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月の蘇る  作者: 蜻蛉
第四話 支配
40/50

8

「やれやれ、またかよ」

 落胆の呟きをこぼしながら燕雷はそこにあった井戸に腰を降ろした。

 もう立っていられる気力が無い。

「埒が開かない。野宿を決めた方が楽だろう」

 うんざり顔で燈陰が言う。

 気怠く燕雷は頷いて、重たげに立ち上がった。

 どの家も宿を取らせてくれないのだ。

 元々繍という国は閉鎖的で余所者を寄せ付けない風潮があるが、理由はそれだけではない。

 月の夜、一般市民は家の扉を閉めきって、外に出る事はおろか窓を開ける事すらしないのだ。

 夜の得体の知れない訪問者など、受け入れられる筈も無い。

 この国の人々にとって、月と悪魔は同義語なのだ。

 それは遥か昔から信じられてきた信仰の一環であり、彼らの習慣に深く根を張っている。

 太陽は聖なる神、月は邪なる悪。

「お前、宗教とか信じてるか?」

 とぼとぼと郊外に向けて歩きながら、燕雷は問うた。

「あんたは信じられないって感じだな」

 燈陰は逆に確信を持って問い返した。

「まぁ…幸か不幸か、俺には呪える神も居なかった」

 苦い過去を振り返って燕雷は答えた。

 妻と娘を失った時、呪えるものは己だけだった。

 何か信仰していれば、少しは気持ちが楽だったのかも知れない。それとも当てにもならぬ神という存在に、失望を覚え荒んでいただろうか。

 結局、いつ何を失うか分かったものではない世界で、神を信じる事もなく今に至っている。

 否、信じる神は居るのだ。

 目に見え、会話すら出来、逆に救ってやらねばならぬ神が。

「お前の方が無信心に思えるけどな」

 半笑いで燕雷が言うと、いくらか燈陰が顔を険しくした。

「どういう意味だそれは。俺には生まれた時から信仰はあるんだ。貴様なんかと一緒にするな」

「へえ?そりゃ立派だな。一体何を信じているんだ?」

「山の神だ」

「山の神?」

「言わば自然の精霊だ。人ではないもの、人の造ったもの以外の全てに宿る。石ころ一つにも神が宿るとされる信仰だ」

「お前、いま神様踏みつけてるぞ」

「阿呆か。これは例えだ。俺は山を流浪する民族の生まれだから、そういう自然信仰が根付いているんだ」

「へー。山男だったのか」

「怪物っぽい言い方するな」

 燕雷は軽く笑って歩みを止めた。

 小川が月明かりで輝いている。この辺りで野宿を決め込む事にした。

「意外だな」

 適当に乾いた落ち葉や小枝で山を作りながら燕雷は言った。

「お前は何も信じていない男だと思っていた」

 燈陰は口をつぐんだまま、枯れ葉の山に行灯の火を移した。

「尤も、今は頭から信じていないって口振りだけどな」

 燃え広がる火をじっと見つめ、炎となる頃、燈陰はぽつりと言った。

「本物の神を、目の前で見たからな」

 燕雷は何も言い返せなかったが、彼の言わんとする所は分かった。

 月夜を仰ぐ。

 冴え冴えとした青の光。

「朔に神は居るだろうか」

 いや、と燈陰は即座に否定した。

「あいつが信じてるのは、地獄の様な世の中だけだ」

「世の中を?信じてるか?」

「他に縋るものが無いからな」

 本当は行きたくない戦場に、その身を置いている理由。

 そこだけが、信じる『世の中』との接点なのだ。

 戦場の向こうに、己を削るに値するものがあると信じて。

「俺には無理だなぁ。世の中を信じるなんざ」

 苦笑いして燕雷は言った。

 そんな純粋さはとっくに消え去ったし、そんな言葉を使うのもおこがましい年齢だ。

「お前も無理だろ?燈陰。尤もお前は何なら信じられるのかよく分からんが」

 燈陰は答えなかった。闇ばかり睨んでいた。

 ――何者も信じられないのだ。

 ふと燕雷はそう思った。

 この男は、生きている誰一人として、信じられる人が居ない。

 かつて、唯一そうであった一人を失ってから。

 目を開いて誰かを視ることすらしない。

 神に裏切られた男なのだ、彼は。

「…満月だな」

 ふいに燈陰が呟いた。

 白銀の、欠けの無い見事な円。

 蒼い空に、ぽっかりと浮かぶ。

「あいつ、今頃どうしてるかな」

 平穏に夜を凌いでくれれば良い。

 燕雷は月に乞うようにそう思った。

