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月の蘇る  作者: 蜻蛉
第三話 救出
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4


 桜が舞い散る。

 花弁だけが見える。あとは、闇。

 また、ここに来たか、と。

 あの日、あの時の光景。

 動けば屍を踏む。

 今まで幾人も、幾人も手にかけてきた、その屍を。

『今更死体は踏めないって言うのか?』

 足元から声がする。

 地獄に誘う声だ。

『そんな綺麗言を聞いても嬉しくないな。俺達をこうしたのは誰だ?お前だろう?』

 違う。やりたくてやったんじゃない。

『何を言っている。自分の罪から逃げる気か?そんな事は出来ないぞ』

 がらがら、がたがた、と不気味な音を発てて、骸骨が笑う。

『どうしてお前がここに居ると思う!?自分のやってきた事を目を開けて見る為だ』

『お優しいお前の事だ、そんな事は耐えられんだろうがな!』

『じっくり後悔すると良い!地獄の底で自分の罪に身も心も斬り裂かれてな!』

 そうだな…。

 死ぬくらいじゃ許されないなら、そうするしかないか…

『そうだ。お前は永劫許されはしない』

『地獄に来い。もう一回死ねば俺達の仲間に入れてやるよ』

 分かった…

 いつの間にか握っていた小刀を抜く。

 心臓に刃を向けて。

『おい、朔夜』

 …誰?邪魔するなよ。

『俺だよ。その小刀の持ち主だ』

 抜いた鞘に目を落とす。

 虎の彫刻。

『お前、その刀で自ら死ぬ気か』

 ああ。そうだ。

 そうするべきなんだ。

『俺はお前に生きろと言ってそれを渡した。忘れたか?』

 いや…忘れてはいない。でも、もう俺に生きる価値があるとは思えない。

『何故?』

 みんな俺の死を願っている。生きる者も、死んだ者も。それに、俺はお前さえ殺した。恨んでいるだろう、俺を。

『全く恨んでいないと言えば嘘になる』

 ほら、やっぱり。

『お前のお陰で残された家族は苦労しているし、俺の大事な部下までお前は殺した。その点は恨んでも恨みきれない』

 うん…そうだろうな。解っててやった。

 恨んでくれよ。それで良いんだ。

『だが俺はわざわざ恨み言を言いに来たんじゃない。そんなもの性に合わんからな。俺は怒りに来た』

 怒る?何に対して?

『お前の湿きった根性に対してだ』

 …死んでまで根性ってあるのか…?

『だからそれがそもそも間違いだ!!』

 うわ、怒鳴るなよ。

『お前はまだ死んじゃいない!そりゃ今のままじゃ死ぬのは時間の問題だ。お前自身が死ぬ気で居るんだからな!』

 うん、だからさっきからそう言って…

『良いのか、それで。前を見ろ』

 殆ど無理矢理、馬鹿力で顔を上げられた。

『見えるだろ?』

 いや…俺、もう何も見えない…

『嘘をつけ。それは肉体の話であって、今ここにあるのは精神のみだ。見えないなら見る気が無いだけだ、お前を待っている者ですら』

 光――?

