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月の蘇る  作者: 蜻蛉
第四話 支配
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2

 影が逃げた――真っ先に反応したのは、燈陰だった。

 それはそうだろう、つい、今、華耶への心配を口にしたばかりなのだ。影の脱走は、その最悪の事態を現実の物へと近付ける。

 燈陰は無言のまま椅子を蹴って廊下へと駆け出した。

 燕雷も続こうとして。

 長年付き合ってきた相手の、異様な様に気付いた。

 異様、と言うより、いつもと何ら変わらないと言った方が正しい。

 この非常事態に於いて。

「お前、まさか」

 嫌な予感がした。

「わざと聞かせたのか?」

 皓照は。

 にっこりと、いつもの柔和な笑みを浮かべた。

「何考えて…!?」

 問を重ねようとしたが、目の端で窓の外、遠く、影の走る姿を捉えた。

 尋問は後だと考え直し、自らも追跡に加わる為、走り出す。

「追い付きはしませんよ。相手はその道の達人ですから」

 背中で皓照の言葉を聞いたが、振り向く気にはなれなかった。


「…何かあったのか?」

 やっと、朔夜が騒ぎに目覚めて布団から顔を出す。

 皓照は何でも無い事の様に答えた。

「貴方の影が逃げました」

「な…!?」

 言葉にならず、衝撃に息を詰まらせて。

 寝台から出てはみたものの、足は思うように動かない。へたる様に床に座り込んだ。

「御安心を。燕雷と父君が追い駆けています」

「本当に!?」

 希望を込めた目で見上げる。

 その希望を撃ち落とす様に、皓照は続けた。

「ま、あの二人が捕まえるのは限りなく難しいでしょうが」

 見開く眼。

「その事については貴方が一番よく判る筈です。あの者の能力が人並みじゃない事は」

 怒りすら含んでいた眼は、絶望に曇った。

 確かに、無理だ。それは自身が一番よく知っている。

「華耶が…」

 呟いて、嫌悪感に襲われる。

 つい、今しがたまで、彼女から逃げたいと、そう思っていたのに。

 いざ危機が目に見えると、助かって欲しいと願っている。

 あまりに身勝手だ。

 だが、自分自身で彼女を助けられる気は、しない。

「…頼む、皓照…」

 そう言うしかなかった。

「華耶を、助けて…」

 皓照は、しばらく何も答えずに。

 追跡を諦めた二人の足音が微かに聞こえ出して、やっと口を開いた。

「結論から言いましょう。無理です」

 朔夜はその一言に身を斬られた様に、目をいっぱいに開き、呼吸を浅くして、震えだした。

 言い訳がましく、皓照は付け足した。

「私は今から諸国を巡らねばなりません。繍を滅ぼす為に」

「…そうか…」

 諦め、痛々しく笑って、朔夜は言った。

「一国を動かすあんたに、餓鬼の一人や二人なんざ、見える筈が無いよな…」

「朔!」

 燕雷と燈陰が帰ってきた。部屋に入るなり目覚めた朔夜の姿を目に入れて、同じように床にしゃがみ込む。

「聞いたか?影が…!」

 燕雷の言葉に力無く頷いて、顔を上げて弱々しい笑みを無理に顔に張り付けた。

「ありがとな。追い駆けてくれて」

「済まん、取り逃した…」

「うん。仕方ないよ」

 心底済まなそうに謝る燕雷に、笑んだまま小さく言った。

 そして、皓照を振り返る。

「なぁ、旅に出る前にさ、俺の息の根を止めて行ってよ」

 のんびりと、何気ない気楽さで。

「あんたなら出来るだろ?」

 一瞬、張り積めた空気。

 燕雷さえも自責から言葉を失う中、燈陰がおもむろに立ち上がった。

「何やって…」

 皆が訝しむのも構わず、棚を開き、中に納められていた白い布を手にして。

 朔夜の頭めがけて投げた。

「痛っ!!」

 頭から布を被るついでに、そこに取り付けられている半端なく硬いもので身体中打ち付けて叫び声をあげる。

 燕雷は唖然として親子を見、皓照の眼は完全に楽しんでいる。

「何すんだよ!?」

 もがいて布を頭から剥ぎ取りなぎら当然の怒鳴り声をあげる朔夜。

「お前の魂を返してやった。それだけだ。他人を責める前にてめぇの手元をよく見ろ」

 冷静に返されて、怒りながらも何も出来ない朔夜は、漸くそれが何かに気付いた。

 自分の上着。よく手に馴染んだ、短刀二振を付けた。

