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月の蘇る  作者: 蜻蛉
第二話 故郷
20/50

9

 翌日。

 久しぶりにすっきりと目覚めた朔夜は、この窓の無い部屋に閉じこもっていても仕様がないと思い、初めて扉を自ら開けた。

 薄衣一枚しか身に付けておらず、武器の類は勿論無い。いきなり外に出たら嫌だな、とぼんやり考えた。

 心配は杞憂に終わり、扉の向こうは明るい廊下だった。

 いきなり眩しい空間に出て、しばし眩む目を直す。

 目が慣れてくると、そこは縁側風に片側が全て窓になっている長い廊下だと分かる。窓は全て開け放され、木々の繁る庭に繋がっていた。

 木漏れ日が眩しい。まだ朝だろう。

 右、左ときょろきょろと辺りを窺う。こちら側は障子が並んでいる。

 どうしようか、下手に進んで蛇を出したくはない。

 扉を持ったまま立ちすくんでいると、隣の部屋の障子がすっと開いた。

 ぎょっとして本能的に寝台へ逃げ帰る。が、寝台に飛び込んだ際に思いっ切り足の小指をぶつけた。

 静かに悶えている所へ、呆れた声が降り懸かる。

「朝から何やってんだ」

 その声が蛇二人ではなく燕雷だったので、朔夜は溜息をつかんばかりに安心した。

「ここの角で小指ぶつけた」

 寝台の一角を指して素直に説明する。

「意外と結構、間抜けちゃんだな、お前」

「なにぃっ!?」

「まぁまぁ、冷徹な暗殺者よりも良いんでない?」

「……」

 それを言われると返す言葉も無い。

「あのさ…」

 ふと気になった事を口にしようとした時。

 ぐぅぅ、と大きな音。

「…腹減った?」

「……」

 今度は恥ずかしさで言葉が出ない。

「そりゃそうだよな。待ってろ、皓照の作り置きがあるから」

「俺が行っちゃ駄目?」

「ん?」

「ここにずっと居ると…流石に腐りそうでさ」

 確かに蝋燭一本しかない部屋など不健康そのものだ。

「別にいいぞ。歩けるなら」

「うん。もう平気」

 言って、するりと寝台を抜ける。

 部屋を出、光の差す廊下を二人で歩く。

「燈陰を殺させない為の部屋だろ?あれ」

「まぁな」

「あんな奴の為に力なんか使わねぇよ」

「どうだろうな。お前の力はだいぶ暴走気味だから」

「…だからさ」

 部屋の一つに通され、席に着くよう促される。

 椅子に座りながら朔夜は続けた。

「あんた達、どこまで俺の事知ってるんだよ?」

 燈陰と生活した十歳までの事ならともかく、力の暴走など今の朔夜を見ていなければ知り得ない事だ。

「まさかずっと俺の事つけ回してたんじゃ…」

「まぁ、あながち間違いじゃないけど」

「変態っ!」

 こんな美少年に言われると苦笑いするしかない。

「いやいや、たまぁに皓照が見に行くだけで、大体は風の噂ってヤツだよ。お前の情報なんざその気になればすぐ集まるからな」

「その気に、ってやっぱりその気になってたんじゃねぇかよ!」

「自ら怪しい意味にしてないか…?いや、だから、皓照はお前を仲間にする事に執心してるからさ。そりゃ情報も欲しいって訳だよ」

「…俺があいつと同じだから?」

「そうだろうさ。常人に無い力を持つってのは、孤独なモンだろうしな」

 出された皿に目を落とす。

 確かに殆ど誰にも理解されて来なかった。それが普通だとも思ってきた。

 実の父親には物心つく前から、俺の子供じゃないと言われた。他人ならば何を況んや、だ。

「だから今こうして救おうとしてやっているんだ。少しは分かったか、善意の正体」

「…うん、でも、いつまでもこうして居られない」

「何で」

「俺が動かなきゃ、ある人を危険に曝す。内乱を鎮めない限り、アイツは…」

「華耶ちゃんって恋人のこと?」

 ぶっ、と口の中の物を噴き出して。

「こっ、こっ、こいびっ…違うっ!!」

「分っかりやっすー。大好きなんだな」

「だから違うっ!!そんなんじゃないっ!!」

「燈陰曰く、そう考えてないのは本人達だけ、とさ」

