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月の蘇る  作者: 蜻蛉
第四話 支配
38/50

6

 闇の向こうで白刃が閃いた。

 確実な敵意を見て取って朔夜はにやりと笑った。

 相手はこちらに向けて踏み込んでくる。それなりに手練れだ。

 わざと朔夜は距離を取った。どうせすぐ狩れる獲物なら少し遊んでやりたい。

 間合いの外で敵は一旦止まった。長刀を構え、こちらの出方を窺っている。

 確かに朔夜はまだ刀を握ってすら居ない。空の両手を懐に収め、中身の無い袖は夜風に靡いている。

 その体勢で間合いを保ったまま互いに弧を描いて歩む。

「お前、悪魔か?」

 相手が緊張の面持ちで訊いてきた。

「あんたはその悪魔を狩りにきたんだろう?」

 愚問とばかりに朔夜は言い返した。

 返答無用と、敵は口を閉ざす。

 朔夜は赤い唇を更に歪めた。

「さっさと殺れば?今ならほら、隙だらけだぜ?」

 躊躇したのも束の間、腹を決めたらしく地を蹴った。

 迫ってくる刃から微塵も逃げる気配も無く、落ち着いてやっと腕を出す。

 その手が双刀を握る間すら無かった。

 刃はその軌道上に悪魔を捉えた。

 だが、忌まわしい余裕の笑みは崩れる事無く――

「!!」

 襲撃者は目前の事態を把握出来なかった。

 標的の姿が、一瞬にして、影も形も消えていた。

「やめっ…!」

 咄嗟に叫んだ時にはもう遅く、悪魔に刺さる筈の仲間の矢が、己を刺し貫いていた。

 身体に恐ろしい数の矢を受けて、倒れる。

 その様を見て、悪魔は哄う。

 闇の中に、声を響かせて。

「良かった、嵌められなくて」

 無邪気さが、おぞましい。

 夜陰に紛れて弓を番える者達に、怖気が走る。

 姿は見つからない。

「あんな目には合いたくないからな。あんた達もそうだろ?ならこんな馬鹿な事しなきゃ良かったのに」

 一人が、その背中に、気配を感じて身を凍らせた。

 振り向いて確認する事も出来ず、ただただ全身に恐怖が走る。

「もっと恐ろしい目に合う事になるんだからさ」

 叫び声すら上がらなかった。

 間近で、仲間の血が迸る。

 ひとり、ふたり、さんにん…

 十人居た部隊が、何の抵抗も出来ぬまま、闇に飲まれてゆく。

 血ばかりが、赤々と。

「た…助けてくれ!!」

 やっと声だけが出せた。

 喉に張り付いた呼気をやっと押し出した声。

 もう誰もいない。

 悪魔以外、誰も。

「死にたくない?」

 初めて、その姿をありありと見た。

 雲に隠れていた月が姿を現し、青い光を彼らの元に届けた。

 悪魔は、月光を受けて、青白く光っているように見えた。

 そして、澄んだ碧い眼から、赤い泪を流していた。

 あまりに予想を超越した姿に、間近に迫る死すら忘れた。

 この美しい死神は、他人の命を奪う事に藻掻き苦しみ、それでも己の宿命から逃れられず死神となっているのだ。

 追い詰められた男は己の命を奪わんとする者に魅入り、同情して、知らず呟いていた。

「…哀れだな…」

 朔夜は刀を構えた。

 相手の言葉を考えられる理性は無かった。

 ただ、呪縛から逃れたい為に。

「っ…朔っ!!」

 突然、後ろから両腕を羽交い締めにされた。

「放せっ!」

 目的を邪魔された事に激昂し、怒鳴り付けて、手を振り払おうとしたが離れない。

「暴れるな!お前の為だ!落ち着け!」

 燕雷の呼び掛けも届かず、冷徹な手は、刀を逆手に持ち変えていた。

「燕雷離れろ!」

 燈陰が叫んだ。が、遅かった。

 腹を切り裂く、痛み。

「燕雷!」

 走り寄ろうとして。

 鼻先に冷たいものを感じた。

「…朔夜」

 冷たい眼で己を殺さんと見据える息子。

 その手を振れば簡単に、積年の恨みを晴らす事が出来るだろう。

「朔…駄目だ…」

 倒れた燕雷が、切れ切れの息で、朔夜に訴えかける。

 しかし燈陰は言った。

「やれ」

 ぴくりと、突きつけられた切先が揺れた。

「この際だ。一思いに殺せば良い」

「朔!やめろ!」

「眼が醒めたら燕雷は生かせ。まぁ、言われなくてもお前はそうするだろうな。それで、お前も俺について来ると良い。二人で祥芳の所に行こう。それでやり直そう。もう一度、家族として」

