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月の蘇る  作者: 蜻蛉
第二話 故郷
22/50

11


 最後に残った男が、震える足を叱りながら逃げている。

 数歩走っては屍に躓き、こけつまろびつしながら、必死に距離を保とうと。

 朔夜はゆっくりとそれを追う。距離は少しずつ縮まってゆく。

「許してくれ…っ!」

 男は折り重なる屍に取られた足を抜こうともがきながら、必死に嘆願する。

「頼むっ…命だけは…っ」

 無言、無表情で、血に濡れた刀を手に、男に近付く。

「どうすりゃ良かったんだよ!!」

 男はもう逃げられないと悟り、絶望の叫びを上げた。

「生きていても飢える、蜂起すればこんな…。俺達は死ぬしかなかったのか!!繍にとって俺達は…使って棄てるだけの…」

 朔夜は男を前にして動きを止めた。

 既に醒めていた。と言うより、月はこんな日に限って憑ききれなかった。新月――月の命日が近く、力が弱まっているせいだろう。

 お陰で殆ど理性を保ったまま、しかし動きは止められなかった。

 否。全て自分の意思だ。

 悪魔たる自分が作り出した、地獄。

「呪われろ!!呪われるが良い!!繍の悪鬼共め!!俺達が地獄から呪い続けてやる…!」

 ――ああ。

 同じ事を、俺もずっと…

 お陰でこうして悪魔になって。

 今、地獄の底で己に呪われ続けている。

「それは、悪魔の仕事だ。繍の連中を地獄に引きずり込むのは」

 まさか人の語を悪魔が喋るとは思わなかったのだろう。男は狐に摘まれた顔で怨嗟の言葉を飲んだ。

「だから…あんたは行き先を間違えるなよ。死んでまで地獄に行く必要は無い」

 男の上に刀を持ち上げる。

 刃を下に向けて。

「…仲間にも、そう伝えてくれ」

 ――この国は俺が滅ぼす。あんた達の代わりに。

 手元の嫌な感触。

 これが、最後だと、自分に言い聞かせて。

 刀を抜き戻す。

 また新たな血が流れる。

 一つの街が死に絶えた。

 否。まだ。

 朔夜は懐に手を入れた。

 紙包みと、もう一つ。

 於兎に託された髪飾り。

 自分の代わりに葬ってくれと言われた。

 それを掲げ、じっと目を注ぐ。

 結局、何も出来なかった。

 こうするしか無かった。

 無力な自分のせいで。

「…お…と…」

 音など消えた筈の世界で、名を呼ぶ者が居る。

 朔夜ははっと振り返った。

 残された僅かな力で掲げられた手。

「むす…め、の…髪かざ…り…」

 朔夜こそ止まりそうな息、震える足で、その手の元に寄った。

 短い白髪の男が、腹から血を流して。

 既に見えにくくなっているであろう目は、髪飾りだけに留められている。

「…あんたの娘は生きてる。幸せにな」

 朔夜は言って、髪飾りを男の手に握らせた。

 男は、蒼白の顔に、幸福な笑みを過ぎらせた。

 髪飾りを大事そうに持つ、もう片方の手が、懐を探り、何かを掴む。

「次…会えたら…渡すつもりだった」

 鼈甲の櫛。

 血で紅く輝いている。

「済まん、と…伝えて…」

 落ちる手。

 地に付く前に、受け取る。

 櫛を持つ片手を、両手で包んで。

「分かった…。伝えるよ…」

 月のせめてもの情けの采配だったのだろうか。

 彼だけ最後まで息を続けていたのは。

 しかし、これで、全て。

 みんなみんな、俺が――

「桓梠!!見たか!?」

 虚空に向け、叫ぶ。

「これが貴様の望みだろう!!これが――」

 お前達の近い未来の、末路だ。

 ぐらりと、視界が揺れた。

 地面に手を付く。体力の限界。

