

 他人事を、こうも必死になって。

「それを月が望むなら…な」

 燈陰はぽつりと、それだけ答えた。


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