 振り上げられた刃。

 燈陰は軽く眼を閉じた。

 何も悔いる事は無かった。

 長い長い一瞬は、意外な音で破られた。

 眼を開けば、刀は地面に突き立っていた。

 視線を地面から上に向ける。

 振り向きざまに靡いた銀髪だけが目に入った。

 無言のまま朔夜は燕雷の元に跪き、腹部の傷口に手を当てた。

 治療されながら燕雷は、痛みに遠退きそうな意識の中で薄く眼を開き、俯く横顔を見守っている様だった。

 手の下の光が薄れる。傷が塞がる。

 同時に倒れてきた身体を、燕雷は両手で受け止めた。

 傷が疼く。完全には塞がっていない様だ。

「…無茶しやがって」

 攻撃で消費した体力で、更に治癒を使った為に、傷を完治させる力はもう残っていなかったのだろう。

 燕雷は転がったまま、意識の無い朔夜の身体を抱き、銀髪を手荒く撫でた。

「大丈夫か」

 燈陰がやって来て覗き込む。半笑いで燕雷は頷いた。

「重い。傷が開く」

 やれやれ、と言いたげに燈陰は朔夜に手を延ばす。

 抱き上げて重しを取るなり、ずるずると半身を引きずるように燕雷は起き上がった。

「死ぬかと思ったが」

 冷ややかな眼で血に濡れた傷口を見ながら、冗談に聞こえない口で燈陰が言った。

「その方が良かったか?」

 いやに愉しげに問うてくる。

「別に。なるようになれば良い」

 突き放して、背後に眼をやった。

 生き残った一人が、腰を抜かしてへたり込んだ姿勢で、不審げに二人を見上げている。

「お前、苴から来たのか」

 燈陰が確信的に問うた。

 やや驚いたようだったが、それを表現出来ぬ程に青年は疲れきっていた。

「…お前達は、何者だ?」

 疲れもあるが、恐怖が勝っているのだろう。

 得体の知れぬ二人を前に、警戒が解けぬようだ。

「とりあえずあんたの敵ではないし、あんたを殺す気は無いよ。勿論繍の間者でもない」

「本当に?」

「ああ。寧ろ苴の味方だ。ほら、これ」

 言いながら懐から差し出したのは、関所を通る際にも使った皓照の書状。中には潅王の印もある。

 それを見つけ、青年の顔色が変わった。

「どうだ?茶でも飲んで落ち着いて話さんか?」

 のんびりと燕雷が誘った。この男には他人の心を解かす不思議な何かがある。

「ほら」

 手を延ばせば、観念したのか他に行き場は無いと思ったのか、怖々握り返してきた。

 立たせ、問う。

「兄ちゃん、名前は?」

 訝しげに燕雷の顔を見、青年は答えた。

曾以(ソウイ)。そっちは?」

「俺は燕雷。向こうは燈陰。あの子は朔夜。よろしくな、曾以」

 途端に曾以は立ち止まり、距離を開けた。

「悪魔の仲間によろしくされる筋合いは無い」

 睨む顔は幾分か青ざめている。

 ああ、と燕雷は曾以に向き直った。

