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月の蘇る  作者: 蜻蛉
第四話 支配
41/50

9

 皓照は長い回廊の果てにある、一つの扉を目指して歩いていた。

 中庭に面したその回廊は、午後の日射しと庇による影でくっきりと二色に分かれていた。

 本来は真白の大理石が敷かれ、同じ素材の太い柱が数歩おきに並んでいる。中庭では噴水が虹を作っていた。

 ここは王宮だ。(セン)という国。苴の東隣に位置し、小国潅をこの二つの国が包んでいる形となっている。

 南側には繍がある。苴と同様、国境線ではいつ戦になってもおかしくない緊張状態が続いているか、場所によっては既にその緊張が崩れている。

 しかし大国であり、国力も相当豊かなこの国は、苴ほど繍のちょっかいに悩まされてはいない。

 皓照は目当ての扉の前にたどり着いた。

 眩いほどに黄金で装飾された扉。

 戔の豊かさとはこれ、即ち金が取れる事だ。広い国土の、主に中北部が採掘場となっている。

 皓照は特に許可も得ず扉を開けた。

 中はこれまた黄金の長机が置かれ、その奥にまた更に豪勢な装飾の扉がある。

 長机の一番手前に白髪の老人が座っていた。

 眉をしかめる程豪勢な空間に似合わない、質素だがこざっぱりとした老人だった。

「お久しぶりですな、皓照殿」

 老人は立ち上がりながら歓迎の意を示した。

 突如入ってきた非礼にも関わらず、彼には落ち着きと、純粋に再会を喜ぶ表情が浮かんでいた。

「お元気そうで何よりです、舎琵那(シャビナ)

 老人――舎琵那は皓照の肩を叩き、苦笑いを見せた。

「わしらはこの歳でそうそう元気とは言えないのです。あちこちガタが来ていてどうにもなりませぬ」

 皓照は軽く笑って着席を促した。

「何を仰る。まだお若い」

「貴公にそう言われてはどうお答えしたものか…。いやはや困りますな」

 舎琵那は着席すると、いかにも思うようにならぬと言う風に膝を擦った。

「どうです?隠居生活は」

 屈託無い笑みで訊く皓照に、老人は苦笑いする。

「楽隠居で世の中から逃げているとお思いでしょうが、これがどうして楽はさせて貰えぬのです」

「その証に私のような厄介者に会っているという事ですね」

「これはしたり。貴公に書簡を頂いてから今日を楽しみにしていたのですよ。隠居老人には滅多に無い楽しみだ」

「おや、無理を仰らなくとも。私と喋って楽しいものですか。貴殿を表舞台に戻そうと企んでいるというのに」

 舎琵那は軽く笑って往なした。

「それは勘弁して頂きたい。そう評価して下さる事には感謝しますがね。しかし私はもう過去の人間です。貴方と喋って楽しいのは、昔話を昨日の事として聞いて下さるからだ」

「なるほど。それは確かにそうでしょうね。私には五十年前の事などつい最近に過ぎない」

「時に、彼はどうしています?」

 何気ない口調で訊かれはしたが、そこに真剣な心配が込もっているのを、皓照は見て取った。

「元気にしていますよ。私の世話を見てくれるくらいに」

 舎琵那は軽く眉を上げた。

「所詮、私も年寄りですからね」

 皮肉の混じった言い草に彼は苦笑いし、皓照も自ら笑って、しかしやや真面目に直って続けた。

「私などは放っておけないそうですよ。彼の、あの性ですからね。己の義を貫く、あの真っ直ぐな気性からすれば、私のする事は横道に過ぎないのでしょう」

「そんな事はないでしょう。それは御自分を卑下し過ぎというものだ。ただ、彼は怖れているだけだと思いますよ」

「何をでしょう?」

「信じる者が、知らぬうちに、汚れ、壊れてゆく事を」

 皓照は一瞬、真顔になり、しかしすぐに毒の込もった笑みを戻した。

「さて…それならば、私が壊れる事など決して無いと、彼に言ってやらねばなりませんね。私はそう脆く見えるのでしょうか?」

 恐れ入って舎琵那は首を振った。

「貴公は勿論、脆くなどありませんよ。ただ、彼にあの時起こった事は、今も彼の心理に影響を与えるに足る出来事だったと私は見ます。五十年経った今でも」

 ふむ、と皓照は腕を組んだ。舎琵那は続けた。

「誰しも、私でも恐らく、あのような形の肉親の死というのはいつまでも辛いものです。死ぬまで悔い続ける事でしょう。況してや彼は信じた者に裏切られた結果があれだ。彼が貴公の心配をしているとしたら、己の過去に臆病になっているからでしょう。致し方の無い事です」

