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月の蘇る  作者: 蜻蛉
第三話 救出
30/50

8

 燈陰と皓照に挟まれて、影は緑の芝生の上に黒々と蟠っていた。

 朔夜は燕雷に肩を支えられて外光の下へ出る。

 近寄れば近寄るほど、座らされている影は小さく、しかし不気味に見えた。

「…影」

 あと数歩のところまで近寄って、小さく呟く。

 下を向いていた黒い仮面がゆっくりと起き上がり、小さな二つの穴が朔夜を捉えた。

「無事目覚めたな、月。何よりだ」

 影の言葉には応えず、朔夜は何よりも重要な事を訊いた。

「華耶は無事なのか?」

 影は間を空け、勿体振って言った。

「何を持って無事と言うかによるな」

 詰め寄ろうとしたが、腕を燕雷に握られた。

 怒りを露に振り向くも、彼は冷静に言った。

「やめておけ。お前が傷付くだけだ」

 じっと、見返して。

「…生きては…いるんだな…?」

 視線を燕雷から外さないまま、影に問うた。

「まだ、な。だが時間の問題だ」

 弾かれた様に影に視線を戻す。

「俺がこうなった事が知れれば、あの方がどういう裁定を下すか…分かるだろう?」

「桓梠は俺を押さえる為に華耶を人質に取ってるんだ…。お前が捕まっても関係は無い筈だ」

「それはどうだろうな月。現にあの方はお前など恐れてはいない」

 朔夜は眉間に皺を寄せて黙り込んだ。

 影が捕まった事は、朔夜が桓梠の命令に背いた事を意味する。その報せが繍に届けば、華耶の命が危ないのは確かだ。

「安心して下さい。その前にこちらから手を打ちます。そんな事より、私は貴方の顔が見たいのですが?」

「そうだ。何の為にわざわざここに連れて来たと思っている?」

 皓照と燈陰が口々に言って、朔夜もまた本来の目的を思い出した。

 影は仮面に手をかけながら、尚も言った。

「本当に良いんだな?」

 無気味な程に朔夜を見据えての問い。

 彼が否も応も言えないうちに、皓照が刀を抜いた。

「無意味な焦らしは命取りですよ」

 影は鼻で笑って、無言のまま、仮面を取った――

「――!」

 額から、真っ直ぐ縦に顔を裂く、傷痕。

 それにより醜く歪められた目鼻は、元の顔立ちを全く窺わせない。

 特に鼻はもう無いに等しかった。穴だけが空いている。

 皆がその壮絶な傷痕に息を飲む中、朔夜は。

 立っていられない程の悪寒と吐き気に襲われ、その場に倒れ込んだ。

「おい…!大丈夫か!?」

 燕雷が覗き込んだ顔は酷く青白い。

「だから言っただろう?」

 嘲笑う影の声。

 ――この声。

 あの、傷。

 知っている。俺は。知っている――

「もう良いよな皓照!?おい、立てるか朔…?」

 燕雷に支えられて、何とかあの男の前から去った。

 城の中。大きな扉がしまる。

 壁に凭れかかって座る。詰まった呼吸を必死で繰り返す。

 瞼の裏に、失われた記憶の残像が押し寄せ、稲光の点滅でも見る様に眼前の景色は白んだ。

 闇の中で戦う人々。その黒々とした影。閃く刃。

 火。燃え盛る家々。月夜を更に黒く染める煙。

 舞い降りてきた、一ひらの桜の花弁。

 朔夜が息を呑んで現実に戻ってきたのと、横の大きな扉が閉まったのは、同時だった。

 入ってきた燈陰と目が合う。

「…おい…」

 燕雷は気まずく彼を押し留め、遠ざけようとしたが、燈陰は動かなかった。

「…何だよ」

 仕方なく朔夜は苦しい声を振り絞った。

 父親の目は、真っ直ぐ彼の目を捉えている。

「悪かった」

 出てきたのは、意外にも謝辞だった。

「こんな事になるとは思わず、奴の正体を暴く事を急いだ俺が悪かった。許してくれ」

 朔夜は唇を引き結んで父親を睨み上げている。

 隣で燕雷が口を挟んだ。

「でもよ、誰も…お前もこうなるとは思ってなかったろ?どうしたんだよ?確かに見て気持ちの良い面じゃなかったけどさ」

 朔夜はじっと同じ一点を睨み据えて黙っていたが、やっと覚悟を決めて口を開いた。

「あれは、俺の仕業だ」

「…え…!?」

 燕雷は素直に驚いた顔をしたが、燈陰の顔色は変わらなかった。

「燈陰、あんたのせいだ。あれは…あの男は、梁巴で…」