「アイツの言う事なんか関係無いーっ!!」

「分かった分かった。落ち着けって。顔真っ赤っ赤にして、全く可愛らしいお子様だぁな」

 落ち着けと言いながらこれでは逆効果も良い所だ。

 ぎゃあぎゃあ喚くお子様に構わず燕雷は言った。

「その子なら俺達の仲間が救出に向かった。十分時間は稼げたからそろそろ成果出してんじゃねぇかな」

「…え?」

「今の話聞いてたか?」

 甚だ怪しい。

「聞いてたけど…何でそこまで…」

「一に先刻も言った通り皓照がお前にこだわるから。二には燈陰の大事な子供だから、さ。燈陰はお前が好きな娘を失った時の事も心配してるんだ」

「……」

「お前が思ってるより、良いお父さんだよ」

 朔夜は匙を持ち直し、皿の中身を減らす事に意識を傾けた。

 昨日とは違い、米の中に卵や野菜が柔らかく煮られて入っている。久しぶりに人間らしい食事だ。

 昔は野菜ばかり食べさせられて、母親にたくさん文句を言っていた。そして燈陰に泣かされて結局食べるのが常だった。

 どこにでもある家庭の風景。

 一歩外に出れば人として扱われなくとも、家の中では日常のささやかな幸せが続く筈だった。

「…アイツは俺達を殺したんだ。あんたに何言われても、それは変わらない」

 米粒一つ残さず平らげて、尚も皿を睨みながら朔夜は言った。

「許す気は無い、か。ま、俺達は親子喧嘩を楽しく見物するだけさ」

「何だよそれ」

 本気ではない悪態をつき、席を立つ。

「俺の服と武器は?」

 流石にこの格好では心許ない。

「ああ、洗濯して乾いてるだろうから用意してやるよ。ついでに風呂も沸かしてやろう」

「うわー。待遇良いなぁ」

「最初だけな、坊ちゃん」

 燕雷は土間に降りて薪を腕の中に積み始める。

「なぁ、あの二人は?」

「出てるよ。お前に張り付いてる隠密を探しがてら、敦峰の様子を見に行った」

 やはり影は一人ではなかった。でなければ皓照が影に化ける事も出来なかっただろう。

「敦峰はここから近いのか?」

 燕雷は薪を焼べている。

「ここは敦峰の町外れの山の上だ。麓まで降りればもう敦峰の街だよ」

「ふーん…」

 道理で緑が多く静かな筈だ。

「まだ…内乱続いてるのかな…」

 自分が何もしてないのに五日で鎮まるとは思えないが。

「ああ。相変わらずだ」

「あんた達はあの内乱、どうする気?」

「別に。どうもしない」

「…え?」

「関係無いからな。今回の目的はあくまでお前の救出保護であって、内乱をどうしようとは特に考えてない」

 じっと燃える火に目を注ぐ。

「…やっぱりよく分からない」

「何が分からないのかさっぱり分からない」

 あんた達の考えてる事が、と言っても無駄だと判断し、それ以上は訊かなかった。

 辺りを見回す。

「で、俺の刀は?」

 ふいごで火を焚き上げだした燕雷が顔を上げる。

「後で持って来ようと思ったけど…無いと不安?」

「…まぁ、別にいいけど」

 無意識に、刃に絶対の安心と信頼を置いていた自分に気付く。

 そんなつもりは無かったのに。その危険さも知っているのに。

 千虎は、刃を手放す事をずっと言ってくれていたのに。

 だから暫く――ここに居る間は、少なくとも燕雷しか居ない今なら、刀は無くても良いかと思った。寧ろ、焦って持つべきではないのかも知れない。

「風呂、行っていい?」

「おう。沸いてると思うぞ。湯加減見てくれや」

「分かった」

 土間から勝手口を抜け外に出ると、煙突から濛々と煙が上がっていた。その下の戸を開ける。

 湯気が全身を覆う。

 戸を閉め、風呂桶に手を付ける。

「どうだ?」

 格子窓越しに燕雷の声。

「ぎりぎり。これ以上熱くしたら暗殺の疑いかけるぞ」

「はは、茹卵的な暗殺だな」

「食うなよ」

「食わんよ。…いちいち言う事が際どいなぁ…」

 どっちがだ!!と内心思いつつ帯を解く。

 初めて露になる傷跡。

 左の胸の上に赤く、蚯蚓腫れ。