 燈陰は何も答えなかったが、己と同じ事を祈っているだろう、と。

 何も確証は無かったが、燕雷はそう信じた。




 ――これはどうした事だろう。

 射し込む朝日の中に塵や灰が舞う。

 焦げ臭さに混じって、血の臭い。

 まだ辛うじて息のある者の唸り声、喉の鳴る音。

 これは、あの時の梁巴だ。

 また、この瞬間に戻ってくるとは。

 これはいつもの夢ではない、現実だ。

 あの悪夢を、また、俺は。

 この手で作り出したのか。

 否、別の誰かだ。そうだ、きっと誰かの仕業だ。こんな事をした覚えは無い。したいとも思っていない。その筈だ。

 また記憶が無いだけで、その間に…否、違う。

 俺じゃない。こんな事はしていない。絶対に。

 俺じゃない。

 俺じゃ――


「やってくれたな、月」

 霞のかかった頭にいつか聞いたような声が入ってきた。

 眠っていた。いつの間にか。

 ここがどこなのかも分からない。山中で倒れてからの記憶が定かでない。

 あの悪夢は、やはり夢なのか、それとも。

「貴様がまたあんな愚行を犯すとは思わなかった」

 また?愚行を?

 じわじわと恐怖と後悔が足元からせり上がってくるようだ。

 あれは夢ではないと言うのか。

「寝ぼけた面しやがって。自分は悪くないとでも言いたいのか」

 頭の霞が徐々に晴れてくると、夢であれば良かった現実を理解する羽目になる。

 この密室、鉄格子。あまりに見慣れ過ぎている。

 あの地下牢に戻らされたのだ。

 その上に後手にされた両手には手錠が嵌められ、足は鎖で縛られ、冷たい床に転がされている。

 格子の外からこちらを見下ろしている人物――

 もう考えたくもない。夢であれば良かった。

「言っていたな、月に取り憑かれたら殺し方は選べないと。今回もそんな言い訳を並べる気か?」 

 霜旋――故郷を失った於兎を託した人物。

 かつて月の本音を全てぶちまけた。それを優しく受け止めてくれた。

 こんなふうに、敵意剥き出しで睨んでくる相手では無かった筈だ。

「…桓梠の下に就いたんだってな」

 掠れた声で朔夜は問うた。

「それがどうした」

「奴があんたを変えたのか?それとも…」

 これがあんたの本性なのか?

 問えなかった。

 桓梠の部下という繍軍の中でも高位の地位を得る為に、あの時自分に近付いたのかと――そう考える方が自然だが、考えたくなかった。

 あの苦しい道中、霜旋に救われたのは確かなのだから。

 あれが偽りだったとは、思いたくない。

「変わったのはお前だろう」

「何…?」

 どこか怒りすら含む声音で霜旋は言った。

 その理由が、見えない。

「まだ惚ける気か?この悪魔め、いつまで被害者面を続ける気だ。お前は鬼だ、人の皮を被った化物だ!」

「霜旋、教えてくれ…。何故そうも怒る?何故俺はここに?俺は…」

 本当は聞きたくはない。

「何をした…?」

 ここに居るのは意識の無いところを軍に捕まったからだ。

 意識が無かったのは――月に憑かれていたから。

「…自覚すら無いのか。それとも演技か?同情でも買いたいのか」

 いつもなら、憑かれる前後の記憶がある。どんな相手と戦い、命を奪ったか、嫌でもちゃんと判る。

 それが、今は、全く無い。

 前回、始終意識があったのとは逆に、記憶が全く何もかも抜け落ちている。

 だからただ単に行き倒れたのだと、憑かれてなど無いのだと、そう思いたかった。

 だが、それなら軍に見つかる事などまず無い。

「本当に記憶が無いんだ。教えてくれ、俺は何かしたんだろう…!?」

「村を一つ壊滅させた」

 投げ捨てるように霜旋は告げた。

「何の罪も無い村人達を一人残らず…。女子供までもだ!思い出したか、この悪魔め!」

 何を言われているか、理解できなかった。

 理解を拒んだ。何も考えたくなかった。

「嘘だ…」

 無意識に呟いていた。

「嘘だと?」

 問い返されて、はっとする。

 嘘ではない。こんな嘘をつく意味など無い。

 ただ、信じたくないだけだ。

 自分可愛さの為だけだ。

 こんなに罪深い自分が、今更何を。

「本当に思い出せないようだから教えてやる。お前が襲ったのは俺の家族が居た村だ。お前は俺のお袋も親父も弟も、妻も…皆殺しにした」

「え…」

 妻?

