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燕の子  作者: 鏑木桃音
19/77

寵童

今回はちょっと長い。二つに分けてもよかったのだけど、あんまり引っ張るのもどうかと思い切りがいいとこまでやりました。

 朝になると、阿房宮の全棟検査が始まった。

沖は扉がギィィと開く音で目を覚ました。一瞬昨日のことを思い出せず、ここがどこで自分が何をしているのかわからなかった。

「いるか?」「いないな。」「よく探せよ、椅子の下や衝立の後ろ、壺の中。」「はいはい。」

記憶がすべて返ってきて、沖の心臓は早鐘を打った。屏風の隙間から覗くと杖を持った宦官が三人だった。

宦官の三人くらいなら打ち負かすことができるだろうか。できるできないじゃない、やる。

宦官は散らばって物陰を確認していく。一人の足音がこちらに近づいてきた。沖は息を凝らした。宦官は屏風の前の大きな壺を確認し、屏風に手をかけた。瞬間、飛び出すと、手にある武器を奪った。

驚いた宦官が叫んだ。慌ててそいつの腹を棍で突いた。「うるさい。声を出すな!」

残りの宦官が駆けてくる。沖は一人の足を思いっきり薙ぎ払って、もう一人の頭めがけて力いっきり棍を振り下ろした。宦官は頭を抱えて倒れ込んだ。

倒れた宦官の一人が携帯していた笛を鳴らした。

失敗だ。あっという間に意識を奪わないといけないのに。泓の鍛錬にもっと真面目に付き合っていればよかった。

沖はその場を捨てて外に飛び出した。

追手はすぐに集まってきた。どうすれば活路が開けるのかわからない。沖は男も女も関係なしに杖を振り回した。女官がきゃーきゃー叫ぶので、あろうことか近衛兵まで出てきた。終わった。・・・だが!

 亡国の時、沖は戦えなかった。ずっと陛下に守られて、期待されることもなく、国が滅びていくのをただ見ていただけ。どうせ駄目もと。敵とやり合う機会を得たのだ、お前ら全員受けて立つ!

沖は、杖を握り直すと近衛兵に向かって突っ込んでいった。

宦官が叫んだ「決して殺してはならんぞ!傷もつけてはならん!」

近衛兵には無茶な命令だったが沖には好都合だった。しかしもう何も聞こえていない。

雪藍色の袍の裾や袖をクルクルと舞わせて、髪をバサバサと振り乱して戦った。子供ならではの軽やかさで、ひらひらと燕が翻って飛んでいるみたいに。

しかし、子供ならではの非力であった。

近衛兵は次々と体当たりをした。とうとう突き飛ばされて倒れ、押しつぶされた。重くて息ができなくなって目の前が暗くなった。目を開ければ、いつの間にか目の前に秦王が立っていた。小児のすることだ、何のことはない、そんな上から目線の余裕な笑みが浮かんでいた。沖は拳で地面を叩いた。

秦王はお褒めの言葉を授ける。「戦う姿も流れるように美しいな。まるで剣舞でも見ているようだった。」

そして大勢の官人の前で、逃れられない運命を宣告する。

「龍は天子を、鳳凰は皇后を表す。お前は鳳雛だから我が寵童とする。」


・・・寵童って何?


秦王は政務のために立ち去った。しかし行き先は阿房宮の前殿で、そこで政務を行うことにした。

秦王が姿を消すと、阿房監の指示により近衛兵が沖をもとの御殿に閉じ込めた。御殿には外から閂がかけられた。

 阿房宮の官人たちは暇さえあればこの話をした。

「あぁ残念だわ。主上のものじゃ手が届かない。」

「そうね。でも、これって大丈夫なのかしら。曲がりなりにも大国の皇子様よ。寵童って普通・・・ねぇ?」

「でも、亡国でしょ。」

「でも、その王族の方々は皆それなりの地位にお就きになったじゃない。」

「私聞いたわ。去年は歳星が燕の地にあったのに秦が滅ぼしちゃったじゃない?だから歳星がまた燕の地に帰ってくるときに、きっと秦は燕を復興させることになるんだって。誰が言ったの?王嘉?街じゃ、みんな言っているわ。」

「・・・なんだか怖い。」関中は、強制移民させられた大勢の鮮卑族を内包している。何が無くても危うかった。


沖が御殿に押し込まれると、開心がにこにこして言った。「お帰りなさいませ。お散歩は楽しかったですか?」

沖は無性に腹が立った。「知っていたろう?お前は全部知っていた!・・・なんで教えてくれないの?」

開心は言った。「だって言ったら逃げるでしょ?奴才の主は主上です。公子や公主ならいざしらず、あなた様は主上の愛玩動物、どうして奴才が逃がすようなことができましょうか。」

