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月の蘇る  作者: 蜻蛉
第三話 救出
31/50

9

 闇の中、時間の狭間に迷いこむ。

 ここはどこだったか、いつだったか――混乱する記憶。

 つい先刻見た映像。あの男にまた斬られた。

 あの男?誰の事だ?斬られたのにまだ生きているのはどういう事だ?

 否、答えなら判りきっているではないか。あれは月夜だったのだ。それも、ただの月夜ではない。

 そうだ。桜の散る、あの夜。

 あの夜、俺は斬られて、そして…

 思い出せない。頭が痛くなる。

 ただ、あの後、気付いたら地下牢に居た。

 その間どれだけ時間が流れていたのかは判らない。

 けれどその間に、俺は全てを失い、柑梠の犬になっていた。

 だとしたら、ここはあの地下牢か。

 またあの悪夢を繰り返さねばならないのか。

 嫌だ。もう、何も見たくない。何も――

「朔」

 決して大きくはない呼ぶ声に、心臓が飛び上がった。

 一気に現実に戻された頭が、それは父親の声だと理解する。

 夢だ。あの夜の夢をまた見ていたせいだ。

 見たくないと拒絶する過去を、夢は埋めようとする。

「目、覚めてるんだろ?」

 朔夜は恐る恐る布団をめくり上げた。

 光が溢れる。朝焼けが、部屋を朱く染めた。

 酒の臭気が鼻を突く。燕雷は机に突っ伏して寝ている。

「やっぱりな。魘される声が止んだから、起きたと思った」

「寝起き狙って絡んでんじゃねぇよ、酔っぱらい」

「失礼な。俺は全然酔ってない」

「酔っぱらいは皆そう言うだろ」

 燈陰が上機嫌に笑うのが癪で、口を閉じた。

「じゃあ、酔っぱらいの戯れ言だと思って聞け」

「何を」

「あの夜、俺が何をしていたか」

 口を閉ざし、父親を睨み付けて。

 やっと、絞り出すように、一言問うた。

「どうして、そんなもの聞かなきゃならない…」

「嫌か?」

「思い出したくない日の事をわざわざ…。嫌がらせがしたいのかよ?他所でやれ」

「お前はあの夜の事を、正しく思い出す必要があるんじゃないのか?」

「…何の為に!?」

「正確な記憶が無いから魘されるんだろう?自分で悪夢を作り出している」

 一瞬、言葉に詰まった。

 そして、力なく言った。

「知ったような口を利くな…」

 しかしきっぱりと、燈陰は言い切った。

「知っているから言っている。俺はお前の父親だから」

「今更父親面する気かよ!?どの面下げて、今頃!!」

「最初から、父親であって欲しかったのか?」

「何…!?」

「俺がお前の父親でも良かったのか?」

 自分でも知らないうちに起き上がって叫んでいたが、勢いを削がれて、ふてくされた様に再び寝転がった。

「…そうじゃなきゃ良かった。今思えば」

 天井を見て呟く。

「そうだな。俺もそう思う」

 燈陰もまた真顔で呟いた。

 朔夜は半端に起き上がって、また父親を睨んだ。

「そういう事言うかよ、普通」

「俺達のどこが普通なんだ?」

「どうせ普通じゃないのは俺だよ!俺がこんなだから…何もかもおかしくなったんだ!そう言いたいんだろ!?」

 叫んで、布団に潜り込んで。

 涙を溜めた目を、荒く手で擦る。

「…お前のせいじゃない。お前を受け入れられず、見捨てた俺のせいだ」

 燈陰が静かに言った。

「あの日の事を話させてくれ。これは懺悔だ。聞かなくても良い。だが、俺は黙ったままで居る訳にはいかないんだ」

「どうして」

「お前にいつ殺されても良い様に、話しておかねばならない。後になってお前が真実を知ろうとしても、それが叶わぬという事にならない様に…」

「人のせいにするなよ。あんたがしたいのは、ただの言い訳だろ」

「それでも良い。話させてくれ」

 布団の中の朔夜はそれ以上何も言い返さなかった。

 本当に聞かれているのかも判らないまま、燈陰は『あの日』を言葉にしだした。




