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月の蘇る  作者: 蜻蛉
第四話 支配
37/50

5


 漸く国境の通行許可が下り、三人は堂々と街道を通って繍へと向かう事となった。

 随分とげんなりした様子で宿へ帰ってきた燕雷。どれだけ苦労したか聞くのも憚られた。

 聞けば愚痴が山ほど返ってくるのは目に見えていたから敢えて触れなかった、と言った方が良い。

 だが道々、話題はどうしても愚痴になる。

「結局、皓照の一筆が無いと通れないとはな…。俺とあいつと、そこまで格が違うなんざ…情けない」

 肩を落とす後ろ姿を苦笑いで見るより無い。

「関所の連中、しょっちゅう顔合わせてるのに、俺が地味な顔立ちだから覚えられないんだろうな…。って言うかあいつが目立ち過ぎるんだよ」

「あー、確かに」

 相槌を間違えた。下がった肩がますます萎む。

「お前も同類だ朔。どうせお前には一生分からん苦労だろうよ…」

「いや、あのド派手な金髪と一緒にするなって。あんなの見たらそりゃ誰でも忘れないしさ、そんな事気にするなよ」

「お前は良いよな。燈陰、お前もな」

 理由は朔夜によく解らなかったが、とにかく燕雷はいじけていた。

 顔をしかめて後ろの燈陰を振り返る。他に尋ねられる者も無いので仕方無く。

 が、知らんぷりをされた。

 訳の解らないままにしばし黙々と駒を進めざるを得なかった。


 苴と繍との国境は険しい山の中にある。

 禾山も連なる山脈に沿って境は定められているのだ。

 かつて苴も繍も無かった時代の旧街道を三人は進んだ。

 この道は比較的山が穏やかで、お陰で通せた広い道は、山林に囲まれてはいるが草木に覆われる事無く残っている。

 そこから見渡す限り、他の道があるかも解らないが、それ以外の地は全て急峻だった。

 朔夜は道を辿りながら、嫌でも禾山での事を思い出していた。

 今見える頂の向こうが禾山だろう、そう思わず考えてしまう。

 皮肉なものだと思った。

 あれまでずっと、繍の一騎として苴軍を滅ぼさんとしてきた。

 深くは考えていない。ただ、苴が憎かった。故郷を滅ぼした国の一つとして。

 目の前の敵を殲滅する事しか考えていなかった。

 それが、今は苴から繍に入国している。あの国に一矢報いんがため。

 今は苴より、断然繍の方が憎い。

 ふと気付いた。

 燕雷があれほどまでに入国に手こずったのは、自分のせいではなかろうか、と。

 苴の国境沿いにおいて、月の悪魔を知らぬ者はまず居ない。実際に姿を見た者も居る訳で、そこから大体の容姿は割れているだろう。

 月の悪魔の姿は、長い銀髪の、小柄な少年――そんな情報が出回っていたとしたら。

 銀髪などそう居るものではない。そう言えば最初に関所を訪れた際、役人達が遠巻きに息を飲んでこちらを見ていたような気がする。

 そうと気付いたら、訳の解らぬ愚痴を垂れていると思っていた燕雷に、少し申し訳なく思った。

 悪魔が国境を越えるなど、苴からすればあってはならぬ事態だ。かつての千虎の言動を思い起こせば明白だ。

 そこを曲げてくれた。

 朔夜のせいだとおくびにも出さぬ燕雷に謝すると共に、それを一筆で変えた皓照の力をまざまざと思い知る気がした。

「なぁ、燕雷。皓照はなんて書いてたんだ?」

 聞かずとも良い事だが、気になる。

 燕雷は思いがけぬ問いに「うん?」と少し振り向きはしたが、しばし黙った。

「ごめん、訊いちゃいけなかった?」

 間の長さに焦って詫びる。

「いや、そんな事は無い。俺もちらっとしか見てなかったからさ、何だったかなと思って」

 何の気なさそうに燕雷は言った。

「そっか。なら良いんだ、ちょっと気になっただけだから」

 朔夜もそう答えながら、燕雷の態度に引っ掛かっていた。

 言えない何かがあるのだろうか、と。

 足止めを俺のせいにしない為の配慮なのかも知れない、そう思ってあまり深く考えなかった。

 が、共に馬に乗っている燈陰が、後ろから耳打ちして考えが変わった。

「尾けられている」

 はっとしたが、表には出さなかった。

 何者かは解らない。が、無用の情報のやり取りを危惧した為に燕雷は黙ったのだ。

 しかし誰が自分達を尾行しているのだろう。

 既に国境は越えている筈なので、繍の間者である可能性が高い。

 ならば始末しなくては。

「まだ遠いのか?」

 さも旅の目的地を尋ねているように問う。

「そうだな。少し遠い」

 燈陰も意を汲んで答えた。

 尾行する何者かまでの距離は、始末するには得物が届かない。間合いまで少し遠い、と。

「朔、腹が減ったか?夜まで待ってくれるか?」

 前から燕雷が問うた。

 恐らく夜になれば近くまで寄ってくる、その時まで待て、と。

「うん。どうせまた野宿だろ、こんなに山の中じゃあ」

「はは、しばらく宿だったから寝付けないかもな」

「そんな事は無いだろ。野ざらしには全員が慣れてる」

 これで三人の意志疎通は出来た。

 今晩、寝込んだ振りをして敵の尻尾を捕まえよう、と。

 でも、と朔夜は思う。

 もし本当に繍の間者だとしたら、何が目的なのか。

 尾行してこちらの様子を伺っているだけなのだろうか。それとも、他に目的が?

 月の悪魔と判っているのか、それを探っているのか。

 そして、影と繋ぎを取っている可能性もある――

 影は今どうしているだろう。いくら怪我を負っているとは言え、油断ならない。近くまで来ているかも知れない。

 この気配は本人とは思えない。影は気配の消し方がもっと上手い。否、比べ物にならない。これではまるで素人だ。

 他の繍の間者でももっと上手い筈なのだが。

 だとすると、違うのか?

 それ以外で、一体誰が――?