沖が睨むと開心も睨み返した。「奴才はただの奴隷です。奴才を非難するのはお門違いというものです。主上の寵愛を得るのだからあなたは秦国一の幸せ者です。何が不満なのですか!」

愛玩動物。だから鳥の雛か。

「ねぇ、寵童って何?愛玩動物ってどういうこと?寵愛を得るってどういうこと?」

「わかんないんですか!?もう、これだからおぼこな()()皇子様は。」ふふっと笑った。

「寵童というのは、女人の代わりに閨房の相手をする男児のことです。」

「閨房の相手?」

はぁ。開心はため息をつくと、どこからか素女経を持ち出してきて沖に見せた。容易周到。

裸体で絡み合う男女の姿態が延々と描かれていた。

「馬鹿な!汚らわしい!」払いのけた。開心はため息をついて拾いあげる。

「もう。親切で教えてあげてるのに。

・・・まぁ仕方がないか。国が破れなければ縁のない話ですものね。寵童なんてものは普通奴才たち少年宦官の御役目だもの。奴才などはうらやましい限りです。捕虜と奴隷とはどう違うのでしょうね。同じように見えます。私とあなたは同じです。」

宦官と同じ。奴隷と同じ。女人ではないのに女人の代わりをする、女人より劣った存在。

 最初に浮かんだのは陛下の顔だった。。そんなことになれば陛下は沖のことをどう思うだろう。沖は役に立たないばかりか、陛下の顔に泥を塗ってしまう。

沖はふらふらと立ち上がると、御殿の扉すべてを押したり敲いたりして回った。開かないのはわかっているのに何度も何度も御殿をぐるぐるぐるぐる巡った。

その様子を開心は頬杖をついて目を細めて眺めていました。


 その頃、阿房宮の宦官たちは今後の対応を協議していた。

「これは千載一遇の好機だ。主上がこちらに留まれば、老奴(わたし)たちは王宮の宦官よりも重用されるだろう。」

「鳳雛万歳!」「鳳雛万歳!」

「主上を留めるためにどうすればいいと思う?」

「主上は鳳雛のどこが気に入ったかだ。やはりそこを全面に押し出すべきだろう。」

「出自と見目の麗しさであろうよ。」うんうん。

宦官の中には昔は美少年宦官だった者が幾人もいる。そんな宦官から見ても沖は美しかった。

「化粧はするよな?」「した方がいいな。」「髪はどうする?盛る?」「全体的なつり合いが大切だ。」ふむふむ。

「少年宦官のようにスカートでも着せるか?」

「いや、鳳雛は去勢されていない。裳などすぐに似合わなくなる。」

「いっそ去勢するか?」「いいねぇ。」ハハハハハ。

阿房監が冷めた声で言った。「お前たちは主上のことがわかっていない。尊大なあのお方が、老奴たちのような歪な存在に愛寵を垂れると思うのか。鳳雛は鳳雛だからいいのだ。何一つとして欠けてはならない。」

宦官が秦王から寵愛を受けたという話は聞いたことがなかった。少年宦官に至っては、使えないので邪魔者扱いされていた。では、もし今の自分が身体だけ鳳雛と入れ替わったら同じように寵を得ることができるかと考えると、否である。鳳雛はあらゆるものを兼ね備えた、得難い存在であった。その得難さこそが秦王の愛でるところである。

「主上は鳳雛に袍を下賜なさっている。男児がよいのだ。」

「そうだな。主上は暴れる鳳雛を見て美しいと仰せになった。男児のままで行くべきだ。」

「じゃじゃ馬も好みの内ということか。だが主上に危害を加えるようなことがあってはならない。」

「少々仕置きが必要だな。」「だな。」陰湿さを含んだ忍び笑いが其処彼処で起きた。

「決して傷をつけてはならんぞ。我らの権力の源泉なのだから。」笑い声がどっと弾けた。

 宦官たちがやってきて、沖を取り囲んだ。宦官たちは、もう杖を持っていない。奪われると大変なことになるからだ。宦官はへつらうような笑みを浮かべて言った。

「鳳雛、お外で遊んだ後は、お風呂で綺麗にいたしましょう。」

「今度は何?」沖は困惑して宦官たちを見回した。

「主上がいらっしゃる前に綺麗にしておくのです。」

「嫌だ!綺麗になんてするものか!」宦官は暴れる沖を四人がかりで風呂場に運んで、そのまま湯舟に放り込んだ。

「うわぁ!?何をする!」服が水を吸って恐ろしく重たくなった。宦官たちは裸になって風呂に入った。筋肉が削げて肉が垂れ下がり下腹部に切除痕のある妖怪みたいな体さらして、

