表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
月の蘇る  作者: 蜻蛉
第二話 故郷
15/50

4

 窓から洩れる光が指先に一筋の道を作る。

 その明るさに夜明けを知った。

 いつからだろう。目を覚まして闇を見詰めていた。

 悪夢は脳裡に染み付いて離れない。

 目を覚ましていても、闇の中に炎を、血を、死を、見てしまう。

 眠れば再びその場に立たされる。

 だから、眠れない。

 だが――この旅の先にあるのは、同じ光景だ。

 そして同じ手の感触。繰り返す悪夢。

 堪らなくなって立ち上がり、雨戸を開けた。

 溢れ来る、朝の光。

 目が眩むのも忘れて、それに魅入った。

 華耶はどんな朝を迎えているだろう。

 否、朝も夜も無いだろうか。

 そんな絶望の淵に落とした自分には、こんな光を浴びる資格も無いかも知れない。

 でも、もし許されるなら。

 いつか、二人で、この光の下に居たい。

 その為に手を汚す事を、彼女は望まないだろうが。

 まだ、答えは出ない。

「朔夜?起きてる?」

 扉の向こうで於兎が呼び掛けた。

 応えずとも、扉は開く。

「なんだ。起きてたんだ。具合はどう?」

 問われても口を閉ざしたまま、目を細めて外を見続ける。

「…ちゃんと眠れた?」

 僅かに伏せた目元には疲労の影が濃い。

「あっ…何か食べる?」

「食欲無い」

「食べた方が良いよ?持たないよ」

 踵を返そうとした於兎を、朔夜は呼び止めた。

「一つだけ確実な方法がある」

 於兎は振り返る。

「何の…?」

「お前の郷里と華耶の両方を救う方法」

 彼女は目を見開いて戻ってきた。

「そんなに良い方法を思い付いたの?良かったじゃない!どんな方法?私、何でも手伝うわ」

 朔夜は真っ直ぐ於兎を見据えて言った。

「俺が消えれば良い」

 虚を突かれ、於兎は目を見開いたまま動きを止めた。

 全く思いも寄らぬ回答。

 これで解決するという安堵は一瞬だった。

「消える、って…どういう意味…」

「他国に逃げれば華耶の命は無いだろう。俺が死ねば奴らは安心する。この力を敵に回す事は無いからな」

「そんな」

「敦峰は軍が出るかも知れないが、俺よりはマシだ。桓梠の方は華耶を殺す意味が無くなる。そうなれば奴は、気に入った女は生かすだろう…?」

「本気で言っているの…!?」

「刀傷じゃ俺は死なない」

 だから、生きる為の行為は拒む。

 そうやって内側から己の力を奪うのだ。

 答えが出ないから。

「そんなの、華耶ちゃんが可哀相過ぎるわ!!そんな生かされ方したって、地獄を見るだけよ!!」

「命救う事だけ考えろって言ったのは、お前だろ!?」

「だからって…!駄目よ!絶対駄目!!捩込んででも何か食べさせるから待ってなさい!!」

 言い捨てて、於兎はずんずんと廊下に出た。何か持って来るのだろう。

 朔夜は溜息一つし、寝台に寝転がる。全身が怠い。

 そんなつもりは無かったのに、すとんと、意識は闇に落ちた。



 切れ切れの記憶で、昨日と同じ様に霜旋と馬に乗せられ、於兎と二人で何やらずっと話したり笑ったりしていた事、見知らぬ場所の光景、そして馬から降ろされた事は何となく覚えている。