 山の日暮れは早い。

 急峻の中に陽が沈むと、谷は濃い影に覆われる。

 燕雷は木の生い茂る林の中に適当な場所を見つけ、馬を降りた。

 闇に、木陰に、姿を隠しながら近付ける。尾行する者にとっては絶好の場所だ。

 三人にとっては、その何者かを刀の間合いに招く必要があった。寝首など掻かれよう筈が無い。

 夕食を済ませ、下火になった焚火の上に三人顔を付き合わせた。

「来るだろうか」

 当然ながら低い小声で燈陰が問う。

「さてな。五分だろう。あちらさんの目的によるな」

 焚火を木の枝でつつきながら燕雷が答えた。

「ただ見ている為だけに近付いたとも思えんが」

 監視が目的なら厄介だが、命懸けでそれをするとは思えない。

 影の代わりだろうかと朔夜は考えもしたが、それには明らかに不自然な要素が一つある。

「殺気が感じられる。忍の類いじゃない」

 朔夜と同じ事を燈陰は感じ取っていた。

「…朔」

 燕雷が難しい顔で視線を向けた。

「心当たりがあるか?」

 何らかの事情で殺意を抱かれるとしたら、それは朔夜に向けられるものでまず間違いない。

 燕雷は朔夜に嫌な記憶を呼び起こさせる事を危惧したのだが、本人は鼻で嗤った。

「この国じゃ俺は憎まれ恨まれしてる悪魔なんだ。悪魔は払われて当然だろ」

 言葉を失う燕雷に、今度は優しく微笑って、朔夜は言った。

「この世であんたくらいだよ、俺を恨んでないのは」

 ちらりと横を見て、付け足した。

「肉親にだって恨みを買ってるんだ。華耶だって、俺さえ居なければこんな事にならなかったのに…」

 燈陰は黙ったまま、何の反応も示さなかった。

 燕雷が、どうして否定しないのかと言いたげに視線を向けてきたが、焚き火の灰ばかりを睨んでいた。

「…話を戻そう。敵は繍の隠密じゃないと俺は思う」

 険悪になる空気を自ら打ち切り、朔夜は言った。

「長年奴らとは付き合ってきたが、こんなに下手な尾行はしない。多分素人だ。それなら十中八九…」

 これ以上燕雷の顔を曇らせるのは気が進まなかったが。

「俺を殺したい奴だ」

 予想通りに燕雷は眉間に皺を寄せて、溜息を吐いた。

 救えないよ、朔夜は心中で燕雷に自らの事をそう言った。

 誰にも救えない程の愚か者なんだ、俺は。

「…だから、ちょっと一人になって様子を窺おうと思う。俺が一人、この暗闇でふらふらしてたら、向こうも襲いやすいだろ?」

「大丈夫か?」

「ま、死にはしないから。何があっても」

「それはそうだが…」

 言い淀みながら燕雷は空を見上げた。

 木々の梢の向こう、細い月が見えた。

「心配するなら、あちらさんの心配をしてやってよ」

 冗談めかした口調で、しかし顔は俯いていた。

 相手は素人――それが本当に軍人でも何でもなく、家族の仇を討たんとする善良な民だったら。

 自分に都合良く歯止めが掛けられる自信は無い。

 朔夜もまた月を睨んだ。

「しばらく憑かれてなかったから、ちょっとでも箍が外れたら…きっと、我を失う」

 千虎の時のように。

「でも、一刻でも早く正体を突き止めた方が良い。華耶が危なくなるかも知れない」

 予想が外れ、繍の忍だったなら。

「分かった。なるべくお前だと知られないようにやれよ。あと、少しでも変だと思ったらすぐ駆けつけるからな」

 燕雷の心配そうな言に、朔夜は素直に頷いた。


