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月の蘇る  作者: 蜻蛉
第二話 故郷
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 また、この地を踏んでいる。

 何事も無かったかの様に。

 ただの夢。いつか忘れる一夜の夢を見ていた。甘い、甘い夢だ。

 ――否、忘れられる自信は無い。

 それは、やり場の無い悔恨と共に、深く深く脳裡に刻まれてしまった。

 そして、消えた傷の代わりに。

 刃を持ち帰った。生きろと願われたその想いの証に。

 それを、懐に抱いて、また、この地に還った。

 繍の都、明惣メイソウ。その中心にある王城、磬城(ケイジョウ)。その裏にある、地下牢。

 ここが家だ。どうしようもない運命の元定まってしまった帰る場所。

 しかし朔夜は己の居場所である地下への階段を素通りし、更に奥の同じ様な入口へ足を向けた。

 石造りの階段。寒気がする様な地下の冷気。じめじめとした不快な湿度。光源は無く、闇の中に。

「…華耶(かや)

 小さく、目的の人物の名を呼んだ。

 が、それはこの静寂の中で万人の耳を引くには十分過ぎる声だった。

「神の御子だ」

 一つの声をきっかけに、その呼び掛けは口々に広まり、低い慟哭の如き歓声となって、その暗闇を満たした。

 ここは故郷――梁巴の人々が収監されている、言ってしまえば奴隷小屋だ。

 神の子。生まれた時から朔夜はそう呼ばれた。その力ゆえに。

 それに陶酔などした事は無い。特に感情など抱かない。朔夜は今も、一つの感動を持って自分を崇める人々を、無感情に見ていた。

 ただ、思うとすれば。

 こんな事は、望まなかった。

「朔夜!」

 不気味にも聞こえる慟哭の中で明朗に響く、鈴の声。

 朔夜はやっとほっとした表情を見せた。

 華耶。村の中で共に育ち、唯一、今も朔夜を人として見てくれる人物。

「こっち!」

 声を頼りにその姿を探す。闇に目が慣れれば、一人立ち上がって手招きする姿を確認出来た。

 残りの階段を降りようとして。

 視界が揺れた。

 気味悪く浮く身体。次いで衝撃。

 悲鳴が響くが落下は止まない。また衝撃、また。

 結局、残り全ての石段を転がり落ちた。

「朔夜!!」

 華耶が血相を変えて駆け寄り、動かぬ頭を持ち上げる。

 うっすらと藍の瞳が覗いた。

「…いたい」

 至極当然な呟きに、心配は一気に口から吹き出された。

「あったり前じゃない!寧ろ痛いだけで済んで良かったわ」

「えー…」

 笑い声に不満たらたらで声を上げると、痛い頭を更にぱしっと叩かれた。

 言葉にならぬ抗議も全て笑いで吹き飛ばされる。先刻まで朔夜を崇めていた周囲の人々も笑い顔だ。

「どうしたの。大丈夫?」

 やっと華耶が優しい言葉をかけてくれた。

「うん…ちょっと疲れてるんだと思う。大した事無い」

 返答に、彼女は藍の目を覗き込んで暫し見詰めた後、真顔で問うた。

「何かあった?」

 朔夜は答えなかった。口をつぐんだまま手近な壁に背を預けて座る。

「こんな所に顔出すなんて随分久しぶりね?最初の頃はよく来てたけど、最近めっきり来なくなったから…忘れられたかと思った」

「忘れるかよ。…任務が忙しかっただけ。今やっと一段落した」

「本当?」

 真っ直ぐ射られる視線を俯いて避ける。

 一段落したと言えばそうだが、恐らくここを出ればすぐにでも次の任務を言いつけられるだろう。

 ここに来た理由は別の所にある。決して時間が出来たから立ち寄った訳ではない。

 見て、確認しなければならなかった。華耶の無事を。