「大事な仲間を失ったばかりなのに、済まなかった。だが、あの子は悪魔ではないよ。君達が殺そうとしていたのは、一人の子供だ」

「この状況でそんな事が言えるのか!」

 尤もだと苦笑いして、とにかく焚火の元へ再び歩きだした。傷口が痛くて立ち続けるのが辛い。

「知りたくないか?悪魔の正体」

 そう言い置いて歩きだせば、向こうは嫌でも来ざるを得ない。

 狙い通り、渋々だが曾以は着いて来た。

 仲間を全て失って、他に行き場も無かった。燕雷に命懸けで救われた事も事実で、お陰で多少は信用しているのもある。

 だが何より、悪魔と言われている人物の、その意外な姿に興味をそそられていた。

 あの泪の、本当の理由が知りたかった。

「茶沸かすからちょっと待っててくれ」

 夜営地に戻り、燕雷は焚火の前にどっかりと我が身が重そうに座った。

 ちょっと腹に手を当てて顔をしかめ、手近にある薪を燠に突っ込む。

 その横に燈陰は朔夜を降ろし、丁寧に毛布を掛けた。

「適当に座ってくれや」

 その様をぼんやり見ていた曾以は、燕雷に促され、彼の正面に座った。

 不思議な気分だった。

 今しがたあった事も、今この光景も、全て何か靄のかかった幻想のような気がした。

 月夜の闇に包まれ、現実味が揺らいでいた。

「あなた方は…」

 現実を手繰り戻すべく、曾以は口を開く。

 気分だけは落ち着いたお陰で、平素の丁寧な口調になった。頭の中はまだ混乱している。

「何者なんですか。何故悪魔と行動を共にしているんです」

「その前に己の事を話したらどうだ?先に仕掛け、負けたのはそっちだからな。何故我々を…否、朔夜を殺そうとした」

 曾以の眉が不快そうに曲げられたのを見て、燕雷は喧嘩腰の燈陰を宥めた。

「まぁまぁ、そう角の立つ事を言わずに、ここは穏便にやろうや。もう流血は充分だろう?だが曾以、ちっとこちらの質問に答えてくれんか?その方が我々も、そっちの疑問に答え易くなるんでね」

 曾以は顔をしかめたまま暫し黙り込んでいたが、やがて溜息混じりに口を開いた。

「苴の民にとって、悪魔を見れば退治するのは当然の事だ。そちらはどうか知らないが」

 明らかに曾以を敵視している燈陰の前に片手を伸ばして彼を制し、燕雷が答えた。

「俺とて本当に悪魔が居るならどうにかしようとするけどな。生憎、本物には会った事が無いんだ。で?悪魔払いの真似事の為にこんな真似を?」

 はぁ、と大仰に息をついて、曾以は呟いた。

「あくまでもそいつを庇うのか」

「ああ、あくまでも悪魔じゃない、ってな」

「…ふざけてる」

 うん、と大真面目に頷く燕雷の頭をはたいて、痺れを切らした燈陰が口を挟んだ。

「貴様等は苴の兵だろう?どこでこいつが問題の敵だと割れたかは知らんが、それならその脅威も解っていた筈だ。わざわざ殺されに出てくる事は無かったのに、何故こんな愚かな真似をした」