 皓照は腕を組んだまま、しばし沈黙し、ぽつりと言った。

「そういうものですか」

 理解できない、そう言わんばかりに。

「気に触られたなら、ご容赦下さい」

 老人は丁寧に頭を下げたが、その意味が分からないという顔をして皓照は返した。

「それが人間の心持ちというものなのでしょう。私はそれを持ち合わせていませんが」

 はっと息を呑んで、しかし顔を上げてその人物を見返す事は出来なかった。

 あまりにそれは危険なことに思えた。

 出来れば覗きたくはない、深淵の真実。

 目の前のこの男は、何者であるのか。

「私にとって、燕雷は不可解な人です。故に面白い。旧知の貴方にこんな事を言うのも何ですが」

「何、私とて彼とは役人としての付き合いしかありませんのでね。しかし、こんな世界で、腐った役人ばかり会ってきたせいか、彼の誠実さは実に印象深かった。故に私は肩入れしていたのですが」

「成程。分かる気がします。あの時の伽騾(カラ)は酷いものでした。燕雷もよくぞあの状況下で主を信じていたものです。今となっては不思議で仕方ないが」

「そういう彼だからこそ貴方は救ったのでしょう?」

 皓照は微笑して、部屋の奥にある扉の方を向いた。

「おいでなさいましたね」

 言うと同時に扉は開き、そこに数人の従者を連れた若い男が現れた。

「陛下、この老体の願いをお聞き届け下さり、誠にありがとうございます」

 若い男の前に進み出た舎琵那が深々と頭を下げる。

 その男――戔王はいかにも下らないとばかりに鼻を慣らし、皓照の前を素通りして玉座に着いた。

「こちらがお会いして頂きたいと申した皓照殿です」

 低頭したまま舎琵那は皓照を手で指し示した。

 その皓照は、優美な微笑を唇に湛えたまま、王を観察でもするように眺めている。

 その視線が、鋭い王の視線と交差する。

「舎琵那」

 戔王は皓照を睨んだまま、臣下の名を呼び捨てた。

「は」

「俺は例の、伽騾の乱を鎮めた者と会うと聞いたからわざわざここに来た。お前は俺をたばかる気か?」

「滅相もない!」

 舎琵那は一声叫んで、慌てて釈明しようとしたが、その前に皓照が口を開いた。

「伽騾の当主は、私が首を取る間際、この戔を呪っておりましたよ。当時の王であるお祖父様は勿論、まだ幼かった貴方の父君に死して取り憑き、この王朝を滅ぼさん、と。それが単なる戯言に終わったようで何より」

