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月の蘇る  作者: 蜻蛉
第四話 支配
35/50

3

 馬の背中で揺さぶられながら、父親に抱えられ、どんどん流れてゆく景色を見ると確かにもなく見ている。

 のどかな潅の街は、徐々に建物がまばらになり、農地と林の緑だけとなった。

 それでもこんなに豊かな緑色は今までにそう見たことは無い。梁巴は岩山の灰色か、冬は常に雪に覆われて白かった。

 繍では昼間に出歩くことが無い。暗闇しか知らない。尤も日中の光景を見ていない訳では無いが、記憶の中では薄暗い。

 月の力の反動でいつも疲れていたから、何もかもが曖昧なのだ。

 思い出したくも無いせいかも知れないが。

 梁巴での記憶の方が、ずっと昔の事なのに、ずっと鮮明に思い出せた。

「何考えてる」

 頭上から聞きたくもない声がする。

「別に、関係無いだろ」

 つっけんどんに返すが、黙ってはくれなかった。

「本気で華耶を見捨てる気だったのか?」

 喋る事は無いとばかりに朔夜は黙る。

 喋れる事など無かった。言い訳する資格も無い気がした。

 逃げていたのは、事実だ。

「俺がお前を責める事なんざ、出来ないんだけどな」

 意外な事を燈陰が言った。

 そして思い出した。この男は妻子を見捨てて逃げたのだ。

 あれだけ見下げ果てていた、同じ事をしていた。

「怖かったんだよな」

 燈陰が言った。

 朔夜への問いなのか、己の述懐なのか、判然としなかった。

「あんたが怖いものって、何」

 朔夜が訊く。心底判らなかった。

 ただ、自分に同じ問いが向けられたら、華耶を失う事と答えるだろう。

 それと同じ心理だとしたら、その対象は。

「自分の手に負えないものだよ」

 期待とは違う答えに、一瞬何の事か理解しあぐねた。

 そして、ふつふつと蘇る、怒りと絶望。

「…俺の事だと言いたいのか?」

「そうとは限らない」

「俺という化物も含めて、だろ!?手に負えない化物から逃げる為に母さんまで見捨てた!」

 燈陰は何も返さなかった。否定もしなかった。

「最低だ…」

 呟く。吐き捨てると言うより、泣き声に近かった。

「どうして俺だけにしなかった…。母さんまで巻き込む事は無かっただろ。俺を戦場に棄てておけば済んだのに…」

「それは出来なかった」

「どうして!?」

 燈陰はすぐには答えなかった。

 実際、自身にも答えが解らなかった。

 陳腐な言い訳なら出来る。自分の子供を戦場に棄てる親なんざ居ない、そう言えば良いのかも知れない。

 ただ、今さらそんな言葉を吐かしたところで、薄っぺら過ぎる。

 嘘とまでは言わないが、納得させられる訳が無い。

 結局、一番正直なところを口にした。

「そんな事はあの時思いもしなかった。自分の落とし前をつける事に必死で」

「…最低だ」

 朔夜は同じ事を繰り返して、黙り込んだ。

 別段何を期待していた訳では無かった。なのに、心にすきま風が吹きすさぶようだ。

「おい!燈陰!朔夜!」

 不意に後ろから声がした。燕雷が追い付いたのだ。

 軽く燈陰が振り向く。朔夜はほっとした顔で後ろを覗き込み、手を挙げた。

「こっちに付いて来てくれるんだ?」

 素直に弾む声で朔夜が問う。

「ああ。親子喧嘩を仲裁する者が要るだろう?」

「仲裁は要らない。もう俺、燕雷としか口利かない事にした」

「おいおい」

 反抗期真っ盛り発言を受け流した燈陰は、これもまた燕雷への問いを口にした。

「良いのか」

 何が、と燕雷は無言の内に問い返す。

「奴を放っておいて」

 誰の事かなど、訊く間でもない。

 燕雷は呆れ混じりに笑った。

「ホントに恋人同士じゃないんだからな。ちょっと離れただけで駄々捏ねるような細君じゃねぇよ、アイツは」

「さいくんってなに?」

 純朴過ぎる本物のお子様に質問されて、また苦笑いして答える。

「奥さんって意味」

 眉間に皺を寄せて考える顔をしているが、敢えて見て見ぬ振り。

 燈陰は鼻で笑って聞き流していた。

「で?あの隠密の姿は見たのか?」

 何でも良いから場の空気を変えたくて割と大事だと思われる質問を、今度は燕雷からする。

 が、一笑に附されてしまった。

「わざわざ姿見せる訳が無いだろ」

 少し考えれば分かる事だと言わんばかりに。

 生意気にも朔夜まで尤もらしく頷いている。

「そりゃそうですよね」

 訊いた俺が馬鹿だったと白旗降参。

「奴は手負いだ。馬の足に追い付く訳が無い。いくら優れた忍びでもな」

 確信を持って燈陰は言い切った。

 燕雷はそれに異議など挟む余地も無いが、朔夜はいくらか不安げに前方を虚ろに見ていた。

「大丈夫だ」

 しっかりとした声音で燕雷は言いやる。

「…わかってる」

 対して、覚束ない調子で朔夜は返し、俯いた。

 本音は不安しかないのだろう。

 木々が鬱蒼と繁り始め、薄暗さに比例して空気も重たく感じられる。

 日暮れも近いのだろう。徐々に視界が利かなくなった。

「夜営の場所を考えなきゃな」

 まとわりつくような空気を払拭しようと、殊更明るい声で燕雷が二人に告げた。

「夜営?」

 心外だとばかりに朔夜が聞き返す。

「なんだ?宿じゃないと寝れないって言うのか?」

「俺ほど木の根っこを枕に寝てる人間は居ないよ。そうじゃなくて、夜通し駆けるんじゃないのか?相手は影だ、油断は出来ない」

「駆けるのはお前じゃない。馬も休ませねば明日から歩かねばならなくなるぞ。何、大丈夫だ。向こうは人間だろう」

「そう…だけど」

 口ごもって朔夜は黙り込んだ。

「焦るな」

 燈陰が小さく告げる。

 睨む事も出来ないほど、それが自分に図星であることを朔夜は噛み締めていた。

 焦り。

 もし、華耶に何かあったら?

