何が欲しい?
粟の刈入が終わった頃、郡役所に絳邑県から早馬が来た。
「県役所が何者かに乗っ取られました!数にして凡そ千。」
「!?」郡役所に緊張が走った。
そこへ、平陽郡の南、河東郡から使者が来た。
「我が郡が追った塩賊が郡境を越えてしまいました。申し訳ありません。」
塩賊とは国家の専売品である塩の密売人とその周辺に群がるアウトローのことである。河東郡には大きな塩湖があり、塩の採れる時期になると毎年摘発が行われ、賊が平陽に流れてくる。普通は、山越えを謀ったり、ほとぼりが冷めるまで身を隠そうとするのだが、今回は何故か戦争反対と減税を唱えて立ち上がった。秦は涼を攻めている。ほおっておいて、どこまで広がるか見たい気もする。
「うちの県はもう徴税をほとんど終えています。」県吏は絶望的な表情で言った。
よい子な太守は真顔で言った。「善良な民が血のにじむような努力をして納めた税です。何としても守らなければなりません!」
本当は、恰好の軍事演習の機会に嬉しくて仕方がない。
沖は郡の地図の一点を指した。絳邑県は平陽郡と河東郡の境にあり、東西に流れる浍河と南北に流れる汾河が県の西端で合流している。その合流地点を指していた。
「悪は罰せられるべきです。山越えをさせないように西に追って行き、余さず滅するのです。
兵は神速を貴ぶと言います。急ぎ鎮圧に向かってください。」
武官たちは一斉に抱拳の礼をした。
県役所には税を保管する倉庫があるため高い塀としっかりとした門がある。
東の正門で、本隊450が門を開けようと攻撃を開始した。西の裏門では騎馬分隊50が少し離れた場所で成り行きを見守った。
欣怡たちは分隊にいた。
漢人の楊一、楊両、蒲子景、襄陵嘉は漢風の戦袍を、その他は燕人で胡服を着ていた。
そんな中、欣怡は男髷を作って上等な胡服を着、袖のない甲を身に着けていた。甲を形作る鉄片が日の光をキラキラと反射して人目を引く。他の騎兵は分隊長を除いて甲を着けていなかった。
少年兵はみな緊張し気持ちが昂っていた。
欣怡は、櫓にいる賊に向かって弓を引き、矢を放つ真似をした。
「ヒューッバーン!もらった。」
「って、何を!?」蒲子景がツッコむ。
「えーと、お兄さまのヨシヨシ?」
「安いな、おい!」襄陵嘉もツッコんだ。
「じゃぁ、あんたたちは何が欲しいっての?」
「俺はメシ!腹減った!」と楊一。
「じゃぁ俺も!」と楊両。
「ほら無いじゃない。私たちはみんな、生きているのか死んでいるのかわからない塵だった。それなのに、今、こうしてゾクゾクしてる。お兄さまが拾ってくれたからこそ。」しみじみと言った。
「俺も無いかも。俺は、昔は、風が吹いたらひしゃげそうなあばら屋で薄い粥を啜ってた。乞食に出ても、誰だって他人に施すような余裕は無い。疲れて家に帰ってくると小さいはずのボロ屋が広く見えた。今では食うに困らないし一人でもない。最高だな。」蒲子景は笑った。
「俺はあるよ。俺はすんごい手柄を立てて、太守様に朝廷へ推薦状を書いてもらうんだ。」
襄陵嘉が得意げに言った。
「そう言ってみなさいよ。お兄さまは、すぐにでも書いてくださるわ。」欣怡はあまりいい気がしなかった。
おしゃべりをしているうちに裏門が開いた。賊兵が分隊に向かって走ってくる。
「私はお兄さま。私はお兄さま。」欣怡は呪文のように唱えた。
欣怡が思い描く沖は、初めて会った時の沖だ。