 はっとして、己の得物を握る。

「お前はまだ何も失っちゃいない」

 上から燈陰の声が降り注ぐ。

「戦ってすらない。なのに逃げるのか?それも、己が救うべき人すら振りきって、誰も手の届かない所へ」

「……華耶…!」

 呟く。長く忘れていた名のように。

「少なくともお前は、そんな甘ったれじゃ無かったし、俺もそう育てた覚えはない」

 束を握る。

 ゆっくりと、刃を引き出す。

 今研がれたかのような耀き。

「…俺もあんたに、まともに育てられた覚えは無いな」

 刃に目を落としたまま、朔夜は言った。

 燈陰はにやりと笑う。

「この恩知らずめ。刀を教えたのは俺だ」

「教えた?餓鬼をのして楽しんでただけだろ」

「生意気言いやがって。そうやって叩き込んでやったんだ。まだ餓鬼にその有り難みは解らんだろうがな」

「ああ?叩き返して他にやり方があったって思い知らせてやろうか?」

「上等だ。やれるもんならやってみろ」

「はいはいはい、親子喧嘩はそこまで!」

 燕雷が手を叩いて止めに入る。尤も、朔夜は動けないので喧嘩が実現する事は無かったが。

「だぁー、もう!餓鬼同士かお前らは!少しは状況を弁えろ!」

「状況を打破する為だ燕雷。俺は餓鬼よりは物を考えてる」

 燕雷が思い切り苦笑して何か言う前に、朔夜が唇を尖らせてぼやいた。

「どうだか。動けない子供相手に本気になりすぎだろ」

「ほー。珍しい。自分がお子様だと認めるのか」

「うっせえ!お前の子供だって言ってるだけだ!」

「だーかーら、喧嘩はやめって」

 どーどー、と朔夜を宥め、燈陰に向けて意地悪く笑う。

「良かったな」

「何が」

「仲直りできて」

 応える事は無いと言わんばかりに燈陰は背を向け、別の棚を開けて荷物をてきぱきと纏めてゆく。

「皓照」

 背を向けたまま燈陰は言った。

「俺は今日限りで玄の弓を抜ける。そもそも入った覚えも無いが、要するにお前との付き合いはこれで終いだ」

「ええっ…!?」

 狼狽したのは寧ろ燕雷だった。朔夜もまた驚いた顔をしている。

 当の皓照はあっさりとしていた。

「そうですか。ま、そうでしょうね。どうぞ、ご自由に」

「ちょ、待てよお前ら!」

 燕雷が割って入った。

「どうしてだよ燈陰!俺は理由を知らなきゃ納得出来ない!」

「お前が組織を率いている訳でもないのに、納得させなきゃならんのか?」

 すぐ横に寄ってきた燕雷の顔を呆れた顔で見遣る。

 だが、その表情に多少罪悪感を覚えて、燈陰は溜息混じりに言った。

「お前はまだ、この男に付いて行けるのか?」

 視線で皓照を示す。

 言い淀んだ燕雷が答えを出す前に、燈陰は自らの答えを言った。

「俺には無理だ。自分の子供を巻き込むかと思えば、尚更」

 燕雷に否が言える筈は無かった。それを解っていて問うた。

 お前はこのままで良い、と。

「おい…何の話だよ?」

 一人事態が飲めない朔夜が声をあげる。

 燈陰は振り返って、息子を怒った。

「何ぼさっとしてるんだ。さっさと着ろ。すぐ出るぞ」

 白い上衣はまだ腕の中で弄ばれている。

「出るって何処に」

「何呆けてんだ。影に先回りして繍に入るに決まっているだろう」

 朔夜は目を見開いた。

 繍に入る――華耶を救い出す為に。

「ったく、頭も鈍い鈍亀なんぞ待っていられん」

 言うなり、燈陰は荷物を片手に、もう片手で朔夜の腰回りに手を回して持ち上げ、強制的に運びだした。

「何すんだよっ!」

「じっとしておけ。邪魔くさい。どうせ歩けんだろう」

「だからって――!!」

 怒鳴り合う声が廊下の向こうに遠くなる。

 燕雷は二人の去った方をじっと見ていた。

「貴方も行きたいなら、どうぞ」

 背中から皓照が言う。感情の無い、いつもの声で。

「皓照」

 燕雷が意を決した顔付きで皓照に向き直る。

「勘違いするな。俺は何百年、何千年経とうが、生きている限りお前の元を去る気は無い」

「これはまた…。良いんですよ、そんな義理立てしなくても」

「義理じゃない。命を救って貰った恩とは別だ。俺がそうすべきだと思うから」

「何故です?」

「お前を独りにする訳にはいかないからだ、皓照。お前は誰かが居なければ、己の力に溺れる危険がある」

 初めて、真っ向からそんな事を言われたのだろう。

 皓照の口元から笑みが消えた。