 否。

 不安はそれだけではない。

「この辺りで良いだろう」

 燕雷が馬を止め、燈陰も手綱を引いた。

 山道の脇、木々の中にぽっかりと空いた空間。

 先に下馬した燈陰の手で、柔らかい土の上に降ろされる。

 だが、足はおろか、腰も体を支える力は残っていなかった。

「一番休憩が必要だったのは、お前じゃないか?」

 へなへなと座り込んだ朔夜を笑って燕雷が冗談っぽく言う。

 本人には悔しいが、冗談ではない。

 長時間の乗馬でさえ耐えられないほど体力が落ちている。

 これから運命を賭けた戦地に入ると言うのに。

「ほら、肩につかまれ」

 燈陰に言われるがまま、肩を支えられて広場の中心まで連れてこられた。

 燕雷がその側で火を焚く。

 疲れからぼうっと火を眺めていると、背中に毛布を掛けられた。

 目前で、燕雷が夕食を作る。鍋に水と芋を入れ、火にかけて煮ている。

 薪の爆ぜる音。沸騰する鍋の中身。時折低い話し声。

 火が、燃える。

 暗闇の中で。

 炎が、


「朔夜」

 息も止まらんばかりに驚いて目を覚ました。

 そこにあった顔が燕雷だと判って、大きく息をついた。

「ほら、飯」

 温かい椀を受け取って、やっと頭が現実に追い付く。

「…ありがと」

「また悪い夢でも見てたのか?」

「多分…ね」

 弱々しく笑って椀に口を付けた。

 ほのかな塩味。香草の香り。

「毎度毎度大変だなぁ。悪夢を見ない日って無いのか?」

 気楽に燕雷は問う。燈陰は横で黙って聞いている。

「ある…と思うよ。そんなに毎回じゃないって」

 自分の弱さを真面目に考えるのが恥ずかしくなって、少し笑ってごまかした。

「そうか。華耶ちゃんが側に居れば大丈夫なんだな?」

「なんでそう言える…」

 図星過ぎて語尾が萎む。

 華耶が近くに居ると思えば安心して眠れる。実際そうだ。

 それで悪夢を見始めた最初――繍に連れて来られた頃は、華耶の元へ通い通しだった。

 唯一の安寧の場所。

 無くなろうとしている場所。

「燕雷」

「うん?」

「華耶を救うんだろ?それに俺を連れて行くのは…不適格なんじゃないか?」

 燕雷はすぐには否定せず、少し間を置いて問い返した。

「まだ不安なのか?お前は救いたい人を自ら傷付けるような事はしないだろう」

 朔夜は悲壮さの混じる表情で、言葉を詰まらせた。

 ――それが出来たら。

 失わずに済んだ人の顔が頭に過る。

「燕雷」

 燈陰が割って入り、首を軽く横に振った。

 まだ何か言いたげではあったが、燕雷は口をつぐんだ。

「…どうせあんた達には解らないよ」

 朔夜は言い捨てた。燈陰がしゃしゃり出た事で、もう何も言いたくなくなった。

「朔」

 燕雷が叱責の声音を作った時、それを止めるように燈陰が問うた。

「お前が祥芳を殺したのか?」

 燕雷はその名が誰を指すのか判らず、咄嗟に制止する事を忘れた。

 朔夜は――目をいっぱいに見開いて、父親を見つめていた。

「お前のその力で殺ったのか?」

「…だとしたら、どうする…?」

 掠れた小声で朔夜は問い返した。

「別に、どうもしない。ただ、知りたいだけだ」

「嘘だ…!本当は俺が憎いんだろ!?殺しても飽きたらないくらい憎いんだろ!!」

 燈陰は深く深く溜息をついた。

 そして面倒臭そうに、焚き火の炎をつつきながら、小さく言った。

「ああ。その術が無いだけだ。返り討ちは目に見えているから」

 ぱちり、と火が爆ぜた。

 夜の獣の蠢く気配。