 せり上がる吐き気に邪魔されて、それ以上は言えなかった。

「梁巴でお前に斬られた男か」

 燈陰が冷たい声音で言葉を引き継いだ。

 朔夜は荒い呼吸をしながら頷き、言った。

「全部あんたのせいだ。あんたが逃げたから…」

「俺が逃げたから梁巴は消えた、か」

「何他人事みたいな言い方してんだよ…!?」

 瞳に怒りの色を燃やして、再び顔を起こした。

「あんたが居れば、梁巴も俺もこうはならなかった!!あんたが俺を殺してでも止めていてくれたら、梁巴が壊れる事も無かったし、俺は母さんと一緒に死ねたんだ…!!」

 咳込む。苦しさに紛れ、涙が出てきた。

 燕雷が背中を摩ってくれた。

「お節介だろうが…一度ゆっくり話す時じゃないか?」

 呆然と立ち尽くす燈陰に燕雷は言った。

 何も返せないでいると、燕雷はぐったりと凭れる朔夜を抱き上げ、燈陰に差し出した。

「もう、逃げるなよ」

 燈陰は燕雷の真意を窺う様に見、その視線を息子に向ける。

 かろうじて意識は保っているが、もう抵抗する気力は無くした様だった。

 渡されるまま、腕の中に収める。

 小柄な体格は幼い頃のままで、年月の隔たりを感じさせなかった。

 燕雷は燈陰がしっかり子供を抱いた事を確認すると、元居た部屋に向け歩き出す。燈陰もそれに従った。

 顔を乗せた肩の辺りに、温かな雫が染みた。

「…朔」

 反応は無い。

「泣いてるのか」

 相変わらず何も返っては来ないが、衣服を濡らす温かさは、少しずつ、広がっていった。

 部屋に入り、寝台に下ろすと、間髪入れず頭から布団を被った。泣き顔を見せる訳にはいかなかったのだろう。

「あとは、頼む」

 燕雷にそう告げて踵を返そうとしたが、制止の声がかかった。

「まぁ待てって。別に急ぎの用も無いだろ?」

「だが…」

「ここで一人坊っちゃんの番をするのも暇だからさ。たまには付き合えや」

 躊躇って扉の前に立ち尽くす。と、燕雷の方が先に動いた。

「酒でも持って来るよ。素面じゃ居られないだろ」

「朔は」

「このまま眠るさ。心配するなって」

 燕雷は燈陰の肩を軽く叩いて出ていった。

 二人きりになった室内。

 何年ぶりだろう。昔ならこんな状況はよくある事だった。

 妻に頼まれて寝かしつける事も度々で、調度今のように遠巻きに見ているだけの子守りだった。

 子供への愛情など無かった。分からなかった。そんなものが当たり前にあると思われているから、周囲の目を誤魔化しながら距離を取ってきた。

 今も、それは同じだろう。

 愛情が生まれたとは思わない。

 しかし、守らねばならないとは思う様になった。

 ただの理屈として、彼女が守りたかったものを、自分が、代わりに。

 恐らく彼女は、我が子の事だけが未練として死んでいっただろうから。だから、これは他の誰でもなく、彼女の為の手向けだ。

 彼女の子を、守る。

 父親としてではなく、彼女を愛する夫として。

 いつかそれで、この子に殺される事があるとすれば、

 それが、定めなのだろう。

「待たせたな」

 両手に酒瓶を二三本ずつ持って、燕雷が戻ってきた。

「何だよ、ずっと立ってたのか?まるでいつでも避難できる態勢、って感じだな」

「別にそんなこと…」

「まぁ座れよ。椅子、適当に使え」

 否応なしに円卓を囲む木の椅子を引き寄せる。

「ほら」

 卓越しに瓶を一本渡される。

 栓を抜き、とろりとした酒の香を空気中に放つ。

「舌が回る程度には飲めよ」

 燕雷が言う意味を問うべく、訝しい目で見返すと。

 当然の様に彼は言った。

「言わなきゃならない事がいろいろあるだろ?今日こそはさ」

「…酔った口で言っても信じないだろうがな」

「じゃ、それは俺が貰おうか?」

「馬鹿言え。お前一人で飲ませるか」

 燕雷は笑って、瓶ごと煽った。

 燈陰も喉を湿らす。

「寝たかな」

 動かなくなった布団の盛り上がりを窺って、燕雷が言った。

 警戒する人物が横に居ながら寝れるほど、彼は無防備ではないだろう。だから寝たと言うより意識が落ちたのだろうと、燈陰は思った。

 それほどに、あの時の記憶を甦らせるのは、消耗する事なのだ。

「…別に、苦しさや屈辱で泣いてた訳じゃないと思うぜ?」