 強く、頭を振って。

 駆け出した。まだ、何も終わっていない。

 華耶を、救うまでは――。



 幻覚と、幻聴が、気力だけで動く足を導く。

『朔夜、こっちだよ』

 手を振る華耶。

 木の後ろからひょっこり現れて、消える。

『朔夜、こっちだってば』

 また向こうの陰から手を振っている。

『早く捕まえてよ。逃げるの疲れちゃった』

 全然疲れてない癖に、おどけた笑みで発破をかける。

『朔夜が私を捕まえたら、一緒にお家へ帰ろうね――』

 帰りたい。

 あの頃へ。

 差し出された手に手を延ばす。

 幻覚は、消えた。

 どっ、と倒れる。

 それでもまだ、前へ。

 這ってでも、進む。

 本物の手を握るまでは。

「随分お疲れの様子だな」

 目前に足が現れた。

 起こせる限り頭を起こして、その顔を確認する。

 空はもう、明るい。

「…桓…梠…!」

「お前の働きに免じて迎えに来てやった」

 霞む視界の先に馬車が見える。

「珍しく…随分殊勝な事じゃねぇか…」

 何かある。直感した。

 が、従うより無いだろう。

「これは親切と言うのだ、月よ。女に会いたいだろう?」

「…命まで手を出してないだろうな…!?もしそうだったら…!」

「だったら、どうする?」

「お前を殺す」

 真っ直ぐに投げ付けられた言葉。

 ぴくりと、桓梠の口元が動いた。

 それは、哄笑へと変じて。

「そうか、俺を殺すか。可笑しい、実に可笑しいな!」

 睨み付ける眼に気付き、桓梠は足を上げ、頭を踏みにじる。額は砂利に擦られ、血が滲んだ。

 それに抵抗する力すら、もう無い。

「出来るかどうか…よく頭を冷やして考えるが良い。お前は俺の飼い犬に過ぎん」

 やっと頭が軽くなる。

 しかし再び頭を起こす事は出来ず、俯せのまま。

 意識が朦朧とする。

 身体が浮き、馬車に近付き、荷台にぶち込まれた。影の仕業だろう。

 蓋が閉まる。暗い。

「出せ」

 桓梠が御者に命じた。物音は聞こえる。

 重い音を発てて、馬車は動き出した。

「さて…月、聞こえるか?」

 返答する気力も無い。無視を決める。

 と、箱全体を揺るがして轟音が響き渡った。

 ただ影が箱を蹴っただけだ。それが中に爆音として響く。

 たまり兼ねて朔夜は叫んだ。

「聞こえてる!!」

「…早く言え」

 不機嫌そうな影の声。後ろで桓梠が低く笑っている。

「飼い犬は素直でなければな。まぁ良い。お前にいくつか訊きたい事がある」

 そうだろうな、と頭の中で返す。

 そして思った。絶対に口は割らない、と。

「お前の女を狙って鼠が城に入り込んだ」

 あの三人の事だ。

「おかしな事だと思わないか?身寄りの無い牝犬一匹ごときに、鼠が近寄るなど」

「…そういう事もあるだろ」

「そうか?しかしおかしな事はまだある。この二日で敦峰の人口が半減した」

 皓照と燈陰が女子供を逃がした――燕雷が言っていた、その事だろう。

「お前の仕事に疵を付ける、腹立だしい事態だ。どうも住民の脱出を指揮する、土地の者ではない男が二人、居たらしい。心当たりは無いか?」

「…ある訳無いだろ」

「ふむ。ではその頃お前が身を寄せていたあの場所は何だ?」

「さあ?気付いたらあそこに居た」

「では燕雷と言うあの男…私の部下に対してお前と共闘していた様だが、何者だ?」

「名前しか聞いてない。とりあえず使える奴だから助けただけだ」

「…そうか」

 暫し黙る。

 何を――どこまで掴んでいるのか。

 朔夜は見通せぬ箱の向こうを睨む。

 桓梠は今どんな顔をしている――?

