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月の蘇る  作者: 蜻蛉
第一話 誕生
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3


 彼らが知り得る限りの今の世界は、いくつも乱立する小国が、自国の拡大及び防衛の為に戦を繰り返している、要するに戦乱の世だ。

 朔夜と於兎は(シュウ)という国に属している。この十年ほど、破竹の勢いで成長している国だ。

 今向かう()とはここ数年、禾山(カサン)を境に戦を繰り返している。

 この地を取れば繍は、苴へ攻め込む大きな足掛かりを得る事が出来る。故に苴も必死で防衛している。

 決着の付かぬまま時ばかりが流れる。また、多くの血も。

 ――痺れを切らしたか。

 流れる景色を眺めながら、朔夜はぼんやり考えた。

 敵の大将の暗殺なんて手を使うという事は、繍の軍幹部達は禾山奪取を焦り始めたのだ。

 つまり正面からぶつかっている暇は無い、若しくはそれでは勝てないという事だろう。

 前回の救援任務と言い、ひょっとすると、これは繍の国力が衰え始める前兆なのかも知れない。

「…どうでもいい…」

 考え過ぎた自分が馬鹿馬鹿しくなって、小さく呟く。

 隣に座る於兎が怪訝な顔で見ている。

 国境に向かう馬車は夕映えに照らされ、橙に染まっている。

 前方に険しい山地が黒く蟠る。その中に禾山はある。

「何がどうでもいいの?」

 聞こえていたか、と内心舌を出して、気怠く答えた。

「どっかの国が滅ぶこと」

「えぇ?」

 思い切り顔をしかめられる。

「どこの国が滅ぶって言うの!?」

 わざとらしく上目遣いに考える振りを見せて。

「んー…例えば、繍とか?」

「こらっ!!」

 予想以上に怒らせた。

「お子様だからって、言って良い事と悪い事があるわ!冗談でもそんな事は言うものじゃありません!!」

 怒らせた、と言うより叱る言葉に朔夜はたじたじ、後悔を覚えた。

「そんなに大事か?国なんてものが…」

「何言ってんの!!当たり前でしょ!!」

 火に油を注いだ。

「誰のお陰で毎日食べさせて貰ってると思ってんの!!恩を知りなさい!!」

「固くて味の無い物しか食べさせてくれないけどさ…」

 国から貰える食料と言えばあの、小麦を焼いた物くらいしか思い当たらない。

「贅沢言うなっ!!」

「うわっ」

 更に怒らせて口をつぐんだ。実態を知らなければ何とでも言える。

 どうもこの於兎という人は、元々繍の国民だったか、国に恩を売られた類の人間らしい。

 朔夜にはどうも理解出来ない。今の国からの仕打ちもそうだが、繍という国に恩など感じられはしない。

「全く、こんな子を育てた親の顔が見てみたい」

「死んだよ」

 即答。

 ただの愚痴に解答があった事と、何よりその内容に於兎は目を見開く。

「あっ、父親は失踪したって言った方が正確だけどさ」

「お母さんは…死んじゃったって事?」

 何でもない事のように少年は頷く。

「俺、梁巴(リョウハ)の出だから」

 それだけ言うと、それ以上の追及を拒否するかのように黙り込んだ。

 梁巴――繍の民なら大抵の者が知る地名だ。

 数年前まではどこの国にも属さない、独自の文化を持つ自治区だった山間の集落。

 それを繍が統合に乗り出し、遅れてはならじと苴も軍を差し向けた。その結果、梁巴は戦乱の世でも稀に見る激戦地になった。

 二国は文化の違う梁巴の民を人と扱わず、戦火に巻き込んだばかりか、略奪、強姦、殺害と、あらゆる惨禍を撒き散らした。

 二年に及ぶ泥沼の戦いの末、突如として苴軍が総崩れとなり、梁巴は繍の支配下となった。

 当時、圧倒的に苴の国力に劣っていた繍が、奇跡の勝利を収めた地として、梁巴は繍国内に広まった。

 以来、繍は次々と戦を仕掛け、勝ち、領土を広げている。

 一方で梁巴の惨劇は人々の記憶から薄れた。他民族の苦難など思いやれる時代ではない。

