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燕の子  作者: 鏑木桃音
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悉羅騰


長安の最近の流行歌「長安の街は広大無辺、楊槐の並木は無限に続き、下には朱輪の車が走り、上には鸞栖(らんせい)がある。」


宮城

悉羅騰(しらとう)は、明光宮の西側にある宮城の入口で警備員をしている。明光宮は宮城の北東の宮殿で宮廷内で働く宮女や宦官の宿舎である。長安は渭水のある北に向かって低くなり、北側でも東より西の方が低かった。長安城郭内の北西の地は西市、東市と庶民の住む場所になっており、高地に行くにしたがって住む人の身分も上がっていった。この場所からは手前に貴族居住区、次に東市、その奥に西市、城郭が見え、宮殿を除いた長安の街のほとんどすべてが一望できた。


「これはもう俺の勝ちだね。」騰はにやりと笑うと白石をごっそり取っていった。

「くっそーその手があったか。」有閑老人が若造相手に頭を抱えて地団太を踏んだ。

地面には縦横各19本の線が引かれ、その交点に黒と白の碁石が置かれていた。

 騰は燕ではかなり有名な囲碁の名手であった。噂を聞きつけた人々が毎日、囲碁の勝負を挑みに来るので新しい仕事もそこそこ楽しくやっていた。

「はい、手合わせ料。」騰は手を差し出した。ちゃっかり小遣い稼ぎ。

 騰が碁石を片付けていると、薄汚れた白い胡服の男が二人やってきた。

「燕人か?」騰は聞いた。

「本当に悉羅様だ!」男たちは嬉しそうに言った。

燕の兵士は普段は牧畜をして普通に暮らしているが戦になると戦士に変わる。騰は、燕での本職は尚書郎であったが、戦時には軍を率いたので顔が知られていた。

「お前たち、もしかしてもう逃げてきたのか?」苦笑いをして言った。

「だって俺たちに野良仕事なんて無理なんだよ。もう、すぐに嫌になって速攻夜逃げした。」

「ハハハハハ。街に来てどうするんだ?」

「今は市で肉の解体をしてます。」

「もうしてるの?いつ来たんだよ。」

「だから速攻だって。」三人揃って噴き出した。

「ねぇ、悉羅様、あの噂は知ってる?」

「あの噂って?」

燕人は言いにくそうに顔を見合わせた。

「皇弟殿下の話です。」

「?」

二人は互いに肘で小突き合って話手を押し付け合った。

「・・・つまり・・・その、皇弟殿下に秦王の御手が付いたと。」

「御手付き?」意味が分からなかった。皇弟殿下は二人いるが、当たり前だが男子だ。

燕人は困ったような表情でお互いに見つめ合っている。

騰は、その様子からそのままの意味なのだと考え、言わんとすることを悟った。

秦王の手中にある皇弟殿下は一人だけ。そしてその皇弟殿下は、やたらと可愛らしかった。貴族ってやつは代々美女を娶るから大概見目麗しい。だが中山王殿下はその中でも別格だった。

騰は思わず立ち上がると、ザザッと集めた碁石が音を立てて散らばった。

 騰の意識は二年前に飛んでいた。


「悉羅騰、素晴らしい活躍でしたね。あなたの活躍により我が国は勝利を収めることができました。私はあなたの名前を決して忘れません。」


 晋の北伐の際に、騰は呉王垂の配下として桓温戦に参加し、謀反人の段思を生け捕りにし、敵将李述を討ち取る戦功を上げた。

 宮殿で行われた祝勝会で、中山王殿下は自ら末将にお言葉をかけてくださった。中山王殿下は大司馬でいらしたので、それにふさわしい振舞をなさろうと努力なさっていらっしゃった。お小さいながら利発で、将来名宰相になることを嘱望された煌煌(きらきら)しい方だった。

 その将来の宰相が末将の名前を覚えたと仰ったのだ。将来を約束されたようなものではないか。喜びに打ち震えたことを今でも昨日のことのように覚えている。

 思い出の中の輝くような殿下の笑顔がぐにゃりと歪んだ。


 騰は目の前の燕人に向かって強く否定した。

「いや、そんなはずはない!だって秦の宰相は言っていた、中山王殿下は立派な将軍にお育てするんだって!」

燕人たちはその剣幕に押されて、

「ただの噂ならいいんだよ。悉羅様ならほんとのところを知っていなさるかと思ってさ。」

「安心しろ、ただの噂だ、そんなことはあり得ない!」

断言すると二人を追い返した。

 俺は昔は尚書郎だったが今はしがない警備兵だ。かつては大燕国の皇帝は一諸侯として宮場外に住んでいる。どちらもプライドは傷つくが敗戦したんだ、仕方ないって思うよ。

でも何故殿下は俺達と同じ罰じゃいけなかったんだ。

お小さいから?なら何故一番過酷な罰なのだろうか。

 亡国の時、燃える潞川で、俺は十分戦っただろうか。

あの時、俺は「ほら、言わんこっちゃない」と不貞腐れて、自分と兵士の命を惜しんでさっさと退却した。

あの時、お小さい殿下に何ができたというのか。

罪を償うべきは俺じゃないか。

災難はいつだってか弱い者から襲う。

 秦王はきっとわかってやっている。俺たちの最も高貴な人を最も屈辱的な方法で貶めて俺たちが絶望する様を笑っている。そのうえでゴミみたいな仕事をチラつかせて言うんだ、

――― それでも生きたいだろう?

どれだけ馬鹿にしてるんだって話だよ。

「馬鹿野郎、俺の人生の最高の瞬間を汚すんじゃねぇよ。こんなこと、許されていいものかよ。」

騰は仕事をほっぽり出して、坂道を駆け下りた。


ちょっと時間がなくて分量が少なくなってしまいました。尚書は皇帝の秘書です。そこの郎なので平の一つ上で文章起草などしていたと思います。文官のエリートコースです。

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