表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
月の蘇る  作者: 蜻蛉
第二話 故郷
18/50

7

 それから三日、月夜を待った。

 ずぶ濡れのまま山に戻り、そのまま木々に抱かれ、熱に溶かされる意識の中で。

 昼も夜も無く、悪夢に引きずり込まれる。

 多くは、かつて一度この眼が捉えているのであろう光景。

 しかし記憶には無い。

 月に取り憑かれている間の光景だ。

 過去に犯してきた罪の再現。

 感触も感情もそのままに。

 戦いの高ぶる感覚を持ちながら、逃げたい、やめろともう一人の自分が叫ぶ。

 絶叫して目覚める。そしてまた朦朧とする。

 またある時は、凄惨な己の戦いの跡に立たされ、その向こうに。

 華耶の姿が。

 冷たい眼で、自分を見ている。

 彼女の口が開いて、

『朔夜には誰も救えないよ』

 横に首を振る。何かに絞められている首を。

 それでも彼女は言う。

『だってあなたは悪魔だもの』

 ちがう。心のどこかが否定する。

 そうだな。心のどこかが諦めている。

 二つの己の声に、心が引き裂かれる。

 首は絞まる。本当の声は何も言えない。

『あなたは私を殺す?それとも罪無き人達を?それとも』

 骸骨だ。

 地面に横たわっていた屍は白骨になり、気付けば華耶の白い肌も硬質なそれへ。

 悲鳴をあげたくともあげられない。喉はもう息すら通さない。

『朔夜、あなた自身が死ぬ?』

 息苦しさが現実を引き寄せた。

 もう呼吸もままならない。何が起こっているかも解らず、とにかく息がしたくて喉に詰まっているものを吐いた。

 仰向けに寝ていた為に吐瀉物が呼吸を止めていたと、吐ける物を全て吐き、咳をしながらゆるゆると理解した。

 漸く咳が止まり、息をつきながら、再び身体を寝かす。

 動ける体力はどこにも残ってはいない。

 辺りは暗い。それが夜の暗さなのか、熱が眼の神経を焼いてしまったのか、判別出来ず恐怖した。

 これは、闇路だろうか。

 いずれ地獄に行き着く、罰の道。

 赦される事は永遠に無い贖罪。苦痛の道。

 ――華耶。

 お前に見限られたら、俺にはもう、闇しかない。

 光。光が欲しい。

「……!」

 中天に。

 月が。

 光に向けて手を伸ばす。

 何を掴める訳でもない、空を切り落ちる腕。

 それでも、再び。

 長くは支えられぬ腕を上空へ伸ばし、手を広げ指の隙間からその姿を見。

 はたと思い出した。

 『暫く待て。月の夜まで』

 この光は。

 華耶がくれた光じゃない。

 俺の放つ、

 絶望の光だ。

 下草を踏む、足音。

 急激に身体を起こす。そこに突き刺さる、苦無。

 ――影!?

 刀を抜きざまに、続く襲撃を払い、眼はその姿を探す。が、無い。

 ――馬鹿な!こんな月夜に…!?

 月夜に朔夜の前に出るという事は、自殺行為だと重々知っている筈だ。

 それが、よりによって襲撃など。

 そもそも、その動機が解らない。利点などある筈が無い。

 ――どういう事だ…!?

 背後の物音。

 振り返る。そこに。

 二つの影があった。

「……!!」

 言葉など出なかった。

 一つの影が、もう一つの影を、殺した。

 血も黒く、闇に溶ける姿。

 残った影が、黒の仮面を朔夜に向ける。

「お前は…」

 無意識に後退りしていた。

 身体が震える。逃げたいと、己を脅かす者に対して初めて思った。

 怖い。

 なんだ、これは。

 怖い――

「お前は――影じゃない…」

 不気味な仮面の下が、笑った。

「ああ。勿論そうだ」

 次の瞬間、間合いが一気に詰まった。

 逃げる事も避ける事も出来ない程に一瞬で。

 恐怖が己を縛る。

「私は光だ。お前とは違う、真の光だ」

 ――呑まれる!!