『お前を、信じて待っているだろう?』

 …ああ。

 見えた…

『行け。屍など踏んで生きろ。それを俺はお前に託した。その小刀と共に』

 …ありがとう、千虎。

 俺、もう少し、頑張ってみるよ。

『お前の道はまだまだあるぞ』

 後ろに手を振って。

 走り出す。白骨を踏み、壊して。

 怨嗟など無視して。

 ただ、光の差す方へ――



 水面の月が揺れた。

 丸を崩された白い盆は、また徐々にその形を取り戻す。

 気のせいだったか、と燈陰は再び目を伏せた。

 風が波を立てただけだろう。

 そう思い、気を緩めた。

 が、違った。

 まるで水中に潜り、今浮上してきた様な呼吸。

 あまりに懸命に吸って、少し噎せて。

 開いた碧の瞳に、月が写る。

「…朔!」

 膝を濡らしてその横へ寄った。

 瞳に写る月が、己の顔に変わる。

 その必死な形相を透明な眼に捉えて。

 朔夜は微かに笑った。

「朔…?」

 自分を見て笑う筈が無い。

 燈陰は訝しんで息子の眼の奥を見る。

 澄んだ碧。

 生まれた頃の、そのまま。

 再び瞼が閉じられた。

「――朔夜!?」

「気付いた様ですね」

 上から皓照が覗き込んでいた。

「だが、また…」

「大丈夫ですよ。眠っただけです」

 落ち着き払った声に、燈陰は息子の手首を取った。静かに脈が鼓動している。

 止められた腕の血路は、元に戻っていた。

 傷の大半も。

 今の様子では、恐らく視力も戻っているのだろう。

「俺を見て、笑った…」

 我ながら悲しいが、それが解せない。

「記憶が逆行しているんでしょう。全てを思い出すにはまだ、負担が大きいから」

 川に溺れた時の記憶喪失と同じだろうか。身体が衰弱しているから、精神が制御を掛けている。

 ではただ単に、あれは憎しみの記憶が無い故の笑顔か。

「すみません。身も蓋も無い事を言ってしまいましたね」

「いや…」

 多分、それが真実だろう。

 あの日までは、あの笑みをいつだって見る事が出来た。当たり前過ぎて疎ましくなる程に。

 だが、それが当たり前では無かった事を、今痛切に感じている。

「引き上げましょうか。風邪をひいちゃいけませんし」

 皓照が冗談めかして言って、池に入ろうとするのを、燈陰は止めた。

「いい。俺がやる」

 言って、抱き上げる。

 たっぷり水を含んだ衣がざばざばと水を落とす。重みは殆どが水のそれだろう。

 体格は別れた時とそう変わらない。確かに身体は引き締まった感はあるが、今は痩せ衰えた、と言った方が正しい。

 背は伸びていない。これまでの生活が如何に酷いものであったか、まざまざと思い知らされる。

「良かったですね」

 しみじみと二人を眺めながら、皓照が言う。

「…何が」

「あなたにそっくりだと分かるくらい、傷が治って」

「…そんなに似てるか?」

「親子だなぁ、ってすぐに判りますよ」

 厚めの毛布を巻き付ける。寝かせて、その顔を改めて見る。

 自分ではさほど似ているとは思わない。

 寧ろ、今は亡き人の面影を見る。

 『共に死んでやる事は出来た』。多分、二人は同じ後悔の元に立っている。

 彼女を守れなかった。それが根源にあるから、こんなにも責められ、恨まれる。

 二人の背負う罪だ。

「参考までに…一つ訊いても?」

「何だ?」

「何故彼を許す気になったのです?」

 燈陰は眉を寄せて、そこに立つ皓照を見上げた。

「許す?」

「違いますか?疎んでいたのでしょう?」

 ああ、と燈陰は納得した。

 気を許す、という意味だろう。

 罪を、という意味では、許されないのは自分の方だ。

「さあ…何でだろうな」

 不明瞭な答え。皓照は言えない事情があると汲んだらしい。

「別に、無理には聞きませんけど」

「いや…話したくない訳じゃない。ただ、分からないんだ」

「分からない?」

「離れている間に情が湧いた…おかしな話だがな。強いて言うなら…妻を亡くしたからやも知れん。彼女が守ったものが何か、やっと…直視する事が出来た」

 皓照は不思議な面持ちで燈陰をじっと見た。

 そこに何の感情があるのか――燈陰はふと思い当たった。

「…お前…そうか…」

 言いかけて。

 急に鋭くなった眼光に言葉ごと息を飲んだ。

 その眼が細められる。いつもの様に。

「そうですか」

 感情の埋没した、柔和な笑み。

「本人に分からないなら、私などが理解出来る筈もありませんね」

「……」

 心臓が早鐘を打つ。

 たった一瞬の、あれだけの事なのに。

「皓照!燈陰!」

 燕雷の声。外からだ。

 草を掻き分けて彼は洞窟に入ってきた。

「どうしました?良い獲物はいましたか?」

 食料確保の為、狩りをすると言って出て行った燕雷は、ひとまず小動物の肉を皓照に押し付け、自身は地面に布を広げた。

「これは?」

「見覚えないか?」

 白い服。

 腰帯に、剣が二振、紐で括られている。

「朔夜の物だよ。敵さんがわざわざそこに置いて行ったんだ」

「得物を、ですか」

 燕雷は頷き、二人に問うた。

「どう思う?」

 暫し黙して考え、皓照が言った。

「仕事をさせる気なのでしょう。この期に及んで」

「仕事って…!?」

「決まってるじゃないですか。彼の仕事は、繍に害をなす邪魔物の排除」

 皓照は唐突に出口へ向かい、塞ぐ草を払いのけて外を睨んだ。

 静謐な闇。

「…覗かれるのは気分が悪いですね」

 振り向き、二人に告げる。

「どうです?彼の傷も癒えた事ですし、そろそろ引っ越しましょうか」

「どこへ…?」

「繍の隠密が易々と入れない所へ」

 わざと、堂々と言う。

「例えば、(カン)の王宮なんてどうですか?居心地は最高ですよ?」

「おぉ、良いね」

 燕雷が嬉しげに言う。

 燈陰は眉を潜めたが、敢えて何も言わなかった。


 潅は苴の隣国にあたる、小さな国だ。

 今の所は自ら他国と交戦する気は無いらしく、お陰で小さいながらも国内は潤っている。

 無論、そんな領地を周りが放っておく筈は無いが、潅に攻め入った国の尽くが不思議と敗戦し、猫の額ほどの領地も奪えないでいる。

 その裏には目前で馬を駆る男の存在がある事を、燈陰は知っている。

 皓照は潅に強くこだわる。その実力でもって、何者も潅を侵させない。

 例え玄の弓へ傭兵の依頼があろうと、それが潅を不利にする内容ならば断る。

 同じく肩入れをする苴とは、同盟関係を結ばせた。ただの傭兵の一声で。

 ――恐ろしい男だ。

 たった一人の男が、この乱世の行方を左右する。

 人間には無い、力を持って。

 懐に抱えた、未だ目覚めない息子を見遣る。

 ――お前もいずれそうなるのか?

 既に繍の発展には十分な影響を及ぼした。

 近い未来、繍の手枷が外れ、自由に世界が見れるようになった日には。

 この力をどう使うだろうか。我が子ながら想像がつかない。

 また目前の男に視線を戻す。

 苴の国境。街道に立つ役人が、彼の名を聞くなり頭を下げている。

 普通の民は出来ない国境越えが、彼ならば難無く出来る。

 潅に入った。

 山上から、緑豊かな土地を望む。

 田畑が風にそよぐ。今年も実りは上々だ。

「繍の様な荒んだ国に長く居ると、本当にここが楽園に思えますね」

 清々しく皓照は言った。

 広大な台地の中心に、日の光を照らし返す金の丸屋根がある。それが王宮だ。

「早いとこ馳走にありつきたいもんだ。行こうや皓照」

 燕雷の言葉に微笑んで頷き、皓照はまた馬を駆り始めた。



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