 於兎は、『梁巴の出』が何を意味するのか、やっと思い出して言葉を失った。

 今の今まで他人事であった惨劇が、目の前に存在する。

「…ごめん」

 そうとしか言えなかった。

 朔夜は暮れゆく日を睨んだまま、しばらく黙っていた。

 残照が消え、群青の夜が空を覆う。

「…俺も…悪かった。こんな事話す必要無かったのに、はしゃぎ過ぎだな。随分と人と話をする事なんか無かったから」

「ううん…」

 首を振って、言葉を選ぶべく前方に視線を移すと、篝火が見えてきた。

「あなたのお母さまは間違ってなかった。良い子ね、意外と。話してみたら」

 余程その言葉が意外だったのか、見開かれた目で振り返った。が、すぐにまたそっぽを向いた。

 天然の要塞の如き岩壁。篝火が浮かび上がらせる無数の天幕。その中心に、古城が聳え立つ。

 馬車は止まった。

「…あんたも、良い人だな。意外と」

 降りようという時、ぼそぼそとした呟きが聞こえた。

 思わず於兎は吹き出した。

「意外は余計よ!どこからどう見ても良い人じゃない」

「どっこが。人の家に勝手に上がり込んで、怒鳴りばっかりして、どこの鬼婆が来たかと思った」

「なっ…!!ばばぁ…!?」

「ほら、行くぞ」

 さっさと敵陣に向かう背に、我に返った於兎が慌てて呼び戻す。

「ちょっと!朔夜!着替え!!」

 構わずニ、三歩歩きかけた足が止まった。

 振り返った顔が少し驚いていた。

「…そうだった」

 小走りに駆け寄る。

「忘れないでよね。何の為に私が居ると思ってるの」

「え?」

 何の話?と言わんばかりに。

「…もういい!」

 また何で怒ってるんだろう、という顔をされる。それが無駄に可愛いから腹が立つ。

「あんた、本当に笛なんか吹けるの?」

 腰に差した笛を取り出す様を見て、ともすると致命的な不安材料を問い質した。

「一応。一通りは」

「本当に?」

 相当疑わしい。

「本当だって。小さい頃はよく吹いてた。ま、聞いてろって」

 半透明の薄緑の上衣を身に纏い、肩の下まである銀髪を結わえて貰うと、それなりの身分に見えてきた。

 そこから更に於兎は白粉と紅を取り出したので、朔夜は「げっ」と後退りする。

「あのね」

 渋る少年に言い聞かせる。

「任務の為でしょう?あんたは相手さんに何の疑いも無く、尚且つ気に入って貰わなきゃならないんだから。ね?」

「それはあんたの方じゃ…」

「私が気に入られても暗殺なんか出来ないから意味無いの!」

「……うー…自分の嫌がる仕事を他人に押し付けるなんて、大人は汚いぞ…」

 ぶつぶつ言いながらも、顔に粉をはたかれた。途中、盛大なくしゃみで怒られながら。



 やっとの事で準備を済ませ、陣営を守衛していた兵に慰問の旨を伝えると、城門の前にある広場に通された。

 美しい踊り子と楽士の噂は、戦場で渇ききった兵達に水が浸透するように、あっという間に人を集めた。

 二人を案内した兵が、門の前に座る男に頭を下げ、用件を告げた。

「あれが…」

 於兎が小さく呟く。

 朔夜は無言のまま小さく頷いた。

 兵が男の前から横に退く。

 男――千虎が立ち上がり、階段を降り、跪く二人に近付いてきた。

「そう固くなるな。我々の陣を訪うてくれた事、感謝するぞ」

 顔を起こす。

 降りてきた階段を二段ほど残して立つ、標的の顔を見た。

 短い顎髭を生やした、精悍な顔付きの男だった。三十路ほどだろうか、予想していたより若い印象だ。

 将軍は広場に集まった部下を見渡し、再び二人に視線を落とした。

「皆、待っているな。早速始めてくれ」

 は、と頭を下げ、お互い目を合わす。

 まだ於兎は疑いを目に込めている。朔夜は軽く眉を上げて、錦の袋から朱塗りの笛を取り出した。

 流れる様な動作で笛よりも紅い唇に歌口を当てる。

 滑り出た音色に、人々は息を飲む。

 横目に見れば、於兎も驚いた顔をしている。

 やれやれ、と内心思いながら指を動かし続けた。