 呪縛を無理矢理解き、走り出そうとした時には、もう遅かった。

 手を動かしたとは思えない、なのに。

 朔夜は胸に猛烈な痛みを感じ、次いで何もかもの感覚が消えた。

 ――死…

 暗い。

 ただひたすら、暗黒――




 村の混乱の度合いは、日増しに子供の目にすら見えるようになった。

 近隣から逃れた人々が集まり、村のあちこちにひしめき合う。

 数里先に作られた防衛壁。そこから嫌でも聞こえてくる戦いの音。傷付き運ばれてくる大人達。

 疲弊と不安が村を覆う。壁を突破されれば、次は自分達が戦の業火に曝される。

 陰欝な空気の増す村で、二人は久しぶりに顔を合わせた。

 あまりにも顔を見ないから、華耶の方から家を訪ねたのだ。

 見たところ誰も居なさそうな家の門に立ち、恐る恐る中へ声をかける。

「こんにちは…?朔…」

 刹那、何か大きなものが足元へ飛んできて華耶は短い悲鳴をあげた。

 それは転がったまま小さな呻き声を発している。

「朔夜!?」

「お、華耶ちゃんか。怪我は無かったか?」

 横から朔夜の父、燈陰が笑いながら近寄ってくる。手には木刀。朔夜の手元にも。

「大丈夫です。でも、おじさん、朔夜は…?」

「大丈夫、すぐ目は覚める。ちょっと休むから上がって行きなさい」

 華耶は頷き、小脇に息子を抱えて屋内に入る燈陰について行った。

「あの、おじさん」

 後ろを歩きながらの問いかけを予測していた様に頷き、燈陰は説明した。

「こいつから言い出した事だ。村の皆の為に戦いたいって。だから修行してやってるんだ」

「…そうなんですか」

「心配かけて済まないな。何せひ弱なもんだから修行の後はばったり寝ちまう。大好きな華耶ちゃんに会おうって余裕も無いみたいだ」

「えっ…えーと…」

 華耶は顔を赤くして返す言葉を探していたが、通された部屋で座るように促され、有耶無耶になった。

 敷かれている布団に朔夜を寝かせ、燈陰は奥へ引っ込む。

 そして二つの湯呑みを手にまた出て来ると、せわしなく動き回りながら華耶に言った。

「済まんがちっと朔を看ててやってくれるか?俺は壁を見てくる」

「おじさん…戦いに行くんですか…!?」

 恐れと不安の見え隠れする少女を安心させる様に、燈陰はにっこり笑って言った。

「見るだけさ。敵を知らねば戦いようが無いからな」

 ほっとした様なまだ不安が残る様な曖昧な笑みで、華耶は頷いた。

「済まんな。行ってくる」

「はい」

 燈陰が去ってしまうと、晩秋の虫と鳥の声、そして風の音。

 遠く、雄叫びと鋼の擦れ合う音。

 朔夜の母親は怪我人の治療に出向いているのだろう。華耶の母親も同じだ。

 村の小さな診療所に、戦の怪我人が続々と運ばれ、最早入りきらなくなっている事は聞いている。

 これからどうなるんだろう。

 小さな胸の中で華耶が自問した時、横から伸びをする時の様な声がした。

「朔夜!!」

 ぱちりと開いた目は、視界に入った人物を見て、更にくるりと丸くなった。

「あれ…?華耶?」

「良かったぁ」

 嬉しそうに華耶は湯呑みを朔夜に回す。

 受け取りながら彼はきょとんとし続けている。

「え?あ、ありがと…。なんで?どうしたんだ?」

「どうしたって、最近見ないからどうしてるかなって来てみたの!そしたら朔夜が伸びてた」

「別に伸びてたんじゃないよ!ただちょっと…吹っ飛ばされただけで…」

「それで伸びてたんでしょ?」

 むー、と不服そうに茶を啜る。これ以上言い返す言葉も無い。

「あ、おじさんは壁を見に行くって。さっき出て行った」

「そっか…」

「ねぇ、朔夜」

 布団に手をついて、目の前に身を乗り出す。

「戦いたいって…本当?」

 じっと、湯呑みの中の藍色の瞳に目を落とす。