「今は俺だけであの二人を追う。だが必ずまた合流しよう。繍をどうにかせねばならない事には賛同だからな」

 構わず燕雷は言って、皓照に背を向けようとした。

「何を根拠にそう言えるんです?」

 殆ど囁くような言い方だった。

 燕雷は足を止め、視線を戻す。

「貴方に逢う前の私を知っている訳でもないのに」

 数えきれない年月の孤独を抱えていた。

 既にそれは孤独などではなく、痛みなど忘れてしまった。

 そこにあるのは、絶対的な、己のみの世界だった。

「…根拠なんか無い。悪い。口が過ぎた」

 案外、素直に燕雷は詫びた。

「でもな皓照、人は一人より二人の方が良いぞ?三人なら尚更、多ければ多いほど良い。その方が良い知恵も出る。出来ない事も出来る」

「なるほど」

「だからさ、人は大事にするもんだ。俺があの親子を追うのも、まだ仲間でありたいと思うからさ。その方がお前の為にもなる」

「では、その点はお任せします。しかし、朔夜君には言わないのですか?」

「何の事だ?」

「私がその、華耶さんという人を殺すつもりだったと」

 燕雷は、ひやりとした皓照の視線を受けて、背筋が寒くなった。

 完全に、華耶を死なすつもりで図面を引いていたのだ、この男は。

「言わない」

 断固として燕雷は言った。

「一生、この事は黙っておく。燈陰もそうだろう。朔に教える訳にはいかない」

「どうしてです?彼には大事な問題でしょう?」

「それを知ったらあいつはお前に歯向かう。敵わないと判っていても」

 怒りに任せて命を捨ててもおかしくない。

「俺はお前があいつを斬るところを二度と見たくはない。燈陰はあいつを死なせる訳にはいかんだろう。お前が何の容赦も無く切り捨てると、あいつは考えてるから」

「貴方は?私が情を知らぬ男だと思っていますか?」

「いや。思ってない」

「冗談を。長い間私の事を見てきたでしょう?」

「だからこそだ。お前は自分で思っているより薄情じゃないよ」

 ふふ、と皓照は笑う。

「本気にしてないな」

「当たり前ですよ。貴方の言葉は説得力がまるで無い。私が薄情ではないと、どうして言えるんです?」

「本人に訊かれちゃ俺も答えようが無いなぁ。どうせ また怒るんだろうし」

「怒りませんし、私がいつ怒ったと言うんですか?そんな事、ここ百年ばかり無いと思うんですけどねぇ」

「はいはい、悪かった。俺の思い過ごし」

 棒読みでねちねちとした皓照の反撃を流して。

「それより、良いのか?朔夜を繍に入れて。お前の計画が破綻しちまうけど」

 燕雷の親切心からの問に、ああ、とさも今気付いたと言わんばかりの声をあげた。

「それもそうですね。敵を釣る餌を撒き餌にしてしまっては意味が無い」

「どうするんだよ?念の為言っておくが、連れ戻す気は俺には無いからな」

「ええ。構いません。そもそも釣り自体に意味が無いんです」

「…何?」

「目的は害のある繍という池の魚どもの駆除です。ならば、わざわざ釣るより、まとめて駆逐してしまった方が早い。網でも入れますかね?それとも池の水を干上げた方が良いでしょうか?どう思います?」

「…お前、大義も無しに一国を攻め滅ぼす気か?無実の民を巻き込んで」

「大義と言いますが、どうせ建前でしょう?それも、敵の為に用意してあげる言い訳だ。必要ありませんよ」

「諸国を説く為の大義じゃないのか」

「ええ。皆、目障りな繍を討ちたいのが本音ですよ。私が鶴の一声をかければ、大義など関係無く彼らは動きます」

 確信的に皓照は言いきる。燕雷は眉間に皺を寄せて頷きもしなかった。

「あと、民ですけどね、戦に巻き込まれるのはこの時代に生きる者の常でしょう?それをいちいち気遣っていたら、大望は果たせませんよ」

 今度は疑わしそうな目で、燕雷は長年の連れを見遣った。

「そういう言葉を吐かしながら、万事抜かり無いのがお前だ。民の保護策も本当は考えてあるんだろう」

 皓照は笑って首を傾げる。こんな仕草をされると小娘の様だ。

「分かった。俺は俺のやるべき事をやる。お前も好きに動けば良い。ま、俺がそんな事を言う筋合いは無いが」

「ええ。ご心配なく。私は私のやりたい様にやります」

 燕雷は頷き、もうとっくに城を出ているであろう二人を追った。



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