 静寂は、あまりに騒がしい。

「…そうだよな」

 朔夜はその静寂の中にぽつりと言った。

「なぁ、その人はお前の母さんなんだろ?どうしてそう言える?記憶も無いのに」

 燕雷は言って、今度は燈陰に向き直った。

「お前は…朔がした事と言える理由があるのか?見ていた訳じゃないんだろう?」

 そして二人に言った。

「親子で憎みあってる場合か?いい加減、現実を見たらどうだ。お前達は憎み易い相手を憎んで過去を忘れようとしているだけだ。本当の敵に目を向けずに」

 二人は目を逸らして黙り込む。

 本当の敵――戦うべき相手は、解っている。

「…燕雷」

 朔夜が呟くように言った。

「こんな俺を繍に連れて行っても、足手まといなだけだ。まともに動けもしないし」

 燕雷は、大袈裟な程に声を立てて笑った。

「大丈夫だ!安心しろ!まだ繍までは半月馬を駆らねばならんからな、お前の訓練は十分出来る」

「…お手柔らかに頼むよ」

 嫌な予感でもしたのか、顔をしかめて朔夜は言った。

「ご馳走さま」

 空になった椀を燕雷に返す。

「寒くないか?」

 燕雷の気遣いに頷く。

「そうか。寝られるうちに寝ておけよ」

 素直に毛布の中で丸くなって草を枕にする様子を見て、燕雷は燈陰に目配せした。

 二人は立ち上がり、木立の中に入る。

 緑の匂いが鼻をつく。

「どうしてあんな事を」

 朔夜に聞こえないように、囁き声で燕雷は言った。

「何の事だ?」

 しらばくれている訳ではなく、見当もつかないと言わんばかりの燈陰に、苛立ちさえ含ませて燕雷は声を出さず怒鳴った。

「あいつが殺したかなんざ確認する必要があるのか!?」

 呆れたような視線。

 怒りを削がれて燕雷はたじろぐ。

「何だよ…?」

「お前は、妻と子供を殺した奴の顔を知っているんだろう?」

「…ああ。当然だ」

 自身を殺した相手でもある。

 知っている。知り過ぎていて、忘れる事など出来ない。

「俺は知らない。あいつならあいつだと確証が欲しい。真実が知りたい」

「復讐の為にか」

 間を置かず燕雷は問うた。

「だとしたら…悪いか?」

「ああ。悪い。止めておけ、と俺は言う」

「なら勝手に言わせておく。お前には関係無い。あいつの事もな」

「関係無い?なら俺が勝手に首を突っ込んでいるだけだ。一人前の口を叩くくらいなら放っておかせろ」

「…あんたは憎く無かったのか。殺そうと思わなかったのか。そんな奴は余程の聖人か馬鹿だ。あんたはどっちだ?」

 覇気無くぼそぼそと低く喋る燈陰の言葉の痛み。

 同じものを燕雷も十分過ぎるほど感じていた。

「…俺は殺しに行ったよ、燈陰。偉そうな口を叩くなと言われるかも知れんが」

 片眉を上げてその男を見る。

 いつもより、ずっと疲れ、老いて見えた。

「復讐のために生かされたと思い込んでいた。愚か者だ、俺は」

「当然の感情だ」

「そうかも知れない。だが愚かだ」

「復讐の何がいけない?罪も無い人間がごまんと殺される世の中で、罪深い人間を一人殺す事の何が悪いって言うんだ!?」

 燕雷は応えなかった。咄嗟に答えを出せなかった。

 ただ、人差し指を立てて、声高になった燈陰を黙らせた。

「…別に朔に復讐しようとは思わない。例え本当に妻を殺していたとしても」

 声を抑えて燈陰は言った。

 そう口にしただけ、という声音だった。


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