 若い戔王は皓照をますます睨み付け、低く言った。

「祖父は若くして死に、父も十年前に変死した。そんな噂が出てもおかしくはない」

「そうでした。その節はお悔やみにも伺わず失礼を致しました」

「必要無い。貴様の様な立場を弁えぬ法螺吹きの訪問など、迷惑千万だ」

 ここまで言われて、皓照は舎琵那に肩を竦めながら笑いかけた。

「困りました。全く信じて貰えません」

 舎琵那は心底困った顔をし、陛下、と呼び掛けた。

「皓照殿は誠に伽騾の当主を討ち取った者です。信じ難いやも知れませんが、この方は万年の命を持っておられます。即ち不老不死なのです」

「…何だと?」

「今、信じて貰わなくても結構ですよ?貴方の父君もこの一事を信じて頂くまで十年かかった。大抵の人がそうです。不老不死など伝説上の事だと思っておられる」

 戔王は先程までとは違う目付きで皓照を見始めた。

 世の珍品を見るような、しかしまだ疑いを残した、そういう眼。

「…父から不老不死の男の話を聞いた事がある」

「ほう」

「冗談など言えぬ父が、何を血迷うたかと思うていたが…」

「確かに父君は無口な方でした。しかし口にした事は必ず真実か、これから真実とする事だけでした。それだけ、信頼に足るお方だった」

 王はしばし口を閉じ、考え、再び口を開いた。

「何用だ?」

 漸く本題を切り出せる。にこりと笑って皓照は言った。

「繍を滅ぼしませんか?」

「何だと?」

 唐突にもたらされた、突拍子も無い話に、流石の王も耳を疑った。

「周辺諸国に掛け合っているのです。協力して繍を滅ぼしませんか、と。既にここより西側の国々は賛同を表明して下さいました。戔が加われば、それだけで東は安泰です」

 繍の東側には戔しか大国は隣接していない。繍の南東部には険しい山岳地帯があり、その向こうには小国がいくつかあるようだが、国交は皆無だ。

 要するに、あとは戔さえ頷かせれば、この計画は成功も同然になる。

「皓照、と言ったな?」

「はい」

 王は再び鋭い視線で皓照を睨み据えて告げた。

「俺は繍など興味は無い。それよりも伽騾の事だ」

「伽騾がそんなに気になりますか?五十年前の話ですよ?」

「そうだ。その昔話を聞いてやる為に貴様の面を見ているんだ」

「さて…どういう事でしょう?」

「貴様がまんまと盗っていった俺の領地をどうしてくれるのか、ずっと気になっていたからな。故にこの瞬間をずっと待っていた。盗人に詰め寄れるこの瞬間をな」

 真顔で王を見ていた皓照の顔に、じわりと笑みが広がる。

「伽騾を、私が盗んだと?」

「今は勝手に潅と名付けて我が物顔にしているだろう?」

「これは、参りましたねぇ」

 言いながらも、子供が悪戯を考えるような愉しげな笑みを崩さない。

「ではお望み通り昔話をしましょう。伽騾はかつて確かに戔の領地でした。しかし百年あまり前、苴との戦に負けた戔は、伽騾を差し出して和睦します。それで苴の領地となる筈でしたが、伽騾の民はそれに反発し、苴は統治するに出来ず返還しますが、一度火の着いた暴徒に手を焼き戔も統治出来ず、伽騾の所有は宙に浮いたまま、事実上の独立国となっていました」

「つまり…伽騾は戔の土地ではないと?」

「どちらとも言えませんね。ただ、戔がきちんと伽騾を統治していれば、五十年の乱は起きなかった。まぁ、それは苴にも同じ事は言えますが。いずれにせよ、統治を放棄していた二国に掛け合った結果、正式に一つの国として潅は出来ました。それは貴方の祖父君のお力添えもあっての事です。戔は正式に伽騾を手放す事を約束されましたから」

「元々統治しているつもりもなかった土地だ、祖父にとってはどうでも良かったのだろう」

 皓照はにこりと笑って頷く。本人にそのつもりは無いが、かなり皮肉混じりだ。

「だが俺にとっては違う。あの土地を貴様にくれてやる正式な理由は無い筈だ。あれは戔のものだ」

「困りましたね」

 いよいよ困った顔を作って皓照は言った。

「お祖父様に蘇って頂く訳にもいくまいし。正式な手続きはされた筈なのですが」

「貴様、繍も同じ様に掠め取る気だろう?」

 肩をすぼめて笑う。そんな事ある訳がないとばかりに。

「ならば何の為に繍を滅ぼそうなどと言い出す?貴様の事だ、何か企んでいるんだろう?」

「おや、企みと言われるとまるで悪事の様ですね」

「違うと言うのか」

「さて…。民の平和の為、という理由が貴方様にとって悪事ならば、もう何も申し上げますまい」

 王は鼻で嘲笑った。信じる価値も無いとばかりに。

「まぁ良い。で?滅ぼした後にその領土はどうする?貴様が引き取る気が無いと言うのなら」

「欲しいですか?」

 あっけらかんに訊く。身も蓋も無さ過ぎて苦笑された。

「欲しているのは我々だけでは無かろう?」

「無論、配分はさせて頂きますよ」

「貴様がか?何様のつもりだ」

「首謀者ですから。それに、土地の配分を巡ってまた戦になる様では本末転倒も良いところです。納得頂けないなら出兵はご遠慮願いますが」

「そんな事を言えた立場か。安心しろ、出兵はする。だが繍の領土など要らん」

「ほう?かつての伽騾の土地を惜しむのに?」

「繍は伽騾とは違う。あんな痩せた土地など手にしても国の足枷となるだけだ。そんな土地などより欲しい物がある」

「何でしょう?」

 王は皓照に向けて顔を近付け、にやりと笑いながら低く告げた。

「戦力だよ。繍の持つ、悪の兵器だ」

 それが何の事か――皓照はにこりと笑って返した。

「それはお安い御用です」

 あまりに易々と受け入れられ、王の方が拍子抜けした。

「良いのか?」

「回収次第、貴方様の元に送りましょう。いえね、私もあれの処分をどうしようか考えていたところです。戔で引き取って下さるなら調度良かった」

 探るような目付きは、やがて嘲りに細められた。

「今日は良い取引が出来た。礼を言う」

 言いながら立ち上がる。

 皓照もまた席を立った。

「こちらこそ感謝します。詳細はまた追って連絡を」

 王は頷くと、さっと身を翻して退室した。

 残された舎琵那は戸惑いを隠せない。

「皓照殿、陛下の狙いは…」

「さて、私は飛ぶ鳥を何羽落とせるでしょうね?」

 老人の言葉を遮って皓照は悪戯な笑みを向け、自らも扉に向かった。

 去り際、扉の前に立ち止まり、留まる舎琵那を振り返る。

 彼はひどく不安気な顔をしていた。

「ご心配なく。貴方の隠居生活を脅かさぬよう、気を付けますから」

 自らより余程若年の老人は、言うべき言葉を見失ったらしく、ただ頭を下げて見送るのみだった。



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