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燕の子  作者: 鏑木桃音
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晴れ間


「沖ちゃんでしょ?」

扉の向こう側から声がした。

「馨ちゃん!」懐かしくて思わず涙がこぼれた。

「久しぶりね、元気?」

「沖はあんまり元気じゃない。」

「もしかして泣いてるの?」

「泣いてない。嬉しくて涙がでるのは泣くのとは違うの。」

「もう、仕方ないな。ほら、受け取って。」

扉を越えて何かが飛んできて、目の前の広場に落ちた。沖が、ちょこちょこと走って行って拾い上げてみると、角切り乾燥チーズだった。

「何かわかった?」

「うん。」

「じゃぁ、もう一回行くよ!今度はちゃんと受け取ってね。」

「あ、ちょっと待って。」沖は土を払って急いで口にほおり込んで、左のほっぺに追いやった。

「それ!」

緩やかな円を描いてチーズが飛んでくる。今度はものすごく手前に落ちた。

「同じ場所に投げてくれないと取れないよ!」沖は大きな声で注文を付ける。

「え?また落としちゃったの。仕方ないな。もう一回行くよ。」

「ちょっと待って。」沖はチーズを拾って、もう一方のほっぺに放り込んだ。

「そーれ!」

「取れた!!!」両方のほっぺを膨らませてもぐもぐと言った。

「よしよし。それを食べれば元気がでるよ。」

乾燥チーズは遊牧民の携帯食である。

チーズ取りは久しぶりに楽しかった。だから「馨ちゃん、沖もお返しをあげる。」

「え?ちょっと待って、できるかなぁ。」慌てる馨の様子が目に浮かんで、思わず笑みがこぼれる。

「大丈夫だよ、沖のは包んであるから。そーれ。」大きく弧を描くように投げた。

ポサッと軽い音がして、馨はパタパタと走り、戻ってきた。小さな布袋をあけると、ドライフルーツにされた梅の実が入っていた。

「え?こんなのもらっていいの?」

「平気だよ、いっぱいもらえるもん。」

「宮殿はやっぱ違うな。」皇帝を理解した馨がため息をついた。

「ううん、ここに来る途中で貰ったんだよ。」

「!?・・・誰に。」

「・・・知らない人。」

「え!?大丈夫?」

「楷ちゃんが貰っておけばいいって言ってた。」

馨は、糖が白く粉をふいている美味しそうなドライフルーツを見つめる。沖がここにくるには漢人街を通ってくるのだ。楷が沖の馬に近づくことを許し、さらに食べてよしと言う。

「・・・沖ちゃん、これをくれた人って・・・全員女の人?」

「・・・そう言われてみればそうかも。」

「なるほどね~。沖、まだ他にも持ってる?」

「うん、あるよ。もっといる?」

「全部いただくわ!」

飛んできたのは、乾燥リンゴ、杏子、松の実etc.包んでいる布も可愛らしい。

漢人には投果という習慣があると聞く。女性がお目当ての男性に果物を投げて、男性がその果物を受け取れば、お返しに腰の佩玉を贈り結婚するのだ。こんな菓子で皇弟を釣ろうなんて、いい根性しているわ。でも残念ね、沖ちゃんはまだお子様なのよ。なーんにも伝わってないんだから。