 まるで自分の本音を探す様に。

「うん。…本当」

「何で?前は嫌って言ってたのに!」

「嫌なのは嫌だよ。何もしないで良いならそんな事しない。でも…」

 もっともっと俯いて。

「俺には力がある。皆を守る力が。それを持ってて使いたくないって言うのは…皆を見殺しにする事だ」

「でも!朔夜が出来るのは戦う事じゃなくて、皆の怪我を治す事でしょ!?」

「戦う力もある…みたいなんだ。分からないけど、燈陰が言うには」

「でも、あるかどうか…分からない…」

「俺のやる気次第なんだって」

「…やる気?」

「戦う気があれば、その力は引き出されるんだって。だから毎日伸びてるんだけどさ。でもそんな感じ全然しないから困ってる。怪我治すのは元から出来てたし、どうしたら良いのか…」

「…戦わなきゃいけないの?」

 顔を上げれば、視線も肩も落とす華耶がいる。

「怪我治すだけじゃ、この村は守れない。…俺は村の皆と、華耶を、守りたい」

「…朔夜」

「なぁ、華耶」

 少しばかり笑顔を作って、朔夜は言った。

「俺が今の俺じゃなくなっても、朔夜って呼んでくれる?」

 ――名前を呼んでくれる、数少ない大切な人。

 唯一の、友達。

 華耶は一瞬、質問の意味に言葉を詰まらせた。

 自分が自分じゃなくなってでも――そこまで覚悟して、戦いたいと言っている。

 でも、本当は、怖いんだ。そして何より寂しいんだ――華耶にはそれがよく分かった。

 だから、頷いて、まっすぐ碧い目を見て言った。

「うん、呼ぶよ。勿論だよ。だって…朔夜はどうなっても朔夜だもん」

 二人はやっと、顔を見合わせて笑った。

 それから数ヶ月後、冬を持ち堪えた壁は崩され、戦は春の嵐と共に村を踏み荒らそうとしていた。

 “力”を操る術を知っている筈の燈陰は、いよいよという時に姿を眩ました。

 そしてあの夜、散る花と血の雨、そして降り注ぐ月光の元、悪魔と呼ばれ恐れられる存在が生み出された。

 戦いの果てに何を守れたのか、彼はついに理解出来なかった。

 ただ、散る花びらだけが――



 閉ざされた視覚。聴覚だけが働き、鈍く動き始めた脳に情報を伝える。

「目覚めたか?」

「いんや、まだ」

「一度殺しましたから。そう簡単には目覚めないでしょうね」

 三人の男の声。

「本当に…心臓を刺したのか」

「ええ。外してはいませんよ」

「ま、傷はすっかり消えてるから安心しな」

「…そこまでしないとならなかったのか?もし蘇生出来なかったら…」

「本当に、心配のし過ぎですよ。私を誰だと思っているんです?」

「……」

「向こうの目を欺く為にはこれしかなかったんです。流石の私でも気分の良いものでは無かったけれど」

「はは、お前に餓鬼を殺す趣味が無くて良かったよ。もしそんな趣味があったらこの命、返上願いたい所だ」

「酷いなぁ。私はこう見えても子供は好きなんですよ?」

「へーぇ。初めて知った」

「まぁ、私もこれまであんまり子供を見た事は無かったんですけどね」

「…何だそりゃ」

「お父さん、ってのも悪くないなと思いましたよ。君のお陰で」

「どの辺を見てそう言えるんだか…」

「子供の危機に心配しか出来ない頼りない姿を、と言った所でしょうか」

「……あのな」

「冗談ですよ。さて、ちょっと出て来ますね」

 扉が開き、また閉まる。

「許してやれよ。羨ましいんだ。ヤツは父親になれはしない。俺もな」

「…ああ、分かっている。でも」

 意識に再び霞がかかり、声は離れていないのに遠くなる。

「俺も父親になれてた訳じゃない…」

 そういう奴も居たな、と。

 薄くなる意識の中で、ちらりと思った。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