「お前を襲った男が居たな」

「……」

「あれは、何者だ」

「…さあ?通り魔じゃないか?」

「あの時間にお前を襲える通り魔がこの世の中に居るのか?」

「居たんだねぇ。俺も驚吃した」

 桓梠が鼻で笑う。

「白々しいぞ」

「だって知らないものは知らないからな」

 轟音。痺れを切らした影が箱を蹴ったのだ。

「やめろ」

 桓梠が冷たく制止する。

「まあ…そのうち判るだろう。焦る必要は無い」

「しかし、桓梠様。その者が月を超える力を持つとなると…」

「私が既にこいつを超えている」

 そうでなければ、今こうしては居ないと言わんばかりに。

「恐るるに足りん、さ。私は悪魔をも飼い馴らす地獄の冥王だ」

 は、と影が畏まる。

 朔夜は――腹を抱えて哄った。

「馬っ鹿じゃねぇの!?」

「貴様!!」

 再び爆音がして箱が揺れる。構わず朔夜は哄い続ける。

「何だよ地獄の冥王って!!可笑し過ぎて笑い死ぬぞ」

「貴様、自分の立場を解っているのか!?」

「それはお前の事だ桓梠」

 嘲りに憎悪を混じらせて。

「飼い犬に手を噛まれるって言葉、知っているか…?」

 桓梠は影に向けて掌を向けて黙らせ、答えた。

「さてな。初耳だ」

「じゃあ勉強しておくと良い。いずれ貴様はそうなる。それで、悪魔を飼い馴らす事なんざ出来ないと、本物の地獄で後悔するんだ」

「面白い…後悔するのはどっちだろうな」

 影、と小さく桓梠が合図する。

 ややあって、細く蓋が開いた。

「…?」

 隙間から、粉が撒かれる。

「――っ!!」

 慌てて袖で口と鼻を塞いだ。

 がたん、と音を発てて光は遮断される。

「安心しろ。弱い毒だ。致死性は無い」

 最低限の呼吸。が、密封されているこの状況では吸わざるを得ない。

 徐々に、思考が霞み、呼吸が苦しくなる。

「明日には着く。それまで、しっかり休んでおくんだな」

 袖の下で舌打ちをして。

 片手で帯の下に隠した刃を取る。

 一つ呼吸を置いて。

 太股に、突き刺した。

 痛みが頭を冴えさせる。

 ――寝てたまるか…こんな状況で…

 自ら傷を増やしながら、長い、長い時間を闇の中で数えた。



「朔夜――朔夜!!」

 声がする。

 幻聴、だろうか。

「朔夜!!起きて!!」

 瞼を開ければ幻でもあの笑顔に会えるだろうか。

 もう、現実だろうが夢だろうが、どっちでも良い。

 この闇に、光が差せば。

「朔夜!」

 頬に触れる温もり。

 これは。

 幻では有り得ない。

「華耶…?」

「朔夜…!」

 目を開けてもその顔が見えない。

 視力をやられたか、と他人事の様に危機感も無く思った。

「ひどい…こんなに傷だらけで…」

「自業自得だから。別に。大した事無いし」

 それより、と起き上がって懐を探る。

「華耶の方が痛い思いしたんだろ」

「……」

 懐に入れた逆の手を伸ばし返す。

 華耶の顔に触れる。包帯が巻かれている。

「ごめん。巻き込んで」

「…ううん」

「包帯取って。治すから」

「…!駄目だよ朔夜」

「大丈夫。罠だって事は分かってる」

 勝算がある訳ではない。

 それでも。

「取って。良いから」

 華耶は躊躇いがちに顔を覆っていた包帯を取った。

 薬品の匂いが鼻をつく。

 朔夜は懐から出した紙包みを開き、耳を持って。

 元あった場所へそっとくっつけた。

 華耶の手が耳を持つ手を包んでくれる。

 もう片手は背中を支えて。

 頭は肩へ置く形で。目から鼻を首筋に押し付ける。

 懐かしい匂い。

「私こそ…ごめんね」

 華耶が呟いた。

「いっぱい、辛い思いをさせたのは、私のせいだね…」

 ちがう、と小さく反論した。

 俺のせいだ。どう考えても、悪いのは全て。

 華耶は悪くない。そのまま、真っ白な存在で居てくれれば良い。

 俺がどんなに罪に黒く汚れても、束の間でもそこに還れるから。

「ねぇ、覚えてる?前もこうやって朔夜の事抱えてた時があった」

「…そう、だっけ」

「あったんだよ。朔夜はその時の記憶が抜け落ちたんだって、皆言ってるから…覚えてないかもだけど」

「ああ…川で溺れたっていう時?」

「うん。私しか居なかったから、必死で引き上げた。本当に冷たくなってたから、何とかあっためなきゃって思って…」

 その時、多分心臓は止まっていただろう。

 だから記憶も無いのだ。前後の記憶が全く無い。話に聞くだけで。

 生きていられるのは、その日が月の夜だったからだ。

「溺れるから潜っちゃ駄目って、あれだけ言ったのに…」

 朔夜は小さく笑う。

「ごめん。向こう見ずの馬鹿で」

「うん。いいよ」

 華耶も少し笑った。

 手の中の熱が少しずつ引いていく。

 代わりに、血の通う体温が戻ってくる。

 肉片だった耳は、再び身体の一部として甦った。

 同時に、朔夜の身体が華耶の中でずるりと沈む。

「朔夜!!」

 両手で支え直しながら必死の声で呼びかける。

「…大丈夫」

 手で地面を押し返し、何とか身を支えて。

 後ろを、睨む。

「本番は…これからだからな」

 殆ど視力を失った眼にも、朧げながら捉えられた。

 自分達を囲む、松明の焔。

「何、あれ…」

 どうやら桓梠は俺の力を最後の一滴まで干上げさせるつもりらしい。

 気付いて、鼻で笑った。

 本当はそんなに恐いんだろうが。

「朔夜…!?」

 双剣を抜く。

「駄目…!!」

 立ち上がり、華耶に背を向けて。

「駄目だよ!!罠なんでしょ!?それ以上、戦ったら…また…」

「ごめん」

 今宵は新月。月が無ければ己の力に頼るより無い。

 勝ち目は無い。判っている。

「もう一回だけ、向こう見ずの馬鹿で居させてくれ」

 見えないけれど、振り返って。

「お前の事、守りたいから」

 華耶が名を呼んだ。

 とっ、と踏み出す。

 軍勢はかなり近付いている。音と振動が伝わってくる。

 間合いに入った。

 斬りかかろうとして、

 ふっと、身体の力が抜けた。

「朔夜――…!!」

 肉が裂かれ、骨が砕かれ、身体中に衝撃が走って。

 全ての感覚が、遠退く。

 華耶の声だけ。

 耳に残った。



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