 夜更け。

 燕雷と燈陰は焚火を囲んで眠っている振りをしている。近くに居れば、息を詰めて辺りの気配を窺っているのが判る。

 月が中天に昇った。

 朔夜はそっと毛布から這い出て、森の中に吸い込まれていった。

 闇。右も左も、前後も、はたまた上下すら無い闇。

 常の感覚を奪われ、意識は過去を遡る。

 前もこんな山の中を歩いていた。闇の中を、戦火に向かって。

 あの頃の感覚がまざまざと蘇る。いつしか足は戦場を探して歩みだした。

 ――苴軍は力尽くで他国の領土を奪っている。梁巴が攻められたのはその為だ。

 いつか、誰かに言われたこと。

 ――繍もまた苴軍の非道による被害を被っている。我々が梁巴に出兵したのはかの地を苴の業火から守らんとした為だ。よって、君はその恩を返す為に繍と共に戦う必要がある。繍の民を守ってくれ。その力で。

 歩みは自然に止まり、そこに立ち尽くした。

 悪いのは苴だ、あの時単純にそう確信した。

 そんな悪い国は無くさねばならない。俺はその為に生まれてきたんだ。繍の人達を守らなきゃ――

 そう信じて、無理にでもその理論を飲み込んで、戦い続けてきた日々。

 だんだん繍の実態を知り、それが嘘だったと気付きながら、それでも従わざるを得なかった。他に居場所は無いのだから。

 己がこの世に居座る為に、千の命を奪った。

 罪悪感は無かった。それ以上の数の誰かを救っていると思えば、誇りだとも思って良かった。

 だが、苴の人間を見てしまった今は、苦いものが込み上げる。

 当たり前だが、苴の人間も同じ人間だった。

 繍の人間も、梁巴の人間も。

 それが、何故。

 互いが互いを人間だと思えなくなってしまったのだろう。

 結果的に梁巴の民だけが苦しみ、その辛苦を与えている獄卒共は好き勝手に戦をしている。

 罪ある者が裁かれぬ世界。神など居ない。

 朔夜は足を止めた。

 簡単な事に今まで気付かなかった。

 憎むべきは繍や苴という国ではない。その名前しか知らなかっただけで、本当に悪いのは誰かという名のある人間なのだ。

 本当に悪い人間が国という簑にくるまって、今ものうのうと生きている。柑梠のように。

 神が裁かぬのなら、神と騙られるこの手で裁けば良い。その為の力なのだ。

 こんなに簡単な事に今まで気付かなかったとは。

 そう飲み下してしまえば、それまでの躊躇いが嘘の様に消えた。

 華耶を苦しませている奴らに、一刻でも早く、裁きを。

 俺が救えるかどうかなんて問題じゃなかったんだ。俺ではなく、この力がする事だから。

 どうせ救う事は出来ない手だ。悪を破壊する為にある身なのだ。

 だから、奴らを殺す為に俺は行けば良い。

 そう思えば、哄いが込み上げてきた。

 闇の中で、独り、哄いながら泣いていた。

 漸く見つけた存在意義。その救いの無さ。

 身体を折り曲げ、反吐が出そうな程哄った。

 悪魔に憑かれるのではない。

 既に自分自身が悪の権化だった。

 背後に気配を感じて哄笑を止めた。

 代わりにぬらりとした笑みを口元に浮かべて振り返る。

 思い出した。己を狙う虫を罠にかける為こうしている事を。

 調度良い贄が来た。

 月は血に飢えている。


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