 流石に於兎の舞は熟れた感があり、大衆の目を楽しませるに足りた。が、それ以上に視線を集めたのは、笛を吹く女とも男とも知れぬ者の美しい姿だった。

 それは音色と相俟って人々を痺れさせ、その余韻が消えても尚、誰一人としてその場から帰す事は無かった。

「見事だ」

 静寂の中に僅かに残る響きを消さぬ様、用心するかのような声で、千虎が呟いた。

「そなた達、名は何と申す」

「我が名は於兎、こちらは朔夜。共に生まれも知らぬ旅の楽士にございます」

 於兎が供手して答える。

「ほう…それは苦労も多かろう。しばしこの陣に留まり、皆の心を癒してくれぬか?今、戦は停戦状態だ。旅の疲れを癒すのに悪くないだろう?」

「勿体ないお言葉。是非、甘えさせて頂きとう存じます」

 うむ、と千虎は頷く。そして立ち去らぬ部下達の期待に応え、もう一曲所望した。

 誰も耳にした事の無い調べだった。

 朔夜は自身の故郷、梁巴に伝わる曲を奏でている。他の曲は吹けないし、聴いた事も無い。

 梁巴では誰しも音楽を奏でた。幼少の朔夜も母親に習って笛を吹いていた。神に捧げる楽が村を包む、美しい土地だった。

 この調べが、薄れかけた故郷の記憶を、また鮮やかなものにする。

 あの幸福だった頃に戻れる――

 吹き終えた朔夜は、それが余韻と共に幻の如く消えていく事も知っていた。

 今、現実には、血に汚れた手しかない。

 兵達の中には里心を呼び起こされたのか、目を赤くする者、人目を憚らずぼたぼたと涙を落とす者までいた。

 千虎は不思議な面持ちで何かを考えていた。

「苦労であった…。今宵はゆるりと休まれよ」

 この一言に人々は終幕を知って、後ろ髪引かれながら、それぞれに散る。

 それに紛れて去ろうとした二人を、千虎の声が呼び止めた。

「いや、済まぬ…朔夜と言ったか」

 足を止め、振り返る。

 まだ何か起こるかと期待した兵士達も足を止めた。

「そなた、あの曲…どこで習った?」

 朔夜は相手の意図する所を探ろうと、じっと将軍を熟視した。

 千虎もまた同じように、この謎めいた相手を見ていた。

 周囲の人々は何事かと、不思議に張り詰めた静寂の中、二人を代わる代わる見ている。

「申し訳ありませぬ」

 やっと、少年は口を開いた。

「忘れ申した。何せ旅多き身ゆえ」

 足を止めていた兵士達がざわざわとさざめきあった。

 その声で漸く、この美しい楽士が男だと気付いた為だ。

 千虎とてそれは同じで、ほぅ、と感心した様に小さく声を上げた。そして慌てて言葉を継いだ。

「あいや、こちらこそ済まん。あまりに美しい調べだったのでな、興味故に足止めしてしまった。行かれるが良い」

 朔夜は一礼して踵を返す。が、於兎はそれに倣わなかった。

「将軍様…いかがでございましょう」

 城に向かった千虎も足を止める。

「我が弟の笛、御寝所にてお聴きになりませぬか?」

 後ろから制止の意で腕を掴まれた。

 於兎は無視して意味ありげに将軍を見上げている。

 兵士達はもう色めき立って、猥雑な想像を各々口にし合っている。

「ちょ…勘弁しろよ!まだ着いたばかりだろ!」

 朔夜はかなり焦った様子で於兎に耳打ちするが、にっと笑われただけだった。

「於兎殿…弟君はお疲れではないのか?」

 千虎の問いに一瞬救われた朔夜だった。が。

「いいえ。疲れなど知らぬ年頃ゆえ、一晩中でも吹かせて下さいませ」

 後ろからぶつぶつと怨嗟の声が聞こえるが、全て無視。

「ならば…一つ、聴かせて貰おうか」

 ほらきた!とばかりに背中を押され、つんのめって前に出る。

 恨みを込めて振り向けば「がんばれ」と口の形で言われ、いぃっと歯を剥き出して威すが勿論効果は無い。

 また振り向けば、城門の前でにこりと笑う千虎が待っている。

 仕方が無いから、階段を昇り、将軍と共に城へ納まった。




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