「愚かしいのは貴様等だろう!偉そうな口が叩けるのか!?悪魔の手先共め!俺達はもう兵じゃない!賞金稼ぎだ!」

「…賞金?」

「ああ、兵役を退官して、褒賞金の付いた首を取って回っている。その方が柄に合うからな。そういう連中が集められて、悪魔狩りをしろ、と」

「どこのどいつだ…!?月の首に金なんかぶら下げたのは」

「軍の高官だという噂だ。詳しくは知らない。金さえ出ればあとは興味は無い」

 は、と燈陰は軽蔑を込めて短く息を吐いた。

「ただの金の亡者が、出過ぎた真似を」

「地獄の使徒と違って、人間には金が必要だからな」

「ふん。ご立派な人間様だな。俺には解らん。人の命を金に換えれる神経が。解りたくもない」

「まぁまぁ、喧嘩はするなって」

 この二人、どうも相性が良くない。

 ならば曾以と朔夜は燈陰嫌いで解り合えるかな、と馬鹿な事をちらっと考えて、燕雷は苦笑して自らの考えを打ち消した。

 まず曾以に、朔夜と自分達の事を理解して貰わなければ。

 それは燕雷にとって、『悪魔』と呼ばれる力を野放しにしてしまった事の、曾以とその仲間への侘びだ。

 防げた筈の事故だった。

「曾以、我々も一応人間だよ。俺は別物と言われるかも知れないが、この二人は純粋に人間の親子だ」

「おい燕雷…」

 素性の解り切らない相手に、何をぺらぺらと、そう燈陰の眼が責めている。

 燕雷は気楽に笑って言った。

「繍と何の関係も無いのは確かだ。なら別に良いだろ、俺達の事を知って貰っても」

「雇い主が繍の犬やも知れんぞ」

「それは無い」

 言い切ったのは当の曾以。

「私達が繍の人間の命令を聞く事なんざあり得ない。雇い主は確かに苴のさる御仁だ。信頼出来る筋からの話だから間違いない」

「だろうな。俺もそう思うよ」

 燕雷が同調し、燈陰は勝手にしろとばかりに顔を背けた。

「目が覚めれば解ると思うけどな、朔夜は普通の子供だ。ただ、厄介な力を持ってしまった。その力は本人に制御出来ない。故にあんた方に悪魔と呼ばれる事になってしまった。本当はそんな子じゃない。それを解って欲しい」

「それが悪魔の正体だと?」

「ああ。その目で見て欲しい。白昼の真実を。月夜の下では歪められちまうんだ」

「馬鹿馬鹿しい…。僕は悪魔退治の鍵が知りたかったのに。親馬鹿の戯れ言など聞く耳は無い」

「いや、親はこっち…」

 燈陰を指す指を見たかどうか、曾以は敷いてあった毛布に転がった。流石に疲れが襲ってきた。気が抜けたのだろう。

「そんなに見て欲しいなら、寝首を掻く様な真似は止してくれ」

「…了解」

 目を丸くする燕雷を他所に、曾以は目を閉じた。

「おい」

 燈陰が低く咎める。

「どういうつもりだ」

「俺らもさっさと寝ようや燈陰。朔は朝まで目え覚まさないだろうから」

「燕雷、奴をどうする気かと訊いている!」

 寝る準備を始めた燕雷は、やっと手を止めて燈陰を見返した。

「…手ぶらで苴に返す訳にはいかんだろう」

「は…!?朔の首を持って帰らせるとでも言うのか!?」

「いやいや、そうじゃなくて」

 元通り焚火の前に座る。

「玄の弓は今のところ苴と親密な関係にある。これからを考えた上で、朔を苴の中で悪魔にしたままにはしておけない。だからこの一件の始末は慎重にしたいんだ。それには曾以にこいつの事を理解して貰わなきゃ」

「なら言わせて貰うが、今のところ俺も朔夜も玄の弓とは無関係だ。苴とも馴れ合う気は無いし、朔は苴を憎んでいる。故郷の仇だからな」

「それは燈陰、お前だろ」

「…何が悪い」

 燕雷は微苦笑して言及を避けた。またこの間のような言い合いにしたくはない。

「あと、何となくだが…この兄ちゃんは朔のこと、ちょっと理解したんじゃないかと思う。対峙して、何かが解ったんだろうと思うんだが…」

 燈陰の眼が厳しい。燕雷は本物の苦笑を浮かべた。

「ま、戯れ言だ。忘れろ」

 今度こそ寝るべく毛布に横になった。腹の傷のお陰で妙に疲れている。

 ふと、一つ言い忘れていた事に気が付いた。

「燈陰、お前の言葉なら朔が我を失っていても届くんだな。それが解っただけでも良かった」

 横になっているお陰で、燈陰が鼻を鳴らした気配だけが伝わった。

 とろとろと眠気が襲う。燈陰は座ったまま、寝る気は無いらしい。



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