 指先でなぞって、やっぱりあれは現実だったと今更の様に思う。

 あれは。

 あの恐怖は。

 初めて自分を殺す事の出来る存在と相対した――単純故に今まで体験した事の無いほどの大きな恐怖だ。

 それと似たものを、あの桜の散る夜に感じた。

 あの時はそれが何なのか理解する前に、理性を失っていた。だからはっきりとした記憶も無い。

 ただ、気が付いた時には――

 はっとして朔夜は止めていた動きを再開させた。

 押し寄せる記憶を再び埋め戻すべく、窓の外に向け言葉をかける。

「熱くしたらそっちにぶっかけてやるからな」

「焚いてやってんのに、ひでぇなぁ」

 鼻で笑って湯を浴び、湯桶を跨いだ。

 何だかんだ言って心地好い。

 肩まで水面に沈め、首、口の上まで。

 果ては、頭まで水中へ。

 光と影が揺らめく。音という音は全て鈍く響く。

 己の長い銀糸が水面に向けて散り、光を受けて輝く。

 ぼぅっとその様を見る。

 子供の時からの癖。水に潜る事は一等好きだった。

 何も考えなくて良い世界。

 息が続かなくなるか、完全に止まるまで。

 ――溺れるからやめなよ。

 いつかの、華耶の声。

「――っはぁ」

 息を吸う代わり、楽な世界は消える。

 ぽたぽたと、雫が落ちる。

 火の燃える音。

「…燕雷?」

 返事が無い。

 何かおかしい。

 静か過ぎる。

「――!」

 ざっ、と湯を零して湯桶を出る。

 身体を拭く間も惜しく、着てきた薄衣に袖を通し、最低限帯だけ締めて。

 音を発てて戸を開けた。

 横目にちらりと、人影が動いた。

「誰だ!?」

 黒い影。

 ――まさか。

「燕雷ッ!!」

 不安を払拭すべく名を叫んだ時。

「ほう。あの男、燕雷と言うのか」

 背後。

 ――いつの間に…

 脱衣所の、暗い片隅に、黒い仮面。

「どうした?月の癖に、青い顔をしているぞ」

 ――死んでなかった。

 本物の影は、

 この男だ――…

「尤も、月の蒼ざめる夜もあったな。だがまだ早い」

 影が、何かを手にして差し出す。

 白い包み紙にくるまれた、手の平大の何か。

「土産だ」

 心臓が早鐘を打つ。

 冷たい汗が頬を伝った。

 動けずに、影を、睨む。

 ――睨んでいるのは、己が影か。

 日に当たらぬ己の行為の代償か――

「桓梠様より伝言だ」

 朔夜が受け取らぬと見て、紙包みを彼の足元に投げる。

 本能的な警戒心で一歩退く。が、何事も起こらなかった。

「“少しずつ、女をバラバラにしてやる。今度は――”」

「…やめ…」

「眼だ」

「やめろぉぉっ!!」

 感情のままに飛び掛かる。が、拳は空を切り、既に影は無かった。

 上がった息。壁に手をつく。せりあがる吐き気。

 ――まずい…

 恐らく玄の弓が放った華耶の救出部隊はその役目を失敗した。

 影は生きていて自分の現状を――高い確率でもう桓梠に報告しただろう。

 玄の弓という組織名が割れるのも時間の問題だ。

 何より、華耶が。

 影が投げつけた紙包みに目を落とす。

 表面に、何か書いてある。

 白い紙が光を反射し、目を細めてそれを見た。

 赤黒くなった色の文字。

 ――分かった…もう、良い…

 理性も感情も全てが拒絶する。

 それでも見てしまう。

 『さくや』と。

 漢字の書けない彼女の字で。

 彼女しか知らない、彼女でなければ書けない名前を。

 彼女の、血で。

「…やめろ…」

 ずるずると、膝を落とす。

「頼む…もう、やめてくれ…」

 冷たい石床が膝を打った。

 何故。

 どうして、苦しむのは華耶なんだ。

 罪を犯したのは、俺なのに――

 どん、と。

 壁の裏側で大きな音がした。

 はっと顔を起こす。

 燕雷が、居る。

 立ち上がりざまに紙包みを取り、懐に入れて、日の光の下へ駆け出た。



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