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月の蘇る  作者: 蜻蛉
第三話 救出
25/50

3


 十日目の朝が来た。

 これで見納めになるであろう朝日を浴びながら、朔夜は苦しい呼吸を続ける事だけに意識を傾けていた。

 傷は二割も治らなくなった。

 水も喉を通らない。恐らく内蔵をやられたのだろう。無理に飲めば内から激痛に襲われる。

 目は周囲の明るさを認識するのみ。物の輪郭はもう殆ど捉えられない。

 視力が使えぬ事で聴力が研ぎ澄まされる、が、聞きたくないものばかりを聞く。

 衆目の憎悪の言葉は、精神力を貪る様に奪ってゆく。

 昨日の夕刻には兵に向けて『殺してくれ』と呟いていた。自ら。

 もう限界だった。

 今日の正午には斬首が待っている。

 寧ろ、それを、待ち望んだ。

 それで楽になれるのなら。

 ふうっと意識が遠退く。

 見えない筈の目に、華耶の姿がはっきりと写る。

 悲しげに、こちらを見て。

『酷いよ、朔夜。自分だけ先に行っちゃうの?』

 …ごめん。華耶。

『私も一緒に行くよ。良いでしょ?』

 駄目だ。それは、絶対に。

『なんで?ずるいよ、そんなの』

 うん…そうだな。でも駄目なんだ。

 俺、お前に生きてて欲しいから。

『じゃあ、朔夜も生きてよ』

 無理だよ。みんな俺が死ねば良いと思ってるから。

『関係無いよ。私はあなたに生きてて欲しい』

 でもな、華耶。

 俺、もう、駄目だ。

 疲れた。生きようとする事に。

 寝て良い?もうずっと、眠れてないから…


「なんだ、誰も居ないのか」

 拍子抜けして燕雷は言う。

「まだ夜が明けたばかりだからだろ。月のあるうちは誰も近寄らない」

 竹矢来を軽々と昇りながら燈陰が応じる。

「それだけなら良いけどな。罠じゃあるまい」

 燕雷も竹矢来に足をかける。

「その可能性は高いが、それで引き返す材料にはならない」

「親子だねぇ」

 燈陰が竹矢来から飛び降り、刑場の内に入る。燕雷も続いた。

「思ってたより随分弱ってくれてて助かったよ」

 燕雷の軽口を、当然見咎める父親。

 睨まれて、慌てて言い訳する。

「いや、だって、こんな所で親子喧嘩されても困るだろ!?」

「するか、そんな事」

 燈陰は一蹴するが、親子喧嘩の発端は必ず子供の方である。

 刑場の中心。血の匂いが濃くなる。

 吊られた手の許す限り、前のめりにぐったりと倒れている少年。

 血が固まり、全身赤黒く汚れている。

 白地の着物は真っ赤に染まっていた。

「酷いな、こりゃ」

 眉を潜めて燕雷が唸る。

 燈陰は躊躇わず傍らに膝を付き、長い髪を掻き分けてその顔に触れた。

「おい、朔」

 反応は無い。眼は薄く開いているが、瞳孔が開き、死人の様な眼だ。

 脈を探る。微かに動いてはいる。

「生きてるよな?」

「ああ。こいつは死ぬ事も容易じゃないからな。だが危ない。早くしよう」

 手首に掛けられた鉄錠を掴む。

「どうやって外すんだよ、それ」

「……」

「まさかの考え無し…?」

「煩い。考えさせろ」

 腕を組む燈陰を余所に、燕雷はきょろきょろと辺りを見回す。

 そして燈陰の横を回り込み、刑台の柱の裏で何やらごそごそと音をたてて。

「おい、何やって…」

「見っけ」

 指先に輪っかを引っ掻けて掲げ、にやっと笑う。輪に繋がれている鍵。

「いやぁ、こんなに簡単に見つかるとは、ますます罠臭いな」

「……」

 何だか悔しい燈陰。

 鍵を差し、鉄錠を外す。

 両腕が落ち、支えを失った身体は横に倒れる。

 それを、燈陰の腕が抱き止めた。

「さて、取る物は取ったし、帰りますか」

「おい燕雷」

「ん?」

「お前が持って帰れ」

「…はい?」

 応を言う前に、肩に服でも掛ける様に置かれた。

 慌てて支える。

「どうして!こういうのは親父の役目だろ!?」

「適所適材って言うだろ」

 言いながら向けた視線の先。

 兵が波の様に押し寄せてくる。

「まぁ、確かにあんたの方が刀は使えるのは認めるけど…」

 よいしょ、と身体を支え直して。

「そんなの建前なんだろ?本当は怖いんだ、コイツが」

「…まさか」

「力の事じゃないよ。自分の子供として接するのが怖いんじゃないか?」

 そうでなければ、名前で呼ばすなんて事はしない。