「別に…誰も奴らに何かされたとか無いか?」

「何かされた、って言うなら…いつもの事だけど…。奴隷だから、まぁ…」

「いや、俺のせいで…何でも無い」

 言いかけた言葉に刺さるような視線が注がれる。心配させるだけだと気付いて最後まで言わなかった。

 もし、千虎に従って寝返りしかけた事を上の連中に咎められていたら。

 この中の誰かが、自分の代わりに犠牲になっていてもおかしくはない。特に華耶にその理不尽な刃が向けられたらと思うと、ぞっとする。

 どうやら今回はそれを免れた。結果的に暗殺はしたのだから、連中にはそれだけで十分だったのだろう。

「…何があったの?」

 少し口を滑らせただけのつもりだったが、彼女が何か不穏なものを察するには十分だった。

 それとも、知らず知らず、情けない顔でもしていただろうか。

「悪い、邪魔したな」

 殊更明るい声音で言って、この場は逃げる事にした。

 これ以上華耶と居たら、自分が何を吐き出すか、自信が無かった。

 立ち上がった時。

「おい、いつまで休んでいる!!」

 上から太い足が階段を踏んで降りてくる。次いで鞭が石段を打った。

「さっさと出てこい!…ん?」

 身の太い男は朔夜に目を留め、元々細い目を更に細めた。

「何だ貴様。おい、女、勝手に男を引き入れてるんじゃねぇよ!」

 鞭が振り上げられる。華耶がぎゅっと目を瞑った。

 刹那、朔夜が刀を抜き掲げた。

 勢い良く刀に巻き付く鞭。

「なっ…!!お前…!!」

 あまりに一瞬の出来事に泡を喰らう男を、朔夜は鼻で笑って、言い放った。

「俺が何者か知りたければ、軍部の奴に聞いてみろ。…ただ」

 刀を引く。ぶつん、と鞭は切れた。

「言うだろ?触らぬ神に祟り無しって。…ま、俺の場合は悪魔だけどな」

 酷薄な口元の笑みと鋭い藍の眼に捕まって、男はヒッと高い声を出して後ずさりした。

 冷たい汗を吹出し及び腰に出口へ向かいながら、その場にいる女達に「早くしろ!」と怒鳴り散らして退散していった。

 朔夜は刀に絡み付く鞭を汚い物の様に摘んで捨て、鞘に納める。

「…自分で悪魔なんて言わなくても…」

 華耶が呟く。皆、重い腰を上げて仕事に向かい始めた。

「事実だから」

 素っ気なく言って、朔夜も人の流れに乗る。

 正午過ぎの眩しい太陽が、人々の頭越しに目を眩ませた。

「朔夜」

 作業に向かう同胞達に背を向け、自らの道を取ろうとした時、華耶に呼び止められた。

「一人で抱え切れない事は、私に話して。聞くから。ちゃんと聞くから…ね?」

 そんなに顔に出てるかなぁ、と内心ぼやきながら。

 うん、と頷いた。

「無理、しないでね」

 ひらひらと手を振って、華耶は行列について行った。

「お前もな」

 背中に向けて小さく告げたが、聞こえたかどうか。

 行列を見送って。

 朔夜は踵を返した。

 本当はもっと何か伝えねばならないのだろう。自分のせいで危険が及ぶ可能性がある事。

 出来る事なら、こんな所から逃がしたい。

 しかし彼女一人逃げた所で、別の危険の方が大きい。

 共に行けば、尚更。

 今回の事で骨身に染みた。共に居たい人は遠ざけねばならない。

 分かってはいたが、気を抜いていた。そんな存在に久しく近寄らなかったから。

 忘れかけていた。一人で生きていかなくとも良い世界を。千虎と出会ってそれを思い出し、しかしやはり独りでなければならない事を噛み締めた。

 溺れる程の苦さ。だが同時に。

 自らに言い聞かせていた。これで良かった、と。

 任務は恙無く遂げられたのだから。

――奴らの様だ。

 桓梠の顔を思い出して自嘲する。

 そうやって無情さに心を慣らしてしまえば、もう立派に連中の道具以外の何物でもない。