 桜の舞い散り始めた日、燈陰は行軍の音を聞いた。

 そして自分たちの命運の最後を思い知った。

 梁巴の冬は厳しい。山中の秘境である故、あまりの雪深さに里との往き来もままならない。

 国許から物質を補給する事も叶わぬ故に、繍も苴も、兵を退いていた。

 それが、春と共に戻ってきた。

 無論、冬の間に再度の戦に備えはしてきた。

 だが、燈陰は一人、春が来ればこの地は終わりだと考えていた。無論そう考えたかった訳ではない。だが判ってしまうのだ。

 両軍が再び攻めてくれば、戦法も武器も何もかも比べものにならぬ自分たちに、万に一つも勝ち目は無い。

 ただ、一つだけ勝るものがあるとすれば、自分たちが勝つ、勝たねばならぬという自信と自負だ。この地を守るという梁巴の人々の固い意思は、軍隊の駒の比ではなかった。

 それ故に、燈陰は本当の事が言えなかった。

 負ける、などと口を滑らせでもしたら、袋叩きにされて山から追い出されるだろう。

 元々彼は、梁巴の人間ではないのだ。

 山から山へ旅をしながら暮らす流浪の民の一人だった。物心つく前から山を歩いてばかりの生活だった。

 それが、偶々この地に立ち寄った際、未来の妻となる女に出会い、この地に根を生やす事を決めた。

 余所者と煙たがられつつも、他と交わらぬ梁巴に無い知恵や文化を伝え、重宝されているうちにこの地の民として収まったのだ。

 今は、余所者であるが故に、他の誰よりも客観的にこの地の危機が見える。

 だが、余所者であるが故に、そんな事は口にできなかった。

 この地と、この人々と共に、戦い滅ぶより無い。そう覚悟して、戦いなど知らぬ仲間に剣を教え、戦の指揮を執ってきた。

 絶望の日々だがしかし、一つだけ光差す道が有ることを、燈陰は知っていた。

 それが禁断の道である事も。


 その夜、彼は息子を連れて、村の境界に聳える防護壁を見に行った。

 人工の物で、これ以上に高い物は梁巴には無い。

 とは言え、木組の物見櫓を狭い渓谷いっぱいに伸ばしただけの代物だった。

 村に入る事の出来る道はこの渓谷だけで、あとは険しい山に囲まれている。敵が無茶な山越えでもしない限り、ここさえ衛られればあとは問題は無い。

 尤も、その一事が至難の伎なのだが。

 そんな訳だからこの壁が、唯一最大の戦場だった。

 今は夜の静寂に、黒い影を聳やかせているだけだ。

 未だ戦場を知らぬ朔夜はびくびくしながら着いて来た。父が命じた事は否と言えぬので、本心は来た事を後悔していたかも知れない。

 だが戦うとその口で言った以上、その場所を見せねばならなかった。

 まだ敵の姿は無い。明日にはここに雪崩れ込む事は目に見えている。

 今はまだ物見をする村人が、櫓の上に二、三人居るだけで、嵐の前の静けさを夜は享受していた。

 朔夜は実際、その場所を目にして怖気付いたのだろう。篝火の側から向こうは一歩も動かず、闇から目を逸らしていた。

 燈陰は前に進み出て、息子に問うた。

「怖いか」

 焔の向こうで、小さく首を横に振った。

 ただの意地だろう。今更、怖い帰りたいと言えない事くらい、いくら幼くても分かっていた。

「明日はもっと怖いぞ?」

「燈陰」

「何だ」

「俺が邪魔?」

 爆ぜる篝火の炎を挟んで、親子は正面から目を合わせた。

 意外な問いに見開かれた父親を見る眼は、驚く程に落ち着いていた。

 その時、燈陰は初めて気が付いた。

 朔夜は、父親が勝手な理由で自分を疎んでいる事を、とうに知っていた。

 そんな本音を気取られないように振る舞ってきたのに。

「そんな筈は無いだろう」

 それでもまた、嘘を上塗りした。

 そうするしか無かった。

「戦うよ、俺。何も怖くないから」

 俯きながら、朔夜はそう言った。

 炎の向こう、闇に呑まれて、燈陰は。

 もう取り返しのつかない事を、悟った。

 空虚な情を知って、朔夜は、何も怖くないと言った。

