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月の蘇る  作者: 蜻蛉
第一話 誕生
4/50

4

 時折、暖炉の火が爆ぜる部屋に、笛の音が漂う。

 調べは先刻と同じ曲だ。将軍から所望された為だが、朔夜は薄く危機感を抱きながら吹いている。

 ――知っているのではないか。

 この曲を。己が故郷にしか無いこの調べを。

 もし耳にした事があるというのなら、素性が割れる可能性がある。危険だ。

 先程とは違う、黒い漆塗りの笛で、ごく静かに響かせる。

 将軍は寝台に横になり、じっと耳を澄ませている。

 時に酒杯を手にしていたが、その手も今や止まっていた。

 朔夜は静謐な調べのまま吹き終えた。

 音は静寂と混じり合い、溶けて、消える。

 将軍は身動きせず、臥したまま。

 朔夜は音も無く立ち上がり、寝台に近寄った。

 標的の瞼が閉じられている事を確認し、笛を逆手に持ち直す。と、管の先から鈍く光る刃が出て来た。

 狙うのは喉元。声を上げさせはしない。

 刃を向け、振り下ろす――

「随分可愛いらしい刺客だな」

 落ち着き払った声。

 鋭く息を呑んで構え直そうとした時にはもう遅い。

 手首を掴まれ、抵抗しようとした勢いのまま振り飛ばされた。

 得物は相手の手に。

「よく出来てるな、こりゃあ」

 千虎はのんびりと刃の仕込まれた笛を眺め回す。

「どこで仕入れるんだ?自家製じゃないだろ?」

 強かに背中を壁に打ち付け、顔を顰めながら、朔夜は答えた。

「生憎、俺のお手製だよ。他にやる事も無いんでね、お遊びさ」

「ほぉ?上手いな」

 弄り回しているうちに使い方を悟ったらしく、刃は収まった。

 そしてふっと歌口に息を入れる。

「だが高く吹き鳴らせば音色に金属音が混ざる。笛を変えたのはその為か」

「ご名答」

 嘆息混じりに応えながら、さっと懐を探り、飛び掛かる。

 一撃をかわしながら背後を取られ、振り返る右腕を掴み、捻り上げられた。

 が、左腕にも刃はあった。右腕を掴まれたままそれをさっと振り抜く。

 将軍は不意を突かれたが、腕を離す事は無かった。代わりに刃は上衣を裂き、一部にじわりと血が滲んだ。

 身体が浮き上がる。右手にあった手刀が床に落ちた。

 朔夜は左手を力無く吊り下げたまま、視線を同じ高さにされた標的を睨みつけた。

 一方、千虎は珍しいものを観察するように、しげしげと暗殺者を見ている。

「千虎様!」

 突然荒く扉が開き、数人の兵士が部屋になだれ込んできた。

 二人の異様な様を見、彼らの勢いは完全に止まる。

「どうした?」

 何事も無いかのように笑みながら千虎は問う。

「あ、あの…物音が高く聞こえたので…何事かと…」

 しどろもどろに兵の一人が答えた。

 ああ、とさも納得したように千虎は声をあげ、にやりと笑った。

「心配させて済まないな。ただの御乱行の物音さ」

「ばっ…!!」

 朔夜が宙に浮いたまま思わず声を上げる。しかし兵士達の方がもっと赤面し、いそいそと部屋から出て行った。

 扉が閉まる。

 少年の怒りと羞恥のないまぜになった視線を受けて、千虎は軽く鼻で笑った。

「別にそっちの趣味は無いから安心しろ。俺は妻一筋の男さ。妻以外には興味は無い」

「あっそ…」

 害が無いならどうでもいい。

「…いい加減、腕が痺れたんですけど」

 顔中不満を塗りたくった顔で朔夜はぼそりと言う。

「奇遇だな。俺も腕が怠い」

 対して上機嫌に相手は言う。

 身体はふわりと寝台の上に降ろされた。

 そのままぼすりと布団に身を委ねる。

「それ、見せてくれるか?」

 刺客らしくない刺客は、左手にあった刃を請われるままに差し出す。

 掌に納まるほどの手刀には、持ち手が無く、木の葉よりも薄い。右手に持っていた物も同様だ。

 握っていた指や手の腹に、切り傷が出来、血が滲んでいた。

「これも自分で作ったのか?まるで忍だな。誰もこんな物騒な物持ってるって気付かない訳だ」

「痛いからあんまり使いたくなかったんだけどさ」

「悪かったなぁ。使わしちまって」

「どういたしまして」

 すっかり毒気を抜かれている朔夜は、ごろりと寝台に寝直した。

「子供の遊びでこんな物作るとは…どういう家の子供だよ、お前」

 まだ興味津々の様子で取り上げた武器を観察している千虎。

「んー…最近いい気になっててさ、周りの家に喧嘩売っちゃあ困って子供に始末させるような家」

「…繍か」

「ご想像にお任せ。一応守秘義務あるんで」

「面白い奴だ」

 寝台が軋む。千虎が反対側に腰を降ろしたのだ。

「しかし、こんな子供に暗殺を托す程、繍は困窮しているのか?それともお前自身に理由が?」

「…その両方だと思うけどね」

「ほう?」

「俺が居なきゃ、あの国はとっくに潰れてる」

 言い切った少年を、半分笑いながら将軍は覗き込む。

「大した自信だな」

「あんたも殺せないヘボ暗殺者の癖に、って思ってるだろ」

「いや?素直にお前の腕は認めるよ」

「だが大言壮語にも程がある、って言うんだろ?」

「理由があるんだろう?是非知りたいね」