 それは。

「於兎を…俺が…!?」

「ああ。お前がやった」

 また。

 またか。

 何度、恩ある人を、この手にかければ良いんだ。

「まさか、自分の犯した罪に今更驚いているのか?」

 ならばせめて、記憶の、一片の欠片でもいい。残しておいてくれれば。

 何も覚えていないのは、却って辛い。

 またあの時のようになってしまう。あの夜のように。

 日々の悪夢のように。

「霜旋…」

 何か知らねばと思う。

 しかし何を問えば良いのだろう。喪ったのは彼で、奪ったのは自分だ。

 その覚えが無くとも、自分なのだ。

 あまりに希薄な自覚。

「無惨な亡骸だった」

 問うてないのに霜旋は答えた。

 聞きたくないものを無理矢理耳に捩じ込まれる気分だった。

「全身傷だらけで血にまみれ、顔は青白く膨れ上がって…見る影も無かった」

 やめてくれ、声にしそうで、しかし言う事など出来なかった。

「村中が燃えていたからな、体の半分は黒く焦げていた。まぁ、お袋なんて全身が真っ黒だったからな、お陰で判別するのに苦労したよ」

 淡々と惨状を告げていた口が、歪んだ。

 にんまりと、口角を上げて嘲笑う。

「また泣いているのか?悪魔のくせに」

 贖罪の言葉を探していた頭に、ふっと蘇る記憶。

 この男自身がかつて語っていた、己の出身地。

『敦峰より西にある邑峰(ユウホウ)という所だ』

 いかに記憶が無いとは言え、そんな遠い場所に行っている筈が無い。

 嘘なのか。

 否、もうどっちでも良い。

 一つ確かな事――

 こいつは敵だ。

「少しは後悔しているのか?子供だからって泣けば許されると思うなよ」

 この男は出鱈目を喋っている。俺を嵌める為に。

 あの時のように罪の意識から逃れたい一心で、道具になることを頷かせようとしている。

「許して欲しいか?俺は貴様なんか滅べば良いと思うが…桓梠様は言う事を聞けば許してやると仰せになっている。全く寛大なお方だ」

 この男は――桓梠の手先でしかない。

「どうする。このまま牢の中で野垂れ死ぬか、それとも」

 ひゅっ、と空気が鳴った。

 同時に、赤い液体が舞い散った。

 それが己の喉元から出ていると気付き、霜旋は声にならぬ声をあげた。

「次はもう少し深く斬る。血の筋に届くくらいに」

 転がったまま、冷たく月は告げた。

「それともその喉に風穴空けてもう喋れないようにしてやった方が良いか?嘘しか言えない奴だからな」

「この…悪魔めが…!何故だ…!?まだ…」

 まだ月は出ていない。その上ここは月光の届かない地下牢。

 月が悪魔と化す筈は無かった。

 青ざめた霜旋の顔を、月は鼻で嘲笑った。

「死にたくないならここを開けろ。そしてこの邪魔な鎖を取れ」

 霜旋はすぐには動かなかった。睨みながら恐怖に震えていた。

「開けろ」

 もう一度命じる。

「誰が…貴様の言う事なんか…」

 その瞬間、有り得ない金属音が響き渡った。

 目に見えぬ刀で鉄柵を叩き付けたような。

 しかし誰も触れていない筈の鉄の棒は、確かに細かく震えていた。

 いよいよ霜旋の顔は血の気を失った。

「流石に、俺も一度助けてくれた人間を殺したくはない。それが策略による演技だったとしてもな」

 図星を突かれたのか、血走った眼が見開く。

「どうせ桓梠に取り入る為に月に探りを入れようとしたんだろ?それとも最初から奴の命令だったか?いずれにせよ於兎を巻き込む必要は無かった筈だ。俺が殺す事も無かった、だろ?」

「…居直りやがって…!」

「お前の仕組んだ事だからな。俺は踊ってやっただけ。それが事実とすればだが」

 霜旋は言葉にならぬ呻き声を洩らし、腰紐から鍵を引き抜いた。

 開いた扉。朔夜は満足の笑みを浮かべた。

「俺の勝ちだな」

 霜旋は朔夜の心を殺せなかった。故に『負け』た。

 鎖を外しながら彼は呟くように訊いた。

「これでもう俺を殺したりはしないよな。助けてやるんだ、今度こそ本当に恩人だろ?」

 朔夜は白い目を横に踞る男に向ける。

「あんた、自分可愛さに、魂どころか故国を悪魔に売る気か。とんだ忠臣だな」

「何とでも言え。どうせ貴様に滅ぼされる国だ…。悪魔なんざ飼った代償だ…俺は関係無い、全て上がしたことだ。俺は関係無い…」

 譫言のようにそれを繰り返す霜旋を、自由になった手足で立ち上がった朔夜は見下した。

 蔑みと、哀れみを込めて。

「…あんたには売れる魂なんざ、最初から持ち合わせて無かったんだな。人間のくせに」

 一言吐き捨てて牢を出た。

 外に捨て置かれていた例の上衣を羽織り、装着されている短剣二振を確認する。

 愛用の得物はいつも通りに鋼の輝きを湛えて主を待っていた。

 西日の差す地上への階段を昇る前、もう一度牢を振り返る。

 霜旋はまだ牢の中で踞り、ぶつぶつと己の無実を自身に言い聞かせていた。

 人は己の罪の重さに耐え兼ねた時、誰しもああなるのだろうか。朔夜自身、何度も経験した苦み。

 このまま己の罪に潰され、生きるも地獄なら、いっそ――そう思いもした。

 だが、刀を手に取る気にもならず、そのまま階段を駆け上がった。

 華耶が待っている。


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