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燕の子  作者: 鏑木桃音
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余計なお世話!


玉の体にずっとしがみついていたら、玉のお母さんが言うんだ。人は死ぬと、その体は変色し、膨張し、醜く腐るんだって。私が、目を覚ますかもしれないって言うと、首を横に振って言った。

――― 思い出すのは、あの娘の綺麗な姿だけにしてほしい。


 玉のお墓は、眺めがよく静かな場所に作らせた。浅く、棺が入るだけの大きさの穴を掘って、周囲に石を敷き詰めて土で埋もれないようにして、棺を納め、平たい幅広の石で蓋をした。

 沖は墓前で座わりこみ、玉が目覚めたら直ぐに気づけるようにと、じっと耳をそばだてた。

「玉、愛しているよ。目を覚まして。」

玉には揃いのベルトが巻いてあった。


 段随は自分の屋敷に玉の産んだ赤ちゃんを引き取った。名は徭と言う。丁度、玉の妹、翡翠が赤ちゃんを産んでいたので、その乳で育てている。もともと翡翠を保母にしようと考えていたので、このこと自体に問題はない。

 問題は、玉が死んだということだ。殿下は若い。これから先、徭の他に子が生まれたら、徭の立場はどうなる?段氏の立場はどうなる?本来、燕人にとって段氏は敵に等しい。

 つくづく考えてみると、採りうる策は二つあった。

 随は孤児院に向かった。


 蒲子景は怒って欣怡(シンイー)に言った。

「なんで気が済むまで悼ませてやらないんだ。髪が結えない?服装が乱れてる?そんなの大きなお世話だよ。太守の周りには何人の召使がいると思っているんだよ。」

「あれは悼んでいるんじゃなくて受け入れられてないの。御(いたわ)しいお兄様。」

「そんなの、時が解決することさ。」

欣怡は口を尖らせた。

随は欣怡に言った。

――― 殿下の心の隙間を、お前が埋めてくれないか。

「お前、自分の顔を見たことないのか?もし仮にだ、万々が一にだ、太守がとち狂って、気の迷いを起こしたとしても、それはほんの一時のことだ。それと引き換えにお前は今ある全てを失うことになる。そんなこと、お前の望むことじゃないだろう?

・・・悪いことは言わない、そういうのは俺にしておけ。」

蒲子景は欣怡の腕を掴んで引き寄せた。

「馬っ鹿じゃないの!」

欣怡は思いっきり蒲子景を突き飛ばすと、そのまま孤児院を出た。


うるさい!

自分の顔くらい知っている。取り立てて特徴がないからこそ影武者なんかができている。

お兄様は妻に恋する純真な人。そしてその妻は鮮卑族でなければならない。

何より、玉さんは出来過ぎた賢妻だった。何一つ及ばない、欣怡の尊敬する人。

 腹立ち紛れにずんずん歩いていると、玉の墓に来てしまった。今日もまた、沖は墓前に座り込んでいた。時折強く吹く風が黄砂を舞い上げる。それに合わせて沖の長い髪も一緒に舞った。髪も白い胡服も砂ぼこりで酷い有様だった。

 時が解決するって、本当にこのままでいいの?

欣怡は心配になった。何か言わなければと思って思案していると、鮮やかな百日紅の花が目についた。欣怡は一輪手折って沖に近づいた。

「お兄様、いつまでそうしていらっしゃるおつもりですか。お兄様がそうしていると、奴婢(わたくし)どもは墓前に花を手向けることもできません。」

沖はゆっくり振り返った。

「・・・欣怡か。」呟くと、また玉の方を向いた。

欣怡は強引に花を墓の上に置いた。沖が玉の死を認めないので、墓は寂しい。

「・・・そうだね。もう随分と長い間、玉は何も食べてない。こんなに何も食べないでいるとおなかが空いて死んでしまうよ。

・・・いや、わかってる。玉はもう死んでいるんだ。」

次第に声は震えだし、ぽろぽろと涙が溢れた。

玉の母が、思い出すのは綺麗な姿だけにしてほしいと言ったから、沖の中で玉は死んではいないことになった。

「・・・わかってる。本当は、早く玉を自由にして、天に返してあげなきゃいけないんだ。」

人は死ぬと、魂は天に返り体は自然に返るものなのに、沖が玉を引き留めるから玉は天に返れない。

沖は初めて泣いた。声を上げて泣いた。

欣怡は、自分の母を失ったときのことを思い出し、黙って膝を抱えていた。

本当に大切な人を失うと、こんなにも心が乱れるものなのだ。

二人は随分長い間そうしていたが、涙はやがて枯れた。

「ごめん、つき合ってくれてありがとう。」沖は恥ずかしそうに言った。

誰にも沖の心の隙間を埋められないことは、もう十分にわかった。なので意味の分かっていない子供のふりをする。

「段随将軍が言いました。奴婢がお兄様のお世話とお慰めをせよと。」

「ふん、馬鹿なことを。真に受けるな。」腹立たし気に返した。

「将軍は心配しているのです。お兄様はご自分が今どのような(なり)をしているのか、わかっていらっしゃいますか。髪結いもせず、こんな砂ぼこりの中ずっと座り込んで、まるで野良猫のようです。上に立つ者は、自分がどのように見えるか、もっと気を配るべきではございませんか。」

「ふふ、玉みたいなことを言う。」

「ちょっと真似をしてみました。」欣怡も悪戯っぽく笑った。

それから、これが最初で最後だと思って震える声で聞いた。「・・・奴婢ではいけませんか。」

 そんなことを言ってくる女は山ほどいた。

沖は、おもむろに立ち上がると剣を抜いた。

欣怡は驚いて見上げる。

「私は本来被髪に左衽。髷を結ってくれる人がいないなら、結う必要はない。」

そう言うと沖は自分の髪を掴み、剣を当てた。

欣怡が止める間もなく、沖は、ざっくりと音を立てて髪を切り落とした。

沖は、手にある長い髪を見つめて、今更ながら、陛下に知れたら怒られるなと少し後悔する。

不意に風が吹いた。髪はサラサラと手から離れ、空へ舞い上がった。

まるで玉が持っていったような気がして、はっとして空を見上げた。しかし、どれだけ空を見つめても果てしない青があるばかり。

そうだ、玉はもう肉体を捨てたのだ。

「玉さんは、天に返れたでしょうか。」

「うん。きっとね。」

――― さよなら、玉。ずっとずっと愛してる。

沖、お仕事はどうした?ある程度組織がしっかりしていればバカ殿でも大丈夫!

徭も幼名があるはずですが不明です。随の策謀その一、他の子供をすべて庶子にする。

 三国志の魏書の末尾に鮮卑伝があって、鮮卑族は毎年春になると髪を水辺で切ったらしい。漢化した沖はそんなことはしないでしょう。儒教では髪を切るなんてとんでもない親不孝だからね。陛下ちゃんがパパも同然だから陛下ちゃん不孝だね。もうすぐで陛下ちゃんが来ちゃうのに、思いっきりやっちまったぜ。

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