「さっきはよくもやってくれたな。調子にのるなよ。捕虜の分際で!」沖の襟首と髪を掴むと頭を思いっきり湯舟に沈めた。沖は苦しくてバタバタともがいた。水を飲んで代わりにボコッと空気が逃げると頭を上げさせられた。ガハッと咳込みハァハァと全身で息を吸い込む。

「お前は老奴たちの支配下にあるってことを理解せにゃならん。奴隷以下ってことさ。」また水に突っ込まれた。苦しくて目の前がチカチカしてくるとまた頭を引き上げられる。

「やめて、やめてよ!」沖はバタバタと暴れたが服が重くて自由が利かない。また頭を掴まれる水に漬けられる。

「殺してやる、殺してやる。」

「まだ、足りないか!」

こんなことを何度も繰り返すうちに沖の意識は次第に遠のいていった。

 沖は綺麗に洗われて完璧に飾りつけられて寝台に寝かされた。大人たちは、鳳凰を彫った木枕の近くに、沈香の香炉を置いたり、丁子油の入った壺を並べたりしている。開心は寝台の沖の足元あたりで両肘をついている。少年宦官は宦官帽を被る前なので働かなくても多めに見てもらえた。

「龍陽君もこんな感じだったのかな。奴才も欲しいな。」開心は、うっとりして言った。

「ならんぞ。主上に知れたらどうする。鳳雛の価値を下げてはならん。」大人たちが怖い顔をした。

「はいはい、わかっておりますとも。主上の大事な愛玩動物様ですよ。」

大人たちが立ち去ると、開心はそっと唇に唇を落とした。

うぅ・・・。

しまった!開心は舌打ちした。皇子様が宦官の口づけで目を覚ました。

 隣の部屋から女官たちが食事の準備をしている音がする。部屋の陶灯にはいくつも火が揺らめき、窓の外を見ると、夜の帷が下りて、軒下の釣灯籠に灯が点っていた。昨日と同じだ。

 沖はふらふらと寝台から降りてまた扉を順番に押していく。食堂の扉も客室の扉も押してみた。女官たちは、天童のような鳳雛を、横目でちらちらと盗み見ながら作業を続けた。沖が最後の扉を押してその前でしゃがみこむと、女官たちはその儚げな様子に、思わず「大丈夫?」と声を掛けたい衝動に駆られた。

 遠くで銅鑼が鳴った。

瞬間、沖は弾かれたように立ち上がると、狂ったように扉に体当たりを始めた。

「開けて!開けてよ!」大声で叫んで、あちらの扉こちらの扉と手当たり次第に体当たりをした。まるで籠に入れられた野鳥みたいにバタバタ、バタバタと。女官たちは戦慄した。さっきまで天人を見ていたはずなのに。

 秦王が宦官を引き連れて部屋に入ってきた。沖はがっくりと項垂れる。

「やぁ鳳雛、いつ見ても元気そうだな。私はもうくたくただよ、さぁ飯にしよう。」秦王は食卓に座った。

食卓に並んだのは、米粉麺と胡瓜と葱の和え物、木耳と海老と卵の炒め物、雷魚のスープ、パンの間にみじん切りの羊肉を詰めたもの、豚の角煮、餃子、蜂蜜涼粽子等々。とても食べる気になれなかった。

 その後の流れも昨日と同じ。

秦王が沖の腰を抱き、耳もとで囁いた。

「時間は与えてやったのだから覚悟はできたな。私は優しいだろう?」

(むせ)るような雄臭さに身震いがし、

「お願いです。死を賜りますように。どうか、どうか、私に死を!」腕の中で縋った。

「私は王だ。平和をもたらす鳳凰を殺すわけにはいかない。」秦王の手が裾を割った。

「やめて、やめて、何をするの。助けて。」

「そう暴れるな。」大きな手が背中をがっしりと押さえつけた。

「陛下、陛下、助けて!」

「お前の陛下は来ない。新興侯の命を助ける代わりに約束したんじゃないか。あやつのすべては私のものだ。だからお前も私のもの。お前がこうして泣いているのも全ては陛下のためなのだ。」

そう言うと、柔らかな肌に鬚髯(しゅぜん)を這わせた。

「ぐぁあああああ」

激痛が走り、小さな体は反り返った。体内で異物がのたうち回る。焼けるような痛みと激しい吐き気に襲われて意識は肉体を離れたがった。

沖が苦しめば苦しむほど秦王は陶酔境に溶けていった。

あまり気持ち悪くならないように気を配りました。グロい表現も美しく書きたい。だがしかし、このオヤジを美しく書くって私には難しいの。可愛そうで泣けてくるの。

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