「戯言はそこらにしておけ。…行くぞ」

 走る。

 竹矢来に道を阻まれ、燈陰は刀を一閃させた。

 がらがらと崩れる竹組み。

 燕雷が高く口笛を吹く。

「さっすが」

「余裕こいてないで走れ!!」

「ほーい」

 燈陰は暫し立ち止まって燕雷を先に行かせた。

 あの男、逃げ足は速い。戦場でいつの間にかばっくれる事にかけては超一流だ。

 無論、それについてはあまり褒められた物ではないが。

 しかし玄の弓という特殊な組織の中では何かと役立つ。

 燈陰は少しずつ燕雷を追いながら、敵の動きを見ている。

 違和感。

 数は多い。が、まるで本気で追う気が無い様だ。

 …罠、か。

 燕雷の言葉を思い出した時。

「燈陰!!上!!」

 言われるがまま上を見上げると、兵舎から無数の矢が突き出ている。

 一瞬後、それは放たれた。

 文字通り雨の様に降り注ぐ矢。

 燈陰は頭上に刀を構え、己に突き刺さらんとする矢を弾いた。

 数が多いだけで、本当に命中する矢などそう多くはない。

 雨が止む。

「行くぞ!!」

 蚊帳の外で見ていた燕雷に怒鳴りつけて、次が来る前に兵舎を離れる。

「なんかさ、ぬるいよな?」

 走りながら燕雷がぼやく。

「ああ。俺はともかく、お前は逃がす気だ」

「うん、俺と言うか…」

 ちらりと肩に担ぐ少年に目をやる。

「たまたま俺が持ってるから、だろうけど。でもその意味が解らんな」

「細かい事は後だ!」

 施設の門を目前にして、敵軍勢に前方に回り込まれた。

「下がってろ」

「言われなくとも」

 燈陰の鋭い命令に対し、へらへらと笑いながら燕雷が応える。

 敵の壁が迫る。燈陰もまた、前へ走り出した。

「これまた…親子だねぇ」

 この戦いぶり。

 待たない。自ら向かってゆく。

 互いに間合いに入った。

 盾の上から突き出される刀。燈陰は姿勢を低くしてかわし、盾の下から僅かに狙える足に刃を走らせた。

 最前が崩れる。そこから群集の中へ入り込む。

 隙を突かれた兵達が陣形を崩し始める。

「ほら、親父さん頑張ってるぜ?」

 燕雷は背負う少年にそっと話し掛ける。

「お前の為にだよ。この姿が見えたら…許してやれよな」

 相変わらず、瞳には何も写っていない。

「…その前に、お前も頑張んなきゃな」

 燈陰は敵中で一息ついた。

 力は大した事は無い。が、数が多い。

 ちらりと今来た方に目をやれば、燕雷が胡座をかいて寛いでいる。茶でも欲しいと言わんばかりだ。

 視線に気付いてこのふざけた男は言った。

「まだかかるかー?早くしろー」

 多分にムカっと来た勢いで向かってきた敵を斬り伏せた。

「…埒が開かない…!」

 苛立ちをそのまま口にした時。

 鮮血が舞い上がる。

 ばたばたと兵が倒れる。

 敵は理解の出来ぬ攻撃に一瞬、凍り付いた。

 そして我に返った者から、波が引く様に、我先にと逃げ出した。

「…来たか」

 あまり面白くなさそうに燈陰が低く呟く。

「おーう!来たか!」

 楽しげに、同じ事を燕雷が声高に言った。

「来てあげましたよ。仕方ないから」

 皓照が悪戯っぽく笑いながら現れた。

「随分遅かったじゃねぇか」

 燕雷は再び朔夜を背負い、友に走り寄る。

「ええ。ちょっとお嬢さんをお風呂に入れて差しあげたものですから」

「…は?」

「さて、早いとこおいとましましょうか」

 物凄く疑いの眼差しで友から見られている事など、どこ吹く風とばかりに爽やかに皓照は言った。…と、言うより寧ろ疑惑に気付いていない。



 半日ほど馬を走らせて、皓照は鬱蒼とした山道を選び二人を案内した。

 夕暮れ。木陰の元は既に闇。

 道無き道を三人は進む。

「何だよ?こんな所に連れて来て。また隠れ家でもあるのか?」

 燕雷が辺りを見回しながら皓照に問う。

「隠れ家よりも調度良い場所があるんですよ」

 答えて彼は更に鬱蒼と草木の生える方へ道を選ぶ。

「遭難しないだろうな、これ…」

 苦笑しながら言って燕雷も先導に従う。

 その後ろで燈陰が黙々と二人について行く。

 日がすっかり沈んだ頃、漸く皓照が駒を止めた。

「着きましたよ」

「ええっ…!?」

 一見、今までと何ら変わらない風景。

 しかし、下馬した皓照が高く伸びた雑草を掻き分けると。

「洞窟…?」

「休暇にはぴったりの場所なんです。さ、どうぞ」