今の幸せそうなお兄さまも素敵だけれど、誰にも心を許さなかった頃のお兄さまは、まるで藍宝石のようでよかった。
鬨の声は近づくにつれて、意味をなし始める。
「あれは太守に違いない。噂通りの女児だ。」
「ガハハハ、これはもう、平陽は俺たちのものだな。」
任侠崩れのならず者たちが酷い形相で向かってくる。欣怡は無言で弓を引き絞り、先頭を走る猪のような男に矢を放った。
それを合図に分隊は西に向けて馬を走らせた。賊を誘導するため、それぞれ移動しながら左右に展開して賊を囲んでいく。群れを先導するのは欣怡だ。ただ馬を走らせているのではない。軽弓騎兵は敵と適度な距離を保つのが胆なのだ。賊の歩兵に合わせてゆっくり走っていると騎兵が襲ってくるし、騎兵に気を取られていると味方から孤立してしまう。それなのに賊は欣怡目掛けてぐんぐん距離を詰めてきた。何しろいい餌だから。
「こいつはいくらで売れるかな。ちょっとこっちを向きなよ、太守様。」
「こらこら逃げるんじゃない。おじさんたちは怖くないよ。」
欣怡は、突然背中に激しい痛みを覚えて落馬した。賊が長い矛の柄で欣怡を思いっきり突いたのだ。敵はあっという間に集った。
「これは太守か?本当に女児ではないか?」
「ちょっと確認するか。」
欣怡は押さえつけられ、豚のような男たちが体をまさぐった。
馬乗りになっていた男が突如「グハッ」と口から血を吐いた。
「この下種野郎!」
馬上の分隊長が、矛に刺さった死体を振り払った。
その隙に欣怡は急いで剣を抜くと手近な熊男の首を切り裂いた。血は噴水のように噴き出す。
「欣怡!」
襄陵嘉が馬上から欣怡を搔っ攫った。
欣怡は襄陵嘉の背中でふぅっと息を吐いた。「危なかったー。」
「ってまだ終わってない!」襄陵嘉がツッコんだ
振り返ると、後ろに本隊が見えた。もう少し西でぶつからなければ賊を取りこぼしそうだ。
「ちょっと、襄陵嘉。あんた馬から降りなさいよ。」欣怡は言った。
「ふぁ!?」
「人には役割ってものがあるって、あんたならわかるでしょ?私は群れの先導なの!」
そう言うが早いか、手綱を奪って襄陵嘉を蹴落とした。
「互いの幸運を祈る!」欣怡は馬の腹を蹴った。
「ふっざけんな!!!」
襄陵嘉の声は群れに搔き消された。
反乱を平らげても、襄陵嘉は見当たらなかった。
「襄陵嘉、死んじゃった?」出世したいんじゃなかったの?
欣怡はちょっと混乱して郡役所に帰った。
沖が労いの言葉で皆を迎え、随が帰還の挨拶をし、武官が報告をしていく。沖は終始ご機嫌だ。最後に欣怡も報告した。
「お兄さま、奴婢のせいで襄陵嘉が死んでしまったみたいです。」
沖は一瞬悲しい顔を見せたが、優しく微笑むと欣怡の血で汚れた顔を拭ってやった。ゴシゴシ。
「残念だけど仕方がない。代わりに絳邑良を入れようね。」
やっぱり襄陵嘉はお兄さまの特別ではなかった。欣怡は満面の笑みで頷いた。
「ところで随、聞いて!」沖が弾んだ声で言った。
「?」
「あのね、玉に赤ちゃんができたみたい!随おじいちゃんだよ。」
笑顔が眩し過ぎて、まるで切り刻まれるように苦しい。
凌遅刑とはきっとこんな感じだ。
シンイーちゃん、影武者始めました。最初は普通にしていたけれど、何かにつけて間違えられるので、身代わりと言うよりは囮にされています。シンイーちゃんは大喜びです。沖ちゃんはちょっと心外だけど、上手く物事が回るならそれでいいです。大事の前の小事。