 何も――それは、己の死だ。

 空虚な絶望。

 端から見れば理由など見当たらない。しかし確かに二人の間を――否、幼い心を蝕む絶望が、彼に『戦いたい』と言わしめたのだと、やっと燈陰は知った。

 本当は、『戦いたい』ではない。

 『死にたい』と言っているのだ。

 更に言えば、『愛されたい』と。

 愕然とした。が、もう遅いとも思った。

 もう仲間には朔夜がその力で敵を駆逐すると言ってしまった。今更それを翻そうものなら、家族揃ってここを追い出されるか、どんな目に合うか分からない。

 そう考えながら、燈陰は。

 本当はこれを望んでいたのであろう、悪魔のような己に気付いていた。

「逃げられはしないぞ。良いな?」

 神の子供の親は悪魔。悪い冗談だと思った。

 それとも必然だろうか、と。

「…!後ろ…!」

 朔夜の不自然な視線の先を追って、燈陰は後ろを振り向いた。

 松明。一つや二つではない。

 きらっ、きらっと、炎を反射するもの。それも無数にある。

「…夜襲だ!!」

 燈陰は叫んだ。壁の上の物見達が一気に動き出す。

「朔夜、帰れ!村の皆に敵襲と告げろ!」

 叫びながら踵を返した途端、空を切る音が耳を掠めた。

 それが矢だと認識するが早いか、咄嗟に息子を抱えて伏せた。

 腿に鋭い痛みが走る。呻きは喉で殺した。

「朔…!無事か?」

 腕の中、必死で頷く顔は蒼白い。

「なら早く、早く行け…!」

 自分たちが倒れた事で弓矢の攻勢は一旦止んだ。

 朔夜を逃がすにはこの瞬間しか無い。

 なのに、こんな時に、ぐずぐずして動かずに居る。

 苛立ちをそのまま声に出して燈陰は怒鳴った。

「何してる!早く行け!」

「燈陰の傷を治してからだよ!」

 怒鳴り返されて、その意外に二の句が告げなかった。

 反抗らしい反抗など、今まで見せた事も無かった。怒鳴るなど、想定外だ。

 何より、まだ、この愚かな父親に、手を延べているとは。

 それどころか、救おうとさえしている。

 燈陰は動揺を隠して、怒りを孕んだ声を出し続けた。

「馬鹿言うな!お前が俺の傷を治している間に二人とも殺される!だからつべこべ言わずにさっさと村に帰れ!でないと…」

 足音が迫る。白刃が炎に反射し、あちこちに白い影を飛ばす。

「でないと、もう俺の息子だとは思わない!」

 震えが止まった。

 目を見開いて、父親にもなれない父親の顔を見て。

 すっと、立ち上がった。

「行け…!」

 もう間が無い。

「早く…!」

 固く目を瞑る。

 走り出す音だけを期待して。

 地面を蹴る軽い振動。

 幾ばくか安堵して、死ぬのを待った。

 しかし、あまりに束の間の安堵だった。

 瞼を上げると、あるべき方向にその後ろ姿は無かった。

 走り出したのは、敵の方向に向けて。

 あまりの事態に息が詰まって、制止の言葉すら出てこなかった。

 ――殺される。

 俺より先に…――

 凍り付いた思考回路がそう判断した瞬間、声は振り絞られた。

「待てっ――!!」

 その声に反応して、朔夜は一瞬、動きを止めて振り向いた。

 その後ろに、敵の刃が。

 強烈に、燈陰は後悔だけを覚えた。あとは何も考えられなかった。

 ただ、終わる、と。

 鮮血が迸る。

 ごろりと、落ちた首を目で追って。

 それが、いつもいつも疎ましくも愛しく思っていた顔ではない事を確認して。

 事態など飲み込めなかった。

 月明かりに紅が舞う。一つ、また一つ。

 朔夜の小さな刀だけが敵に届く。敵の刃はなす術なく宙を斬る。

 何者かに守られ、また何者かに操られ、その力を得たように。

 いつしかそこに残るのは、闇と静寂のみとなった。

 月明かりだけがしんしんと、なに食わぬ顔で子供を照らしていた。


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