 中は滑らかな岩肌に囲まれ、天井は高く、雨露を避けるには調度良い。

 奥行きはそこまで無い。最奥から水音がする。涌き水が溜まった池の様だ。

 その水面が静かに輝く。見上げれば、そこだけ天井が無い。

 月明かりが、降り注ぐ。

「ここは…?」

「大昔に来た事があって。いやぁ、懐かしいなぁ。あれ以来初めて来ましたよ」

 皓照の言う“大昔”は燕雷にも判らない。

 問う前に、皓照は手を差し出した。

「朔夜君を」

 燕雷は思い出した様に背負っていた少年を皓照に預ける。

 彼は、月の浮かぶ池に朔夜を浸した。

 そして傷付いた額に手を当て、何かを念じている様だが、何をしているのかは判別出来ない。

 ややあって皓照は顔を上げた。

「今のは?」

 今まで黙っていた燈陰が問う。

「ちょっとばかり私の生気を分けてあげました。ま、気休め程度の事です」

「……」

 皓照は洞窟の穴から月を見上げた。

「彼が生きる気を棄て、月が彼を見放すならば、この命は今宵限りでしょう」

「――燈陰」

 ただならぬ気配で皓照に詰め寄った燈陰を、燕雷の手が抑える。

 皓照は笑みを浮かべたまま。

「私達の決められる事ではありません。天と、彼自身の問題です」

「…離せ」

 低く、燕雷に言って、抑える手を離させる。

 燈陰は皓照ではなく、跪いて朔夜の顔を覗いた。

 いつの間にか瞼は閉じられている。

「…生きるよな、お前は」

 月光に照らされる顔は、汚れ、腫れ上がり、裂けて、かつての美しさは見る影も無い。

 身体の皮は剥けて、所々膿み、水中に血液が未だに流れ出ている。

 吊られ放しだった腕は、血が通わず、壊死していた。

 それでも。

「生きろ…。まだ、喧嘩も終わってないだろ…。あの時の事も話さないといけない…。それに…」

 少し、躊躇って。

「一度くらい、親父って呼ばせたいしな…」

「燈陰…」

 燕雷が小さく呟く。皓照は見るともなく様子を見ている。

 燈陰は独白を続けた。

「こいつが生まれた時、俺はさっさと全てを諦めた。死産だったんだ…。現実を全部投げ出して、そんなもんだろって悟った振りをして…。安心した自分に気付いた。これで父親になんざならなくて良い、って」

 しかし、その全てを覆す様に、産声は響いた。

「…でもこいつは生きた。俺は…正直、気味が悪かった」

 皆が神の子だと崇め、祝福した。

 その一方で、誰にも打ち明けられない心の奥底で。

 化け物だと、思った。

「二歳までは触れなかったよ。近付くのも嫌だった。三歳になって、こいつから近寄って来て…回らない舌で“お父”って呼ぶんだ。それで、ぞっとした。化け物に父親と呼ばれるのかって」

「だから、名前を…」

「酷い親だろ?五歳の時、川で溺れて一度死んだ。俺は報せを受けても何とも思わなかった。生まれた時に延長された時間が、今止まったんだって、その程度だ。また蘇って…やっぱりこいつは化け物だと思った。忘れかけていたのに…」

「でもその頃から刀は教えてたんだろ?」

「筋が良いから、面白半分にな。別に息子だから本気で仕込んでやろうなんて思った訳じゃない」

「十分だろ」

 ふっと笑って燕雷は燈陰の横に腰を下ろした。

「今は、化け物なんて思ってないんだろ?やっぱ自分に似ると可愛いよな、ガキって」

「…お前」

「俺も居たよ。ちょっとの間だけ。女の子だけど俺に似ちゃってさ、可哀相に」

「…死んだか」

「…うん。皓照が助けようとしてくれたけど、間に合わなかった」

「それは語弊がありますよ。私は生きる可能性の高い君を先に救っただけです。初めからあの子は諦めていました。君には悪いけど」

 後ろからの言葉に燕雷は振り向いて手を振った。

「いいっていいって。解ってるから気にするな」

「……」

 自分の知らぬ二人の過去を初めて垣間見、燈陰はじっと笑う燕雷の横顔に目を注いだ。

 視線に気付いて燕雷は燈陰を見返す。

「こんなもんだよ、父親なんて」

 少し自嘲気味に彼は言った。

「自分の命に代えてでも…って、思っても出来る事じゃないしさ。出来たら幸運だと思うくらいの事だろ?」

「ああ。…でも」

 燈陰はぽっかり開いた蒼い闇を睨む。

 少し欠けた月。

「天に盾突いてでも、運命を変えたいと…今は思う」

 そうだな、と燕雷は静かに頷いた。



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