大朝会
渭水の北の咸陽原に秦の明堂が建っている。明堂は古の帝王が祭祀や重要な儀式を執り行った場所で、天王はそれを真似て荘厳な大朝正殿を建てていた。南門から石畳が長く伸び、大理石でできた階段状の基壇の上に青丹色の瓦と朱色の壁を持つ極彩色の宮殿がどっしりと腰を下ろしていた。明堂からは渭水の南にある長安城を見下ろすことができた。
その明堂で、本日、秋の大朝会が執り行われる。大朝会とは五品以上の官位を持つ者が一堂に会して秦王に朝賀する大礼の儀式であり、秦の全土から王侯将相及地方各州郡の長官、諸少数部族長が集まった。秦では春(正月)と秋に大朝会を行った。新興侯の爵位を持つ暐も大朝会に列席した。
暐は、明堂の前庭で太守や将軍職についた燕の王族や官人を見つけて、各々に元気にしているかと声を掛けた。みな慣れない仕事に苦労していると苦笑いを返した。
見渡せば氐族、鮮卑族、羌族、羯族、烏桓族、丁零族と様々な胡族がいることがわかる。この場にいるのは五品以上の者なので誰と仲良くしても損はないと考え、手近にいる人を掴まえて挨拶を交わした。それを基に秦における各胡族の朝廷内勢力関係を推測すると、最大なのはもちろん王族である氐族であるが、それを除けば、意外にも投降間もない燕鮮卑(白虜)が有力で、力を持っているのは揚武将軍姚萇率いる羌族だとわかった。
明堂に入ると祭祀を司る太常府の属吏の誘導に従った。玉座に向かって、右から王族、諸侯、将軍が列をなし、その後ろに百官と地方長官、諸少数部族長が並んだ。玉座の左右に衛兵たちが控えている。
聞き慣れた音楽がずっと流れている。耳障りがいいのは鄴から連れてこられた楽人だからである。以前は玉座から百官を見下ろしていたのに、今はその一員となって玉座を仰ぎ見ている。なんとも不思議な気がする。それ以上の感情の深堀はしない。そんなことをしても何も戻って来ないのだから。
暐の場所は丁度玉座の前になった。時間があるようなので王族を観察する。誰が誰かはわからないが公子は6人いた。泓より年長が2人と沖より年少が2人。上から庶長子の苻丕、皇太子の苻宏、苻暉、苻熙、苻叡、苻琳である。
王猛は車騎大将軍として参列している。
王猛が長安に戻ってきたのはこの日のためである。参列もさることながら、大朝会が上手く執り行われるように各部署の調整を行った。王猛が宰相になるのは来年のことなので、越権行為になるのだが、祭祀儀礼を担当する漢人の太常卿は有難く思っている。言葉や風習の違う雑胡が集う一大儀礼を成功させることは相当に骨の折れることなのだ。
出御の銅鑼がなって音楽が止んだ。東の扉が開いて、黒い大礼服を着た秦王が黄門侍郎に先導されて姿を現した。
その後ろに場違いな錦の服を着た妃が一人つき従った。
小柄で、美しく髪を飾り、化粧をしているので妃に見えた。しかしすぐに気付いた、妃は袍を着ている。
「沖!」
思わず暐は大きな声で叫んだ。明堂はどよめいた。
暐は列を離れ沖に向かって駆け出していた。
「これは一体どういうことだ。これは一体どういうことだ!」
衛兵が一斉に暐を阻んだ。
他の燕の王族も人込みをかき分け玉座に迫った。
「なんという無法!」
「なんという屈辱!」
「このような辱めをするくらいなら我等一族皆殺しにせよ!」
怨嗟の声が飛んだ。
玉座から満場を見下ろして立つ沖の頬を、涙が一筋伝った。
「あぁ沖!!!!」
暐の叫び声が明堂中に響き渡った。
王猛は愕然とした。秦王がこの場に寵童を連れてくることは予想外だった。会場設営など他人に任せて先に主上に挨拶をしておくべきだった。しかし王猛が諫めたとして秦王が聞いたかどうかは別の話だ。
殿中は異様な空気に覆われている。着飾った美しい少年とそれに手を伸ばす燕のもと王の姿に、列席者は何が起きているのか凡そ悟っただろう。燕人の攻撃的な態度につられて、他の胡族も色めき立っている。関中の燕人は20万人。秦の王族は国境近くに領地を配されており、今日は朝賀に来たのであって兵を率いてきたわけではない。今秦王が動かせる兵力はせいぜい2、3万人。恐怖が王猛を襲った。
「音楽、音楽を奏でよ!」
王猛は叫ぶと、玉座脇に控えていた太常卿の所に走り饗宴の場に切り変えるように早口で命じた。太常卿は困惑しきっている。王猛はそれを無視して玉座に駆けのぼり秦王に退殿を促した。
王猛は秦王を御車に押し込みながら必死の形相で迫った。
「このままでは関中に乱が起きます。今、関中の燕人や、それにつられた胡族が立ち上がれば天王はひとたまりもありません。どうか燕の皇子を手放してください。どうか、どうかご英断くださいませ!」
秦王は青ざめた顔で言った。「朕が間違っていた。」
秦王は寵童一人と国家を秤に掛けるほど愚かではない。秤に掛かっていることに気づかなかっただけである。天王が寵愛すれば誰もが喜ぶものと思っていた。自身の傲慢さにやっと気が付いた。
王猛は寵童を秦王から引き離すと、関東の洛陽に避難するように言上した。秦王は頷き、王猛に燕人を鎮めるために必要な全権を与えた。
王猛は死地に一人臨む覚悟で明堂を振り返った。手には哀れな皇子の手をしっかりとつないでいる。この皇子をいかにして燕人のもとに戻すか、そこに秦の命運が懸かっていた。
方角がでてくると間違えてないかとびくびくします。大丈夫かな。ちゃんと明堂は南面してる?左が高位になっている?図形とか大の苦手だから怖いよう。
左が文官で右が武官。漢代までは武官の右の方が偉いらしい。唐代からは文官の左が偉いらしい。平和な時代になったからだそうだ。左右ときくと胡族の左衽と漢族の右衽が浮かびます。唐は鮮卑の国だし。左右の貴賤は時代によって変わるらしい。文武の並びに変化はないのだろうか。苻堅さんの時代はどちらが高位だったのだろうか。唐代に寄せておくことにした。
苻堅さんは自信家だから痛い目見ないとわかんないでしょ。
燕鮮卑って他にも鮮卑がいるのか。いるんです、そこら中に。前秦人は燕の鮮卑を白虜と呼びました。