 二日目の夜。次の宿場街に着いたのだろう。

 宿に入れられ、寝台に置かれて、それからまた朦朧とした意識は途切れた。

 はっきりと覚醒したのは、口の中に何かどろっとした得体の知れない物をいれられた瞬間で。

「…ぅえ!何コレ!?」

 あまりの不味さに目が覚めた。

「僕お手製の栄養食をすり潰した物だよ」

 目の前ににこにこと笑いながら匙を持つ霜旋が居る。

「何だよこれ…何が入って…いや、いい」

 聞かない方が身の為、な気がする。

「於兎さんに何も食べないって聞いてね」

「…アイツは?」

「ちょっとお疲れなんだろう。自分の部屋で寝ているよ」

「ふーん…」

 聞きながら朔夜は部屋を見渡す。窓を探していた。

「寒いか?閉めようか」

 開いた窓に目を留めた事で、そう思わせたのだろう。朔夜は首を振って、立ち上がりかけた霜旋を止めた。

 今晩は曇天なのだろう。月光は入らない。

 ならば、なるべくなら密室は避けたい。

 特に理由は無いが、この方が呼吸が楽に感じる。

「一日眠って少しは治ったかい?」

 朔夜は目の上に両手の甲を置いて首を振った。燭台の灯すら眩しい。

「まぁ…馬の上で眠っちゃ逆に疲れるよな」

「…問題は俺の事じゃない」

「ん?」

「あんただよ。首突っ込み過ぎだ。命は惜しいだろ」

 霜旋は怪訝な顔で、手で隠された下をじっと見た。

「確かに…名前も知らない間柄なのに、お節介が過ぎたな。済まん」

「…朔夜。俺の名前」

 於兎は明かす事を止めたが。

「どうせ誰も知らない名前だ。限られた人間以外は」

 於兎と、華耶ら同郷の人間くらいしか知らない。桓梠ですら知らない。必要が無いから。

「俺ももう要らない名前だと思ってた。於兎が現れるまでは」

「どういう事だ?名前が要らないとは…」

「俺は…月と呼ばれている」

 霜旋の顔が顰められた。

 構わず朔夜は言った。

「あんた達が悪魔と呼んでいる存在だよ」

「…何だって…!?」

 霜旋は座る椅子から腰を浮かせた。

 それを更に促す為、朔夜はもう一度言った。

「死にたくないなら俺から離れろ。俺だってあんたみたいな奴は殺したくない」

「……」

 霜旋がじっと自分の目元に視線を注ぐ理由を、朔夜は分かっている。

 隠したくとも、無理だった。

 今更、千虎の事を思い出して。

 泣いていた。ずっと我慢していた何かが、流れ出た様に。

「前にもあんたの様な馬鹿なお節介焼きが居たんだ。俺はアイツについて行きたいと本気で思った!なのに…」

 重なるのだ。別に見た目の何が似ている訳でもないのに。

「なのに…殺した。俺が。…一瞬だけ、殺したいと思ってしまったから」

 それを認めると、自分の中の何かが崩れる気がして、今まで目を背けてきた。

 だがもう、限界だった。

 何もかも自分のせいだと気付いてしまった。

「だから頼む…もう近付くな…」

「…済まん」

 意外な謝辞に朔夜は驚いて視界を開けた。

 霜旋はそこに座ったままだった。

「薄々だが…分かっていた。お前がその…噂の存在である事は」

「噂…?」

「月、が…敦峰の内乱を鎮めるという話は軍、いや、都に居る誰もが知るところだ。更にはこの遠征に同行している事も、我々の間で噂されていた。上官から夜行は固く止められたからな。その理由は…月がこの中に居るからではないかと…」