 それに嫌気も覚えられない程、朔夜は疲弊していた。

 何も感じないならその方が楽だった。

 “家”を間近にして、そこに立つ影に気付く。

 影――己に纏わり付く、忍。

 上の命令で監視をしているのは明らかだが、こんな捨て身の役目を引き受ける心情は理解出来ない。殺した事は無いが。

 ついでに名も知らないから影と呼ぶ。一人なのか複数なのかも知らない。興味が無い。

 黒尽くめの装束に、顔は最低限の視界を確保するだけの穴しかない面を付けている。この面も黒い。

「女が恋しくなったか」

 面の裏側でせせら笑っている。

「無駄口叩いてんじゃねぇよ。…任務なんだろ?さっさと話せ」

 ふん、と鼻で笑って影は言った。

「内乱を鎮圧しろ。場所は敦峰(トンホウ)

「…内乱?」

 思い掛けぬ単語に眉間を顰る。

 内乱など、今まで聞いた事が無かった。知らないだけかも知れないが、少なくとも朔夜にそんな話が来た事は一度も無い。

「何でそんな物が起こる…いや、当然と言えばそうか。こんな国」

 皮肉を込めて高い城郭を見上げる。

 情報が十分入って来ない朔夜でさえ感じる、この国の無茶な戦ぶりは、民に重い負担となってのしかかっているだろう。

 その不満が、ついに噴出したか。

「余計な詮索は無用だ」

 影が冷たく言ってのける。

「…俺に鎮圧しろって事は、それなりに懐柔しても良いって事だろ?」

 構わず朔夜は続ける。

「向こうの内部に潜り込んで、不満の種を聞き出し、取り除いてやれば良い」

「誰がそんな甘い事をしろと言った」

「要は鎮圧すれば良いんだろ?方法は何でも」

「潜り込んで懐柔されるのはお前だろう?我々の目はごまかされんぞ」

「……」

「乳飲み子同然の癖に偉そうな口を利くな」

 朔夜は何も言い返さず歩を進めた。

 分かっている。奴らは反乱を起こす民を生かす気は無いから俺を選んだ。

 それを咎めた所で――少なくとも、上の連中の背後に付き従うだけの、この“影”にそれを言った所で、不毛だ。

「現地の役人が泡を喰ってるそうだ。一刻も早く片付けて楽にしてやれ」

 地下牢への階段に足をかけた時、背中にそう告げられ、降ろそうとした足を浮かせた。

「役人?…軍は?」

「こんな瑣事に軍は出せん。お前一人で十分過ぎる程十分だろう?」

 黒い面にじっと目を留める。

 そこに真実は無いとは分かっている。影に考える脳は無い。主の言う事を伝えるだけ。

 だが朔夜が上の連中の意図を探れるとしたら、この男しか繋がりは無い。

「…桓梠に伝えろ。軍部も動かない様な瑣事に、俺を使うな」

「何を世迷い言を」

「お前は黙って奴にそのまま伝えればいいんだよ。俺は出ない。貴様らのツケを払ってやる様な真似なんかするか」

 一瞬。

 凍りついた様な沈黙。

「…良いだろう」

 影が、言った。

「伝えてやろう。ただし…覚悟はしておくのだな、月よ」

 朔夜がじっと睨む目の前で、影は、陰に溶け込み、消えた。

「…待て…」

 乾く口から零れる言葉。

 対照的に背中には、冷たい汗が落ちた。

「どういう意味だ、それは…」

 覚悟、とは。

 もしや。

「やめろ…!!」

 ――華耶。

「手を出すな…やめてくれ!!」

 城郭に谺するだけの懇願。

 応える者は無い。

――道具でしかない。

 その事実に諦めようが、抗おうが、俺は。

「…千虎」

 懐の短刀を、衣越しに強く、握って。

「あんたの言ってた事…今頃分かったよ…」

 やる瀬なく、青い空を仰いだ。



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