馨は梅の実を口に入れた。蜂蜜を潜らせてあり甘くて爽やかな味がした。

 この日からチーズと菓子が扉の上を飛び交うようになった。沖の心に日が差した気がした。

二人は扉越しに背合わせで座って話をする。

沖は、ずっと気になっていたことを馨に尋ねた。

「馨ちゃんは、垂将軍がいなくなって寂しくない?」少なからず責任を感じていた。

「お父様?いるに越したことはないけど、お父様は仕事で家にいないのが普通だから、特別寂しくはないわ。たまに帰ってきたときはすごく嬉しいけど。」

「たまに帰ってくるの?」

「遠征に行っているわけじゃないから、たまに帰ってくるよ。」

「へぇ、沖も会いたいな。」心の中で呟いたつもり。

「それは皇太后様がなんて仰るかしらね。」言い方に少しだけトゲがあった。

沖は膝を抱えた。「垂将軍は怖くないのに。」

「あの時は、仕事柄、荒くれ者が集まっちゃったのよね。運が悪かったのよ。」

「もう一度会いたいな。」

「どうして?」

「沖のお父さまが、垂将軍みたいだったらいいなって思うんだ。」また心の中で呟いた。

馨は、遠くにいても父が帰ってくることに、なんとなく罪悪感を感じた。


 沖は、ある日突然、垂と対面する機会を得る。

 垂は、毎年夏至に宮中で行われる祭天儀礼に出席するために戻ってきた。草の育つ夏は遊牧民にとって恵の季節である。

 その数日後、楷が、たまにはお墓参りに行こう!と沖を誘ったので、沖は楷とともに宮城から1kmほど離れたところにある宗廟に行った。門をくぐり拝殿まで行くと、その前に馨と垂が待っていた。これは馨・麟と楷・恪の策略である。思いがけない出来事に沖は興奮し緊張した。

沖は震える声で思い切り背伸びをした挨拶をした。「再び御尊顔を拝することができ、恐悦至極に存じます。」宮殿でみんなが陛下に言う言葉を真似たのだ。

馨がぷっと笑う。「何それ。沖ちゃん、お父様を美化し過ぎ。」

垂も、「中山王の麗しき御尊顔を拝し奉り、呉王も恐悦至極に存じまする。」冗談めかして言った。沖は赤面した。拝殿の軒下の燕がぴーちくぱーちく騒がしかった。

 礼拝を終えると、垂は昔語りをした。

「私は先帝とは歳が離れていることもあり、あまり遊んでもらった記憶がない。先帝が恪兄と一緒に龍城(先々帝の都)の北の草原を駆けるのをうらやましく見ていたものだ。長い髪を靡かせて自在に馬を操る姿は自由そのもので、本当に格好良かった。ある時、どこで採ってきたのか、見たことのない美しい白い花を私にくれたことがあった。鮮卑の故郷に咲く花で、永遠の花という名だと教えてくれた。

 先帝は、恪兄を輔国将軍に、評叔父を輔弼将軍に、陽騖(ようぶ)を輔義将軍に据えて遠征にでかけたものだ。この三人は向かうところ敵無しで私の出る幕などなかった。先帝の右腕として馬を駆けることは私の夢であった。終ぞ叶わなかったな。

 沖、そなたの父は素晴らしい皇帝であった。人の話に耳を傾け、良いものは採用し、自分を律し、学問もちゃんとした。私など遠く及ばぬ。そなたは自分の父をもっと誇り、父に恥じない人間になりなさい。」

密かに父と慕っている人が実父を敬愛してくれていた。沖の感動は量り知れなかった。とめどなく涙が溢れ、この日のことを終生忘れないと思ったのでした。


この日を切っ掛けに沖の知らないところで事が進んだ。冬至近くになって、沖は陛下の膝の上で尋ねられる。

「沖、呉王の姫をどう思う?」呉王は垂の爵位なので、馨のことである。

「仲良しだよ。」沖は陛下を見上げた。

「沖と馨の婚約話があるのだけど、仲良しなら問題ないね。」陛下が微笑み返した。

「婚約?」

「結婚の約束。将来夫婦になりましょうっていう約束だよ。」

「ふーふ?」後宮には夫婦がいなかった。

「うーん。大きくなったら一緒にお父様とお母様になりましょうって約束だ。」

「馨ちゃんと!?」沖の顔がぱっと明るくなって「なる!」と叫んだ。その様子に陛下は顔をほころばせた。年が明けると二人の婚約が発表された。

 この話を画策したのは恪である。国政には垂の力が欠かせないのに垂家と皇帝一家は疎遠であった。沖と馨の婚約は二つの家の縁を結び直す手段である。問題は皇太后であるが、「そもそも垂との確執は、皇太后様が強引に垂を取り込もうとしたことに端を発します。そうまでして欲しかった垂を、いとも容易く味方にできるのです。皇帝陛下にとってこれ以上心強いことは無いではありませんか。それとも皇太后様は、沖の忠誠心を疑っておいでということですか。」過去を蒸し返して責めるという不敬で意地悪な方法で黙らせた。

恪には時間がなかった。

永遠の花はエーデルワイスのこと。

龍城は渤海の上ぐらいにある。建国時の都です。

母ちゃんは何をやらかしたか。垂の妻を殺して自分の妹を嫁がせました。結局離婚したけど。沖が生まれる前の話です。

楷、沖ちゃんが落ちた物食べてるよ。

遊牧民族なら小さなことは気にするな!胃袋も鍛える国家プロジェクト。



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