 朔夜は一瞬言いよどみ、諦めの溜息と共に吐き出した。

「月夜の悪魔…聞いた事くらいあるだろ」

 千虎の表情が一変した。

 苴軍の中で、畏怖を込めて囁かれる名。

 彼とて、その悪魔のせいで、多くの仲間を亡くした。

「…俺の事だ」

 途端に千虎は脇に置いた剣を抜き、構えた。

 朔夜は刃を突き付けられても微動だにしない。

 人形の様な無表情で、天井を見詰めている。

「…まさか」

「本当だよ」

 しばしの膠着の後、将軍は剣を引いた。

 信じられない。恐らく騙りだ。どの道、今この子供には何も出来ない。

 元通り寝台に腰掛ける。

「いいのか?さっきの兵士達を呼ぶ事をお勧めするぞ?」

「お勧めは有難いが、今回は遠慮しよう。俺もそれなりの武人だと自負してるんでね、相手の殺意の有無くらいは分かるつもりだ」

「確かに、もう今日は疲れた。一日中馬車に乗りっぱなしでさぁ」

「それはお疲れ様だったな」

 薄く笑いながら声を掛け、目の端で少年を捉えて問うた。

「繍に…身を置く理由があるのか?」

「…ん?」

 全く問われている意味が分からないらしく、枕の上で小首を傾げる。

 将軍は少し考えて問い直した。

「こんな事をやらされる国に従う理由が何かあるのか?お前が本当にあの悪魔だと言うなら…敵軍に一人放り込まれるんだろう?危険もいいところだ」

 朔夜は鼻の頭を掻いて考える。

 危険だとは思わない。一般的に考えれば、確かに無茶な任務ばかりだが。

「好きでやってるって言うなら、話は別だが」

 言われて、吹いた。

「勘弁しろよ。俺は快楽殺人者じゃない。まだマトモな神経は持ってる……たぶん」

「そうか。それを聞いて安心したよ」

 冗談混じりの問いだと思っていたが、千虎は真顔だった。ただならぬものを感じて朔夜も口を結ぶ。

「お前から刃を取り上げなきゃならない」

 閉じた口をぽかんと間抜けに開けて、男を見上げる。

「苴軍の為にも、だが…何よりお前の為にだ。こんな子供を、戦の道具にしてはならない」

 聞いて朔夜は皮肉に口元を歪めた。

「…子供、子供って…関係無いだろ…。今は乱世だ。戦うしか、生き残る術は無い」

「それはお前の国だけだと言ったら?」

「…え?」

 千虎はふっと息を吐いて、卓上に手を伸ばし、一枚の紙を取った。

 渡されるままにそれを受け取る。

 ずいぶん下手だが、それが人を描いた絵だと解った。

「息子が描いて送ってくれた。お前より少し下かな。最後に会った時が五つだったから、今年で八つになる」

「俺の事いくつだと思ってるんだよ」

 なんだかがっかりしながら似顔絵を返す。

 千虎は軽く笑って話を続けた。

「俺はこの子を守る為に戦っている。この子だけじゃない、苴に住む女子供を守る為に、この国境を守らなきゃならない。何としても」

「それは…随分と幸せな話だな。その子にとっては」

「お前もそうなる権利があるという事さ」

「……」

 話が自分に向くと、想像も出来ないと言わんばかりだ。

「もし、そうなりたいと少しでも思うのなら、この陣に残るといい。戦が終わった時、苴の都に連れて帰ってやろう」

「敵国の都で打首獄門なら御免被るね」

「馬鹿、俺の家に遊びに来いって言ってるんだ。可愛いぞ、ウチの子は。暗殺道具を作る事より面白い遊びを教えてくれるだろう」

「…例えば?」

「例えば?そうだな…竹馬なんかどうだ?ああ、将棋でも良い。あとは…」

「何年も会ってないから、今ごろ何で遊んでるか分からないんだろ?」

 何とか絞り出そうと抱えていた頭を、ぱっと外して千虎は笑んだ。

「ああ。図星だ。本当は一刻も早く会いたいのさ」

「さっさと繍が降参してくれたら良いのにな?」

「全くだ。刺客よりも和睦の使者に来て貰いたい」

「悪かったな」

 冗談だと千虎は笑う。豪放な笑いを朔夜は不思議そうな面持ちで眺めていたが、やがて布団を頭の上まで引っ張り上げた。

「刺客の首を落とす気は無いと思って良いんだな?」

 布団の中でもごもごと言う。

「無い。全く無いな」

 将軍が答えると、また布団の中から声がした。

「あんたの提案、考えとくよ」

「ああ…よろしく頼む」

 言いながら、千虎は知らず満足げに笑んでいた。

 ほっとしたのだ。

 今は破滅的でも、未来を救ってやれるかも知れない一つの人生に出くわした。

 きっと家庭の温かさに触れた時、自分もこうなりたいと思ってくれるのではないか。

 そうなれば早く帰りたい。

 一つ、明日の朝にでも、こちらから和睦する事を皆に提案してみても良いかも知れない。

 気付けばもう夜も遅い。

 一先ず今宵は眠るかと、横になろうとして。

「……そうだった」

 先客の存在を忘れていた。

「おい、まさか本当にここで寝るつもりじゃないだろうな」

 布団をはぐろうとして、それが容易ではないと気付いた。

 朔夜はもうぐっすり眠っている。しっかり布団を巻き付けて。

「……」

 逆に暗殺されるぞ、お前…と内心呆れつつ、将軍は諦めて長椅子で寝る事に決めた。



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