 静かに、燕雷が言った。

「あれはさ、純粋に…嬉しかったんだよ。こいつは今でもお前の事、親父だと思いたいんだ」

「…そうかな」

 心身の苦痛や、憎い父親に子供扱いされる屈辱、また長い間封じ込めていた心情を叫び、思い余った為の涙、それだけではないのだろうか。

 燈陰には『嬉しかった』のだろうとは、到底思えない。

 しかし、燕雷は確信的に頷いた。

「そうなんだよ。朔だって無意識だろうけどさ。でもこれで気付いたんじゃないか?自分でもお前と、本当は歩み寄りたいって思ってるって」

 燈陰は何も言わず、瓶に口を付けた。

 脳裏に浮かぶ、昔の光景。

 躊躇無く伸ばされる小さな手。

 見て見ぬ振りをしていた。

 そうやって、何から逃げていたのだろう。

 本当にこの小さな命を、化物として恐れていた訳ではない。気味が悪いのは確かだったが。

「せっかく命拾いしたのに、また逃げるのか?」

 燕雷の言葉が少し責めだした。

「いざとなったらやっぱり"お前は俺の子供なんかじゃない"って言うのかよ?あの洞窟で言った事、忘れたのか?」

 燈陰は落ち着き払って酒の瓶を置き、静かな口調で言った。

「何とでも言えば良い。今更俺は良い父親になれるとは思っちゃいない。ただ、朔の命だけは守りたい。そう思うだけだ」

「命だけ…かよ」

「それ以上は無理だ。俺なんかには。…お前には随分虫の良い話に聞こえるんだろうがな」

 今度は燕雷が一瞬言葉に詰まった。

 責めたいのは、子供の命さえ救えなかった、自分なのだ。

「…俺達を見ていて苛立つなら、俺が消えるよ」

 燈陰が机に目を落として、ぽつりと言った。

 途切れた会話。それで耳に届いた、魘される声。

 布団の下からくぐもった、言葉にならない小さな叫び。

 有り余る程の痛みを、誰にも伝えられないでいる。

「…いつもこうだよ」

 燕雷は言った。

「お前が見てない間、あいつは悪夢の中にずっと生きてんだ。…今も」

「俺が居ても同じだったろうよ。全て、あの力が引き起こした事だ。俺はただの人間だ、止める術は無かった」

「そんな事は朔も解ってるよ」

 強く言い切った燕雷に、燈陰は眉を上げた。

「解ってても"止めて欲しかった"って言ってんだ。あいつはあの時、お前に見捨てられたと思ってんだよ。誰よりも頼りにしていた、お前に」

「…見捨てたのは事実だ。何も弁解出来ないし、するつもりもない」

「そうじゃないだろ!?」

 怒鳴って、肩を掴んで。

「聞こえないのか、あの声が。お前には届かないのか…?」

 誰かに救ってほしくて。

 でも誰も居なくて。

 自分からは近寄れない。また誰かを傷付けるから。

 それでも待っている。"誰か"を。

 ずっとずっと待ち続けている、その一人を。

「…あの声を聞き届けるのは、燈陰、お前しか居ないんだ」

 眩しそうに見上げてくる幼い顔。

 あんなに近くに居ながら、お互いにずっと、遠かった。

 親が逃げている事を解っていて、この子は、敢えて追おうとはしなかった。

 優しさから、それが出来なかったのだ。

 そうやって、子供に甘えていた。

「じゃあ…俺は何をすれば良い?今更、何を」

 許されはしないと解っていながら。

「判ってるだろ、自分で」

 燕雷はそう言って手を離した。

「良い大人の世話まで見てやれねぇよ」

 笑って、酒に手を伸ばす。

「ま、俺からしたらお前も子供同然の歳だけどさ」

「それを言ったらお前には誰も彼も子供になる」

「そうだな。いや、同世代の爺さん達は別だぞ」

 燈陰もまた苦笑して瓶を手にした。

「そうか、爺さんか…。だからそんなに口喧しいんだな」

「いま人を爺ぃ扱いしたか?」

「そうさせてんのは誰だ」

 互いに目を合わせ、鼻で笑った。

「歳を取ってる実感は無いんだ、実際」

 ひとしきり笑って燕雷が言った。

「時間ばかりが過ぎている。肉体が老化すればまだ実感も湧くのかも知れんが」

「それはこっちが遠慮したいところだな。よぼよぼの爺をいつもいつも見ていたくはない」

「そりゃそうだ」

 正真正銘の苦笑いを見せて燕雷は頷いた。


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