「…そうか。だが…」

 それを知っていて近付く理由が分からない。

「最初から分かっていた訳じゃない。まさかあの月が、こんな子供だとは思わんからな」

「は…全くだ」

 朔夜は少し笑って、目元を袖で拭った。

「それでも、月の夜は近付くなよ。ガキだと思っていたら、命取られるぞ」

「分かった。肝に命じよう」

 霜旋は微笑して言い、今度こそ立ち上がった。

 窓辺まで行って空を見上げる。

「今夜は大丈夫だろう?」

 光を遮る雲は厚い。

「命懸けの綱渡りがしたいなら止めないけどさ」

 多少呆れて朔夜は言う。

「しかし、月の夜は近付くなとは、西の彼方の国に居る狼のようだ」

「なんだそれ」

「満月の夜に人を食い荒らすそうだ。おとぎ話だがな」

「…ふーん。随分荒んだ話を子供に聞かせるんだな、その…西の国は」

「砂漠と海を越えた、そのまだ向こうにある国だそうだ。人の丈が馬と同じくらいなんだぞ?」

 見知らぬ国。

 朔夜は海を見た事は無い。梁巴は高山の頂に近い場所にあった。

 その海の向こう、など想像もつかない。

「…なんか、見たような話しぶりだけど」

 繍という国の性格からして、異国人など受け入れないだろう。そもそもこの国自体が内陸だ。

「樊は西の国々と貿易しているからな、時々見かけるのさ」

「じゃあ、あんたは…」

「元々は樊の民だった。敦峰と同じさ。繍に乗っ取られた街の出さ。敦峰より西にある邑峰(ユウホウ)という所だ」

「そこも今は苦しいんじゃないのか?」

「ああ。…皆、敦峰の事を固唾を飲んで見ている」

 朔夜は長く息を吐き、目を閉じた。

 国境の街は皆、敦峰の始末を注視している。

 そこへ送られるのは、死神たる自分。

 これは、見せしめだ。

 国に反旗を翻せば、どうなるか――桓梠の狙いは敦峰だけではない。繍の民全体を恐怖させ従わせる事だ。

「…霜旋」

 魘され、譫言を言う様に朔夜は言った。

「俺は、どうするべきだと思う…?」

 問われた霜旋は、じっと寝台の上の顔を見、窓から見える街の灯に目を移した。

「国に仕える兵士としての僕は、敦峰の乱を鎮圧すべきだと即答するだろう」

「…だろうな」

「僕には敦峰に行くなとは言えない。だが…少し、容赦してやって欲しい。苴軍の様にしないでやってくれ。或いは全員の首を取った繍の部隊の様には」

「そこまで伝わっているのか…」

「皆知っているよ。震え上がったさ、悪魔の裏切りには」

 言ってしまって、あ、と口を覆う。

「済まん、皆が悪魔と言うからつい…。僕はそうは思わない」

「いいよ、別に。本当の事だし」

 今更その呼称に何とも思わない。

「自分のやってる事は悪魔の所業だって、分かってやってるんだ。やらずに済むならそうしたいけど…自分の命惜しさにやってしまうんだ。最悪だろ?自覚はあるんだけどな…」

 いくら手を汚しても、桓梠は許してはくれない。それを悟ったのはいつ頃だったろう。

 それからは、許される為ではなく、惰性として生きる為に手を汚している。

 自分には戦場以外に生きる場所は無いのだと、分かってしまった。

「…そう言われると、僕達も悪魔とそう変わらないと自覚してしまうな」

 霜旋は言った。

「自分の命惜しさに手を汚す…。誰かの屍の上で飯を食っている。僕達兵士は皆そうだ」

「安心しろよ。あんた達の場合は敵も同じだ。人間同士の戦いに悪は居ない」

「そうだろうか?」

「…俺の戦場は違う。人間と人間の戦いと、人間と悪魔の戦いは、全然違う…」

 遠く、視線を投げる。

 あの光景。

 己の所業でありながら、総毛立つ。

「何故…繍軍をあんな目に?」

 禾山での戦い。全ての屍から、首が斬られ、転がっていた。

「…守りたいヤツが居た。繍は俺もろともアイツを消すつもりだった。だから…」

「噂が本当なら、一人を守る為には少し…やり過ぎだろう」

「そうだな。だけど、月に取り付かれたら俺に殺し方は選べない。殺す相手も」

「どういう事だ…?」

「その時守ったヤツは…さっきも言ったけど…殺しちまった。俺が」

「……」

「俺の意思ではどうにも出来ないんだ。本当の所は、俺なんて悪魔に操られる人形に過ぎない。死神が憑依する媒体だ」

 強張った顔で、霜旋は少年を見下ろした。

「この国は…とんでもない物を味方にしているんだな…」

「味方じゃない。使役しているだけだ。そのうち…」

 虚空を睨んで朔夜は言った。

「使い切れなくなる」

 それだけで斬られそうな藍の瞳の強さに、霜旋は思わず身震いした。

 朔夜は霜旋に視線を戻してふっと笑った。

「誰にも言うなよ?」

「わ…分かった」

「そうだ。お前に頼みがある」

「何だ…?」

「於兎をどこかの街に置いて行って欲しい。敦峰から出来るだけ遠くに」

 訝しむ霜旋に、朔夜は更に説明した。

「アイツの故郷なんだ、敦峰は。どこまで本気か知らないけど、アイツ、敦峰で俺に殺される気らしい。そうならない様に…何とかしてくれないか?」

「…何とか言いくるめて我々の目的地まで連れて行くか…」

 考えながら言って、霜旋は苦く笑った。

「全く、骨の折れる人助けをしてしまったな…」

「悪い。恩に着るよ。…あと、ついでにもう一つ」

「何だ?」

「食えるモノをくれ」

 霜旋は一瞬間を置いて、弾かれた様に笑い出した。笑いながら頷き、部屋から出て行った。

 朔夜も口元に笑いを浮かべ、寝台に座り直した。

 答えは見つかった訳ではない。

 だが、洗いざらい人に喋って、己を殺そうとしていた罪悪感が、不思議に軽くなった。

 まだ、何とかなる。

 ただの楽観かも知れない。

 それでも、まだ、何か取り返せると。

 当ても無く、信じた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